私の命を化け物と呼ばれた君にささげる
ああ、ごめんなさい、ひいおばあ様。暗くなっていく視界の中、必死にひいおばあ様に謝る。でも私、後悔はしていないんです。
必死に私の名前を呼ぶ声を聴きながら、私は意識を手放した。
***
「アン、いいかい。
お前のその力は安易に使っていいものではない」
「ひいおばあさま……?」
もうベッドから出られないほど弱ってしまったひいおばあ様は私を手招きするとそう告げた。いつになく真剣な顔をしたひいおばあ様に首をかしげる。
「お前の力は、時を操ることができる。
それはね、魔法伯爵と呼ばれるわがサンシェット家においてもなかなかで出るものではない。
私だって力の詳細はろくに知らないんだ」
それがどういう意味か分かるかい、そう問いかけるひいおばあ様に私はまた首を傾げた。つまり、私の力は珍しいということだろうか。変わった魔力属性を持つことが多いと言われるサンシェット家においてもなかなかでないほどに。それってつまり。
「私ってすごいってこと?」
「そうじゃないんだ。
つまりね、この力を使ったときに何が起きるかわからないということなんだよ。
私が知っているのは、力を使うたびに術者の……、お前の寿命に影響を与えるということだ。
それがどれほどに恐ろしいことか」
「どうして、そのような顔をするの?」
先ほどまでじっとこちらの目を見ていたおばあ様は、今はそっと目をそらしている。でも、その瞳には複雑な色が浮かんでいて。当時の私はそれが何かわからなかった。
「アン、私はね、お前がかわいいのよ。
私にとっては最後のひ孫だ。
うんと幸せになってほしい。
だから、時の力は安易に使ってはいけないよ。
そしてその魔力のことを、本当に信頼できる人にしか言ってはいけないよ」
一度瞼を閉じたあと、再び見えた瞳は見慣れた強い力を秘めていた。その目はこれまで数多の人々の魔法属性を見抜いてきた。その目には魔力が一体どのように映っているのか、そう考えたことはもう数え切れない。
「いいね、アン」
確かめるようにそう言うひいおばあ様に私は戸惑いながらもうなずいた。それが、ひいおばあ様とお話しする最後の機会になるとも知らずに。
***
「アンネローゼ!」
ぎゅっと強く握られた手に意識が浮上していく。ゆっくりと目を開けると、すぐそばには宝石のように輝く赤い瞳。そうだ、私は。
「オーウェル、様?」
ほっとしたように目じりが緩む。ああ、やっぱりこの方の顔は整っているわよね、とついどうでもいいことを考える。ベルチェット公爵家の嫡男でありながら、膨大な魔力に翻弄されて家族に『化け物』とひどい呼び名をつけられた彼は、無効化の魔力を持つ兄を頼りにこの家に連れてこられたのだ。
二つ年上のはずの彼は私と同じくらいの身長で、不安そうに私の後ろをついて回る姿からどうしても弟のような印象を持っていた。その彼が、見たことがない顔をして私を見下ろしている……?
「っ、オーウェル様⁉
あの、お怪我は?」
「けが……?
