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いさぎな・もん(者)  作者: 古武 清信
2/11

主人公(裕二)が初めて海外に渡り、直面する文化の違い・・・当惑しながらも、そこでの生活の向上を目指す

第二章  旅立

船が、新潟から出港するときは、日本人の若者達も数十人いて、裕二も随分心強く

思ったものだが、ロシアのナホトカへ出て、ハバロフスクから大陸横断鉄道の列車に

乗る頃汽車に乗って、もう丸三日が過ぎた。

にはいつしか裕二 一人になっていた。

当初から裕二は一人だった為、そう気落ちはしていなかったが、それでも

段々と少しずつ日本人がいなくなって行くのを見るのは心細かった。


車窓から眺める外の景色は、四月だと言うのに、雪、雪、また雪の世界である。

よくまあ、こんな所に人が住むものだと驚くと同時に、

大陸横断の鉄道まで敷く、国家の野望みたいな物に感心しながら、

初めて見るシベリアの景色を眺めていた。

人間の背丈程にしか思えない痩せた白樺の木が、荒れ地にポツン、ポツンと

立っている。

(こんなに寒かったら、木の生長だって日本の十倍くらい遅いのかも

知れない)

雪も、数メートルは積もっているようで、この様子だと夏は二、三か月

あるのみで、後は全部冬の生活だろう。

何処までも、何処までも限りなく続くこの大地に又同じ景色が遠々と続く。


列車がガタンゴトンと大きな音を立て、速度を落とす。

裕二はいつしか眠りについてしまっていたらしい。

どうやら駅に着いたみたいである。

駅があるという事は、人が住んでいる証拠である

(こんな所に・・・)

車窓から見る駅は貧弱で、客の姿さえ確認できない。

駅員や何かの係員たちをチラホラ確認する程度である。

裕二が乗ってる客車は片側が通路になっており、その片側が

(六名の)各部屋に分かれていた。

裕二はたった一人で、六人掛けのこの部屋にいる。


この列車には時刻表がない。いや、無いと言うのは失礼だろう。

一応、ある。

それは朝十時頃と言うような漠然としたもので、こんな大地に住む

人達には、そういったおおざっぱな感覚で良いのかも知れない。

(こんな所に日本人は捕らわれていたのか・・・)

それは終戦時、日本とソ連に交わされていた不可侵条約を一方的にソ連が破り、

攻め入り、日本人を拉致、あるいは連行し、(その数100万)強制的に収監、

労働させ、死者三十万出した強制就労所の事である。

(好かん国・・・)

そんな目で見ていたら、この国の人々も何となく笑顔が無く、

みんな口をへの字に結んで、余計な事には極力関わらないようにしている様に

裕二は思えた。

(どうでもいい)

