ダレルside2
「オスカー様って本当に魅力的よね」
「お父様に頼んで縁談を申し込んでもらおうかしら」
「まあ、抜け駆けなんてずるいわ」
「だってあんなに素敵な方なのに、まだ婚約者がいないのよ。わたくしにもチャンスが」
「それだけど、もう何人ものご令嬢が縁談を持ち込んでいるけれど、全員お断りされてしまうらしいわよ」
「えぇー、やっぱりプレイボーイは特定の女性を作らないのかしら」
「それか……実は、もう本命の女性がいらっしゃるんじゃないかしら」
次の日の朝、たまたま通りかかった廊下の端でご令嬢たちが噂話に花を咲かせていた。
女性たちがオスカーの話をしているのはよくあることだ。
あいつは幼い頃から来る者拒まず去る者追わず、とっかえひっかえ……そろそろ腰を落ち着かせたらどうだと言っても聞く耳を持たないから放っておいていた。しかし。
『もう本命の女性がいらっしゃるんじゃないかしら』
今まで思ってもみなかったが、それが本当でもしその相手がエリーザだったなら?
そんな思考が頭を過り、鉛が胸に詰まったように重たく息苦しい感覚に襲われた。
オスカーのあの女遊びは本命がいることを隠すため?
昨日、オスカーの背に額を寄せて泣いていたエリーザの姿が蘇る。
あんな風に、二人は人目を忍んで逢瀬を重ねてきたのか?
憶測で思い悩むのは馬鹿げていると思いながらも、考えずにはいられない。
(だとしたら、俺はどうすれば……)
「きゃっ」
「すまない……エリーザ!」
考え事をしながら歩いていたせいでぶつかってしまった女子生徒を支えると、それはタイミングが良いのか悪いのかエリーザだった。
「私の方こそすみません。少しぼうっとしてしまっていたもので」
そう言って慌てて腕の中から離れてしまうエリーザを咄嗟に引き止めそうになる欲望を抑えながら、彼女の顔を覗き込む。
「ダ、ダレル様?」
僅かに戸惑いの表情を浮かべる彼女の瞳が自信なさげに揺らめいていた。
いつだって凛としている彼女が、萎れた花のような雰囲気を纏っている。
(元気がない原因は一体なんなんだ? 昨日の涙の理由は?)
あの時、オスカーの前で泣いていた理由を尋ねようかとも思ったが、もし彼女にとって誰にも見られたくない姿だったらと思うと聞けない。だが気になる。
気の利いた言葉は浮かばないのにそんな迷いの思考だけが頭の中をグルグルして。
「……なにか悩みがあるのか?」
結局俺の口をついて出たのは当たり障りのない台詞だった。
「え?」
「浮かない顔をしている」
「…………」
そう聞くとエリーザはなにか言いたげに口を開きかけたが、すぐに言葉を飲み込み俯いてしまう。
「……なんでもありませんわ」
パッと気持ちを切り替えたように彼女は微笑んだ。
まるで心に壁を作られたような気がして胸がざわざわとした。
「本当か?」
「っ」
問い詰めるつもりなどなかったが、俺の声音に反応して彼女は僅かに表情を強張らせる。
「本当に、なんでもないですわ……他の女性と一緒にいるのを見ただけで、もやもやしてしまう私の心が狭いだけで……っ」
再び俯いてしまったエリーザは小さく独り言のように呟くと、居たたまれなくなったように「失礼します」と一言告げ去ってしまった。
「よく聞き取れなかったが」
他の女性と一緒にいるのを見ただけでもやもやすると言っていた?
つまりエリーザが浮かない顔をしている原因は……
(オスカーの女癖に悩んでいるのか?)
認めたくなかったがそう思えば辻褄が合う。彼女が想いを寄せているのはオスカーで、オスカーの方もおそらく……
俺はどうすることも出来ぬままエリーザが去っていった方をぼんやりと見て立ち尽くしていた。
それから数日が過ぎたが、エリーザの表情は浮かないままだった。それどころか日に日に元気がなくなってゆくような気がする。
たまに声を掛けてはみるのだが、すぐにキャロル嬢が割って入ってくるので落ち着いて話せないのと、俺の顔を見ると彼女は無理して笑うから、俺はそんな彼女を陰ながら見守る事しかできず歯痒かった。
「……今日もいないのか」
天気の良い日は友人と中庭で昼食を取っているエリーザを見かける事が多かったのだが、最近はその姿を見かけない。
彼女の友人たちは変わらず中庭のテラスで昼食を取っているのだが、エリーザだけがその輪の中にいないのだ。
友人たちと仲違いでもしたのかと心配になり、あまり口出しをしてはいけないと思いながらもランチをしている彼女の友人たちへ声を掛けた。
「食事中にすまない」
「で、殿下!?」
エリーザのいない時に俺が声を掛けてくるとは思っていなかったのだろう。ご令嬢たちが慌てふためいている。それを少し申し訳なく思いながらも「エリーザを見かけないが、どこにいるか知っているだろうか?」とさりげなく聞いてみた。
「エリーザさんは最近お昼休みは約束があるからと言って、わたくしたちとは別に昼食をとっていますわ」
「お相手が誰なのかはおっしゃっていませんでしたが」
「わたくしたちはてっきり、殿下とご一緒かと……」