僕よりも、問題はアンネローゼのほうだよ。
急に魔力不足で倒れるなんて、一体何をしたの?」
魔力不足? そっか、私は魔力を一気に使いすぎて気を失ったんだ。無事な様子のオーウェル様にほっとしたのもつかの間、今度は中庭の様子が気になって走り出す。まだ足元がふらつくけれど、それを気にしている余裕はない。
たどりついた先の中庭はいつもと変わらない様子を見せている。それを確認して私の足からは力が抜けていった。良かった、とっさだったし使いかたもわからなかったけれど、うまく発動できたんだ。
気を失う直前。何がきっかけだったのかはわからないけれど、急にオーウェル様の魔力が暴走したのだ。兄様もいない状態で、止める人も誰もいない。たまたま中庭だったのが幸いして被害は少なかったけれど、草が燃え、木が倒れ、制御できない魔力にオーウェル様は泣き叫んでいた。あれは、本当にひどい状態だった。
侍女に呼ばれた私が中庭に着いたときにはすでにその状態で、思わず強く願ったのだ。なんとかしたい、と。そんなあいまいな方法で発動するはずもない魔法は、なぜかうまく発動したようで。誰もがオーウェル様の暴走などなかったかのように振る舞っている。だけど、あの時感じた痛みと、ごっそりなくなった魔力だけが、あれは現実だったのだと訴えかけていた。
私は……、本当に時の魔力を持っているんだ。それを自覚したのはこの時だった。先ほどオーウェル様の暴走をなかったことにするためにどれほどの力が使われたかはわからない。どれほど……、私の寿命が減ったのかも。それでも一切後悔はしていなかった。だって、オーウェル様が無事でいてくれる。それが本当にうれしかった。
***
初めて時の力を使った日から私は本当にどうしようもなくなったら、と自分に言い聞かせて何度か時の魔力をつかった。例えば、魔力の制御が身について実家に戻ったオーウェル様が後遺症が残るほどのけがを負ったとき、例えば、国が揺れて家族やオーウェル様がその矢面にたたされそうになったとき。私は必死に祈った。そうすると世界は時を巻き戻し、何事もなかったかのように動き始める。
巻き戻った時が再び同じ道を歩まないようにするのは骨が折れたけれど、それで本来の道をたどらずに済むのならばいくらだって頑張れた。私の寿命はきっとみんなよりも短くて、存外寂しがりやであるオーウェル様を残していくことは気がかりだったけれど、それでもみんなが不幸な道を歩むくらいならこれが最善だもの。
今日もまた、魔力不足の眩暈から回復してすぐに簡易なドレスに着替えて目深にフードをかぶる。この容姿は地味に目立つのだ。そして誰にもばれないように屋敷を抜け出すととある場所へと向かった。
壁に向かって独特なリズムでノックを6回。そうすると壁に亀裂が入り、扉が開くのだ。迷うことなく中に入ると、見慣れた顔が私を出迎えた。
「ようこそ、お嬢様。
今宵はどのようなご用事で?」
にやり、と器用に口角を上げる表情は社交界では見慣れぬものだが、今となっては一種の安心感さえ覚える。何も言わずに戦うと決めた私にとっては、数少ない味方。ラークルもまた特殊な魔力によって翻弄される一人であった。出会いは偶然で、だけれど彼と出会えたことは私にとっては確かな幸運だった。
「あのね、明日ここに向かってほしくて。
そうね、腕が立つ人を数人連れて行ってくれるといいかも」
「ああ、わかった」
「報酬はいつものようにで大丈夫かしら」
彼は格安で私の依頼を受けてくれる。彼にとってはそれでもおつりが出る、と言ってくれるからその言葉に甘えているのだ。いつもなら、これでラークルがうなずいて話が終わるのだけれど、今日はそのままこちらをじっと見つめている。
「なにか?」
「『能無しの令嬢』、なんて言わせたままでいいのか?
だって、本当は……」
その言葉に肩が揺れる。それは魔法学院に通い始めてから言われるようになった私のあだ名だった。年頃になり、高魔力を持ち、次期公爵として期待されるオーウェル様と仲がいい私を嫉んでのこと。ひいおばあ様の言葉を守って時の魔力のことを口にしない私は、あの伯爵家の一員としては能無しも同義なのだろう。家族は私のことを大切にしてくれるから気にしていないけれど。
「いいのよ、別に。
いちいち気にしていられないもの」
「あの坊ちゃんに関わっていると大変だな」
先ほどまでの何かをこらえるような表情をすっかり消し去って、ラークルは笑みを浮かべる。その話題にはあまり触れられたくない気持ちを察してくれたのだろう。ラークルのこういうところが好きなのだ。
「ま、依頼は確かに承った。
あとは任せておけ」
「ありがとう」
会話を終えると、部屋から出る。早く戻らないと私が居ないことがばれてしまう。どこに行っていたか聞かれても厄介だもの。急いで部屋に戻ると、そこには予想外の人物がいた。
「やあ、お帰り。
どこに行っていたんだい、ローゼ」
「オーウェル、様。
このような時間に、どうして……?」
「君がまた、魔力不足で寝込んでいるって聞いてね。
心配で。
それで、君はどこへ?」
「それは……。
オーウェル様にはかかわりのないことです」
口に出してから、はっとする。こんなにも強い言葉を使うつもりはなかったのに。オーウェル様ならきっと、私の力を知ってもそれを利用しようとは考えないと信じてはいる。けれど、もしそうではなかったら……? そんなことはないと信じたいのに、信じきれない。それが私をひどく臆病にさせていた。
「関係ない?