ロシアは、ただ通過するだけだから・・・と裕二は思い直し、

持って来た本に目を落とした。


裕二はナホトカでの事を思い出した。

ナホトカからハバロフスクまでのバスにガイドが乗って来た。

ガイドと言うが乗車してきたのは軍人である。

ウサギかミンクの毛皮で出来た帽子をかぶり、下は長めのガウンの様な

緑色の防寒具をはおり、その帽子には師団(所属する軍隊)マークみたいな

ゼッケンを縫い付けてある。

軍人スタイルとしては決まっている。

日本語の案内も理解できた。しかしこのガイドは、

道案内や、歴史、産業、特産物等の話は一切無く、

何と我々へ、亡命を誘って来た。

「亡命するなら力になる・・」とその案内役の軍人が言うのである。

当時、この社会主義国であるソ連は、得体の知れない、何となく不気味な

感じを、多くの日本人が持っていた。

アメリカ等は、世界の共産化を恐れ、この延長がベトナム戦争にも

つながる要因の一つにもなっている。

(亡命?誰が?・・・バカか・・・)と

裕二は内心思ったが、怖くてとても口にする事など出来る物ではない。

アメリカでは、多分言えるかもしれない。

アメリカでは、彼ら自身が、正解か間違っているかは別として、

大きな声で、ゼスチャーも含め、言葉に出し自己主張をする国民だからである。

その主張を、このバカが・・・・・と聞く事もあるが、

感心する事も在る。

それは自分が間違って事に気付くと訂正や謝罪がある事である。


最近の例だが、TVで、どうして日本人はアメリカ産の牛肉を買わないのか

と、日本人男性にマイクを突き付けるシーンを目にした事がある。

聞かれた日本人は、ストレートに、

「うまくないから」

と答えた。

こうストレートに言われたレポーターは、ムッとしながらも、

「うまくない?・・では、試してみようではないか」と

N・Yの日本産ステーキの店に現れる。

出て来たステーキのサイズと薄さを見て、

「これが、300ドルってか?」

不満タラタラで、口にした後の言葉がいかにもアメリカ人らしかった。

「今まで我々が口にした肉はサンダルの底か・・・」


一方、ソ連と言う国はアメリカとは違って何となく不気味なのである

後に裕二の友達となったハンソンと言うイギリス人は、ソ連の事を

ノットホスピタリティー(直訳=病院的ではない)。と感想を述べた

事がある。


他の日本人たちも幸いと言うべきか、亡命に手を挙げる人はいなかった。

日中では、短期間ではあるが、家族連れのロシア人が列車に乗り込んで来る事がある。

家族連れの場合は、こんな寒い国の人たちも、陽気で、

裕二に話しかけたりしてくれる。

お決まりの言葉だが、

「何処までいくのか?」

「モンゴル人か?」

と聞いて来る。

日本人の一人旅など、殆ど見る事は無いだろうし、

多少雰囲気が違った(現地で見る東洋人とは)としても、

「中国人か?」

と聞くくらいだ。

「日本人だ」

と、どうでもいい話なのに、日本人以外に見られた事を訂正したい衝動に駆られる。

(俺の何処が一体モンゴルや中国人に似ているんだ)

不思議な感情である。

そんな、たかが間違われて質問されたと言うだけで、

ムクムクとナショナリズムが沸き起こるのを裕二は初めて国を出て感じた。


君の行く道は

果てしなく遠い

なのに、なぜ、君は行くのか

そんなにしてまで・・・


当時日本で流行った若者達と言う歌である。

何だか裕二の事を歌ったようで、裕二はこの歌が大好きだった。

母の須奈が出発の前日、裕二に

「絶対死ぬな。生きて帰って来い」と言った。

裕二は時折この強烈過ぎる母の言葉が、頭をよぎる。

(おれはそんな危険な事を始めようとしているのだろうか・・・・)

(そうかも知れない・・・田舎で両親の保護の元に暮らすのに比べたら、

今から裕二に降りかかるであろう困難の具合だけでも百倍は多く

降り注ぐかも知れない。

出来るだけ避けるし、出来るだけ迂回するようにする積りである。

それでも避けられない局面に出くわし、

裕二の生活そのものが困難となるような事件に直面したら、全力で戦うしかない。

それでも最悪の状態に陥ったら、

それはその本人が持っている運命みたいな物として諦めるしかない。

そんな事で一生を棒に振るような者には、たとえうまく生き延びても、

所詮、その程度の人生しか期待できないのではないだろうか

俺には一国一城と言う夢があるし、もっといい星の元に生まれている筈だ。

裕二は勝手にそう考えていた。いや信じようとしたのかも知れない。


このソ連(現ロシア)だが、社会主義国の親玉的存在で、力で人民を統制し、

周辺諸国を従わせていた。

旧東ヨーロッパの殆どの国が、ソ連を恐れて又は戦いに敗れてこれに従っていたが、

社会主義体制が崩壊した今、全ての東ヨーロッパはソ連を離れEUに加盟している。

これからも分かる通り、体制維持の為の恐怖政治や我慢は、一旦自由を経験すると、

空中霧散していく物らしい。

体制側(ソ連)も(それが分かっているから力で抑える必要が生まれるが)

