表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/18

プロローグ

 春の訪れを祝う五月の祝祭(メイフェスティバル)と時を同じくして王立学院で開かれる舞踏会(バル)は、伝統的に五月の祝宴(メイバル)と呼ばれている。高等部以上の生徒に参加資格が与えられるこの舞踏会(バル)は、本格的な社交界入り(デビュー)の準備的なものとして位置付けられていた。そのため、ふだんは部外者の出入りが制限されている学院でも、この日ばかりは貴族や著名人が招待され、ダンスパートナーとして生徒の親族や婚約者などが学院の敷地に入ることを許されるのだった。


 会場として使われるのは元王家の離宮だった建物の大広間(サルーン)。建物入り口に続く大階段を上りエントランスホールを抜ければ、そこは光が溢れている。温室で育てられた花々がそこかしこに飾られ、クリスタルでできたシャンデリアが蓄光石の光を乱反射させる。その中を泳ぐように舞い踊る紳士淑女の色とりどりのドレス。

 まさに色と光の洪水。

 学院の思い出として誰もが真っ先に思い浮かべるのがこの五月の祝宴(メイバル)だと言っても、過言ではない。


 ――しかし、今年の舞踏会は例年とは違った意味で人々の記憶に刻みつけられることとなった。



「――は、はは。あはははははははは」

 

 誰もがその笑い声に反応できなかった。

 突然の出来事に成り行きを見守っていた人々も、その出来事の首謀者である青年たちも、笑い声を上げる彼女をただただ見つめていた。

 自らの愚かさと過ちを認め謝罪せよ、と糾弾されても眉ひとつ動かさなかった彼女は、今、狂ったように笑い続けている。


 緩やかな癖を持つ豊かな髪を結い上げ、白いうなじを晒している。藤色のドレスはノースリーブで華奢な肩が出ているが、デコルテをレースで覆い、同素材のロンググローブで露出を抑えているため、全体的に品良くまとまっていた。腰から裾へと広がるスカート部分には濃淡ある藤色の薄絹が幾重にも重ねられ、まるで花弁の多い薔薇のようにも見えた。

 今宵の彼女は、この場にいる誰よりも美しい。


 何が起こっているのか、それを正確に把握できている者はこの場にはただひとりもいなかった。先ほど、彼女を名指しで糾弾した青年たちも、一様に困惑の表情を浮かべている。

 その中にあって、真っ直ぐに彼女を睨みつける者がいた。


「なにがおかしいんですか!」と、甲高い声が響く。


 金糸銀糸で彩られた夜会服を身に纏う青年たちに守られるようにして、その少女は立っていた。ゆるく編まれたストロベリーブロンドに、フリルやレースがふんだんにあしらわれたドレス。幼さの残る顔立ちに小柄で華奢な身体。涙で潤む杏眼はシャンデリアの光を受けて煌めき、柔らかな曲線を持つ頬は薔薇色に染まっている。どこまでも甘く可憐な印象を他者に与える姿は男たちの庇護欲を掻き立てるのに十分で、青年たちに庇われるその様は、騎士たちに守られて悪い魔女に挑むお姫様を描いた御伽噺の一場面にも見える。

 しかし、少女が対峙するこの魔女は、お姫様も、それを守る騎士たちも見てはいなかった。


「お喜びくださいませ」と彼女は満面の笑みを咲かせる。「念願が叶いますわね。マクシミリアン第一王子殿下」


 艶のある声で告げられた言葉に、全員が彼女の視線の先を見る。騎士服を模した一際豪奢な夜会服に、王族であることを示すサッシュを斜めがけした青年が奥からこちらへと歩いてくる。彼が何者なのか、この場にいる者で知らぬ者はいなかった。


 マクシミリアン・セス・ケンドリック第一王子。


 この場において最も高貴なお方であるその青年は、彼女の婚約者でもあった。

「これはどう言うことだ? テイラー」とマクシミリアンが問えば、「私ども一同はあの方を王妃として戴くことに異を唱えます」

 彼女と対峙していた青年たちの一人、テイラーが声を上げた。この騒動の口火を切ったのが彼だとマクシミリアンは知っていて問いかけたのだ。


「アトレー公爵令嬢が殿下の婚約者として選ばれたとはいえまだ内定の段階。正式に公知されておりません」


 第一王子と公爵令嬢との婚約は国王陛下の勅命であった。内定段階とはいえ、中央貴族の間ではすでに知れ渡っており、おいそれと覆すことはできない。そうだとしても、侯爵令息であり次期国王の側近候補でもあるテイラーはソレができると確信を持っていた。


「殿下もご存じのはずです。アトレー公爵令嬢が身分が低いからとリンド男爵令嬢であるビタ嬢をいじめていたことを」


 マクシミリアンの視線が少女に向いた瞬間、それまで堪えていた涙が少女の柔らかい頬を伝う。それにテイラーをはじめとした青年たちは心を動かされたようだった。大丈夫だ、と慰めるように声がかけられる。

 テイラーはマクシミリアンに視線を戻す。


「ビタ嬢は身分こそ男爵令嬢と低いですが、成績は優秀で、男女混合の評価でも上位に入るほどです。礼儀作法も完璧でまさに淑女の鑑! それに嫉妬したのです、あの女は。殿下の婚約者である自分ではなく、自分より身分が低いビタ嬢に人々の注目が集まり、称賛されることに我慢ならなくなり、嫌がらせをしたのです。その生まれや育ちを直接侮辱するだけでなく、事実無根の悪評を流し、同じ空間にいるときはその存在をないもののように扱う。その上、校内で開かれる茶会やサロンからも締め出した。そのような自らのことしか考えない者が、無慈悲で性根の腐った女が、どうして民を慈しみ導くことができましょう。私どもは、このような悪女が殿下の隣に立つこの国の母になるなど、認めることができません!」


「――何を迷っていらっしゃるんですの?」


 先に口を開いたのは彼女だった。鈴が鳴るようにころころと笑って、マクシミリアンだけを見て、彼女は言う。「大義名分ができたではないですか。わたくしとの婚約をなかったものとしたかったのでしょう。ふふふ。わたくし、わかっておりましたもの。どれだけ優秀でもどれだけ善い行いしても、どれだけ美しくても。誰もわたくしを愛することはないと。わたくしを愛してくれる方はいないと。わたくし、わかっておりました。愛されたことがない者が、大切にされてこなかった者が、どうして他者を、民を、愛し慈しむことができましょう」


 ゆらゆらと、彼女の身体がわずかに左右に揺れる。


「ですから、わたくしが選ばれたことがそもそもの間違いだったのです。マナーも語学も教養も、教えられれば身につけられます。その場にふさわしい立ち居振る舞いも苦ではありません。――でも、わたくし、わかりませんの。誰かを民を愛するとはどんなことでしょうか。自分が愛されたように愛すればいい。そう教えてくださる方もおりました。でも、わたくしを愛してくれた方など、いらっしゃらないんですもの」

 困りましたわ、と彼女は頬に手を当てる。


「わたくしは外側だけ取り繕うのがただただ上手だっただけのようですの。ですから、殿下がわたくしを愛してくださらなくても、信頼してくださらなくても。それは仕方がないことですの。――ああ、殿下。マクシミリアン殿下。どうしてそのような表情(かお)をされますの? ……わたくしは、またまちがえ、て、しまったようで、すの、……ね」


 ――とさり、とその細い身体がくずおれる。それから一拍遅れて駆け寄ったマクシミリアンの腕の中で、急速にその体温は失われていくのだった。



 ――()の足はその場に縫いつけられたように動かず、ただひとりの()()()()()()が失われるのを見ているだけだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