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いさぎな・もん(者)  作者: 古武 清信
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新しい店の店長に抜擢された裕二だが、この店はホテルの中にあるとは言え、 中心街から遠く離れている為、集客に苦労する中、裕二の就労許可が出る。

第四章(新店舗)

新しい店である。

富士レストランと言う。

このレストランはロンドンの郊外にあるホテルの中にある。

ホテル側も、新設に当たり、何のレストランがいいか相当考えたらしいが、

今、勢いのある日本レストランがいいのではないか・・・と

結論を出したとの事。

勢い、確かに今日本は相当勢いずいているのかもしれない。

裕二も、ロンドンの町中で、小旗を持った日本人風のツアーコンダクターに導かれ、

通りをゾロゾロと歩いている東洋人のグループを見かけた事がある。

裕二は始め、この様子から、中国人のグループと思ったが、

後で店に帰り、話を聞いてみると、日本人だと言う。

農協のツアーだと教えてくれた。

全く統制されていない各々が、大声で笑い、話し、おみやげに買った大小の荷物を

手に持ち、或いは引きずり、背の低い、真っ黒に日焼けした集団の中に何と、

ミンクのコートなんぞを着ている人までもいる。

その、てんでバラバラの集団が奇妙で、裕二はしばらく見とれていた。

ダブダブでミンクのコートが、

独りでに歩いている様な姿は、なんともこっけいで、

(何だあれは・・・今上映中の猿の惑星じゃないか)

と、裕二はその奇妙な東洋の集団を見つめた。

田舎育ちの裕二は、日本の農村の状況は良く理解している。

何でも有り(立ション、タン、つば、わい談など)の

田舎の農村の生活から、国内ならまだしも、外国となると、ガイドが

付き添っているとは言え、この手の集団を引率するのは、相当の珍道中が発生する

のも避けられないであろう事は容易に想像出来る。

しかも

旅の恥はかき捨て・・・等と、当時多くの日本人が口にし、気にする様子もない。

近年になり、日本では中国人のマナーの話がトヤカク言われがちだが、

日本人も数十年前は相当世界中を驚かせていた事は間違いない。

(しかし、日本の農協も相当ヤル)

