第二章(3)
王国における流行の最先端は言わずもがな王都であるが、大陸における最先端は残念ながらこの国ではなかった。新しいものは決まって海の向こうからやってくる。というのも、北方は未だ安定しておらず、西方諸国と地続きの西部には高い山脈が南北を貫いていて、行き来が容易ではない。そのため、海路が主要な交易路であり、王国の玄関口はもっぱら東海岸の港町だった。
そのような事情もあって、西部にあるアトレー公爵領に流行りものが届くころには、すでに王都では別の新しいものが流行っていることがほとんどだった。
どのような理由をつければ、メルディーナの王都滞在の許しを祖父上から取りつけることができるか。
この難問に答えを示したのはセオドアの婚約者――シルヴィアであった。
王都にあって公爵領にはないもの。そして、メルディーナの滞在理由として無理がないもの。それが最先端のファッションであった。
「地方に王都の文化を伝えるのは、各地方の有力貴族の夫人たちの役割でもあります。西部貴族の夫人たちもいろいろがんばってはいるようですが、限界があります。メルディーナ様が今すぐにその役割を担う、というのはさすがに無理がありますが、今のうちからその準備をしておくのはよいと思いますの」
その提案は諸刃の剣ともなる。
確かに、その理由であれば祖父は孫娘の王都滞在に頷いてくれるだろう。そして、夫人たちのようにメルディーナがその役割を務め、西部ひいては国内における彼女の存在感が増せば、それだけ王家への輿入れに有利に働いてしまうことだろう。
そうだとしても、メルディーナが王都に居を移す足がかりになることのメリットは大きい、とセオドアは判断した。
――私があの子にとって頼れる存在にならなければ。たったひとりで悩ませるなんて、そんなことはもう二度とさせるものか。
そのためにはメルディーナとの交流機会を少しでも多くするほかないのだ。
だというのに、結局この日、セオドアがメルディーナと顔を合わせることができたのは夕餐の席になってしまった。案内されて食堂に入ると、すでにメルディーナは席についていた。
いくら兄妹だとはいえ、仲がいいとはお世辞にも言えない兄がいきなり訪ねてきたら警戒されてしまう。だから、自然に顔を合わせる機会を伺った結果がこれだ。
前途が思いやられる、と少しだけ思う。そんな内心をおくびにも出さず、セオドアは正面に座るメルディーナを見た。
海の深いところのようなネイヴィブルーの癖の強い髪は豊かに背に流れ、長いまつ毛はその白い頬に影を落としている。
「ひさしぶりだな。メルディーナ。元気にしていたかい?」
「……はい。おひさしぶりでございます。セオドアお兄様。領地にてつつがなく過ごしておりました」
反応が一拍遅れたのは、気遣うような言葉をかけられたのに驚いたからだろう。自分のこれまでの振る舞いを思い自責の念に駆られる。
――自業自得なのだから仕方がない。これから挽回する他ないのだ。
自らを鼓舞したセオドアは「それはよかった」と返し、今度はメルディーナの隣の席についていたガートン夫人にも挨拶をした。
「ご挨拶が遅れました。ご無沙汰にしております。ガートン夫人」
「ご丁寧にありがとうございますわ。お元気そうでなによりですわ。このたびはわたくしのような部外者がお邪魔してしまい、申し訳ありませんことよ」
「とんでもございません。夫人にはわが妹メルディーナが大変お世話になっていると聞き及んでおります。それに公爵家当主である祖父上がお許しになったこと。私に否やはございません」
「うれしいお言葉ですわ」
ガートン夫人は成人した息子がいるとは思えないほど若々しく、家庭教師というよりは付添婦人に見えるし、実際にその役割も期待されているのだろう。
今、オルグレン家にはメルディーナが手本とすべき婦人がひとりもいない。公爵夫人である祖母も亡くなって久しい。公爵令息である父はひとり息子であるし、公爵自身には兄がひとりだけいたが、子を成す前に夫人と共にすでにこの世を去っている。
貴族令嬢にとって女親は最大の手本となり、女性親族は最大の味方でもあるというのに、メルディーナにはそれがいない。
通常、令嬢たちは、物心つく頃から母親や祖母、叔母たちが主催したり招待されたりする集まりに参加することで、人脈という財産を受け継いでいくものだ。セオドア自身、父親や祖父が私的な集まりや競馬場などの社交場に連れて行ってもらう中で、友人を得るだけでなく、上の世代に顔を覚えてもらうことができた。
メルディーナにはそのような機会を得ることが叶わないでいる。
その事実は王子妃の座を争う中で不利に働いたはずなのに、メルディーナは数年後には有力候補となり、最終的には学院入学前に内定を得ていた。
家門の力だけで王子妃になれるわけではない。その令嬢がその立場に相応しいだけの礼儀作法や教養、さまざまな知識を身につけ、人格ともに優れていなければならない。ガートン夫人の存在は、だからとても重要なものと言えるのだ。
それなら夫人に辞めてもらえばいいかというと、そうではない。
――女親のいないメルディーナにとって、夫人が教えてくれることは貴族令嬢として生きていくために不可欠なものだ。
それに、夫人に辞めてもらったとしても祖父はまた別の教育係を見繕うだろう。
それに、とセオドアは思う。婚約者の内定を勝ち得たのはメルディーナ自身の努力の賜物。どれだけ優れた教育者であっても、価値のない原石をダイヤモンドに変えることはできない。
――だから私はなんとしても、メルディーナからの信頼を勝ち得なければならないんだ。