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Find one‘s place  作者: 青海
6/6

心が求める場所

最終章です。読んで頂けたら嬉しいです。


ブラッシュアップしたいと思っております。

ご感想、ご意見、駄目だし、糧にさせて頂きます。

評価をして頂ければ有難いです。

よろしくお願いいたします。


〇心が求める場所


日本の空港。


ワトソンはタイから日本へ帰ってきた。

明はワトソンを迎えに来ている。


空港で明の姿を見つけ、ワトソンは心が枯渇していたことを思い知らされる。

渇きを満たす唯一の存在だ。「明さんじゃないと駄目なんだ」心の声がこだまする。

自然と歩く速度は速くなり、明の元へ。

「明さん、ただいま」

「お帰り、ワトソン」と明が笑顔で迎える。

名前を呼び合って、挨拶を交わす。それだけでワトソンの心は晴れ渡る。


明はワトソンのスーツケースに手をかける。

「俺が持つよ」

「自分で持ちます」とワトソンが恐縮する。

「いいから、やらせろ」

「ありがとうございます」ワトソンは明に甘えることにした。

「どうする?すしでも食いに行く?」

二人は歩きながら話す。

「ハンバーガーが良いです。僕、作ります」

「そっちか。ワトソン作れるのか?」

「はい。材料と黒ビール買って、僕の家に行きましょう」

ワトソンは明と二人きりになりたかった。


ワトソンの家


二人はワトソンの家に着いた。ワトソンが玄関の鍵を開け、先に入り、電気を付ける。

明がスーツケースを引きずりながら入ってくる。


「スーツケース、とりあえず玄関に置いておくぞ」

明が声をかけ、部屋に入る。

「はい。ありがとうございます」とワトソンはお礼を言いながら、久しぶりの自宅を見回し、

部屋が綺麗になっていることに気が付く。

「明さん、掃除してくれたんですか?」

「まあな。洗濯もしたぞ。借りだからな」

明は恩着せがましく言う。

「ありがとうございます。…今、洗濯って…何を洗ってくれたんですか?」

「大丈夫。カトラス君人形なんて見てないから」

明がニヤリと笑ってからかう。

「Invasion of privacy. I didn't order cleaning bedroom.」

ワトソンは顔を真っ赤にして英語で抗議をする。

「何言ってるか分かんねぇ。俺が変なこと言ったから、ファンになったのか?」

明が愉快そうに笑う。

「No. I just wanted to make sure.」

「I will keep it a secret. I'm hungry. Please prepare a meal.」

明は発音の悪い英語を芝居じみたジェスチャー付きでゆっくり話す。

ワトソンは納得いかなかったが、言い返したら掘り下げられそうだったので、切り替える。

「…大人しくビール飲んで待ってて下さい。すぐ、作ります」

明はあっさり引き下がったワトソンの態度が気になった。

「ビールはワトソンと一緒でいいよ。何か手伝うか?と言いたいところだけど…。俺、料理出来ない…」

「一人で大丈夫です」


ワトソンは明の為にハンバーガーを作り始める。


ひき肉に塩コショウをして、良くこねて、バンズの大きさと同じくらいのハンバーグを作る。

フライパンを熱して、油をひいてハンバーグを焼く。

ハンバーグが焼ける音が、キッチンに心地よいリズムを刻んでいる。

ワトソンは眉を少し寄せながら、ハンバーグの焼き加減を慎重に見極めている。

ここぞというタイミングでハンバーグをひっくり返す。ハンバーグには綺麗な焼き目がついていた。

ワトソンの顔がほころぶ。もう片面を焼いている間に

まな板と包丁を準備し、慣れた手つきでバンズを真ん中で2つに切る。

切ったバンズをオーブントースターで3分焼く。

一緒に挟むトマトを輪切りにして、ハンバーグを焼いたフライパンで少しだけ火を通す。

土台となるバンズにハンバーグ、トマト、レタスを重ねて、上からワトソン家秘伝のソースをかける。

最後にバンズの上の部分をバランス良く置いたら、ワトソン手作りハンバーガーの出来上がりだ。

完成したハンバーガーは食材の鮮やかな色合いが層を成して、見た目も惹きつける。


明はクリップボードのはがきを見ながら「この絵葉書って、ワトソンのばあちゃんから?」とキッチンにいるワトソンに話しかける。


「はい。grandmaからです。島で一人暮らしをしています」

ワトソンは皿を準備しながら答える。

「へぇ。今でも離島に住んでるんだあ…」

「日本に住んでいるたった一人の身内です。両親はアメリカに居るので」

「ふーん」と言いながら、明はまた、ワトソンのプライベートは知らないことが多いなと思った。