裕二は姿、形がどうであれ、あの貧乏な日本が、しかもその底辺に近い

農村から、海外ツアーに行くようになった事が、何とも驚きだった。


話がそれたが、

今度新しく働くようになった“富士レストラン”は、裕二がいままでいた

“ニッポン”レストランと客席数は、変わりがない。

しかし、その贅沢な創りが裕二には新鮮に映った。

客席は障子で仕切られており、日本風をかもしだしている。

又照明は各テーブルにちょうちんをデザインした物が、天井からつるしてあり、

客席もゆっくたりとしたスペースを確保し、そうとう力の入った内装である。


ここに、寄せ集めのスタッフが来た。

キッチンスタッフが六名、ホールスタッフが、裕二を入れて八名。

総勢十四名でここのレストランを運営する。

十数名とスタッフの数が多いように思えるかも知れないが、外国という特殊な

事情の為、どうしてもスタッフの数が多くなってくる。

それはこうである。

日本人が良く食べる野菜、ほうれん草と言う野菜がイギリスにもある。

しかし、イギリス人は葉だけ食べて、茎や赤い根の所は食べない。

この為、ほうれん草は丸刈りに切り取られた葉が、ビニールの袋に

無造作に押し込まれ、枕状態で、売られている。

まるで雑草を刈り取った草を入れたビニールの枕と思えば間違いない。

当然、他の雑草(ほうれん草以外)も混入しており、最初の仕事は、

雑草の取り除きをしなければならない。

その後、葉の一枚一枚を揃えると言う作業が必要となる。

では当のイギリス人の、ほうれん草の食べ方だが、

シンプルである。

煮立ったお湯にほうれん草を、ぶっ込んで、グチャーと色が変色するまで煮詰める。

煮えたら水を切って、今度はバターと塩で味付けをする。

日本料理は、野菜の、ほうれん草一つとっても、これだけの手間がかかる訳で、

これが配達された全ての肉、野菜、魚となった場合、これらを日本食に調理する為には、

途方もない労力と時間をこの仕込みにかけなければならない。

当然人手がかかる事となり、キッチンスタッフの数が多くなるのは避けられない

事情となる。


しかし、不安な事ばかりではない。

ヤマさんと言うこの道のベテランの女性が、チーフとして参加する事であり、

主にホールで働くスタッフのサポートその他、裕二を補佐する任に当たる。


彼女は年齢こそ五十代と言う事だが、日本でもずっとサービス業の仕事に

従事しており、裕二に取っては、孤立無援な時に援軍でも現れたようで、

随分頼もしく思えた。

このレストランだが、街の中心部から離れている事もあって、来客が少なく、

この問題が以後ずっと後を引く事となって行く。


今まで働いていた“ニッポン”レストランでは、裕二はある日突然

店長に据え置かれたとは言うものの、もうすでに体制、システムが出来上がっており、

いわば、途中乗車した電車みたいな物で、裕二が居ようと居まいと、

システムは機能しており、裕二はそのシステムの中から、彼自身が

やらねばならない事を学んで行く事が出来た。

しかし今度は全て裕二が率先して全ての事項を取り決めていかなければならず、

スタッフも、箸の上げ下ろしまで聞いて来る。

裕二は、接客や、サービスその他、直接顧客に関わる問題は、チーフと相談して

取り決めるように指示する一方、自身は、もっと大きな問題、たとえば、有事の避難

その方法、ゴミの提出、仕入れ、在庫、納品、電源、照明、その他レストランの

全ての機能及びその対処方をマスターしておかねばならない。

メニューについては、調理長、裕二、チーフと三人で議論したが、

なるべく、調理長の言葉を優先した。

唯一、裕二が求めた事は、毎日、必ず十品程度の

“本日のお勧め品”をキッチンより提示すると言う事である。


いくらイギリスで日本レストランがブームと言っても、開店したら

自動的に客がわんさと押し寄せて来る訳ではない。

街には日本レストランの他、中国、フレンチ、イタリアン、韓国

又地元のローカルレストラン等が、裕二達と同じように集客に最大限の努力を

払っている。

まして、中心街から離れていると言う、このマイナスの要因を克服して

お客様に来てもらうには、マネジメントと言うより、料理しかなく、

まさに調理長の腕前、にかかっていると言っても過言ではないと

裕二は考えている。


ここの調理長にその自覚があるのか・・・裕二は疑問視していた。

その料理長だが、未だ若い。

年は三十三歳で独身、名を(吉田)と言った。

十数年の料理の経験があり、日本料理は、何でも・・・と言う触れ込み

だった。


裕二はこの新しい店に地下鉄で通勤している。

ロンドンの地下鉄は、世界で最初一八六五年に開通しており、日本では

明治維新が一八六八年だから、その三年前、つまり未だ江戸時代にこの地下鉄が、

動いていた事になる。

これだけからもイギリス人の鼻の高さ、産業革命以降の、文化の質、

プライドは計り知れない物がある。


一方、レストランだが、ここのホテルに泊まっている日本人の客は、

日本レストランがホテル内にある事が分かると、喜んで来店してくれる。

しかしわずかな客数であり、裕二の苦戦は続いている。

(何か思い切ったイベントでもしなきゃ・・・)

スタッフにも色々、アイデアを求めたりしてみたが、金も暇もかけず・・・となると、

やれる事は限られていた。


そんな時、ヘレンが一人訪ねて来た。

新しい店に移ってからは、裕二の休みも少なくなり、その上、

距離も離れた事も在り、

以前ほど頻繁にヘレンと会う事もなくなっていた。


店が暇な時に彼女的な存在が、裕二を訪ねてくると言うのは、

何となく裕二は後ろめたい気がした。

日本人の場合、用事があっても、女性が男性の職場まで訪問することはほとんど無いし、

まして彼女が堂々と彼氏に会いに来て飯まで食って帰るなんて、

日本人社会ではほとんど見聞する事はない。

しかし、ここイギリスでは様子が違う。

さすが、中国人みたいに子供を職場に連れて来るような事はないが、

彼氏や、彼女に会いに職場に来ることは珍しくない。


そんな裕二の気持をヘレンが分かるはずもなく、裕二も国民性の違いと

諦め、「来るな」など言った事はない。

裕二は何事もなかったかの様に、ヘレンを店内の隅のテーブルに案内し、

ヘレンの好きな食事を振る舞いながら、先日のハプニングをこっそり詫びた。

ヘレンはいたずらっぽく、はにかみながら笑って、

「バッド、ラック(運が悪かった)だったね」

と言った。


そう、二人には予期せぬあるハプニングが生じたのだ。

それは、裕二がこの店に移る以前、一か月程前の事だ。

食事の後、ヘレンが、「貴方の部屋に行ってもいいか」と聞いて来た。

積極的なこのヘレンのアプローチに鼻の下を最大限伸ばした裕二は、

上ずった声で、

「も・・・・、もちろん」

と言った。

とっさにそう答えたが、そのあと裕二は、はたと困った。

店長に採用されて、近く優子も来英するかもしれない事から、新しい

住居に移る予定ではいたが、未だイギリスに来た時以来のボロアパートに

裕二は住んだままでいた。

アパートがボロなのは、どうでもいいと裕二は思ったが、

問題は裕二が入居時、女性禁止を大家から言い渡されていた事である。

イギリスで、女性禁止等と、言う大家もいるのか・・・と裕二は違和感を感じたが、

料金の安さが魅力だったのと、生活にギリギリの裕二に女性問題で、この部屋が

不便に感じるような事態が起きるとは考えられず、OKした。


(その部屋が駄目なら・・・)と、

いくら裕二が考えても妙案は浮かんで来なかった。

(いっその事、公園かどこかで・・・)

