9.side リタ子爵令嬢
リタ子爵令嬢:ウィルの恋人、ということになっているご令嬢です
久しぶりにウィルが遊びに来た。彼が王弟だということはもう知っていたけど兄さんと話し合って態度を変えることはしないと決めた。
兄さんいわく彼はここに息抜きに来ているという。わたしたちが堅苦しい態度をしたら息抜きにならない。
「今日はウィルの好きなメニューにするわね!」
「いや、長居はしない」
はりきってお昼の支度を始めようとするわたしにウィルは言った。
「それならお茶を」
彼は何をしに来たのだろう。今まではいなかった仰々しい護衛たちを、今日は引き連れている。
「俺の婚約が決まった。相手はヴァンナム伯爵令嬢だ」
ウィルが兄さんに話をし始めた。
「【国一番の淑女】か、さすがだね」
「俺は彼女に恥じない男になりたいと思っている」
そうか、そうよね。ウィルは王弟だもの、きちんとした身分の令嬢と結婚しなければならないのよね。
【国一番の淑女】はわたしも知っていた。もちろん見たことはないけど、とても美しい完璧なご令嬢だそうだ。
きっと夫のウィルにも完璧を求めるんだろうな。いいわ、ここは彼の家庭よ。厳しい奥さんに疲れたらいつでもここに帰ってきてね。
兄さんはウィルに王宮のパーティに招待してほしいとお願いしている。
「一回くらい妹を王宮のパーティに参加させてやりたい。相手も見つけたいしな」
相手って兄さんの結婚相手かしら。兄さんが結婚したらこの家は出なくちゃいけないけど、それより早くわたしはウィルのところに行くことになるかしら。
そこでウィルはその日初めてわたしを見て言った。
「そうだね、君も新しい婚約者を見つけないとね」
その一言でわたしの世界は音を立てて崩れていった。
気が付くとウィルはいなくて、兄さんとふたりでテーブルに座っていた。涙が溢れてとまらない。兄さんはなにも言わなかった。
王弟殿下には意中の娘がいる。わたしはその噂を信じていた、ウィルはわたしを好きなんだと思っていた。
でも、そう思っていたのはわたしだけだった。
「アンナ、俺から離れるなよ」
「うん」
兄さんの声かけに神妙に返事をした。
ウィルに振られて落ち込むわたしを気遣って兄さんは王宮のパーティに連れてきてくれた。はじめてきた王宮はすべてがキラキラしていた。装飾も照明も色とりどりのドレスも。
かなり待ってようやく王族の入場になった。ウィルに手を振ってみよう、着飾ったわたしに驚くかしら。
現れたのはウィルだけどウィルじゃなかった。白いマントを翻し、胸に勲章をたくさんつけ、腰には豪華な飾りのついた見たことのない長剣。
そしてなによりエスコートしている令嬢をとろけるような視線で見つめていた。あんなまなざしをわたしはもらったことがない。
ウィルは令嬢の手のひらにキスをした、その意味はわたしでも知ってる。ウィルは公衆の面前で令嬢に愛の告白をしたのだ。
「アンナ?」
これ以上は見てられなくて会場の外に走り去った。
一人で泣いてるとやってきたのは兄さんの元同僚の騎士だった。
「アランに頼まれたんだ」
「兄さんはなにしてるの?」
「挨拶回りだよ。やつは子爵なんだからいろいろあるんだ」
わたしの新しい婚約を取り付けようとしてるのかもしれない。でも無理だ、わたしの心はまだウィルでいっぱいで、とても他に目を向けられそうもない。
そのとき、ウィルが廊下を歩いていくのが目に入った。ドレスをたくし上げて駆け寄ると護衛の人たちに止められた。でもそれをウィルが制してくれた。
「やぁ、よく来たね」
「ウィ・・・。王弟殿下におかれましてはご機嫌麗しく」
ウィルと言いそうになって王弟殿下と言い換えた。ここは王宮で彼は王族。下手なことを言えば不敬罪でとらえられてしまう。
「リタ子爵と一緒ではないのか?」
いつもは兄さんのことをアランと呼ぶのに今日は爵位で呼んでいる。やはり殿下と呼んで正解だった。
「兄は他の方にご挨拶を」
ウィルは、そうか、と言い、楽しんでいってくれ、と立ち去ろうとした。
思わず手を伸ばして彼の腕をつかんでしまい、その場で護衛に取り押さえられてしまった。
そこに兄さんが駆けつけてくれて、事なきを得たが、ウィルに、王宮のパーティにはまだ早かったようだ、と言われてしまった。
兄さんは小さくなってうなだれている。ウィルはわたしには見向きもせず行ってしまい、わたしの恋は本当に終わった。