改めて部屋を見渡す。1LDKの一人暮らしにちょうど良い間取りのマンション。

インテリアはシンプルなデザインのものばかりだ。部屋には無駄な物がほとんどない。テレビもない。

ローテーブルとソファー、そして本棚があるだけだ。

だから、余計に絵葉書がたくさん飾られているクリップボードが目立つ。

家にいる時、ワトソンは勉強ばかりしているのか…。


しばらくして、

「できましたよ」とワトソンがハンバーガーと黒ビール、グラスを運んできて

ローテーブルに置いた。

「うわ、うまそう」と明はソファに座る。

「アメリカ人の父から教わった本場の味ですよ」とワトソンも明の隣に座る。

「いただきます」

明はハンバーガーにかぶりつく。

「うまい。アメリカ食ってる感じ」

明は得意げに言うが、どこか的外れな表現だ。

「何言ってるんですか。アメリカは食べられませんよ」

ワトソンが突っ込む。

「ワトソン、料理上手いな」

「これしか作れません…」

「まじか…。ハンバーガーには黒ビール」

明は黒ビールの缶を手に取る。

「明さん、ほんと、黒ビールが好きですね」

「笑わないなら…特別に理由を教えてやる」

「え?」

ワトソンは前振りがあるとは思わず、「大層なことなのか」と身構える。

「笑いません。教えてください」

「黒ビールを注いだグラスって、なんか…人の内面を映し出してる気がする…。

俺のこじつけかもだけど…」

「えーと…どういうことですか?」

「…分かんねぇかあ…」

明はグラスに黒ビールを注ぐ。

「こうやってグラスに入れた直後は、こげ茶色系のマーブルでさあ。

なんか濁った感じ。混沌として複雑で面倒くさい感情…みたいな」

ワトソンはグラスの中のビールを凝視する。黒ビールが内面を映し出してるなんて

考えたこともなかった…。


ほんの僅かな時を経て、グラスの中は純白と漆黒のコントラストになった。


「上が白、下が黒。なんかこのコントラストを見てるとほっとする。表面上は白い部分だけ見せて、

なんとかうまくやっている。だけど、それだけじゃない。後悔も嫉妬も甘えも

やり切れなさも自分勝手だったり…なんかそういう部分もあって…」

明はゴクゴクと黒ビールを飲む。グラスの半分を体内に入れた。

「うまい!白も黒もどちらもあるからうまいんだって…。そう思わせてくれる。…だから、好きなんだ…ってワトソン笑ったな」

明は照れくさくなり、ワトソンに絡みだす。

「笑ってません」

「語っちゃって、ダサいなとか思ったろ」

「You have a refined sensibility.」

「Thank you very much.」

「…あとは英語が話せればパーフェクトなんですけどね…明さんは…」

「おい」明がつっこむ。

「冗談です。本当に感動しました。僕もやってみます」


ワトソンは黒ビールをグラスに注ぐ。

こげ茶色系のマーブルが純白と漆黒のコントラストに変化するまでの束の間を

スペシャルに感じた。今まで気にも止めてなかったのに…。

明さんは僕の視野を広げて、僕を惑わす…。

そんなことを考えながら、ワトソンは黒ビールを流し込む。



数か月、忙しく充実した日々が過ぎていった。


明のマンション。


明とワトソンは、海外に支社も持つクライアントのプロジェクトにアサインされていた。

プレゼン後、明のマンションで打ち合わせをすることになり、二人は明のマンションにいる。


ワトソンは久しぶりに訪れた明の家の変化にすぐに気が付く。

玄関のスリッパが一つなくなっていた。

リビングのフレグランスの瓶もどこにもない。

ワトソンはキッチンへ行き、食器棚を開ける。

黄色のマグカップも消えていた。


明はワトソンが智香の物が無くなっていることをチェックしているとは微塵も思っていない。

緊張感の反動から疲労が強まり、ジャケットも脱がずにヘナヘナとソファに座り込む。


「ああ、疲れた。ワトソン、ビール!」

明はキッチンにいるワトソンに呼びかける。

「サンフランシスコとリモート繋ぐって聞いてないっつの、マジ焦ったよ。」

「ビールは打ち合わせ終わってからです。」

ワトソンはペットボトルの水を明に渡す。

「えー」明は不機嫌な声を出す。

ワトソンは明の隣に座り、少し説教じみた口調で話し始める。

「明さん、英語を勉強してください。」

「まあ、ぼちぼちやってるよ。」

明は軽く流す。

「また、それですか。前からずっと疑問だったんですけど、その英語力でよく外資コンサルティングファームに入社できましたね。」

「なんか、ノリと一夜漬けと雰囲気でなんとかなった。インターンの時に英語話せる風の雰囲気を

醸し出してさ。」

「…。僕、いつでも教えますよ。ディレクターが何言ってたか分かってますか?

