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第二章(4)

 夕餐会が終わり部屋に戻ってきたセオドアは、脱いだコートをヒューイに預けるとどかりとソファに腰を下ろした。膝に肘をついて、手で顔を覆う。

 わかりやすく落ち込んでいる主人の前に、コートをしまったヒューイがティーカップを置いた。カフェインレスのハーブティーのやさしい香りがセオドアを慰めてくれる。


「夕餐会はいかがでしたか? メルディーナお嬢様を怯えさせるようなことはされてませんよね?」

「……メルディーナはもう分別のつく年頃だ。顔がこわいだけで怯えるなんて、」


 表情筋が死んでいる、と婚約者に評されるセオドアは、以前慰問で訪れた孤児院で子どもを泣かせた前科があった。怯える子どもを安心させようと微笑みを浮かべただけなのだが。後日、その話を聞いた婚約者にも子どもらに向けたのと同じ笑みを浮かべてみたところ、

 ――口角を上げるだけでは微笑んだことになりません。ほら、このように、目元も緩めるのです!

 厳しい指導を受けた翌日、セオドアは表情筋も筋肉痛になることをはじめて知ったのだった。


「そんなことはない、はずだ」

「それでは、ある程度は穏やかにお話しできたのですか?」

「……多少は」

「それはようございました」


 ややからかい気味のそのやりとりは、肩に入っている力が抜けるようにとのヒューイなりの気遣いだろう。踊らされているようで癪だが、確かにその効果はあるようだった。


「緊張はしていたようだ」

「セオドア様もでございましょう。身支度の際、表情がいつも以上に険しかったですから」

「私と違ってメルディーナは上手に微笑んでいたな」


 それは喜ぶべきことではないか、ヒューイが不思議そうに首を傾げる。セオドアの口ぶりがそうではなかったからだ。

 

「まるで礼儀作法指南書(エチケットブック)の事例集を見ているようだった」


 お手本のようにできることはよい。だが、


「デニスの言葉の意味がよくわかった」


 ――わたしにはメルディーナお嬢様はまるで川面をゆく水鳥のように見えます。


 そう評したのは、セオドアとヒューイに割り当てられた部屋を訪れていたデニスだった。ヒューイの従姉妹で、セオドアの依頼でメルディーナの様子を伝えてもらっている。何の理由もなしに公爵家本邸の使用人が当主令孫の部屋を訪れることはできないため、旅に関する情報交換と荷物の片付けの手伝いを名目にした。本邸にセオドアやヒューイの顔見知りは少ないため、令孫の侍従と親戚関係にある彼女が選ばれた、というのが表向きの理由だ。

 夕餐会までのわずかな時間だったが、手紙ではなく直接話を聞ける機会を逃す理由はない。


「セオドア様、クレヴァリー家のデニスです」


 ヒューイに紹介された彼女は頭を下げる。

 

「デニスと申します。二年ほど前よりハウスメイドとして主家のみなさまの身の回りのお世話をさせていただいております」


 そして、上げた顔には他者に不快感を与えない笑みが浮かべられていた。なるほど、確かに血のつながりを感じる。


「まだ母上が存命のころからか、」

「若奥様はあまりお部屋の外においでになりませんでしたが、お部屋の清掃などで顔を合わせる際にはわたしどもに対してとても丁寧に接してくださいました」

「……そうか」


 幼少の頃に王都に出てきたセオドアは、母に直接会うよりも、こうやって誰かから母の話を聞くことの方が多かった。

 しかし、今、優先すべきはメルディーナのことだ。感傷を振り払うように、セオドアは尋ねた。


「それで、デニスから見てメルディーナはどういった感じだろうか。子守り(ナニー)はついていないと聞いているが、他の使用人たちとはどのような関係を築けているだろうか」

「身の回りのお世話はメイドが持ち回りでしております。どのメイドに対してもメルディーナお嬢様は態度をお変えになりません。わがままを言ったりいたずらをしたりといったこともないため、とても評判が良うございます」


