うつけ皇子と悪役令嬢
「…もう一度、おっしゃってくださいまし」
「申し訳ない、君との婚約を解消してもらいたい」
ピシリ、と扇にヒビが入る音がした。
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大陸ひとつを統べる帝国、フィラデルフィア。その栄えある四公爵のひとつ、蒼のアロンタイト家の正当なる長子、ユーフェミア・クロエ・アロンタイト。
一族特有の夏の空のような絹糸のような蒼い髪と群青の星空のような瞳を持つ淑女はつい数月前まで、フィラデルフィアの第七皇子の婚約者であった淑女である。そんな彼女は今―
「…憂鬱だわ」
はぁ、と深くため息を吐き空を仰ぐ。憎たらしいほど晴れ晴れとした雲ひとつない秋空に眉をしかめ、手摺に手を掛ける。まったくもって、忌々しいことこのうえないことに、彼女は今日新たな『婚約者』と顔を会わせなければいけないのである。
「よりにもよって『うつけの白蛇』だなんて…」
そう顔をしかめる彼女は、淑女とは到底言いがたい。それほどまでに―ここ数月の趨勢は彼女にとって耐えがたい日々であったのだ。
ことのはじまりは婚約者であった第七皇子の心変わり。よりにもよって彼はアロンタイト公爵家と敵対する公爵家の令嬢に心を奪われたのだ。
熟れたラズベリーのような瞳に焔のごとき髪を持つ妖艶な美女、通称紅のガラクリシア公爵家のボーメイン・アリス・ガラクリシア。その熟れた見目に対し幼く庇護欲をそそる性格、そして天から与えられたともいえる圧倒的な歌の才。そして正室腹にも拘らず疎んじられていた境遇、あまりにもあっけなく婚約者は恋に堕ち、ユーフェミアとの婚約を解消したいと望むようになった。
しかしそう簡単にいかないのが政略というもの。こじれにこじれ、最初は自分有責なのだから穏便にすまそうとしていた第七皇子は次第に苛立ちを隠さなくなり、しまいには婚約を破棄すると盛大にぶちまけたのだ。…衆人環視のただなかで。
そこまでいってしまったらもうどうしようもない。いつの間にやらユーフェミアがボーメインを虐めているという根拠のない噂まで流れるようになり、第七皇子を溺愛する母にしてボーメインの叔母、皇后カサンドラまで積極的にユーフェミアとの婚約に異を唱えはじめ、結局それがまかり通ってしまった。
『あなたのことは本当の娘のように思っているの…だから、今回のことはとても残念だわ』
そう、喜色を隠しもせず笑う皇后はだから、とかわりの縁組みを用意した。『それ』が今回の顔合わせである。
うつけ皇子と呼ばれる皇后の長子、第三皇子アレクシス…皇后の生家のガラクリシアの柘榴の瞳をもつ、真白の髪のもっとも尊き血の皇子。…しかし皇室の黒髪を受け継がず生まれ、皇后と皇帝から疎まれる疑惑の皇子。
そんな不遇の立ち位置にいるのにも拘らずところ構わず女を侍らせ気狂いのようにふざけた格好をした、かとおもえば夜の街におり、奔放に振る舞う。……フィラデルフィア皇国の恥。そんな男が、次の婚約者。
思わずでそうになるため息を首をふることでどうにか押し殺し、そのまま手すりの下の池へと目を移す。
さすが皇城の東屋、手すりひとつとっても繊細な意匠に透き通った水を思わせる玻璃の屋根、眼下の溜め池は東方から運ばれたという美しい花と、ユーフェミアが乗れそうな程大きな葉によってどこか神秘的な雰囲気をもたらしている。
そう、ぼおっと水面を見つめていたその時だった。―自分の横に、見たことのない顔が映っている。
思わず振り返り―そして見惚れた。
そこにいたのは、今までに見たことがないほど美しい男だった。雪のような肌を惜しげもなくさらすどこかエキゾチックな衣装に金の環、それをシャラシャラと揺らしながら、しかしてそれに一切負けることのない内から輝く白糸の髪、さらりと髪をかきあげてこちらを観察するように見つめる涼しげな紅玉の瞳、それを隠す見たこともない…黒色の丸い眼鏡、形のいい口の端をくっとあげて、片手に持つ日傘をくるりと回したその男は可可、と笑った。
