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若木テルシリーズ

桜の木の上と土の下

作者: デゴチ

17歳の町野里子と若木テルが過去の殺人事件に巻き込まれる?

春の推理2022の企画に参加する、桜の木が絡んだ一話完結の短編です。ってもう春という季節じゃないかもしれないですが……。


 両手に抱えた大きなブルーシートを車のトランクに投げ込んだ。バサリと少し埃っぽい音がして、自分の仕事はこれで終わりだ。

 二つ結びにしている髪の先についていた桜の花びらが、遅れて届いた風圧でヒラリと落ちる。やはり物事が終わるというのはスッキリして気持ちが良い。


「でも、なんで鞍ヶくらがいけ公園まで行かなきゃいけないんですか。花見なら学校のすぐ目の前の四百メートル道路かこの中庭でいいじゃないですか」


 校舎中庭の西側にある駐車場で、私は悪態をつく。


 校舎中庭の桜の花が散り始めた四月の土曜日の午前十時。

 この駐車場から数十メートル先、校舎の南側に位置する運動場の前の校内道路には、この週末に自宅へ帰る新一年生を迎えに来た家族の車が来ているのか、にぎやかになっていた。春の風に明るい笑い声が混じっている。


 私が入学した去年の春もこんな感じだったはずだ。

 うちの学校では一年生と二年生は全員、学校構内にある寮へ入居することになっている。

 先日入学した新一年生も全員が寮に入り、今日が初めての週末だ。週末は帰省できるので、たいていの新入生はひとまず今日は自宅へ帰るのであろう。


 新入生は初めての学校生活、寮生活に戸惑いながらも数日過ごせたことで芽生えた小さな自信と、親元を離れて暮らす多少の不安と、久しぶりに家族と会えた安心感が入り混じったフワフワした気持ちで初めての週末を迎えている。


 そんなフレッシュな気持ちというものは、真空パックで冷凍保存でもしていない限り一年も保てない。

 私、町野まちの里子さとこには花見のための大量の荷物を先輩の車に積み込むという重労働が課せられていたのだ。そりゃ死んだ魚のような目にもなる。


「町野さん、知らないの? 正門前のあの桜並木には、死体が埋まっているって噂があるんだよ。あと学校内じゃ先生が酒飲めないだろ」


 柴田先輩は最後の荷物であるビールの箱を車のトランクに入れ終わり、振り返る。


「え? 死体……ですか?」


 突然、日常会話では聞きなれない死体という言葉が出てきたので驚いた。おそらく私は目をまん丸にして驚くという、漫画みたいな顔をしていたのだろう。

 私の良いリアクションを見た柴田さんは満足したらしくニヤリと笑い、車のトランクを勢いよくバタンと閉める。


 うちの学校の正門前には、約四百メートルの直線道路があり、その道路脇の歩道には五メートルの等間隔で桜の木が植えられている。それぞれの桜の木の間には三十センチ角程度の大きさのコンクリート製のタイルがきれいに並んで整備されている。

 花見をするにはちょうど良い感じなのだが、春の桜の時期にここで花見をしている人を見たことはない。


「うちの学校ができた直後、だいたい五十年ぐらい前の話なんだけど、春に桜並木で学生たちが宴会をしたらしいんだ。その時、酔っぱらった学生同士が喧嘩になってビール瓶で相手を殴って殺してしまったそうなんだよ」


 柴田さんは親指で背後の車のトランクを指す。

 さきほど詰め込んだビールのことを指しているんだろうけど、あれは缶ビールだ。瓶ビールに比べて缶ビールで殴打して人を殺すってのは難しいんじゃないかと思う。


「普通に殺人事件じゃないですか」

「いや、殺人に普通も特殊もないだろう。小型特殊殺人とか大型殺人とか。あ、でも第二種殺人免許だとプロの殺し屋になるのか?」

「知りませんよ! 何の話してるんですか」

「まあともかく当時、学校の周りは畑があるだけで民家もなかったから、その騒ぎを聞きつけた当時の教授が現場に飛んできたんだ。その場にいた学生たちは取り乱して興奮していたから、教授は学生たちを落ち着かせてすべて帰して事件の処理をしたんだってよ。それ以来、あの桜並木で花見をするってのは避けられるようになったんだ」

「でもいくら五十年前と言っても、そんな殺人事件だったら警察が検死して、遺体を遺族へ引き渡してお葬式しますから、桜の木の下に死体を埋めるとか、ありえないですよね。だいたい、そのネタがもう、推理小説とか怪談とかで手垢てあかまみれじゃないですか。信憑性しんぴょうせいがゼロですよ。本当なんですか? その話」