ビジネスチャンスを逃すところでしたよ」ワトソンは強めの口調で言った。

「毎日、暑いな。とりあえずシャワー浴びてくるわ。」

明は話を逸らすように立ち上がり、ネクタイを緩めて浴室へ向かおうとする。

「明さん、ネクタイ外すの待ってください。」

「え?」

明は立ち止まる。ワトソンは明に近づき、真剣な目で見つめる。

「なんだよ。」

明は少し後ずさりする。

「…TOEICテキスト、買うよ。」

ワトソンが迫ってくる。明はさらに後ずさりする。

「英単語、毎日5個覚えるから。」

ワトソンは無言で迫り、明は壁際まで追い詰められる。

「え!10個?20個…?」

明は焦りながら言う。

ワトソンは明の顔の横から壁を突く。

明は反射的に目をつぶる。ワトソンは明のネクタイを掴んで自分に引き寄せる。

「近い近い。分かったら、普通に言えないのかよ。サイコハーフか?」

明はイラつきながら、ワトソンを押しのけて浴室へ向かった。

「シャワー終わったら、打ち合わせしますよ。」

ワトソンは追い打ちをかける。



明とワトソンはタブレットを睨みながら打ち合わせをしている。

「ああ、もうキャパオーバー」

明が根をあげる。

「とりあえず、ビール」

「明さん…」

ワトソンは呆れる。

「サンフランシスコの件はワトソンに任せる。MBAだし」

「毎回そうやって…逃げる…」

ワトソンは渋々キッチンへ行き、冷蔵庫から黒ビール2缶と冷やしておいたグラスを

持ってきて、ローテーブルに置く。

「気が利くな」

明は機嫌を良くして、黒ビールをグラスに注ぐ。

ワトソンも注ぐ。あの日から黒ビールをグラスに注ぐのが楽しくなっていた。


明はビールを勢いよく飲み、「俺、婚活する」と宣言する。

「突然、何の宣言ですか」

ワトソンは驚いてビールを吹き出しそうになる。

「孤独死したくない」

「まだ、早いですよ」

「ワトソンにはまだ30代がたっぷり残ってるだろ。俺にはもうない」

「明さんは…」

ワトソンはなんて言えばよいか分からなくなる。


明はキッチンへビールを取りに行きながら、独り言のようにつぶやく。

「どうしたらいいんだろう。この歳でマッチングアプリっていうのも…。

結婚相談所もなあ…となるとやっぱり白石さんだな」

「え?」

ワトソンの心に細波が立つ。少しずつ、風が強まり、波が高くなっていく。

「ワトソンが言いたいことは分かる。クライアントだもんな。『慎重に』だろ?」

明はビールを注ぎながら、ワトソンの様子を横目で確かめる。

ワトソンは心の嵐に飲み込まれないように冷静に話す。

「いいと思います。白石さん。仕事できるし、綺麗だし。それに、地元の百貨店を救ったんですから、

明さんの好感度、上がってるんじゃないですか」

「…どうだろう…」明はワトソンが本心から言っているのか探ろうとする。

明が智香の物が無くなった空間で別の女性の名前を口にした。

ワトソンはもう「ここには居られない」と覚悟する。

「エマがキスしたオレンジの話、覚えてますか?」

明は急に話題が変わり、困惑する。

「急になんだよ。なんか、タイでそんな話してたな。ワトソンのコンサルの原点だろ」