(まさか犬や猫じゃあるまいし・・・)と思い、咄嗟に否定したが、

裕二は大いに弱った。

このチャンスを無にしたくはない。

(かと言って・・・)

裕二は腹をくくった。

(エェイ!見つからなければ良いわけで、かまうものか・・・)と。

そうだ。裕二はヘレンを自分の部屋へ連れて行く事を決心したのだった。


裕二は、自分の部屋へ、ヘレンと共に向かった。

大家の留守をねがいつつ、玄関のドアーを、そーっと開けた。

静かである。

ヘレンを促して二階へ行こうとしたとき、奥の部屋のドアーの開く音がして、

大家が顔を出した。

大家は裕二をにらみつけていた。

(しまった)

しかしもう遅い。万事休すである。

こういう場合の対応の仕方を、裕二は勿論分からない。

(何と言ったらいいのか、どう対応したらいいのか・・・)

外人だったら、彼女が部屋を見たいと言うから・・とか・・・。

それくらいの咄嗟の言訳くらいすぐできそうだが・・・・。


裕二は頭が真っ白になると同時に、連れて来たヘレンを気使った。

気まずい沈黙の時間が流れた。

「何者だYOUは?」

大家が口を開いた。

裕二はこの辺の英国人同士のニアンスが分からない。

大家が裕二に、女性は駄目だと言っただろう・・と言うだろう事は、

想像出来、覚悟していた。

しかし大家が発した言葉は裕二にではなく、直接ヘレンに、である。

問われたヘレンは

「私はスコットランド人ヨ」

と答えた。

このチンプンカンプンなヘレンのボケに裕二は感心した。

一方、大家はヘレンの言葉に今度は、ヘレンをにらみつけていた。

この空気を打開すべく、裕二はヘレンに、

「私一人で、忘れ物?を取って来るので、君はチョット外で待ってて

くれないか?」

この一件を裕二はヘレンに詫びたのである。


このようなハプニングは日本でも一度あった。

それは優子との時だし、この時は犬が邪魔し、今度は大家が邪魔してきた。

これはたまたま重なったタイミングの問題なのか、それとも裕二がドジ

なのか・・・裕二は大いにくさった。


優子から手紙が来ている。

二人の接点は手紙しかなく、この時期 裕二は良く手紙を書いた。

と言ってもイギリスからだと配達に一週間はかかり、直ぐ返事を書いても

それが返ってくるのは二週間後となり、

月に二度程の手紙のやり取りしか出来ない。


その手紙には、面白い事が書かれていた。

親戚に裕二の叔父さんに当たる幸三さんと言う人がいる。

この叔父さんは子供が四人いるが、全て女の子である。

優子も年が近かった事もあり、又通勤のバスも一緒で、

この幸三さんの娘と直ぐ仲良しになったそうである。

その叔父さんが、裕二の両親に話があると、訪ねて来たそうな・・・。

幸三さんは両親を前に、

「お前達は優子を何だと思っているんだ」

と問いかけたとの事。

要するに、優子の存在は、両親に取って初めての娘で、その上素直で、

皆が美人と言ってチヤホヤしてくれるのが まんざらでもないらしく、

また、両親の独自の判断で、寂しい思いでもしているんじゃないかと優子を案じ、

今度の休みは何処、次の連休には何処と引っ張りまわし、優子自身、一日として

休める日はないじゃないか・・・と話したらしい。


狭い田舎の事、新妻を実家に残して外国に行ってしまう様な息子の

裕二だけの話でも話題性が尽きないのに、その嫁に両親がどう接しているか・・

と言うような話も又面白く、この田舎の村を、相当にぎわしているらしい。

優子が新しく友達となった幸三さんの娘が、

「全く、娘を持った事がないから・・・」と裕二の両親が優子に対する対応を

父の幸三さんに打ち明けたらしい。

のみならず、

「機会があったら話してよ」


(注意してやる)と言う意味だと思うが、

普通の家庭では、他人の家庭がどうであれ、わざわざ

出向いて注意などと言う事は、普通、ない。

どうして又、わざわざ・・・と裕二も思ったが、

詳細は分からない。

ただ一つ言えることは、優子は裕二の両親のみならず、親類の人達にも

