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第三章(3)

 にこにこと笑みを浮かべるジュリアンの腹の底が見えない。穏やかな印象はそう見せているゆえだ。そんなセオドアの緊張を見抜いて、ジュリアンはことさら穏やかな声で言った。


「遠目にだけど、君の妹君を見たよ。とても落ち着いている子だね。――シルが君たちのことを気にしているのが少しわかった気がするよ」

 それは、と問う前に、ジュリアンは言葉を続けた。

「加えて、私とシルも歳の離れた兄妹だから、それであの子は余計に気にかけているのだと思う。婚約者殿のお役に立ちたい、という気持ちもあるんだろうね。けれど、関係が似ているとしても、置かれている状況はあまりにも違う。それをよくよく意識するように、とは、伝えておこうと思っている」


 シルヴィアが二人の兄を信頼し、いろいろと相談していることをセオドアは知っていた。

 ――もし自分が彼のようであれば、あの子は踏みとどまったのだろうか。

 インクのシミが広がるように、セオドアの胸に自己嫌悪が広がっていく。

 思い返してみても、メルディーナから悩みごとを打ち明けられたこともなければ、彼女が抱えている悩みに気づけたこともない。彼女の貴族らしい振る舞いだけを見ていた。


「――ひとつ、助言をしてもいいだろうか」

 呼びかけに、セオドアの意識が()に戻る。ジュリアンがこちらを見ていた。

「私達のような立場は、胸の内を見せずに、常に平然とあることを求められる。それはどうしてだと思う?」

「家門の評判をいたずらに下げないためです。子どもであろうと、その振る舞いのひとつひとつが家に対する世間の評価を上げ下げします。そして、あまりにも相応しくない振る舞いは、家に対する失望につながるだけでなく、よからぬ輩をも惹きつけます」

「そうだね。特に爵位の継承者には、おこぼれに預かろうと群がる者もいる。でも、それは、外に対する姿勢だ。身内に対してはどうだと思う?」

「分家や使用人らに侮られないため、です。時に子どもは甘言の標的になりやすいので。付け入る隙を与えれば、当代だけでなく、後の代に禍根を残すこととなります」

「ああ、なるほど」と、ジュリアンはここにきてはじめて、戸惑うように顎を撫でた。

 何か間違ったことを言っただろうか、と思うが、セオドアは表情には浮かべず、ただじっと正面に座る将来の義兄を見つめた。


「――では、」とジュリアンの唇が動く。「君にとって妹君は、どういう存在なのかな」


 同じ両親を持つ家族だからと思って、はた、と気づく。先ほど問われた時、身内のくくりにメルディーナは含まれていなかった。――いや、そもそも、自分は家族をどこに置いている……?

 身内、と言われて真っ先に浮かんだのは家に仕える使用人たちと分家の顔だった。アトレー公爵家は大きく、先祖伝来の土地に住む郷士や公爵家と共に移り住んできた者、そして公爵家の分家筋など、家臣団の規模は国内でも随一だ。臣民で唯一、公爵位を賜ったのも、土地に根付く豪族たちを従わせたからに他ならない。土着でないからこそ、当主には領地を治める手腕が問われた。

 幼い頃に王都に移り住んだセオドアだが、家臣団や領地民に対する態度は厳しく教えられてきた。王都別邸(タウンハウス)の使用人はほぼすべて公爵領出身者であり、家庭教師も可能な限り公爵家が支援した領地出身の学者で揃えられていた。王都にあっても、(やしき)内は公爵領の縮図。

 そこで育ったセオドアにとって、身内とはすなわち彼らなのだ。

 では、血の繋がる家族は、自分にとってどんな存在なのだろうか。

 自身の内側に深く深く潜るセオドアは、自分を見守る人々の視線には気がつかなかった。



 ジルバ侯爵令嬢のお茶会は滞りなく幕を閉じた。帰り際渡されたお土産の包みが、メルディーナの膝の上に置かれている。

 帰りの馬車の中で、セオドアは彼女と向かい合うように座っていたが、その視線は窓の外に向いている。メルディーナも、その隣りに座るデニスも一言も発することがないため、車内には沈黙が降りていた。

 頭の中でジュリアンとの会話が繰り返される。

 自分はメルディーナの兄であり、メルディーナは自分の妹だ。言葉にすれば単純で明快なのに、その関係性は曖昧模糊でつかめない。そのことに今日初めて気がついた。


 ――紳士にとって令嬢(レディ)はすべからく守るべき存在だし、その上相手が歳の離れた妹であればなおさら、庇護対象になるのは自然なことだと思う。ただ、大変失礼なことを言うけれども。私には、君が焦燥感に駆られているように見えるんだ。これまでの関係を省みて、挽回しようとしているためにそう見えているのかもしれないけれど。


 失礼な物言いが申し訳ないと言うジュリアンは、相手の事情に踏み込みすぎることは無作法なことだとわかっている。それでも言葉にしたのは彼の優しさだと、セオドアは受け取っていた。

 彼の言うとおりなのだ。

 あの日からあの瞬間から止まっていた時計は、今、動き出している。それは終わりの見える砂時計のようで、砂が一粒一粒落ちていくごとに、行動せよ、と掻き立ててくる。

 あの子の身体が頽れた瞬間が最後ではなくて、彼女に決心させてしまった瞬間こそがデッドラインだというのに、それがいつなのかがわからない。五年後かもしれないし、今この瞬間かもしれない。もしかしたらもうその瞬間を過ぎてしまったのかもしれない。

 最後の一粒が落ちて取り返しがつかなくなっていたとしても、セオドアにはそれがわからない。

 もしかしたら、自分はただ悪夢を見ただけで、あんな未来は来ないのかもしれない。そう思いたくても、生々しい記臆のすべてが、現実だとつきつけてくるのだった。

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