「あの話には続きがあります。最後に聞いてください」

「最後?」

ワトソンは明の質問には答えず、話し始める。

「明さんが見抜いた通りです。エマはお金が目的じゃなかった。お金が目的なら、

僕に協力する必要がない。エマ一人で稼いだ方が効率いい」

「だから言ったじゃん。じゃあ、やっぱり、目的はワトソンか」

ワトソンは苦笑いをする。

「そうだったみたいです…。エマは…僕に…キスした」

「ほら、やっぱり恋バナだ」と明は難しいクイズに正解したかのようにオーバーに喜ぶ。

「…僕はうれしくなかった。ただ、驚いただけ…驚いてエマを突き飛ばした」

明はワトソンの反応である仮説が頭に浮かぶ。

「…。まあ、…子供だったし…」

「次の日から…僕は…クラスメートから無視された『エマを振った嫌な奴』のレッテルを貼られて…。

エマを突き飛ばしてしまったことは事実だし、しかたないと思いました。

でも…あの頃、夢中だったスミスに冷たくされたのは耐えられなかった…」

「そっか…辛かったな…えーと…」

明は仮説が立証されるのをなんとか後回しにしようとする。


数秒の沈黙の後、ワトソンは続きを切れ切れに話し出す。

「…日本語には訳せないような…悪口を英語で言われて…僕はスミスに殴られました」

「え?なんで?」話が急展開し、明は動揺する。

「後から知ったんですけど…スミスはエマのことが好きだったみたいで…」

「ん?」

「鋭い明さんは分かってますよね…スミスは女の子ではありません。

明さんほどではないですが、イケメンでした」

「…」

明の仮説が立証された。どう対応したら良いのか分からない。

「明さん…なんて顔してるんですか…まあ…そうなりますよね…」

ワトソンは達観したように言った。

明はワトソンの言葉で戸惑いが顔に出てしまっていることを自覚し、慌てる。

「そうなるってなんだよ…。今まで『つまんねぇ』とか無神経なこと言って悪かった。

話してくれてありがとな」

「最後に聞いてくれてありがとうございます。…知ってしまったら、僕とはもう…

ちゃんと消えますから」

「だから、消えるとか、最後とか言うなよ…あのな…ワトソンはワトソンだろ?」

明の言葉は優しい響きと威力を放つ。ワトソンの心の壁は崩壊する。

「…僕は明さんが明さんだから…」

ワトソンは視線を落とし、沈黙する。ワトソンの息を吐く音が明にはっきり聞こえた。

「明さん…好きです…」

明は動揺を顔に出さないようにするだけで精一杯だった。

仮説が立証された今、ワトソンが言う「好き」は「慕っている」を超えているということだ。


空気はどんどん重くなり、静寂に包まれる。


「明さんは何も言わなくていいです。独り言だと思ってください。」

フリーズしている明に、ワトソンは話し続ける。

「明さんは忘れてしまったかもしれませんが…日本に来たばかりの頃、明さん言ってくれたんです。

『明でいいからって』…僕が何も言ってないのに…『つやしまさん』って言い難そうにしていた僕を見て…あの日から…明さんはいつも欲しい言葉をくれる…飾らない…人の気持ちに自然と寄り添って…