 柴田さんと私は荷物の積み込み作業を終えたので中庭から校舎に入る。

 学校の校舎は上から見るとアルファベットのEとFを背中合わせにしたような配置になっていて、私たちの向かう電気工学科の講師準備室がある棟はその『E』の真ん中に位置している。

 柴田さんは二階への階段をゆっくりとした足取りで上りながら話をつづけた。


「確かに、正確な記録は無いらしいんだ。過去に、そんな噂話の真相が気になる学生がいろいろ調べたらしい。五十年ぐらい前のこの辺りなんて、でかい自動車会社の工場がある以外何もない街だったんだ。その当時の新聞を調べてみたものの、新聞にはそんな事件の記録は無かったそうなんだ。もちろん、年数の記憶違いがあるかもしれないから、数年分の四月の新聞を図書館で調べたらしいんだが、そんな殺人事件は記録されていなかったそうだ」


「じゃあただの『学校の七不思議』みたいな作り話だったんじゃないですか」


「ところが、学校の寮祭で毎年発行している寮生の記念誌があるだろ。あれにはそれらしい事件の記録があったんだ」


「え? 殺人事件のですか?」


「具体的な事までは書いていなかったらしいんだが、寮記念誌の第一号に『数年前に発生した正門前での暴力事件で失われたA先輩の遺志を継いで、我々は学業を修め研究を続けていく』って一文があったんだよ」


「普通に記録残っているじゃないですか。でもその一文だけだとやっぱり良く分かりませんね」


 話ながら歩いているうちに、校舎二階の講師準備室に着いていた。柴田さんが部屋のドアをノックする。


「おう、入ってくれ。どうぞー」ドアの向こうから声がした。


 部屋に入ると手前に二つ並べられた長机で、若木わかきテルが無表情でパソコンに向かっていた。長机の上にはレシートが並べられていて、その内容を表計算ソフトに打ち込んでいる。

 部屋の奥では杉浦先生が立ち上がってジャケットを羽織はおっているところだった。


「準備できたか。ありがとな。じゃ、行くか」


「先生、まだ会計処理終わっていません」


 若木がとても年上の大人である准教授じゅんきょうじゅに話しかけているとは思えない低く冷たい声でポツリとつぶやく。


「こんなの買ったときにすぐ処理してください。後でまとめてやるから大変になるんです」と若木の低い声は続く。


 レシートをため込んでいた杉浦先生は肩をすくめて「すまんすまん」と言ったあと若木の背中を軽く二回ポンポンと叩いて「帰ってきてからやろう、な?」と軽く言った。何もかも軽い人だ。


 若木は私と同じ電気工学科二年の同級生だ。学級委員である私にはクラスの仕事が集まってくるが、私はよく若木に仕事を振っている。癖が強く扱いづらい人間が多い同級生の中で、若木は比較的常識人に近い部類だからだった。

 今日は所属しているロボコンチームで開催する花見の道具や食べ物、飲み物のレシートの数字をパソコンに入力する仕事を若木に依頼していた。費用の一部はロボコンチームの活動費から出るので、その会計処理が必要だった。

 面倒な事務仕事と大ざっぱな肉体労働。どちらを選んでも地獄であれば、私は後者を選ぶ。さきほどまでやっていた車への荷物の搬入がそれだ。

 ふてくされながらノートパソコンを閉じた若木を含めて、私たち四人は再び駐車場へ向かった。


「へー、そんな手垢まみれの学校の七不思議みたいな話があるんですね、うちの学校にも」


 柴田さんの車の後部座席に乗り込んだ若木はシートベルトを締めながら言った。

 車へ向かう途中、他のメンバーとの花見の待ち合わせ場所の話になり、若木も『なぜ正門前の桜並木じゃダメなのか』という素朴な疑問を口にして、さきほどの殺人事件の話になったのだ。


「俺の学生時代にも聞いたな、それ」


 助手席に座った杉浦先生は早々にシートのリクライニングを調整している。杉浦先生もこの学校の卒業生で今年三十七歳なので、二十年前にも同じような話が学校で語り継がれていたようだ。


「俺の時は、まだその事件の関係者だった中嶋先生がいたなぁ。確か土木科の教授で空手部の顧問だったな。見た目も角刈りでガッチリした体格していたから、怖くてその話を聞く気にはなれなかったけど」


 杉浦先生は笑いながら腕組みをして肩をすくめてみせた。


「なんにせよ、なんとなく話題には出るけど当時のことを知っている先生に聞いてみてもはぐらかすだけで、ちゃんと答えてくれないってのが続いているらしいよ」


 柴田さんはそう言うと、チラリと後部座席の私たちに目線を向けてゆっくりと車を走らせ始めた。


「そういや、橋田はどうやって来るんです? 渡辺先生の車に乗せてもらうんですか?」


 いまさらながら、この場にいない電気科二年の同級生、橋田くんのことを思い出したかのように若木が聞いた。彼もロボコンチームのメンバーの一人だ。

 いつも笑顔を絶やさず明るく優しく、同い年とは思えないほど大人な橋田くんを忘れるなんて信じられない!


