6話
その後も例の噂は消えなかった。それどころかどんどんエスカレートしている気がする。
ダレル様は彼女を寵愛しており、出来ることなら私との婚約を破棄しキャロルさんを正室に迎えたいとこぼしていたのを聞いた者もいるのだとか。
男爵家の娘を正室に迎えることは無理だけれど、ダレル様がどうしてもと望むならもっと爵位の高い家へ養子に入れば不可能ではないかもしれない。
最近ではそんな噂も囁かれ始めている。
そのことで私にこのままでいいのかと訴えるご令嬢たちもいたのだけれど、今こそ立ち上がるべきだと提案してくる彼女たちの話はどれもいじめに加担するような内容だったため私は全て断り続けた。
私のそんな態度が無関心に映ったのか、そのうちダレル様とキャロルさんの関係は公認らしいという噂まで広まりだしている。
私とダレル様は所詮政略結婚。キャロルさんがダレル様の寵愛を受けても私はなんとも思っていないのだと。
そんなわけないわ。けれど、私からとやかく言うことはできない。
だってダレル様のお気持ちが分からないから。あの方がキャロルさんを望むなら……私はどうすることが正解なのか分からなかった。
最近はそんな思いにもんもんとしながら、キャロルさんをどうにかしてほしいと訴えてくる女子たちから逃げるよう、昼休みは人気の少ない空き教室で過ごすようにしていたのだけど。
そこでも私の平穏は長くは続かなかった。
いつものようにサンドイッチを持ち空き教室に向かったのだが、中には既に生徒たちがいたようで。
「わたくしがキャロルさんをここまで連れてきますから、思い切り突き飛ばして泥水をかけた後、鍵を掛けてしまいましょう」
「ふふふ、いいきみね」
「なにかあるとすぐエリーザ様に相談させていただきますって牽制してくると思ったら、最近ではダレル殿下の名前まで出してやりたい放題」
「自分が殿下の寵愛を受けているって噂を知って得意になっているのよ」
彼女たちがここまで怒っているということは、キャロルさんの態度にも問題があるのかもしれない。けれど、だからといって知ってしまった以上彼女たちがしようとしていることを無視はできないわ。
「貴女たち、なにをなさっているの?」
ご令嬢たちは、ギクリと肩を竦めバツの悪そうな表情になる。
「な、なんでもありませんわ」
「そうです。ただ空き教室でおしゃべりしていただけで」
「あら、おかしいわね。キャロルさんを閉じ込めてしまいましょうという会話が廊下まで聞こえてきていたのだけれど」
「そ、それは……」
「貴女たち寄って集って恥ずかしくないの?」
「お言葉ですがエリーザ様、貴女こそ婚約者の周りをうろちょろされて不愉快ではないのですか?」
「そうよ。エリーザ様、わたくしたちと一緒に彼女をこらしめましょう!」
「……彼女は私の友人です。彼女になにかしたら許しませんよ」
そんな私を彼女たちは「お人好しですね」と嘲笑った。
私だって色々思うところはあるけれど、周りの雰囲気に踊らされて悪事の片棒を担ぐなんて王太子妃として相応しくない行いは……いいえ、ダレル様に恥じるような行いは絶対選びたくない。
「さすが、エリーザ様。美貌も地位も名誉も自慢できる婚約者までお持ちの女性は余裕がおありなのね。うらやましいわー」
余裕なんてないわ。けれどこんなことでいちいち動じてはいけない。これも王妃教育で学んだことだ。
「なにをしている」
「で、殿下!?」
突然現れたダレル様の姿を見た途端、勢いづいていた令嬢たちが萎れてゆく。
「なにもしておりませんわ。いきましょう、皆さん」
ダレル様へ丁寧にお辞儀をすると、彼女たちはそそくさとその場を立ち去って行った。
「友人思いなのはいいが、危険な真似はするな。こんな人気のない所を一人で歩くなど、学園内とはいえ王太子妃となる自覚が足りない」
元はと言えば貴方とキャロルさんの噂のせいじゃないですかとか、今までの不満を言ってしまいそうになりぐっと言葉を呑み込む。
(ダレル様はご自身の噂の事をどこまでご存知なの?)