好意的に見守られていると言う事である。

裕二はニヤニヤしながらその手紙を読み進めていたが、何とはなしに

大いなる安心感を覚えた。

両親が優子に接する方法や、やり方は何となくヤボったいが、両親なりの精一杯の

愛情表現であり、優子自身も、

私は嫌だなんて思ってもいませんと書いてあった。


裕二は珍しく顔見知りとなった客と店内で、話し込んでいた。

その初老の客は単身赴任で、ホテル住まいである。

毎夜一人で裕二の働くレストランに現れた。

一九七0年代は日本の高度成長期の時期で、商社はもとより、

銀行などの金融機関、証券会社、メーカーからサービス業界までいろんな会社が

支社、支店を海外に立ち上げていた。

多くは米国だが、ヨーロッパでは英語が通じる事から、

イギリスを選択する企業が多く、短期滞在の時はホテルを利用しているのである。

この時期、裕二はこの商社を始め他社の駐在員とも親しくなることが出来、

大いに見聞を広める事が出来た。

経済の流通のしくみ、為替、輸出入のありかた、国際情勢、物の考え方・・・

色んな違った先生が毎夜裕二の元に現れ講義をしてくれる。

その講師も会社から選び抜かれた超エリート級の人達である。

裕二は給料をもらって、講師を得ているようで、

店が暇なのが反対に裕二に幸いし、裕二の物の考え方、及び生き方に

大きな影響を与えられた事は言うまでもない。


その客が裕二に語るには、家に帰っても寝るだけ・・・食事も作らないし・・・

広さも、体が横になる広ささえあれば・・・等の理由から、辺ぴな、安い所で

生活していると、人生さえもそれに準じてくるようになって来る。

多少無理しても、それ相応の所に住めば、何とかなって来るもんだ

と語った。

(そうだろうか・・・)

裕二が記憶しているのは、エンゲル係数とかで支出は収入の三分の一以内に抑える

ような事を確か家庭科か何かで教えてもらったような気がする。

(何とかなるか・・・)

裕二はこんな話、いままで聞いた事はなかったが、

(一理ある)

と、裕二は考えた。

そして選んだ新居は3LDKの豪華マンションで、ロンドンの一等地にある

家賃が二十万円以上もするような物件である。

色んな会社で選び抜かれた人達の話を聞く、或いは教えてもらう・・

そんな時期がなかったら裕二は田舎での考えのままの裕二だったかも知れない。

裕二は自分を信じて、自分自身に、大きく張ってみた。


イギリス人男性の来客が、一人あった。

ウエイトレス達が、「いらっしゃいませ」と声をかける。

英語では、

「行ってらっしゃい」

「ただいま」

「いただきます」

等と言う言葉が無い。

「いらっしゃいませ」に当たる英語は

「グッド、イブニング(こんばんは)」に当たる事から、ウエイトレスは

そう挨拶するわけだが、

ウエイトレスの一人が、

「何名様ですか」とその客に声をかけた。

その外人は怪訝な顔をしてそのウエイトレスを見ていたが、


「君は目が悪いのか?それとも背後霊でも見れるのか?」

(君の目に写っている通り、一人の他に何が見れるんだ?)

と言うことらしい。

裕二は噴き出した。

そして思った。

(さすが、英国人はユーモアのセンスが違う)

(方針転換)

その、裕二のレストランだが、相変わらず客足が少ない。

食事は皆おいしいと言ってくれるが、前のニッポンレストランでは、昼間だけで

三回転していたが、ここでは、昼はおろか、夜でも客席の半分程度しか

席が埋まらない。

調理長、チーフのヤマさんと、裕二は何度も対策を考えたが、これと言った

妙案があるはずもなく、裕二は数人のウエイトレスを伴ってチラシを配ったりした。


何か別の宣伝か、

思い切ったデモンストレーションでも考えない限り、裕二達のささいな努力

だけでは限度があると裕二は考えている。

日本レストランには、すき焼き、テンプラ、ヤキトリ、トンカツと定番が決まっており、

ある日本人に聞いた話では、こんな料理は毎日なんか食べたくないそうである。

(そうなんだろうか・・・)