「彼は走って鞍ヶ池行くらしいよ」 杉浦先生は軽く答える。


「は? 鞍ヶ池まで何キロあると思っているんですか」 私と若木の声が揃う。


「八キロぐらいじゃない? 彼、陸上部だったよね」


相変わらず、杉浦先生は軽く答えた。



 俺、若木テルには悩みがある。

 普段は立ち寄ることの無い校舎三階南側に位置した建築学科の教室で俺は、何枚もの写真を前にして頭を抱えている。

 日が暮れるのが少し早くなってきた九月の末。南向きとはいえ、夕日も入らず天井灯のついていない教室は薄暗い。

 もうそろそろ帰りたいのになぜ帰れないのかというと、新しく作ることになった学校紹介のパンフレットに載せる電気科教員紹介の集合写真で指摘を受けたのだ。


 ここ数年、電気科の教員は年度初めの入学式直後に学校正門前で集合写真を撮っている。だが、どの写真も校門に設置されている校名プレートに影が掛かっていたので良く見えない。

 校名プレートがきれいに見えている写真を使えというパンフレット編集委員長の建築学科教授から直々の指摘であったため、学生会でパンフレット編集担当をしている書記の青目あおめ静夏しずかさん同席の上、我々電気科のパンフレット編集担当の町野さん、橋田が電気科教員の写真を選んでいるのが、今の状況だ。


「正門が東側だから昼間の時間に太陽を背に真正面から光が当たる良い写真が撮れないんだよな」


 俺が手に取った写真はすべて校名プレートに影が掛かっていた。


「学校の正門で撮る写真って、確かになんか、暗い感じするよね」


 一通り写真に目を通し終わった町野さんも、写真を放り出して椅子にもたれてため息をついた。


「俺の中学、正門北側だったから、入学式も卒業式も正門で撮った写真、全部逆光で暗いものばかりだったな」

「あ、私の学校も正門は北側だったわ」

「え? そういえば、私の中学校も正門北側……」


 隣で入学式以外の写真を確認していた青目さんは、軽くウェーブのかかった髪をふわりとさせてこちらを向き、俺と町野さんの出身中学校の正門の話に軽く驚いた様子だった。

 彼女は俺達と同じ二年生だが建築学科でクラスは違うものの、俺とバイト先が同じで最近よく話をするようになったのだ。


「すごい偶然だな。そんな偶然あるのか。橋田、お前のところの中学はどうだった?」

「うちは西側が正門だったよ」

「そうか、でもやっぱり陽当たりの良い南側に正門がある学校ってのは、無いもんなんだな」

「風水的に、なんかあるのかしらね」


 町野さんが頬に手を当てながら思い付きを話した。


「建築の授業ではまだそういうの、やっていないです」

「え? 建築科って風水とか授業あるの? あれ占いじゃないの?」

「直接的には風水の講義があるわけじゃないんですけど、先生によってはある程度科学的根拠に近いものがある風水の教えってのもあるらしくって、たまに講義で出るらしいですよ」

「へー、そうなんだ」


 俺と町野さん二人の声が揃った。


「運動場じゃない?」

 橋田が突然言う。こいつの話はアクロバティックにいきなり飛ぶので、直前の話とつなげるのに苦労をする。


「はぁ? 今は正門の話をしているのに、なんで突然、運動場なんだよ。運動場がどうしたんだ?」


 俺は橋田に手を向けながら聞く。手を向けながら、テンポの悪いツッコミのようだなと思って少し恥ずかしくなる。


「ごめんごめん、話を省略しすぎちゃった。いや、学校にはたいてい運動場あるじゃない? 運動場ってたいてい陽当たりの良い校舎の南側に配置されているじゃない? そうすると、校舎は北側に配置されるじゃない? で、校舎が学校の敷地の北側に配置されると、必然的に校舎が道路に接するのは南以外の東西北の三方向のどれかになるんじゃないのかな」