本気でそう思っている?」
「え、ええ。
だって……、私たちの関係性は幼馴染。
それだけでしょう?」
一度口から出た言葉は止まらない。思ってもないのに。ないはずなのに。でも、今言った言葉は真実で。私がたとえ自分の寿命が減ったとしてもオーウェル様に幸せでいてほしいと願うほど大切に想っていても、私たちの関係性はただの幼馴染なのだ。
私の言葉に、オーウェル様は何かを言い返すことなくじっとだまりこんだ。
「今日は帰るよ。
まだ顔色が悪い。
君も早く休んだ方がいいだろう」
「お気をつけて」
どうして素直になれないのだろう。幼い時はもっと自然と大切を口にしていた気がする。振り返ることなく去っていく背中に何も声をかけられないまま、オーウェル様は部屋を後にした。
***
次の日は前回と同じように雲一つない晴天だった。だけど、澄み渡る空を見ても私の心は重いままだった。心の中をしめるのは昨夜のオーウェル様と今夜に起こるはずだった事件のこと。事件に関してはラークルに任せておけば安心とはいえ、何が起きるかはわからない。まだ魔力は回復しきっていないが、それでも万が一の時はもう一度巻き戻らなければいけない。そうすると今日はゆっくり過ごすのが一番なのだけれど、オーウェル様のことが引っかかる。
はぁ、と一つため息をついていると、扉がノックされた。きっとメルクが起こしに来てくれたのだろう。
「あら、お目覚めでしたか。
おはようございます、アン様」
「おはよう、メルク」
「……、まだお顔の色がすぐれませんね」
心配そうに眉根を寄せるメルクに笑みを返す。時の力を使ったことは基本的にはほかの人には気がつかれない。つまり周りにとって私は、何度も原因不明の魔力不足に襲われる人なのだ。それが私が能無しと呼ばれる理由の一つでもある。だけれど、メルクたちや両親、兄はそんな私を毎回心から心配してくれていた。
「大丈夫よ、そんなに心配しなくても」
「ですが……、わかりました」
まだ納得しきれていない様子ではあったけれど、メルクは服を用意すると、着替えさせてくれる。そこで一つ違和感があった。今日は特に出かける予定はないのに、どうして外出用のドレスなのだろう。
「メルク?
今日は私、出かける予定はないわよね」
「いいえ、お嬢様。
オーウェル様が迎えに来ていらっしゃいます」
「……オーウェル様が?
ちょっと、どうしてそれを先に言ってくれないの⁉」
つまり、オーウェル様はずっと待ってくれているということよね⁉ そうと知っていたらもっと急いだのに。急に慌てだす私を、メルクは微笑みを浮かべて見守っているけれどそうじゃない、急いでほしいのよ。まだ朝食すら口にしていないのに。
「大丈夫ですよ、オーウェル様はゆっくり準備を、と仰っておりましたから」
「それを言葉のとおりに受け取ってどうするのよ」
「だってオーウェル様ですもの」
相手は公爵家の嫡男だというのに、いいのかこの扱い。そう思っていたのに、急いで準備をおえて案内されたのは食堂。オーウェル様は衝撃的なことに兄様と優雅に朝食を取っていらした。我が家の食堂にお客様がいるのはおかしいはずなのに、それがオーウェル様というだけでここまでなじむのだ。何とも言えない気持ちになる。
「おはよう、アン。
体調はどうだい?」
「もう大丈夫です、兄様。
ところでどうしてオーウェル様がこちらに?」
「おや、彼ならもう家族みたいなものなのだから問題はないだろう?」
「問題はありますよね⁉」
この兄様は! これでも本当に優秀な方なのだ。身内に対してこういった態度をとるのが玉に瑕なだけで。今もどこか面白そうにしている様子に怒りすらわいてくる。
「すまない、ローゼ。
私が頼んだんだ」
本人にそう言われてしまうと、もう何も言えない。しぶしぶ私は自分の席に着くと、朝食を口にした。
「ところで、オーウェル様は朝から我が家にどのようなご用事で?」
「君を迎えに来たんだ。
これから出かけるよ」
そうだ、メルクがそんなことを言っていた。あまりの衝撃に飛んでしまっていたわ。どこに行くのですか、と問いかけてもオーウェル様は内緒、と笑うだけで教えてくれる気はなさそうだ。そのまま手を引かれるままに馬車に乗り込むと、どこかへと運ばれていった。