 上流階級の暮らしは、その家に仕える使用人たちによって成り立っている。雇用主である当主や家政を担う女主人であればそうでもないが、それ以外の者にとっては彼らからの評価がそのまま待遇に直結すると言っても過言ではない。幼い子どもの場合は生死にも関わる。貴族家において事故死扱いをされた子どもの内、親族だけでなく、使用人からも虐待されていた件数は、認知されているものよりずっと多いことだろう。

 セオドアが危惧していたのは、メルディーナを守る者が本邸にいないことだった。祖父である公爵は公務に忙しく邸に滞在する時間が少ない。父親は遠く王都で忙しくしており、身体の弱い母親はほとんどをベッドで過ごしていて今はもういない。

 だから、使用人からの評判が良い、というのはひとつの安心材料と言えた。嫌われてさえなければ、彼らも自分の首を絞めるようなことはしない。曲がりなりにも公爵家本邸の使用人なのだから。


「――ただ、」

と、デニスの言葉がセオドアの意識を持ち上げる。

「弟妹のいる者などには逆に心配になると申す者もおります。前と変わらないからこそ、無理をされているのではないかと」

「……デニスから見てはどうだ?」

「恐れおおくも、わたしもメルディーナお嬢様を心配に思っております。ひどく穏やかに過ごしているように周りに見せていると感じるのです。まるで川面をゆく水鳥のように」


 感情を他者に見せない。常に穏やかに冷静に振る舞う。それが貴族というものだとセオドアは教え込まれてきた。上に立つ者として、下の者たちに不安を抱かせないのと同時に、隙を見せないために。だから、メルディーナもそうなのだろう。

 

 セオドアは、デニスの話を聞いたときはそう思うだけだった。

 

 しかし、夕餐会でのメルディーナの振る舞いを観察して、セオドアはその認識を改めざるをえなかった。

 貴族家の令息令嬢がその振る舞いを厳しく見られるのは他家も集まる社交の場。そこでの振る舞いがそのまま家門の評価にもつながるからだ。礼儀作法に厳しい家では、子守りや家庭教師による指導で最低限の振る舞いが身について初めて正餐室(ダイニング)での食事を許される。そして、身内である大人たちの中で場数を踏み本番を迎えるのだ。

 練習の場であるという共通認識がある身内での食事では多少の失敗は許される。どちらかといえば気楽な場面、のはずなのだが。

 背もたれの高いダイニングチェアに高さ調節用のクッションを載せ、その上に小さな身体を収めた幼い妹は、淑女の微笑みを浮かべ、ほとんど音を立てずに食事をしていた。

 王都の流行りや学院(アカデミー)の講義内容や教師陣の入れ替わりのほか、大聖堂に納められた彫刻や絵画といった美術品の数々へと、話題はワルツのステップのようにつながっていく。

 主に話すのは祖父のマイルズで、ガートン夫人はそれに応じながらタイミングよくセオドアにも話を振ってくる。メルディーナはよくそのやりとりを聞いていて、問いかけられれば失礼に当たらない程度の速さで応じていた。

 夕餐会の出席者は四人。いつ自分の番が回ってくるかわからない席で、食事の作法に従いながら、穏やかな微笑みを絶えず浮かべ、振られれば大人が満足する受け応えをする。

 八歳になるかならないかの少女がどうしてそこまで落ち着いた振る舞いを、()()に対して見せ続けられるのか。そういう気性だとしても、それを維持し続けられる集中力をこれくらいの子どもが持っているものだろうか。

 メルディーナの側には常に家庭教師や使用人たち――大人がいたという。その中の一人がデニスだったと聞いていた。

 休憩は多めにとっていたとはいえ、馬車や船を乗り継ぐ慣れぬ旅の最中(さなか)にあって、疲れを感じさせない振る舞い。セオドアが王都別邸へと移り住んだのは六歳の頃。その時の自分と目の前の妹を比べてしまう。

 水面下の様子を悟らせない妹の姿に、セオドアはたまらなく泣きそうになってしまった。

 そうやって、成長したあの子はたった一人で決断してしまったのだと。そうひどく納得してしまう自分がいたのだった。

長く間が空いてしまいました。

お待たせしてしまい、申し訳ありません。

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