「あー、確かに! なるほど!」


 今度は俺と町野さんと青目さんの三人の声が揃った。


「それで学校の正門は東、西、北のどこかになることが多いのか。それ、お前、前から知っていたのか? もしくは、それが風水?」

「いや、今、皆の話を聞いて考えた思い付きだから、なんの確証もないよ。僕が関西の人だったら最後に『知らんけど』って言うと思う」


 そう言って橋田は笑った。こいつは手持ちの情報だけで、あまりにもさらりと納得できる解答を出しすぎる。


「うちの学校も東側に正門があるから、朝一番に写真を撮らない校名プレートは影が掛かっちゃうわね。しょうがないから、校名プレートはトリミングして先生の部分だけ提出させてもらうようにしましょう」


 うちのクラスの学級委員である町野さんが結論を出してくれたので、今日の打ち合わせはお開きとなった。



「しかし、せっかく春は桜が綺麗なのに、正門が東側だから昼に明るい良い写真が撮れないのは残念だよな」


 俺達は預かっていた写真を封筒にまとめて編集委員の先生の研究室のポストに投函して返却すると、四人そろって食堂へ向かった。夕食の時間にはまだ余裕で間に合うので、歩きながら雑談を続けていた。


「正門前の桜並木は、本当にきれいだよね。写真撮影どころか、あそこで花見すればいいじゃんねぇ」


 橋田はもっともなことを言う。それは半年前に町野さんと俺が思った感想と同じだった。五十年前の殺人事件の話を知らなかった橋田と青目さんに俺達はそれを歩きながら説明した。


「すごい! そんな事件あったの? へぇ~知らなかった」


 橋田と青目さんはとても良い驚きのリアクションを見せてくれた。たぶん、俺と町野さんは半年前の柴田先輩がしていたのと同じような顔をしてニヤリと笑っていたと思う。


「結局、事件の真相は分からずじまいってのはモヤモヤするけど、謎は謎のままの方が学校の七不思議としては良いよね」


 町野さんが自分の気持ちに区切りをつけたようなまとめっぽいことを言って背伸びをする。


「そうだねー。その方が面白いかも。実際には学生が死んだりはしていないだろうけど」

 橋田がいつも通りの軽い口調で言う。


「は? 死んだりはしていないって、どういうことだよ」


 俺は橋田の言葉に食いついた。いつも通り、こいつの話は途中の説明が抜けている。


「あー、つまり、あの桜並木はうちの学校の誰かの実験の一環で作られたんじゃないかな。それで、その実験を邪魔されたくないから先生がわざとそういう噂を流しているんじゃないかなと思ったんだ。これもただの想像だから、なんの確証もないただの仮説だけどね」


 橋田は手をヒラヒラさせながら、ヘラヘラと笑っている。


「え? 実験? しかしなんで桜並木がうちの学校の実験に関係しているって思うんだ」


 俺を含めて町野さんも青目さんも、急に出てきた橋田の話に戸惑って足が止まる。相変わらず何も考えていなさそうな笑顔を崩さない橋田も、それに気が付いて足を止めて振り返る。


「だって、うちの学校できた五十年前ぐらいって、この辺りは畑と野原だけで民家もなかったんでしょ。当時、工学系の学校を建てるにあたって広い敷地が欲しかっただろうから、街はずれの誰もいないところに作るよね」

「そりゃまあ、そうだわな」

「そんな誰も住んでいないところの道路に、初めから整備された桜並木があると思う?」

「あ……」


俺たちのため息のような気の抜けた声が重なる。


「正確な記録は知らないけど、たぶん、この四百メートル道路と桜並木は、うちの学校ができた時に一緒に整備されたんじゃないかな」


 橋田は一瞬、完全に日が沈んで暗くなった空を見上げて「よしっ」と言った。


「せっかく立てた仮説だから、確認してみようか。食堂が終わるまでにはまだ1時間ぐらい余裕あるし」


 そう言うと橋田は俺達の間をすり抜けて環境都市工学科のある校舎の方へ歩き出した。


 日もすっかり暮れた十八時の校舎の廊下には電灯で照らされていた。古い謎のコンクリート片が転がる廊下の先には、環境都市工学科の教官室がある。


「橋田、なんで環境科なんだよ。桜並木の実験って木材とかなら建築科だろ? そもそもうちに植物扱うような学科は無いだろ」


 先頭をスタスタと歩く橋田に俺は後ろから言う。


「若木くん、確かに桜並木は木の上の方に目が行っちゃうけど、実験はたぶん、下の方だと思うんだ。だから土とかコンクリートとか扱う土木科の先生が事情知っているかなと思ってね」