裕二はご馳走と考えていたが、確かに

裕二自身もたまには、お茶漬け一杯の方がいいんだが・・・と

思う時も何度かあった。

レストラン側では、日本レストランなんだから・・・テンプラ、すき焼きが無い

なんておかしいだろうと考える。

こうして日本レストラン=すき焼き、天ぷらのストーリーが出来上がっている。


裕二は思い切ってこの考えを一掃して、原点に返る・・・・。

レストランは食事に来る所であり、この、どこの日本レストランにもある、

テンプラ、すき焼きを返上して此処にしかない独自性を出そうと提案したのだ。


この裕二の提案に、調理長の吉田が、反対した。

裕二の考え通りにメニューを変えたら、日本レストランではなくなるではないか・・

と言うのが、主な反対理由である。

日本レストランだから・・・とか、そんな事を大切にして来たから、この状態だし、

ここは思い切って独自性を出そうと言うのが裕二の考えである。

「独自性は、本日のお勧め品で出している」

と調理長は言った。

確かに当初の裕二との約束通り、十品程度の“今日のお勧め品”は毎日

キッチンから提示されている。

裕二の提案はお勧め品の問題ではなく、根本的に今あるメニューを取り払い、

肉じゃが、ラーメン、ギョウザ、カレー、お茶漬等の広く日本で食されて

いる現代の居酒屋的内容に切り替えようと言う事である。


「では、今までのお勧め品にそれを加えてもらえるか」と

裕二が一歩譲って聞くと、無理だと言う。

人手が足りないと言う。


この今の状態を考えると、さらに人手をキッチンに追加する等出来る筈なく、

裕二は、この頭の固い調理長に手を焼いた。

少なくても経営者の方からの目が全然見えていない。

裕二の立場(店長)で七分三分、(七分が経営者の目、三分が労働者側の目)

位の立場で物事を考えていかねばならないと裕二は考えている。

調理長ならせめて、五分五分くらいの感覚を持っていて欲しいと

裕二は考えたが、この調理長は百パーセント労働者感覚であった。


ビジネスを始めると言う事は、そのビジネスが利益を生む事が

絶対的な条件である。

毎月持ち出しの状態では、いずれ行き詰まってしまう事は明白である。

裕二はそれでは困ると考える。

せっかく新しい店の店長に指名してくれた社長にも、申し訳ない。

それより、日本に残した優子にも、駄目だった・・・と報告したくない。

考えられる事は全部やって、それでも駄目だったら諦めくらい付くかも

しれないが・・・。

裕二は自分の考えを社長に聞いてもらおうか・・とも頭をよぎった。

しかし直ぐその考えを否定した。

これは店内の問題で、それを処理しきれない裕二が、会社に助けを求めて

来たと思われたくなかった。

調理長は、一人前程度のキャベツの千切りや、刺身のツマ作りだけでも

何分かかる・・・と説明する。

これが十人、二十人前となると、その専門のスタッフが必要で、これだけでも

大変なのに、メニューにラーメンやギョウザを加えろ等、

「ラーメン店に就職したんじゃない」と吠えた。



そんな話で頭を痛めていた、或る夜、

ウエイトレスが、

「お客さんが、お茶漬けを食べたいと言っているんですが、

キッチンに伝票を通してもいいですか」と聞いて来た。

裕二は、

「もちろん」と答えた。

「その伝票ですが、店長が持って行ってくれませんか」

と申し訳なさそうに裕二に頼んだ。

ウエイトレスはメニューにない伝票をキッチンに届けて、又キッチンから、

とやかく言われるのを嫌がっている。

察知した裕二は、

「OK」と

意識的に軽く返事を返し、キッチンに持っていった。

裕二は丁寧に、

「お客さんが、お茶漬けを食べたいと言うので、お願いします」とその伝票を、

提示した。

「・・・・・・」

無言である。

拒否のムードが漂っていた。

日本レストランのキッチンとは不思議な所で、調理長が拒否した物を、無視して、

「じゃ、00さん。お願いできますか?」と二番手、三番手の調理人に

頼む事は出来ない仕組みになっている。

頼まれたら、頼まれた二番手、三番手の調理人が困る事になる。

当然、裕二もその事は知っている。

必然的に、裕二は調理長と話すしかない。

「お願いします」と裕二は頭を下げて、その伝票を調理長に差し出した。

「出来ない」

とは調理長は言わなかった。

その代わりかどうか、

「ちゃんと、メニューにあるものを(オーダーに)取って来てよね」

このイヤ味な声に、裕二は、ムッとした

(だからこうして、お願いしますと言っているじゃないか)


「俺がやるからいい」と

裕二は言おうとしたが、こらえた。

(お茶漬けくらいで、ガチャガチャ言うんだったら俺が作ってやる)

裕二は、一瞬そう考えたが、抑えて、

「今、特に何も特別な料理の注文も無いでしょう?