包みこんで…時々明さんは自分で自分を追い詰めるけど…全部特別で…全部好きなんです。

明さんが明さんだから…」

「…」

明はかける言葉は見つけられなかったが、ワトソンが光を通すくらいの純度の高い気持ちを不安と葛藤しながら話していることは痛いくらいに分かっていた。

「『俺のファームで働かないか』って言ってくれた時は嬉しかった。全然興味のない人形を買ったのは、明さんが僕に似ていると言ってたから」

「…」

「智香さんとのことだって…智香さんを一人でタイへ行かせたのも、スパークと出会うように仕向けたのも僕です。明さんと智香さんを引き離したかったから…一生恨んでください…許して下さいとは言いません」

明はワトソンの肩に手を置く。

「ワトソン、分かったから、落ち着け。俺と智香のことは…」

「僕は明さんの幸せを壊してしまいそうで…自分が怖い」

ワトソンは明の話を遮り、叫んだ。

そして、明の手を振り払い、去って行った。


明はまた、氷のように動けなくなった。頭が真っ白になり、雑念一つ浮かばない…。

しばらくして、真っ白になった頭にワトソンとの日々が次々と映し出される。


ワトソンの寝室で『カトラス君人形』を見た時、漠然とした違和感を覚えていた。

人形の顔を確かめたいだけであれば、画像を見れば良い。

わざわざ部屋に置くのは、そこに強い動機があるからだ。


こうなることは想定の範囲内だったはず…。


なのに…からかうようなことを言ったり、試すような言動をしたり…。


結局、俺は何がしたいのか…どうしたいのか…。



翌朝。


明は一睡もできないまま朝を迎えた。


スマホの着信音が鳴る。明は電話に出る気になれなかったが、いっこうに着信音が鳴り止まないので、渋々スマホを手に取る。ファームの事務員、吉永さんからだった。


「艶島さん、どうされたんですか?もう9時過ぎてます。今日、直行の予定入ってないですよね」

「え」

明は慌てて、スマホの時刻を見ると9時30分だった。

「えーと、兵庫の父の具合が悪くて、実家に行かないといけなくなって。今日のスケジュール、

リスケしてもらえますか」

「それは大変でしたね。分かりました。お父様お大事に。それと、ワトソンさんからのメール見ました?」

「どうしたんですかね。突然…」

明はワトソンが送ったメールの内容を予測した。きっと退職のメールだ。

「本人に聞いておく。とりあえず、ワトソンのスケジュールもリスケしておいてください」

「分かりました」

吉永の了承を確認すると、明は電話を切った。


ワトソンのスマホに電話をしてみる。出ない。

会社のメールをスマホで開く。

ワトソンのメールには明の予想通り、テンプレートの退職の文章が書かれていた。


明は急に落ち着かなくなった。


ワトソンのマンションへ向かった。玄関のチャイムを鳴らしても出ないので、合鍵でドアを開ける。

ワトソンは居なかった。手がかりになる物はないかと部屋を見渡す。

クリップボードのワトソンの祖母のはがきが目に止まる。はがきの住所をスマホで撮ると、

明は部屋を飛び出した。


一抹の望みにかけて、明はワトソンの祖母の家を目指す。ワトソンが島にいるかどうか分からないが、

じっと待つこともできなかった。



離島、夕方。


ワトソンの祖母の家に着き、明はインターホンを鳴らした。ワトソンの祖母、須美が玄関のドアを

開ける。

「お待たせしました。」

須美は初めて見る明に不審の表情を浮かべる。

「どちら様ですか」

「突然すみません。私、ワトソンさんと一緒に働いている艶島と申します」

明は名刺を須美に渡す。須美は名刺を受け取る。

「ああ、玲央の会社の…」

「玲央さんはいらっしゃいますか」

「朝早くに突然来て、さっきまで居たですが、『海を見てくる』って言って出かけてしまいました」