「なんだ、思ったよりちんまい娘子じゃねぇか」
そうひとしきり笑うとくるりと背を返し、そのままどかりと用意されていた椅子に座る。
「座れよ、待たせた詫びに好きなだけ話を聞いてやる。…婚約者殿?」
「この菓子は今、城下で有名なパティシエが作ったクランベリーのマカロン、意外と酸味が強くて飽きがこないんだわこれが、あ、紅茶はどうする? 俺はジャムいれるのが好きなんだけどそういうのって淑女的には嫌な方? まぁ別に譲らねぇがおまえも作法なんか気にせず好きに飲んで食えだぁれにも文句はいわせねぇさ、……あ、婚約の件は文句ある感じ? それはこっちもだからまぁ勘弁してくれ、そんなことより建設的な話をしようぜ? これからの付き合いに互いに遠慮は無用だろ例えば―――」
ベラベラベラ、止まることのない弁舌に目の前に置かれる山のような菓子、震えそうな程上等な紅茶はこれは皇室にしか出されない―少なくとも第七皇子には出してもらったことがない―紅茶、それにジャムを遠慮なくとかし蛇のように目を細めながら彼は、第三皇子アレクシスは嗤う。
「俺のこの格好はなんだ、とかな」
「お聞き、してもよろしいのですか?」
「もちろん俺とおまえの仲じゃねぇの…まぁ簡単にいうと肌の病さ」
そう答えてからふぅ、と一息をついて紅茶をのむ彼に首をかしげる。病、第三皇子がそんな病にかかってるなど聞いたことがない。
「俺はねぇ、生まれつき陽の光に長い時間当たると肌が焼けるのさ。その癖とても繊細で服も選りすぐりのものじゃねぇとかぶれるし…あぁ目もか、目もひでぇもんさ、右目はほとんど見えてない、陽光をガキの頃に直視しちまってなぁ、以来これが手放せないって訳」
「それは…大変ですね…」
「まぁな」
そうなんてこともないように嘯いた後、カラリと笑って彼はいう。
「悪いな、俺なんかの婚約者なんかになったら表になんか一生でられん。……元より俺は結婚などする気のなかった皇子だ、それでよいと……俺なんかに押し付けられる令嬢なんかいないと思って振る舞っていた、肩身の狭い思いをさせることになる。今後どうなってもこの婚約が解消されることはない。ある程度は協力してもらうこともあるかもしれないが……俺も好きに過ごすからおまえも好きに過ごしてくれ」
「殿下…」
諦めたように、笑う姿がなぜか自分と重なった。かつての、第七皇子とボーメインの逢瀬を遠くで見ていた自分に。
「…殿下は…」
「まず手始めに皇位でもとるかぁ」
「は?????????」
「ん?」
いやまて、今この男はなんといった??皇位をとる????
「今、なんとおっしゃいました?」
「いや皇帝になろうかなって」
「寝言は寝てからおっしゃってください」
聞き間違いではなかった、聞き間違いであってほしかったのに!!!! よりにもよって求心力ぶっちぎりのワーストワンのアレクシスが皇帝に!? どこのだれが推すのか皆目見当もつかない。その上そもそもからして皇室の血が流れているのかどうかもすら疑われているのにどうやるのだこの人は。
「おいおいひどいことをいうなぁ本気なのに」
「ではお聞きしますがどのように皇帝になるおつもりなんです?? 確かに皇太子の座は未だ決まっておりません! 勝算もないのにどうなさるおつもりですか!?」
「機はあるさ、おまえが気がついてないだけで。…まぁでもそうだなぁ」
そう、どこか面白そうに呟いた後、まるで幼子に言い聞かせるように彼はまっすぐこちらをみる。
「人はなぁ、バカにした人間の前では気が緩むもんだ。…お陰でしりたくもないことばかり耳にはいる。」
さぁもう今日はお帰り、また話をしよう。そう歌うように呟いて蛇のように微笑みながら、ゆっくりと立ち上がる。
――――第一皇子が死んだ。
第四皇子に、殺された。
連座で、第四皇子の母である第二皇妃と母を同じくする兄弟姉妹、第六皇子と第二皇女が毒杯を賜ることになったと耳にはいったのは、彼との邂逅から2日後のことだった。