それでも出来ない理由は何ですか?」

と逆に調理長に聞いてみた。

「・・・・・」

この裕二の論理的な問いに、調理長は言葉に詰まった。

メニューにないと言う理由で、作るのを拒む積りか・・・。

一言でも、そんな事を言ったら、首を切ってやる・・・


裕二は、そんな考えを頭にかすめたまま、調理長の次の言葉を、待ち身構えていた。

勿論裕二に首を宣言する様な権利はない。

しかも、裕二が首などと言ったら、

「あっ、そう・・」

と言って、本当に調理長が、帰りでもしたら、困るのは裕二である。

(・・・・・・・・・・・・・・)

客を待たせておいて・・・

こんな事に時間をかけてはいられないと思った裕二は、

調理長のだんまりを機に、

「いずれにしてもお願いします」

そう言葉を残して、その場を後にした。

事務所に戻った裕二は、ムカムカしていた。

もし調理長が、作るのを拒否した場合、

客に何と言って詫びるか・・・

お茶漬けが出来ない等、恥ずかしくて客に言えない・・・。

この変なレストラン内の雰囲気は誰が一体作ったのか・・・

それにしてもあの調理長・・・・


色々考えをめぐらしていたが、もしお茶漬けが出来ていなかったら、

又、故意に時間をかけたりするようであれば、調理長を退け、

自分が作る決意で、裕二はウエイトレスを呼んだ。

「お茶漬けは出たか?」

「はい、出ました」

裕二は、調理長と直接対決にならなかった事に一先ず安心した。


後日、裕二は調理長と話し合いの場を持った。

裕二は、どう考えてもこのままで、いつかなにかのキッカケで、

店が忙しくなったりするとは考えられず、今、何かの手を打たなければ、

裕二自身の首が飛ぶ事も在り得る訳で、焦っていた。


調理長が、着席するのを待って、裕二は頭を下げた。

「調理長、何とかお願いできませんか?」

(どこの日本レストランにもあるメニューを変えて、ここならではの

独自性を出そうと言う裕二の提案である。)

「先日も言った通り、間に合わない(料理が)んだよ」

と、相も変わらず、協調性がない。

「それとも、スタッフでも補充してもらえるの?」

「イヤ、それは・・・」

(無理に決まっているじゃないか・・)と

裕二は思ったが、それには答えず、

「天ぷら、すき焼きがメニューに無くても、お客さんはまさかこれを作ってくれ

とは頼まないと思いますが、お茶漬け、やオニオンスライス

みたいな品は今後もちょくちょく頼まれる事があるかと思います。」

ここまで裕二は言って、調理長の反応を見た。

調理長はやる気があるのか無いのか・・・、


タバコをふかしながら、迷惑そうな顔で、裕二を見ていた。

それ以前に、この店長は、裕二は余計な仕事ばっかり持って来る・・

とでも考えているのかも知れなかった。

調理長と、店長である裕二の責任の問題も、裕二は店全体の

責任運営、営業方針を考えなければならないが、

調理長である吉田の場合は、キッチン内の統括であり、又料理もメニューにある

品だけに責任を持てば良く、基本的に店が忙しかろうが暇だろうが、

直接的な責任は無く、その点、裕二の立場より気が楽なのかも知れない。


裕二は続けた。

「来店していただいたお客様には、メニユーにない注文も、

頼まれれば何とかしてあげたいと私は考えています。

しかし、現状は、それを頼まれたウエイトレスは右往左往し、

直接キッチンに頼めず、私に持って来ます。

それはキッチンが非協力的な為で、これだけでも改善してもらえませんか?」

裕二はストレートに核心を突いた。


「その為にアンタがいるんだろう?」

「私・・・・・?」

調理長の言葉である。

(意味がわからない)

要するに、こんな事も出態するし、その調整役として店長が

居ると言う訳か・・・・。

「それに・・・そんな給料もらっていないしな」

裕二はどうしても歯車がかみ合わない、調理長との話を早々に打ち切った。

(一体、こんなアホ、何処から拾ってきたんだ・・・)


(あんなアホは、要らん)

裕二はそう思ったが、雇われ店長が、そこの調理長の首を切った等と言う

話は聞いた事が無かった。

(出来るのだろうか・・・)

この問題は、一歩間違えば、裕二自身がとんでもない泥沼に入り込む事も

在り得る訳で、

裕二も中々、決心が付かず、ズルズルと時間だけが、過ぎて行った。


「グッドニュース」

事務所から連絡が入り、事務員が、

「いいニュースを聞きたいか?」

と聞いて来た。

こういう言葉の投げかけは、いかにも外国調で、言葉遊びをするようで、

こっちが忙しくない場合は、裕二も外国式を真似て、付き合った。

「心臓が飛び出す程のいいニュースでもない限り、聞きたくない」

とからかうと、

「あ、そう・・いいんだな?」と電話をわざと、切ろうとする。

外国式のユーモアに付き合うには、相応のテクニックが必要である。


「何だよ?、最近、良い事がなくて、良い話に飢えているんだ」と

裕二も本音を言うと、

「最高のグッドニュースだ。申請中の裕二の就労ビザが下りた」

と言う。

「ワーオ・・・。」

裕二は言葉にならない叫び声を上げた。

詳細は、明日事務所にて・・・と言う事務員の言葉もうわの空、

裕二自身に関わる全ての諸問題が解決し、吹っ飛んだような気がした。

就労許可を持つと言う事は、もう、ネズミみたいにコソコソしなくても良く、

どこの会社にも正式に就職が出来る。

のみならず、結婚した伴侶も自動的にこの恩恵を得る

(妻も夫同様、英国で、望むだけの滞在と仕事が出来る。)