大人気でチケットを取ることができないと言われている歌劇を見た後、私たちは庭園へと足を運んでいた。季節の花が上品に咲き乱れるそこは、夢の中にいるのかと錯覚するほどに美しい。
「こんな庭園があるとは知りませんでした。
連れてきてくださってありがとうございます」
「いや……」
ここに着いたあたりから口数が減ったオーウェル様に首をかしげる。何か緊張している? 不思議に思っていると、オーウェル様はおもむろに私の足元に膝をついた。急な行動に驚き、反応を返せないでいるままにオーウェル様は口を開いた。
「その、ローゼ。
いや、アンネローゼ・サンシェット嬢。
どうか私と婚約してくれませんか?」
「……え?」
そうして差し出されたのはオーウェル様の瞳の色である赤い宝石のついたネックレス。男性から女性に贈られるそれに、オーウェル様の言葉が聞き間違えではなかったことを思い知らされた。
「本気ですか?」
「ああ、もちろんだ。
結婚するならば絶対に君がいいとずっと決めていた。
これは伯爵にも許可をもらっている」
「お父様にも?」
そんなこと一度も聞いたことがない。だから、私たちの関係は幼馴染なだけなのだと昨晩口にしたのに。それに、こんなこと巻き戻る前は起きていない。思いがけないことに動けないでいると、オーウェル様は受け取ってはもらえないだろうか、と不安そうにこちらを見つめた。
そんなの、答えは決まっている。
「謹んで、お受けいたします……」
まだ夢を見ているのでは、と錯覚するほどの幸せに眩暈がする。だけれど、オーウェル様に付けてもらったネックレスの確かな重みにこれが夢ではないと知らされた。そこではっとする。今日の装いにネックレスがなかったのはこれが理由なのだ。きっと私以外の皆が知っていた。
「本当は私が学園を卒業してから、と思っていたんだ。
それにもっと別の場所で、と。
でも君が昨夜私のことをただの幼馴染と言うから」
どこか拗ねたようにそう口にするオーウェル様に笑みがこぼれる。私の前でだけ見せてくれるこうした幼げな表情も私は大好きなのだ。
「でも事実でしたでしょう?」
「私にとっては違った。
……君が学園を卒業したら、正式に結婚しよう。
本当はそんなものを待っていたくはないが、君の父上が許してくれないからな」
「そんなことをお父様に話したのですか」
「ああ、もちろん」
幼いころ我が家で預かっていたこともあって、お父様はオーウェル様のことをかわいがっている節がある。きっとお父様も子供のようにオーウェル様の言葉を突っぱねたのだろう。そんなやり取りを思い浮かべて心が温かくなるような心地がした。
「それに、その頃には我が家のごたつきも解消させる。
君には何の憂いもなく嫁いできてほしいからな」
その言葉に視線を伏せた。公爵家の後継ぎ問題は周りから見れば問題になるはずもない状況だったのに、権力を持った人が抵抗すればかなり面倒なことになるのだ。こればかりは私の力も役に立たせることは難しかった。
そうして屋敷に帰ると、兄様だけでなく多忙なお父様もそしてお母様も私たちを待っていた。皆は私の首元に光るネックレスを目にすると心から祝福してくれた。その様子にああ、これが私が護りたかったもので、これからも護るものなのだ、と強く思った。この泣きたくなるほどの幸せを絶対に手放さないし、壊させたりなんてしない。たとえそれが私の寿命と引き換えだとしてもためらう理由はなにもないのだ。だって、この光景こそが私の幸せで、生きる理由なのだから。
***
それから3年後に迎えた結婚式は念入りに準備を進めたこともあり、大成功を収めた。それと同時に公爵様は現役を退き、オーウェル様が新たに公爵となった。異例の若さで公爵となったが、オーウェル様の手腕に不安を抱く人はいない。むしろ、皆このことを心から喜んでいる様子だった。さすがオーウェル様、となんだか私まで誇らしくなる。そんな人の妻となり、公爵夫人となることに不安がないわけではないけれど、それでもオーウェル様の隣に居られるのならなんだってできる気がした。
