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第一章(2)

「わたくしの婚約者様は気になる方ができたようですね」


 その指摘に、セオドアは飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。

「一体何を」と思いの外大きな声が出て、「言いだすんだ」と尻すぼみとなる。

 対面に座ったシルヴィアは、澄ました顔でカップを置いた。「セオドア様でも慌てることがありますのね。わたくし、はじめて知りましたわ」


 喫茶室(ティールーム)の店内はいつもどおり穏やかな時間が流れていた。学生身分とはいえ、貴族や富裕層の令息令嬢を主な顧客にしているこの店のミニマムチャージは学院敷地内にある他の店よりも高い。客の階級に合わせるように、店内は贅沢な造りになっていた。少人数での利用を想定した円テーブルは広めの間隔で配置され、それぞれの間にある背の高い観葉植物や布製パーテションによって緩やかに区切られている。隣りの席に誰かがいるのはわかっても、誰かまではわからないといった具合だ。


 だからこそ、彼女はここを指定したのか、とセオドアは自身の婚約者を見た。陽の光に輝く金糸にエメラルドに煌めく垂れ目がちな瞳のこの美しい少女と王家の仲立ちで婚約を取り交わしたのは一年前、王立学院(アカデミー)中等部入学直前のことだった。お互いに王都別邸(タウンハウス)暮らしが長く、共通の知り合いの茶会(ティーパーティー)であいさつをすることはあっても特段親しいというわけでもない。それは親同士も同じ。国内の政治的安定のために決められた婚約だと、お互いに立場を弁えていた。


 月に最低でも二回、ティータイムを共にするのは、政治的に決められた相手だからこそ、お互いをよく知り、良い関係を築くためだった。同じ場所で同じお茶とお菓子を楽しむことからはじめましょう、というシルヴィアの提案を受け入れる形ではじまったこの時間に、セオドアはやっと慣れてきたところだった。


 ――そこに、爆弾のような発言が投げ込まれたのだ。


「……何を誤解しているか知らないが」と口元をナプキンで拭く。「そのような事実はない」

「そうでしょうか」頬に手をあてる。おっとりとした印象を相手に与えるが、中身は違うことをこの一年でセオドアは学んでいた。


「お手紙のやりとりをされてますでしょう?」

「……それはヒューイのことだが、」

「あら。これまで主人一筋だったのに、きっかけもなくいきなり女性と手紙のやりとりをはじめるなんて。主人の代わりと思う方が自然ですわ」


 にっこりと微笑む。高位貴族でありながら商会を設立し、国内だけでなく外国との交易によって巨万の富を築いた侯爵家の令嬢は、自分よりも家格も高い相手に対して物怖じしない。セオドアの痛いところを突いて、こちらを見ろと態度で訴えてくる。


「婚約を結んだ間柄とはいえ、他家のこと。わたくしがでしゃばるのは憚るべきことかとは存じますが。ですが、」そこで言葉を切り、ただまっすぐにセオドアを見る。「わたくし、あなたさまを心配しておりますの」


 それだけは覚えておいてくださいましね、と言葉を重ね、シルヴィアはカップを置いた。


「セオドア、あなた、酷い顔をしてますわ。最近、眠れてますの?」

 どこまで把握されているのか。さすがに宛先やその目的まではつかまれていないだろう。学院のポストオフィスの信用に関わる。


 セオドアはシルヴィアを見た。

「――君には、兄が二人、いたと記憶しているが、兄妹仲はどのようなものだろうか」

 そうですわね、とシルヴィアは唐突な問いかけに自然と応えた。「すぐ上の兄とは二つしか離れておりませんので、幼い頃はよくけんかをしておりましたわ」

「君がか?」

「ええ。わたくしこれでもお転婆でしたの。取っ組み合いのけんかになって、よく子守(ナニー)に止められておりましたわ」


 淑やかな今の姿からは想像もできない。


「ご存知のとおり、わたくしとすぐ上の兄は後妻の子ですので、一番上の兄とはずいぶん歳が離れてますの。ひと回りほどでしょうか。ですので、すぐ上の兄とは違って穏やかな関係を築けていると思いますわ。父も母も忙しかったので、幼い頃はその兄によく世話をしてもらっておりました。本を読んでもらったり、けんかの仲裁をしてもらったり。ふふ」

「どうかしたのか?」

「小さな女の子はよく、お父様の花嫁様になる、と言うものらしいんですが。わたくしはジュリアンお兄様、一番上の兄のお嫁さんになると言ってお父様を泣かせてしまったことがあって」


「――私は、」とセオドアは何か言おうとするのだが、その先が続かない。今ここで告白することは、どこまでも自分自身のためだけで躊躇うセオドアをよそに、シルヴィアはあっさりとその名を口にした。

「メルディーナ様のことでしょうか? 兄妹の話題を振られたのですもの、それぐらいわかります。あなたからご家族の話題が出るのははじめてでしたわね。少し驚きました」

 少しだけ沈黙が降りた。

「…………わたくしが力になれることはありますか?」


 シルヴィアの言葉がまっすぐにセオドアの胸を打つ。


「図々しいとは思いますがわたくしはあなたのお力になりとうございます。それに、メルディーナ様はわたくしの妹となる方ですもの」

「――しかし、」

 婚約してまだ一年しか経っていないのに、家族の問題に巻き込むことはためらわれた。彼女はメルディーナと顔を合わせたこともないのだ。


 だが、シルヴィアは少し怒ったような、悲しむような、そんな顔をして言った。

「国王陛下からのご命令による婚約で、顔合わせからやっと一年経った程度だとしても、この感情が友情に限りなく近いものだとしても、セオドアの力になりたいと思う気持ちは本物ですの。日に日に酷くなっていくのをそのままにしておけるほど、わたくし薄情ではありません」


 二人の間に沈黙が降りた。


「……これは我が家門の問題だ」

 セオドアは震えないように抑えた声で告げた。基本、貴族は身内の問題は身内で片付けることを是としている。他家に助けを求めることは自らで解決する力がないことを示すものであり、他家の介入を許すのは弱さと受け止められるからだ。

 セオドアの言葉ははっきりとした拒絶の意を示していた。公爵令息にそう言われてしまえば、侯爵令嬢であっても口は出せない。たとえ婚約した間柄とはいえ、いや、だからこそ、そこには厳密な線が引かれるものだった。

 長い前髪の奥から覗くように前を見れば、意外にもシルヴィアは穏やかな笑みを浮かべていた。

「わかりました」と、返ってくる声も落ち着いている。


 ――よかった、と十三歳の自分が思い、いや違う、とすぐさま思い直す。()のセオドアは、自分が彼女の地雷を踏み抜いたことに気づくことができた。彼女は貴族令嬢の、淑女の鑑であり、感情をコントロールすることに長けている。セオドアもまた、年齢の割には落ち着いていると言われているが、そもそもの感情が平坦だから未熟でも問題ないだけなのだ。

 この歳のセオドアは、彼女も同じだと思っていた。


 しかし、()のセオドアは知っている。彼女は感情豊かな方で、親しい者だけの場ではよく笑い、よく泣き、そして、


「では、わたくしも勝手にさせていただいてもよろしいかしら?」


 ――よく怒るのだ。


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