裕二の展望がこの一瞬、最大限に開いた瞬間である。

裕二はこの所、ずっと沈んでいた。

それは、この新しい店の客の入りが悪いからである。

改善しようにもキッチンが全く協調性がない。


ロケーション(場所)。このロケーション選びは、店を開店する場合、

一番最初に考えなければならない、最重要の懸案である。

いくら日本食が珍しいからと言っても、電車で三十分、又は一時間・・・

かかるような場所にレストランを開店しても客が来る訳ないのである。


ホテル側も、今まで色んな店を誘致した筈である。

日本レストランがいいのではないか・・・との話に行き着くまで、

何件の店がここに出店して、撤退した事か・・・・。


そんな問題を深く掘り起こし、出店を吟味するなど、裕二の会社が

やったとはとても裕二は思えなかった。

ホテルから、声がかかった

あの、有名なXXホテルだぞ。

店はすでに、そこにある。

殆ど開店資金もいらない。

この条件に飛びつき、深くマーケットリサーチ(市場調査)をする事もなく、

開店したため、新しくここのスタッフとなった裕二達が、

一番苦労する事となった。

(この店を選んだのは俺じゃない)

(こんなアホなスタッフを選び、集めたのも俺じゃない)

裕二は、そう開き直る事も出来た。

何とかしようと考えるから、大変なのである。


しかし就労許可が下りた事で、そういうモヤモヤも全て吹っ飛んで

しまった。

裕二が働く、ホールのスタッフ全員がお祝いを言ってくれた。

「これで、もう店長も日本から奥さんを呼べますね」

と、お祝いを述べるスタッフと、

意地悪な質問を裕二に投げかける者もいた。

「どうするんですか?イギリス人の彼女は?」


聞かれた裕二も、正直どうする事も出来ない

しかし幸か不幸か、今度の新しいレストランは、都心からも、

場所が離れており、前のレストランの様に、ヘレンの働く銀行と目と鼻の先、

みたいな距離ではない。

その為か、最近ヘレンも姿を見せなくなっていた。

裕二は願った。

出来れば、このまま自然消滅してほしいと・・・・。


(フランス)

裕二はフランスのパリにやって来ていた。

パリに来たのには、理由がある。

裕二は、イギリスに入国して、裕二を必要とする会社を見つけ、

そこで働き、ビザ(就労許可書の事で、以後ビザと呼ぶ)を申請してもらったが、

これは、英国の入国のルールに沿っていない。

本来は、イギリスに入国前に、ビザを申請して、その申請が下りてから

始めて赴任(入国)すると言うのが定められたルールである。


裕二がビザを申請して、ビザが下りる期間、(裕二の場合約一年を要した)