何度も時を巻き戻した私の寿命は後どれくらいあるのだろう。後どれくらいオーウェル様と一緒に居られるのだろう。指折り数えては、限られた今を精一杯大切にした。そうして子宝にも恵まれ、一層幸せな日々を過ごしていたころ、異変に気がついた。
歳をとらないのだ。
『化け物』。30歳になっても、40歳になっても、10代後半のような容姿をする私を人々は陰でそう呼んだ。社交界でもこそこそと噂話をするくせに、表では私にすり寄ってきた。私の魔力が不老なのではないか、と言われ始めたころから、それは一層顕著になって。そうして私が他の人の若さに関われないと知ると、手のひらを反して、『化け物』と呼んだ。
もしかして寿命に関わる、って。そう思い至った時にはもう手遅れだった。子供たちも私を置いて年を取っていく。少し距離を感じるときだってできてきた。それが私には耐えがたかった。
「ローゼ、今日も部屋から出ないのかい?」
そうして部屋からでなくなっても、オーウェルは欠かすことなく私のところへとたずねて来てくれた。でも、オーウェルも内心では私のことを化け物と思っていたら? その瞳に畏怖の色を見つけてしまったら耐えられる気がしない。その一心で私はオーウェルのことも避けるようになっていた。
でも、その日は違った。いつもなら返事をしないと去っていくオーウェルは勢いよく扉を開けると中に入ってきた。
「オーウェル」
「ローゼ。
思っていたよりも元気そうで良かったよ」
数日ぶりに見たその顔は以前よりも年を取ったように見えて。その事実に驚き、悲しくなる。何度鏡を見たって、私は年を取っていないのに。
「オーウェル。
あなただって私のこと気持ち悪いって思っているんでしょう?
ば、化け物だって!」
うなずかないで、そう思う気持ちとは裏腹に口は止まらなかった。出て行って、と叫ぶ私に、オーウェルはゆっくりと近づいてきた。
「ローゼ。
そんなこと思うわけがないじゃないか。
私が化け物だと言われていた時、君が真っ先に私の手を握ってくれたんだ。
あの時の温かさを、私は一度だって忘れたことがない。
ねえ、君はずっと美しいよ。
化け物だなんて、そんなわけないじゃないか」
「オー、ウェル……」
「大丈夫、大丈夫だよ。
君が傷つくのなら、もう表にだって出なくていい。
君が幸せでいてくれることが、私の最大の望みなのだから」
「うっ、うう……」
子供みたい、と冷静な自分が言う。それでも久しぶりに感じた温かさに涙が止まることはなかった。自分が傷ついてきたからこそ、人にやさしくできる。そんなオーウェルだから、私は愛したのだ。
その日から私はまた部屋から出るようになった。あんなに怯えていた子供たちの眼も、よく見てみれば変わらなくて。私が一人で怖くなって怯えていたのだという事実を根気強く教えてくれた。
まだ外に出るのは怖いけれど、箱庭の中での生活は確かに幸せだった。だけれど、私とオーウェルに流れる時は確実にすれ違っていった。
「ローゼ、ローゼ」
「ちゃんとここにいますよ」
「ごめんなぁ、おいていくことになって」
「いいえ」
すっかりしわの寄った手をしっかりと握り締める。そんな私の手は未だしわひとつない。でもおいていかれるなんて、そんなこと思ってもいないのだ。もうずっと前から決めていた。
「ああ、幸せだな」
そんなこと、こちらの言葉です。そう口にすることもできず、ぽたり、とオーウェルの手に雫が零れ落ちる。あれ、おかしいな。何も悲しむ必要はないのに。
緩く口角が上がる。そうしてオーウェルは静かに息を止めた。
「オーウェル、すぐに迎えに行きますよ」
そう口にして、私は初めて、自分の願望のために時の力を使った。
***
「アンネローゼ!」
あまりにも懐かしい、若々しい声に瞳を開ける。そこには在りし日のオーウェルの姿があった。ああ、無事に成功したのだ。
そうして、オーウェルに返事をしようと口を開いたとき、胸元から何かがせりあがってくる感覚がして大きくせき込む。
あれ……? おかしいな。こんなことは初めてだ。
そんな思考も持たなくて。焦ったようなオーウェルの声を聴きながら、私は意識を手放した。
お読みいただき、ありがとうございました。
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