エリーザの友人たちが遠慮がちにそう告げる。もちろん俺はエリーザと約束をしている相手ではない。
「…………」
黙り込んでしまった俺を彼女たちが心配そうに見ていることに気付き、俺は動揺を表情に出さぬよう笑みを浮かべた。
「そうか、ありがとう」
「い、いえ……(殿下が微笑んでくださるなんて……なんて貴重な)」
「(素敵……)」
まさか……まさか……オスカーと人目を忍んで昼食を取っているんじゃないかと嫌な考えが浮かんできたが、俺は心を無にしてその場を立ち去ったのだった。
しかし、どうしても気になりつい食堂や裏庭、屋上など探してしまったが、エリーザもオスカーもどこにもいない。
(一体どこに……)
人気のない場所で二人きりで会っているのではないか。そんな二人の姿が勝手に頭に浮かんできて気分が悪くなる。
だが、二人を探してなんになるんだ。一緒にいる姿を見つけた所で……今の俺には見て見ぬふりしかできないだろう……
たとえこの手にある権力を使い物理的に二人を引き裂く事ができたとしても、人の想いまでは支配できない。俺がどう足掻いたところで、エリーザの心は……
ギリギリと胸の奥を握りつぶされるような感覚に息が詰まる。それは幼い頃母を失い一人膝を抱え泣いていたあの時の感情に似ていた。
エリーザが幸せになれる相手なら、俺は身を引くべきなのだろうか。彼女が本当にオスカーの事を望んでいるのなら……そんな綺麗事を一瞬だけ思ったが。
(誰にも、渡したくない……)
それが紛れもない自分の本心だった。
その時――
「あら、おかしいわね。キャロルさんを閉じ込めてしまいましょうという会話が廊下まで――」
(エリーザ?)
しんとした人気のない廊下の先から微かにエリーザの声が聞こえた気がして、人の気配のする方へと近づくと。
「……彼女は私の友人です。彼女になにかしたら許しませんよ」
(この先の空き教室からか?)
「さすが、エリーザ様。美貌も地位も名誉も自慢できる婚約者までお持ちの女性は余裕がおありなのね。うらやましいわー」
半開きになっていたドアの隙間から中を覗き見ると、そこには嫌味な口調と嘲笑うような表情でエリーザを取り囲む数人の令嬢と、それでも物怖じせず彼女たちに向き合うエリーザの姿があった。
「なにをしている」
「で、殿下!?」
俺の姿を見た途端、威勢のよかった令嬢たちの顔色が悪くなる。
「なにもしておりませんわ。いきましょう、皆さん」
もしエリーザが怪我の一つでも負っていたならただでは済まさなかったが、彼女が無事のようなので足早に逃げてゆく令嬢たちを引き止めることはしなかった。
エリーザは彼女たちが出て行ったのを見て、ほっと小さく肩を撫でおろす。
先程までの会話の全容は分からないが、聞こえてきた名前と雰囲気からなんとなく察しはついた。
おそらくエリーザはキャロル嬢をまた庇っていたのだろう。
昔から彼女にはそういう一面がある。長女気質というか面倒見が良すぎるというか……他人でも放っておけない性格なのだろう。
その昔やさぐれて泣いてばかりいた俺に手を差し伸べてくれたあの頃から、彼女は変わっていない。そこがどうしようもなく愛おしいのと同時に、危なっかしくて見ていられなくなる。
「困ったことがあるなら俺に相談してくれと、いつも伝えているだろう」
いつだって俺はお前を守りたいと思っているのに。
どうしてお前は俺ではなくオスカーを頼るんだ。
そう思うとたまらなくなりエリーザを抱きしめていた。
「ダ、ダレル様。こんなところではしたないです」
「少しの間だ。許せ」
突き飛ばされるかと思ったが、エリーザは腕の中で大人しくなった。
「最近お前の元気がない。俺では助けにならないのか?」
「…………」
なにを思っているのか、エリーザはなにも答えてはくれない。
「……それとも、やはりオスカーでなくてはダメなのか?」
「え?」
最近お前に元気がないのは、オスカーへの想いに悩んでいるからなのか?
「そういう事、なのか……?」
沈黙が続く。聞いてしまってから後悔した。
ここでオスカーへの想いを聞かされてしまったら、どうしたらいいのだと。
「最近の……」
しかし、エリーザの口から出た言葉は俺の予想とは違うものだった。
「キャロルさんとの噂が気掛かりで、私……もう、あんな噂耳にしたくありません」
なんだ……エリーザが悩んでいたのは、友人関係のことだったのか。
そう言えばキャロル嬢の育ちを悪く噂する者たちがいると聞いたことがあった。嫌がらせも受けているとも。エリーザはそのことで毎日心を痛めていたのか。
「……そうか、分かった」
必ず俺が解決しよう。だから一人で立ち向かおうとしないでほしい。
エリーザに手を出す者は容赦しないが、俺の目が届かない所で今みたいに無茶をしてなにかあったらと思うと気が気じゃない。
(このまま、どこにもいかないで。この腕の中にいてほしい。ずっと)
俺は自分の勝手な考えに呆れながらもそう願い、腕の中にいるエリーザをさらにぎゅっと強く抱きしめたのだった。