明はワトソンが島にいることが分かり、安堵する。

「夕方になったら帰ってくると思いますが、家でお待ちになりますか。どうぞ」

須美は明を家に入るよう促す。

明は「ありがとうございます。でも、探しに行きます。行ってきます」と須美に頭を下げると、

駆け出した。



明はどうしても見つけたかった。


美しいビーチが果てしなく続いている。自然の雄大さを堪能しながら、ゆっくり歩くのが王道だ。

しかし、明は走っていた。


「砂浜ってこんなに走りにくかったか?」


明は遠い記憶を思い出す。なんとか体のバランスを保ちながら走り続ける。

いちいち足が砂に埋まる。抵抗を感じながら、足を引き上げ、一歩踏み出し、また足が埋まる。

これを繰り返している。普段使わない筋肉を使っている。寝不足であることも相まって、体力は限界だ。脳も認識しているのに、気持ちが走らせる。一秒でも早く…。


ワトソンに何度も電話をかけているが、繋がらない。この環境でワトソンを探すのは、

タイムパフォーマンスが悪すぎる。

でも、衝動を抑えることもできない。


「ワトソン!」

明は叫んだ。『海岸で叫ぶなんて、何をやっているんだ、俺は』とも思ったが、

叫ぶこともやめられない。


明は叫びながら走り続ける。



ワトソンは海を見ていた。何も考えたくないのに、思念が浮かぶ。

細波は心を映し出しているように見える。ゆらゆら揺れ続けて、静止することがない。

何もかも全部流してしまいたいのに、打ち寄せられる。


日本に長く居過ぎた…。ただ、それだけだ。

最初から分かっていた。


エマを突き飛ばして、スミスに殴られたあの日から、ずっと同じ所にはいられないような気がしていた。


だから、色々な国の言葉を覚えた。

就職先も、世界100支社あるコンサルティングファームを選んだ。

結局、辞めてしまったけれど…。


次はどこに行けばいいのか。

どこに行きたいのか。

いつまで探せばいいのか。

そんな浅い考えが浮かんでは消える。


「ワトソン!」

聞き慣れた声がワトソンの耳に入ってくる。


巡る思念が遮断されて、反射的に振り返る。


「やっと…見つけた」


明は息も絶え絶えに、何とか声を出す。ワトソンとの距離は2メートルほどあったが、力尽きて、

崩れるように座り込む。


「明さん…どうして」


ワトソンは状況を把握しきれない。

「ワトソン、電話出ろよ」

明は怒りに似た感情をワトソンにぶつける。

「いい年して突然いなくなるなんて、ドラマみたいなことするんじゃねえよ」

「ドラマみたいなことって…。ちゃんとメールしました」

「そういう問題じゃない」

明は苛立ちを募らせる。

「どういう問題ですか」

ワトソンもむきになる。一方で、明が自分を見つけてくれたことに胸を打たれていた。

「あれ、どうするんだよ」

「あれ?」

「クライアントから英文資料のリクエストがきたんだよ。どうするんだよ」

「そんなのGoogle先生に聞いてください」

「はあ?」

「I have nothing to do with me」

ワトソンが英語に戻った。動揺している。明は言葉を選ぶ。

「あのな…。ここに来るまでに、兵庫のおやじが倒れたことにして、吉永さんに今日のアポ全部リスケしてもらって、車飛ばして、羽田まで行って、飛行機乗って、船にも乗って、砂浜走って来たんだぞ。

分かるだろ?」

「I don‘t know」

「俺はワトソンを追いかけた。ワトソンが必要だからだ」

ワトソンの心は波のように揺れる。誰かに必要とされるために生きてきたわけではない。

だけど唯一の『必要だ』には逆らえない。なんのためにここまで来たのか…そんなことはどうでも良いと思わせる…それだけの引力がある。抗うことなんてできない。ずっと、誰かに見つけて欲しかった。


