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第一章(3)

 アトレー公爵令嬢のメルディーナ・オルグレンが王立学院(アカデミー)での舞踏会会場で自害したことには箝口令が敷かれた。その一件に王国の未来を担う有力貴族の子弟だけでなく、王家も関わっていたためだった。




 ――期末考査を終えた頃より体調を崩しがちだったメルディーナ嬢は、マクシミリアン第一王子殿下にとってはじめての五月の祝宴(メイバル)がパートナー不在という不名誉な記録で終わらぬよう無理を押して会場に向かった結果、病状を悪化させて倒れてしまった。陛下が遣わした侍医たちの懸命な治療もむなしく、翌日、儚くなってしまった。


 婚約者の体調を心配し、舞踏会(バル)のことは気にするな、と侍従を通じて伝えていたマクシミリアン第一王子殿下が忙しさを理由に手紙にするのではなく自らが直接見舞い伝えるべきだった、と悔いていることが国民に伝えられると、王子と公爵令嬢に降りかかった悲劇に誰もが涙したのだった。

 メルディーナ嬢の葬儀は親族のみで密やかに執り行われた。無用な騒ぎを避けるため、婚約者は哀悼の意を示す献花を贈るにとどめたという。



 それが、アトレー公爵令嬢メルディーナの表向きの最期だった。



 毎夜見る悪夢は時系列を無視して流れていく。きらびやかな大広間(サルーン)、静寂に包まれる聖堂、勢いよく流れていく雲と青空。夢は、景色は目まぐるしく変わっていき、脈絡もない。

 うなされて起きるたびに、セオドアは()()()()()()()がわからなくなる。部屋の様子やヒューイの姿からまだ自分がアカデミー生であることを思い出して、まだ間に合う、と安堵の吐息を漏らすのだった。


 ――メルディーナはまだ七歳で、アカデミーの敷地に足を踏み入れたことはなく、王都から遠い公爵領の本邸で過ごしている。第一王子の婚約者に内定したのは自分が卒業した直後のことで、高等部一年目ではじめて参加する五月の祝宴(メイバル)で彼女が毒を呷るまでにはまだ数年の猶予があった。

 だから、今ならまだ間に合う。うなされて目を覚ますたびにセオドアは思い、神に祈るのだった。この機会を与えてくれたことに感謝を。哀れな妹に慈悲を。


 セオドアは、毎夜見るのはただの夢ではなく、過去に体験した記憶だ。その実感だけが強くある。


 ――自分は意識だけで時間(とき)を遡ってきたのだ。


 このようなことは神話の中の出来事であって、現実に起こり得るものではない。自分の頭がおかしくなったのかと思いはしたものの、いくつかの出来事によって、自分にはこの先起こる出来事の記憶があると確信するに至った。

 この事実をセオドアはまだ誰にも言えずにいた。幼いころより共に育った侍従のヒューイは何か気づいているだろう。彼なら、仕える主人が狂ってしまったと短絡的に考えることなく、事実を事実として受け止め、主人の願いを叶えるべく動いてくれただろう。


 それがわかっていてなお、セオドアの口は重くなるばかりだった。


 口に出してしまえばその瞬間に未来を確定させてしまう。それが恐ろしい。――と、セオドアは自分を誤魔化していた。

 たったひとりの妹を見捨てたように、自分もまた見捨てられるかもしれない。

 心から仕えてくれていた侍従に。

 愛を教えてくれた婚約者に。

 その恐怖はまるで、こここそが悪夢の中のようだった。

 そして、そのように思い悩み、自信の保身に走ろうとする自分自身に、セオドアは深く深く失望しているのだった。




「では、お願いがありますの」

 凛としたシルヴィアの声に、セオドアの意識は浮上する。見れば、彼女は穏やかな微笑みを浮かべていた。「再来月はメルディーナ様のお誕生月でしたわよね。わたくし、兄君の婚約者として、何か素敵なものをお贈りしたいんですの。お力添えいただけませんこと?」


 二度三度、セオドアはまばたきをする。


「昨年は何もできませんでしたので、今年こそは贈り物をしたいんです。まだご挨拶もできておりませんので直接お会いしてお渡しできるとよいのですが、メルディーナ様は公爵領にお住まいでそれはむずかしいと思いますので、お手紙をつけて贈り物をしようと思ってるんです」


 王都から公爵領主都まで、馬車で片道一週間程度。川を遡る高速船を利用すればその半分ほどになるといっても、気軽に行けるものではない。


「いろいろ考えてみたんです。好みなどを存じあげておりませんから、身につけるものなどは避けたほうがよいと思いましてジルバにいろいろと相談してるんです。刺繍入りのハンカチーフや小物袋(レティキュール)がいいかしら、と。義姉から義妹への初めての贈りものですから、気に入ってもらえるものをと思うんですが。メルディーナ様の好みがわからないので悩んでいるんです」

 頬に手をあてたシルヴィアは、じっとセオドアを見てくる。


 メルディーナの好みを聞かれていることはすぐにわかった。が、残念ながらセオドアにはそれがわからなかった。今の自分はもちろん、未来の自分もそのことを気にしたことがなく、知ろうともしなかった。贈り物をしたことがないという訳ではない。貴族の令息に求められるマナーとして、誕生日やアカデミー入学の折りには贈り物を欠かさずしてきた。しかし、それらは彼女の好みに合わせたものではない。誕生日に年齢相応の髪飾りやネックレスを贈ったときも、入学祝いにペンとインクのセットを贈った時も、セオドアが決めたのは何を贈るかで、具体的な品を選んだのはヒューイをはじめとした使用人か出入りの商人だった。贈られた本人が好むかどうかをセオドア自身が気にしたことは一度もない。

 贈り物を手にしたときの反応を見ていれば少しは推測できたかもしれない。しかし、セオドアはそれも他人任せにしていたので贈りものを手にした妹がどんな表情を浮かべたのかがわからない。


 ――ヒューイなら何か知っていないだろうか。


 未来の彼なら何らかの方法で知っていたかもしれないが、今の彼は自分と同じ程度の情報しか持ち合わせていないだろう。


「セオドア」と呼んだ声がとても優しくて、驚く。

「知らなければ、これから知っていけばいいと思いますわ。メルディーナ様が何を好きなのか。お花は? 香りは? 好きな食べ物やお菓子とかも。知らなければ、知っていけばいいのです。何事も、今より早いことはないのですから。――セオドアは、メルディーナ様のことを知りたいとお思いになります? 好きなものは何か、苦手なものは何か。いろいろなことを知りたいと思われます?」


 迷いなく頷く。


「あなたのことが知りたい。関心を寄せる。今何をしているのか、何を思っているのか。それが愛するということだと思いますの」


 言われて、なぜかセオドアは涙がこぼれそうになったのだった。

評価など、ありがとうございます。

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