E-2 夢のつづき
「届いたんだ……」
潮香は差出人名が「早稲田大学」と書かれた手紙をポストから取り出すと、開けようか開けまいか、じっくり考え込んだ。
今年の冬、信彦は三十三歳にして初めて早稲田大学を受験した。毎日仕事に追われつつも帰ると数時間は机に向かっていた。しかし、まだ脳機能障害からの回復が完全ではないこともあり、勉強しても理解が追い付かなかったり、何かを覚えても定着せず忘れてしまったりと、悪戦苦闘が続いていた。潮香も家事の合間を縫って、信彦が分からない箇所を一緒に考え、知識が定着するよう繰り返し教えていた。
色々考え抜いたが、試験の結果は信彦本人が直に確認するのが一番だと思い、潮香は電報を開封せずにテーブルの上に置いた。
「ただいま」
日が暮れる頃、玄関の扉が開き、作業衣姿の信彦が入ってきた。
「今日も工場で、潮香さんの番組が流れていたよ」
「それは良かった。工場内でいつもラジオが流れてるって言ってたから、毎日大変だけどがんばれちゃうんだよね」
「ありがとう。潮香さんの声を聞くと、すぐそばにいるような気がして、仕事もがんばれるんだよね」
「嬉しい」
潮香は信彦の肩を押さえ、頬にキスした。
潮香の唇が離れた後、信彦は頬を押さえながら顔を赤らめて照れ笑いを浮かべていたが、やがてテーブルの上に置いてある手紙に気づいたのか、顔が突然こわばり始めた。
「結果、届いてたんだね」
信彦は電報を手に取ると、封を開け、中に入っていた一通の紙をじっと見つめていた。読み終えると、信彦は紙を手に持ったまま顔をしかめていた。
「はあ、やっぱりダメだったんだ……」
小さな声でそう呟いた信彦を見て、潮香は「残念だったね」と声を掛けた。
「また来年受けたらいいよ。受けようと思えば何度でも受けられるから」
「けど、僕はもうすぐ三十四になるし、さすがにもう……」
「気にしないで。信彦君の夢なんでしょ? 叶うまでずっと応援するからさ」
「でも、もうすぐ僕たちの間に子どもが生まれてくるし……これからは受験どころじゃなくなるよ」
「どうしてそう思うの? 信彦君の悪い所だよ。大学受験の時もそう。自分の家計のことばかり考えて受験を取りやめて」
「だって……」
「どんな状況にあっても関係ないよ。大事な夢なんだもの。どんなに時間を掛けても叶えようよ。お父さんになったって、おじいちゃんになったっていい。もし合格したら、みんなで東京に引っ越して、家族みんなで信彦君の夢を応援するから」
「潮香さん……」
「あ、収入のことは気にしないでね。私、今以上に仕事して信彦君をバックアップするからさ。アナウンサーの仕事、以前は昔の辛い思い出を蒸し返しそうで嫌だったけど、ラジオパーソナリティの仕事してるうちに久しぶりにやりたいなって思ってるし」
潮香の前で、信彦は溢れ出る涙を何度も拭っていた。潮香は何も言わずに信彦を両腕でそっと抱きしめると、信彦は潮香の胸の中で激しく嗚咽した。
「さ、泣くだけ泣いたら、一緒にゴハン食べようか」
潮香は信彦の背中をさすりながら声をかけると、信彦は涙を拭きながら「ごめん」と小さな声で呟いた。二人はお互いの体を離すと、潮香はエプロンを腰に巻き、鼻歌を唄いながらキッチンへと向かっていった。
「今日のメニューは、スタミナがつきそうな料理にしようっと。ここから一年間、またがんばろーっていう私の想いを込めてね。私、まだまだ諦めないからさ。夢が叶うその日までは」
潮香の言葉を聞いて、信彦は大きく頷いた。
「がんばるよ。僕の夢……いや、潮香さんと僕で誓いあった夢だから」
テーブル越しに叫ぶ信彦の声を聞きながら、潮香は笑みを浮かべ、軽く拳を握りしめた。
その時、潮香のお腹の中が微妙にピクリと動いた。潮香はそっとさすりながら、お腹に向かって語り掛けた。
「おや、あなたもお腹の中から応援してるのかな? パパ、がんばれーって」
(了)
「こんな夜はI miss you」はこれで完結となります。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。