 うちの学校の環境都市工学科は、昔は土木工学科と呼ばれていた。橋田の考えでは、その環境都市工学科の古株の教授なら知っているだろうから、その仮説を確認しに行こうということだった。それにしたって、そんな行動力あるか? 普通。



「橋田君の言う通り、あの道路の桜並木の周りのコンクリート打設はうちの土木工学科の経年劣化の実験のためにやったんだ。当時の実験記録からすると、研究をまとめていたのは中嶋教授だったね。コンクリートの骨材の量や材質、セメントの量や加水量などの条件を変えて自然環境下での暴露ばくろ試験をしていたんだよ。あのあたりは畑だらけで日光を遮る遮蔽物しゃへいぶつもない。日照時間、風雨量、温度など同一条件でできる都合の良い場所だったんだ」


 橋田がノックしたのは環境都市工学科で一番の古株、学科主任を務める原田教授の教官室だった。

 突然の学生の訪問、しかも他の学科の二年生が訪ねてくることは珍しいので原田先生も驚いていたが、橋田が桜並木の実験について聞きたいというと笑顔になって答えてくれた。


「なんで花見してはだめだったんですか」

「お酒飲むと、酔っぱらってお酒をこぼしたり、最悪、ほら、吐いたりする人もいるじゃない? 実験試料であるコンクリートの一部にだけアルコールや酸性の液体が掛かったら実験試料の同一条件が保てなくなるだろ。酒のツマミのスルメを炙るために七輪とか持ち出されて温度条件も変わったら、実験としては最悪だからね」

「じゃあ、花見をした学生が喧嘩になったっていうのも……」

「それを知った中嶋先生が駆けつけて鉄拳制裁が入ったのかもね、ハハハ」


 原田先生は着ているスーツと同じ灰色の髪をかき上げながら笑っているが、中嶋先生、空手部の顧問じゃなかったのか?


「ことの顛末は知らないから、これは実験記録に書かれている内容からの想像だけど、その花見でお酒を飲んでいたのはこの実験に関わっていた浅野君という学生だったみたいだね。実験の試料がダメになったという記録が備考欄に書いてある」


「浅野君は五年生で二十歳を超えていたのかもしれないが、浅野君が引き連れて一緒に花見をしていた部活の後輩は当然未成年だったろうね。浅野君は自分の関わる実験を台無しにするかもしれないことをして、さらに下級生を巻き込んで未成年飲酒をさせてしまったんだから、中嶋先生が怒ったのも無理はないと思う。浅野君はそのまま学校に居づらくなっちゃって、退学したのかもね」

「それが『暴力事件で失われた』の真相なのかしら……」


 町野さんが静かにつぶやく。


「いや、今のは全部、想像の話だよ。誰もそれを見たわけじゃないし、今ある情報から導き出した推論に過ぎない。君ら二年で実験の授業をしているだろ? 推論立てて、それをちゃんと実験や調査をして確認しなきゃ事実は分からんよ。ただ、実験としては浅野君の実験を後輩が引き継いで継続しているね」

「それが『A先輩の遺志を継いで』なんですね」


 青目さんも話の筋が通って理解できたのか、すっきりとした顔をしている。


「ともかく、そういう真相だとは思うんだけど、あの噂があるおかげで実験試料に影響出ちゃうような花見を防げて都合が良いから、そのままにしているんだよ。土木科の先生の中でも、そういう話で通しているから、今聞いた話は、他言無用で頼むよ」


 原田先生はそう言うと、ニヤリと笑った。


 結局、俺達は学校の七不思議の真相にたどり着けたものの、この真相を誰にも言えずに過ごさなければならなくなった。

 原田先生の教官室を後にして、食堂に向かう道すがら、俺達四人はしばらく無言だった。


「王様の耳はロバの耳……」


 突然、町野さんがつぶやいた。


「わかる、まさにそれ」 俺も同意する。


「本当のことが分かってスッキリすると思ったのに、余計モヤモヤしちゃいますね」 青目さんもため息をついた。


「じゃあ、事の真相、桜並木の土の下に埋めに行っちゃう?」


 ふざけた明るい口調で言う橋田だけは、いつも通りの笑顔だった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] なるほど、それで並木か。しかも夏枯れに弱い樹木だから、透水性とか集水性とかが重要になるし、見事ですね。 50年前といえば、工場地帯の海岸の埋め立て地も、液状現象などの実験だったそうで、それ…
[良い点] 真相がわかってよかったです。 最初は舞台が高校だと思いこんでて、OBの先輩が来ていたかと勘違いしてました。
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