黙ったままの私をどう思われたのか、ダレル様は真っ直ぐに私の目を見ると。
「困ったことがあるなら俺に相談してくれと、いつも伝えているだろう」
そう言って壊れ物へ触れるように遠慮がちに私を抱きしめた。
(なぜ……?)
「ダ、ダレル様。こんなところではしたないです」
「少しの間だ。許せ」
こんな風に抱き締められたのは婚約してから今までなくて、私とダレル様の間にはいつも適度な距離感があったから、初めてのことに私は動揺していた。
「最近、お前の元気がない。俺では助けにならないのか?」
ダレル様は私がお二人の噂話に心が折れてしまっているなどとは、少しもお考えにならないのかしら……
「……それとも、やはりオスカーでなくてはダメか?」
「え?」
ここでなんでオスカーの名前が出てきたのか分からない。
「そういう事、なのか……?」
そういう事ってどういう事? よく分からないけれど、ダレル様の声音は深刻そうだった。
ダレル様なりに私を心配してくださっているのかもしれない。言葉足らずで誤解されやすいけれど、そういう方なのだ。
そう思ったら私はずっと胸に遣えていた気持ちを自然とこぼしていた。
「最近の……キャロルさんとの噂が気掛かりで、私……もう、あんな噂耳にしたくありません」
「……そうか、分かった」
ダレル様はそれだけ言うとさらにぎゅっと私を抱きしめる。
分かってくださったの? それはもうキャロルさんと二人きりで会ったりしないでくれるということ?
ダレル様。私のこと、少なからず想ってくださっていると信じても良いの?
けれど、そんな私の淡い期待は、あっけなく蹴散らされてしまった。
それはその日の放課後の事。
いつものようにダレル様を探していたキャロルさんは、中庭を歩いているところを女子生徒たちに見つかりなにやら揉めているようだった。
ヒートアップしてしまったのか、女子生徒の一人がキャロルさんを突き飛ばそうとしているのを遠目で見てしまった私は、放っておけなくて助けに向かおうとしたのだけれど、それより先にダレル様が現れたのだ。
「やめろ、お前たち」
「あ、その……」
意地悪な顔をしていた女子生徒たちが頬をひきつらせ怯えている。
そこでダレル様は言い放った。
「今後、この者に手を上げることは許さない」
ダレル様の発言に野次馬たちがざわめきはじめる。
やはりキャロル嬢はダレル様の寵愛を受けているのだと。噂は本当だったのだと。
「お前たちもよく聞け。今後、この者に対して悪意のある噂を流す者も容赦しない」
高らかにそう宣言するダレル様と、そんな彼の背に隠れ瞳をうるうるさせながら守られているキャロルさんはお似合いに見えた。
私はそんな二人を遠目から他人事のようにぼんやりと眺めることしかできなかった。
ばつの悪そうな顔のご令嬢たちが退散すると、キャロルさんが公衆の面前でダレル様の腕にすがり付く。
「怖かった……」と、声を震わせながら。
もうこれ以上は見たくありませんわ……
だから私は逃げるようにその場を走り去った。
「お前も今後周りを挑発するような態度は慎め。あまり心配を掛けないでやってくれ」
「心配かけてごめんなさい、ダレル様」
「俺ではなくエリーザが」
「本当に怖かったですぅ。とっても」
「人の話を聞け」
「ダレル様、実は……わたし、ずっと今みたいな嫌がらせを受けてきて……彼女たちを焚き付けている犯人はエリーザお姉様なんです……」
「なんだと?」
「ずっと黙っていてごめんなさい。うぅ……でも、もうわたし辛くて堪えられないです」
二人がそんな会話を交わしていることも知らないまま……
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