「とりあえずこっち来い。俺はもう、動けねぇよ。」

明は弱音を吐く。もう、叫ぶ力も残ってない。

「僕を見つけてくれた…」

ワトソンは自分に言い聞かせるようにつぶやく。

心が求める選択をして、今まで傷ついてきた。生き方を変えようと思ったはずなのに…。

また、別の場所へ行こうと決めたはずなのに…。


ワトソンは一歩ずつ、明に歩み寄る。明のそばまで来ると、隣に座り顔を覗き込む。

「大丈夫ですか」

「大丈夫じゃない。くたびれたおっさんを走らせるな。砂浜走るだなんて、高校の合宿以来だよ。

立ち上がれないから、手を貸せ」

ワトソンは立ち上がり、明に手を差し伸べる。明はワトソンの手を取り立ち上がると、そのままワトソンを引き寄せて抱きしめる。


明の体温がワトソンを包む。心地良さがワトソンの緊張を自然と溶かしていく。

この選択が最善かどうかなんて…今は考えたくない…。


「苦しかったよな。考えて苦しくなるなら、もう考えるな。今度は俺が考えるから」

明はワトソンの気持ちを思いやる。

「…」

ワトソンの感情が涙となって溢れ出す。英語でも日本語でもタイ語でも言葉が見つからない。


明はワトソンが脱力していくのを体全体で感じ取る。ワトソンの涙が明の首元を伝う。

何か国語も操り、あれほど口うるさかったワトソンが黙って泣いている。

明もまた、言葉を見失う。今、俺が言えることは…。

「黒ビールみたいに丸っと飲み干してやっから、どこにも行くな」

「どこにも行けない。行きたくない。ここがいい」

抱き合う二人の後ろで夕日が沈む。水面で揺らめくオレンジ色の光は幻想的だ。

この優美な光景も、二人の目には映っていない。


「ファームの皆さんとクライアントにお土産買って帰るぞ」

明が切り出す。

「明さん、おんぶしてあげます。歩けないんですよね?」

「大丈夫だよ。おっさん扱いすんな」

「だってさっき」

「さっきは同情を引こうとしただけだ」

明は慌てて体をワトソンから離して、歩き出そうとするが、すぐにふらつく。

「明さん、おっさん通り越しておじいちゃんみたいです。日が暮れます。乗ってください」

ワトソンは明の前まで行って、背中を向ける。

明はおずおずとワトソンの背中に乗る。

ワトソンは軽々と明をおんぶする。明は驚く。

「重くないのか」

「大丈夫です。鍛えてるんで」

明はワトソンを仕事以外で初めて頼もしいと思った。

ワトソンは明を背負って歩き出す。

「ワトソン、良い体してんな」

明はワトソンの胸筋を後ろから手を伸ばして触る。

「すげえ筋肉」

「じっとしててください。落ちますよ」とワトソンは照れる。

「ワトソンの体の独占権を俺にくれよ」

「いいですよ。でも条件があります」

「条件?」

「明さんと一緒に暮らしたい。明さんを孤独死させない事業の継続が僕の条件です」

「しょうがねぇから条件をのんでやる。合意だな」

「契約成立ですね。いいんですか? M&Aの契約は白紙に戻せませんよ」

「M&Aなのかよ。俺が買主?」

「条件が1つだなんて、僕はお買い得ですよ」

「自分を安売りするなよ。ワトソンはプライスレスだ」

「発音悪すぎだけど、嬉しいです」

「俺、ワトソンの居場所になるよ」

「…居場所…」


ワトソンは明が自分の気持ちに答えてくれたわけではないことを承知していた。

今は「居場所になる」という言葉が「好き」より深いと都合よく解釈することにした。


明はワトソンの背中の温もりに集中した。未来のことは予測不能だ。

ソリューションも導き出せていない。自分の気持ちもまだ…。

去る者を追いかけたかっただけかもしれない。また、一人になるのが怖くて…。


明が今、分かっていることは「ここがいい」ということだけだった。




最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。

感謝の気持ちでいっぱいです。

繰り返しになりますが

ブラッシュアップしたいと思っております。

ご感想、ご意見、駄目だし、糧にさせて頂きます。

評価をして頂ければ有難いです。

よろしくお願いいたします。


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