「どうやったのかって?別になんもしてねぇさ」
週に一度の婚約者との茶会、その席に緩やかに首をかしげて彼はいう。
「いったろ? 情報が集まるって」
まるで喪に服すように先日とは正反対の黒を纏いながら、悼むように、いたぶるように。
「計画自体いつ起こるのかはしらなかった、ほんとだぜ? でもあの二人は仲悪かったし、第一皇子の母は地位も子爵家で兄上を産んだときにお隠れになっていたし、第二皇妃は野心家だった。……いつかはああなったさ」
「俺はそれが露見しやすくなるようにすればいいだけだった」
「これで残る皇位継承権保持者は俺と第二、五、七皇子、実質第二は海の向こうの女王陛下の王配に内定してるし今更陛下達がそれを撤回することも、皇帝に撰ぶこともない。第五の母親はまぁ四公爵家出身だが本人が幼い頃の病で子を残せない。……あらま、実質的には俺とあいつの一騎討ちじゃねーの」
呵々、と嘲笑する彼の姿を見て、ユーフェミアの心臓はひどく高鳴っている。まるで生まれてはじめて恋を知る乙女のように、天敵に補食される小動物のように。
「あなた、さま、は、」
「気にくわねんだよ」
びくり、とこちらまで身をすくめてしまいそうになる低い声。反射的に背筋を伸ばすユーフェミアに慌てて彼は声色を変えた。
「おまえだってそうだろ? あの愚弟に振り回されて、真実の愛だなんて滑稽なものに今までの全てを否定されて、母上にいたってはそれに大喜び、なんにもわかってねぇ、……おまえをあいつの婚約者にした理由をひとつも」
「っ!」
そう、そうだ。自分が、あの皇子と婚約していた理由。それはあまりにも皇后の一族に力が集中しているからだ。四大公爵とはもはや名ばかり、皇家の血はあまりにもガラクリシアの血に侵されている。皇帝の母も、目の前の彼も、件の第四皇子の母もガラクリシアの血統だ。それを憂えた皇帝が皇子達の婚約者はガラクリシア以外の一族から選出されており――自分の従姉妹も、第一皇子の妻だった。今は未亡人になってしまった彼女は、夫の死を悼み教会へと身を移した。
つまり、今回の第一皇子の暗殺は実質的にガラクリシアがアロンタイトに宣戦布告したといっても過言ではない。今ユーフェミアの父、アロンタイトの当主はその後始末に追われている。――今にも崩れ落ちそうな平和の上で、ユーフェミア達は危険な綱渡りを強いられている。尤も――
「ガラクリシアは止まる気はねぇよ、母上がその証拠さ…おまえとの婚約破棄といい、アロンタイトに砂かけまくってる。…あの人は恐らく俺共々アロンタイトを消しに来る。愚弟に皇帝の冠を捧げるために。」
「…そんなことはさせません。」
ぐ、と手に力が入る。そうだ、許せない。自分達を愚弄したあの男を、皇后の一族の言いなりになることが目に見えてる皇帝を、自分は、アロンタイトは許さない。――ならば、やることはひとつ。
「――貴方を、皇帝にします。」
「…へぇ?」
「父の説得はお任せを、今はガラクリシアに圧されてはいますがそれでも我らは帝国の創成期から忠を誓う四大公爵、蒼のアロンタイト。――貴方の噂もお任せを。なにを置いても、貴方に皇帝の椅子を。」
今は社交で悪評が流れてはいるものの、そんなものいくらでも拭うことができる。ガラクリシアの専横に思うところがないもの等、当の一族以外いない。
「…いいねぇ、その目だ。」
「?」
「なんでもないさ。…その決断に敬意を。俺達ならやれるさ…だがその前に…おまえの話を聞かせてほしい。」
その言葉は、今まで聞いたことがない程優しい音をしていた。
―――後世の歴史書はこう語る。
聖帝アレクシスとその妻、賢后ユーフェミア二人の治世は種族身分の垣根なく有能なものを重用し、戦乱の絶えないフィラデルフィアの地に初めて平和をもたらした。
そんな二人が特に力をいれたのは医学、そして錬金術であり、その技術は広く民衆にも開かれ現代の医術の礎となり、今も息づいている。