その間は、本来であれば、裕二は日本にいるはずなのである。

しかし、裕二はイギリスにもうすでに入国していた。


もうすでにイギリスに入国して、二年近く、モグリで働きながら、

ビザを申請し、これが下りるのを待ってた訳だが、イギリスの法務局は、

裕二がイギリスに入国している事を知らない。

何故分からなかったのか・・・・バカ?だから・・・・

そんな事はない。

裕二は観光目的でイギリスに入国したが、この者は観光ビザが切れる以前に

もうイギリスから立ち去っている事に建前上はなっている。

が、どっこい、裕二は立ち去っていなかった。戦時中のゲリラみたいに、

地下に潜伏していた事になる。

犯罪者か何かだったら、こういう潜伏も無理かもしれないが、幸い、裕二は

犯罪者ではない。又日本人は、普通、こんな危険な博打は打たない。

又、こんな危険な試みを、しているのではないか・・・などと考え、裕二を追ったり

するほど、イギリスの法務局や警察も暇ではない。

今回は裕二の持ってる奇跡的としか言いようのない、幸運さでビザを得た。しかし、

この通知は本国(日本)に知らされる事になるのだが、

実はもう本人はイギリスに入国していて、このビザを待っていたんだ・・・

などとは、口が裂けても言える事ではない。


そのため、一旦、イギリスを出て、そのビザと共に、再入国する必要性が生じる。

そこで、裕二はイギリスに一番近い国、フランスを選び、パリにやって来た

と言う訳である。


パリは数年前、滞在ではなく、通過した事がある。

この時は金も無く、観光とか、おいしい物を食べるとか、そんな余裕は全く無く、

通りの安い店で、固いサンドイッチをかじりながら、

不安いっぱいの暗い気持ちで、行き交う人々を眺めていた。

しかし、今回は違う。

裕二は仕事がある。暮らしにも困らない。

それ以上に、ビザがある。

二年前とは比べものにならない程の条件が今の裕二には整っている。

裕二はパリ中をスキップして歩きたい程の衝動にかられている。

この精神的な安堵と言うか・・・急に神様か何か現れて、

「イギリスに好きなだけ住んでいいよ」とでも

言われた様な感覚を覚えた。

この安心感、と言うか、安らぎ・・・

まるで、子供が母の腕に抱かれた・・とでも言うような、

何とも言えない安堵と幸福感を裕二は感じていた。


フランスにある日本レストランとはどういう感じか、裕二はこの機会を

利用して、見てやろうと、出かけた。

パリにも当時、二十店舗ほどの日本レストランがあった。

裕二は泊まっているホテルから近い、東京レストランと言う所に一人、

タクシーで乗り付けた。

店の規模は裕二が働くイギリスの富士レストランより、多少小さめの店だった。

夕方七時頃だったが、店は七割方客で埋まっている。

日本人客八割、外国人二割と言った割合で、この比率も大体イギリスと同じである。

メニューを見て、二、三品の小鉢と刺身を注文した。


刺身の盛り合わせ・・・。

裕二はこの刺身の盛り合わせを見て、目を白黒してしまった。

裕二の所のレストランにも、当然刺身は提供している。

しかし、イギリス人は、あまり魚を食べない。(この為、種類がない)

それと同時に、魚の調理方も違う。

(百%火を通すので、鮮度はあまり重要視されない)


この為、イギリスでは日本レストランで使う(刺身)になるような鮮魚類は殆どない。

その上、魚は暖流に住む魚と寒流に住む魚、回遊魚などに分類されるが、

地理的な条件からイギリスの市場に上がって来る魚は、殆ど寒流に住む魚で、

ヒラメ、ニシン、タラといったような魚しかなく、その他の魚は

あっても、全て冷凍の魚なので、日本人のシェフ等は、当然河岸に行く事も無い。


所が、である。

ここの刺身の盛り合わせには、マグロが乗っている。その他に鯛、鯵があった。

「これは・・・。」

裕二は日本からでも空輸か何かで取り寄せているのではないか・・・と考え、

ウエイターに、

「刺身に随分色んな種類があるが、日本からでも取り寄せてるの?」と

聞くと、何と

「いえ!全部フランスの物です」と

言うではないか。

(まさか・・・)

裕二はイギリスに来て二年を過ぎているが、イギリスにある日本レストランで、

こんな食材を取り扱っている所は、見た事がない。

裕二が腑に落ちない様子でいると、

「河岸に行ったら何でも売っていますよ」と教えてくれた。


(まさか・・・)

ロンドンとパリの距離は、六百キロ前後で、日本で言えば、東京大坂間より、

ちょっと遠い位である。

車でも、七、八時間で行く事が出来、文字通り、一日で着く距離である。

そんな距離しかないのに、なぜ誰もこの鮮魚をイギリスに持って行こうと

しないのか・・・

裕二は不思議に思ったが、とりあえず、その河岸とやらに行ってみようと考えた。


午前五時、手配していたタクシーで河岸に着いた裕二はその魚河岸のスケールに

圧倒された。

イギリスの河岸しか知らない裕二はその、食材、種類の多さに驚いたのである。

フランスは、南はイタリア、ギリシャの国と陸続きであり、西には、スペイン、

ポルトガルが陸続きにつながっている。

これらの国は、海の幸を多く食し、その上、陸続きの為、フランスへも

輸送が容易で、人種のるつぼであるパリへ需要のまま海産物が流れて来ることになり、

まさにパリ市民への食料の供給所である。

マグロなどもイタリアや、スペイン、ポルトガル等から届き、

(こんな魚がイギリスにあったら、来店のお客様にも、もっと

喜んでもらえるのに・・・)

そう裕二は考え、パリの市場を羨ましく思った。


あとで、教えてもらったパリの食料事情だが、フランス人は何でも食べ、

カタツムリやカエルさえ食べ、イギリス人から(フロッグ=蛙の意味)と

呼ばれているとか。

(じゃ、中国と一緒じゃないか)と裕二は考えた。

中国人は、四足(動物の意味)は机以外、飛ぶ物(鳥)は飛行機以外、

何でも食べると、言われている。



第四章、終わり。















































































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