夢(後編)
ガラガラといっても全くの無人ではなく、俺以外に一人だけ乗客が座っていた。
俺から見れば斜め前、通路を隔てた反対側だ。
髪の長い女性で、黄色のコートを着ている。後ろ姿には美人の雰囲気が漂っていた。
そんな俺の視線を感じたらしく、ゆっくりと彼女が振り返る。
正面から見た彼女は、後ろ姿からの印象以上で、俺の好みにストライクど真ん中。思わず喉がゴクリと鳴るほど、美しい女性だった。
俺と目が合うと、彼女は口の端をニッと釣り上げる。子供みたいに無邪気に大口を開けながら、軽やかな声で話しかけてきた。
「宇喜多くん、久しぶり」
確かに、俺の名前は宇喜多だ。
しかし、なぜ彼女はそれを知っていたのか。俺の知り合いには、これほどの美人はいないはず……。
そう思った瞬間、頭の中で一つの名前が浮かんでくる。
「あっ! もしかして、ミヨちゃん?」
「あら、嬉しい。ちゃんと覚えててくれたのね」
しばらく会っていなくても認識できるのは、夢だからなのだろう。
子供の頃、それこそ二十年以上も昔、小学校時代のクラスメートだ。当時の俺が淡い恋心を抱いていた相手であり、かなり親しく遊んでいた記憶もあるのだが……。
ある日突然、彼女は学校に来なくなってしまう。
担任の先生からは「ミヨちゃんは転校しました」と聞かされたが、その時の先生は妙に悲しそうだった。ハンカチでそっと目尻を拭ったほどなので、
「先生、泣いてたね」
「大人なのに、泣くんだね」
と、しばらくクラスで話題になったのを覚えている。
その後、中学生になってから、ミヨちゃんに関する噂話が流れ始めた。
実は転校ではなく死んでいたとか、子供にはショックだろうという理由で真相は伏せられていたとか。しょせん噂とはいえ、中には「近くの川で転落して、溺れて死んだらしい」という具体的な話もあり、ならば信憑性は高いように感じられた。
ちょうど頻繁に遊んでいた近所の小川が一つ、彼女がいなくなった時期から立ち入り禁止とされていたので、話の辻褄も合うと思ったのだ。
「ミヨちゃん、今までどこで何を……」
尋ねようとした俺を、彼女は怖い言葉で遮った。
「宇喜多くん、あなたも死ぬのね」
「えっ? それって一体……」
驚いて聞き返そうとするタイミングで、まるで俺たちの会話を邪魔するかのように、勢いよく客車のドアが開く。
駆け込んできたのは車掌だった。ホームにいた駅員同様、不気味な黄色い顔をしている。
「お客さん、困りますよ! あなたの席は、ここじゃないでしょう!」
車掌はミヨちゃんの腕を掴んで、強引に連れ去ろうとする。彼女の居るべき場所は、指定席車両の方だったらしい。
少し抵抗する素振りも見せながら、結局ミヨちゃんは車掌に従った。
ただし最後にドアの前で、一瞬だけ名残惜しそうに振り向いて、俺に告げる。
「大丈夫。もうすぐ、あなたも私と一緒になれるわ」
ミヨちゃんがいなくなって、車内は本当に俺一人となる。
今さらのように窓から外を眺めれば、赤々とした景色が広がっていた。鮮やかな赤ではなく、ドス黒さを含むような深い赤だ。
何だろうと少し不思議に思っていると、車内アナウンスが聞こえてきた。
「次の停車駅は『彫像の島』、『彫像の島』。停車時間は一時間です」
言葉だけ聞けば楽しそうな響きの『彫像の島』だが、窓の外には依然として、気が滅入るような赤い世界が続いていた。
少し身を乗り出すようにしながら前方に視線を向けると、鈍く輝く水面が見えてきた。血の池地獄みたいな、周囲の赤よりもさらに真っ赤な湖だ。
その奥には、黒っぽい彫像のようなオブジェがいくつも設置されている。どれも等身大で、形も人型だったが、不気味なことにクネクネと動いていた。
あれは生きたまま彫像にされたのだ。直感的に、俺はそう悟ってしまった。
生きた彫像に衝撃を受けている間に、列車のスピードはかなり緩やかになっていた。
問題の『彫像の島』駅に近づいてきたらしい。
「ああ、俺もオブジェの一つにされてしまう」
恐ろしい未来を口にすると、現実味が増してますます怖くなり、ブルブルと体も震え始めた。列車の揺れとは明らかに違う種類のものであり、その震えは次第に大きくなる。
でも、これは夢の中なのだから……。
「早く目が覚めろ! 目が覚めろ、目が覚めろ……!」
必死に念じ続けた結果、完全に列車が停まるより一瞬早く、かろうじて目覚めることが出来た。
「何だったんだ、今の夢は……」
現実に戻った俺は、自分自身を落ち着かせようと思って、独り言を口にする。
しかし、あまり効果は感じられなかった。汗びっしょりなだけでなく、夢から覚めてもまだ俺の体は震えていたのだ。