いかにこの体制は素晴らしいかを

映像等を通じて、広く世界中に宣伝していた。

今でいう、プロパガンダである。

当時の日本も、御多分に漏れず、各地のリーダー的、農村の青年達を先頭に、

このソ連式農業(集団農場)を、わざわざソ連まで行き、研修させていた。

裕二の田舎からも、これに参加した青年がおり、裕二は顔見知りでもあり、

この時の様子を聞いた事があった。

その青年は、裕二がそんな話に興味があった事が、嬉しいらしく、

日本との農業の違いについて、色々話を聞かせてくれた。

結論として、

「日本では無理だな」

と、語ってくれたのが印象に残っている。

裕二は何故日本では無理か・・・と、聞いてみた所、地理的条件、体制の違い、

を、この人は説明してくれた。

しかし、裕二はこの時の話は良く理解できなかった。


土地の私物は許されないが、そこで皆と同じように働き、生産されたものを

皆、等しく平等に分け与える。

話しを聞く限りに置いては、夢の様な社会・・・と思えなくもないが、

これは、バカでもチョンでも等しくと言う事となり、努力とか頑張りとか、

関係がなくなる。

一生懸命働く人も、サボってばかりいる人も平等の名のもとに、

等しく分配されるのであれば、アホくさくて、一生懸命やる人などいなくなる。

裕二みたいな人物は、危険思想の持主と判断され、処刑こそ免れても、

一番先に強制的にシベリアにでも送られ、思想教育を徹底されるかも知れない。

要は、国民は、牛、馬的な労働力だけを求められ、それ以外の考え方は、

危険思想なのである。


裕二は、あるアメリカ人が周遊券を購入しようとして、駅まで出かけた

時の話を、何かの本で読んだことがある。

駅員は(周遊券は)、無いと言ったそうだ。

日本人なら、直ぐ諦めそうだが、このアメリカ人は食い下がって、とうとう周遊券を

入手したそうである。

要するに、やってもやらなくても、給料は変わらないし、周遊券等と、面倒な仕事

をするのを嫌がり、駅員は、無いと答えた訳だが、こういう体制の下では

サービスが利益を生むと言う発想も生まれなかった。


当時、プロパガンダを信じ多くの日本人が夢を求めてソ連に渡っている。

その殆どはスパイ容疑で処刑されている。

裕二はそんな国の列車にまるで借りて来た猫みたいに静かに過ごし、

丸5日列車に乗ってオオストリアのウイーンに着いた。

裕二はシベリアの大きさと、ヨーロッパまでの遠さに、今さらながら

驚き、本当に生きて又日本へ帰る事が出来るのだろうかと不安が増したが

片道切符しかない祐二には、前に向って進むしか道は無い。


裕二はここから、安い鉄道とバスを乗り継ぎ、ドイツのハンブルグの

ユースホステルに宿泊した。

裕二は一人、ボンヤリ中庭を眺めながら朝食を取っていた。

そこは、雪も殆ど姿を消し、春の息吹である草花の芽が伸び始めていた。

そこに、ピョンピョンとある動物が姿を現せた。

(ウサギだ)

裕二はそう確認した瞬間、心臓の鼓動が激しく波打つのを覚えた。

眠っていた九州の田舎での半狩猟民族?の血が騒いだのであろうか

裕二は今までがそうであったように、当然、捕まえて食う事を想像している。

咄嗟にここに宿泊している人達に捕獲の為の協力をお願いし・・・

そんな事を考えていた時、

(待てよ・・・ここは日本ではない・・・他の者たちは

   こんな場合どうするんだろう)

裕二はふと我に返り、様子を見ることにした。

冷静である。

見渡すと、裕二の一つ向こう側の席に若いヨーロッパ人が

カップルで朝食を取っていた。

裕二は静かにウサギとそのカップル達を交互に観察しながら、

そのカップルがウサギに気が付くのを待った。

(どう出るか・・・)

(当然、捕まえる為の協力を求めてくるに違いない)

やがて、女性がウサギの存在に気が付いて笑顔でウサギを指さした

男性も直ぐ気が付いたみたいだが、二人ともウサギを見て微笑んでいる。

ただそれだけである。

何のアクションも起こそうとしない。

それのみか、

「可愛い」

と言うような弾んだ声まで聞こえた。


(可愛い?)

裕二は驚いた。

確かに、食料以外の目から見たら可愛いかもしれない。

しかし、裕二は野ウサギを食材以外の目で見た事がない。


ガーンとフライパンか何かで、頭を思いっきり殴られた程驚いた。

(食べ物?を見て、可愛いと言うのである。)

裕二はウサギを見て、当然の様に、捕まえて食う事を咄嗟に考えた。

裕二が育った田舎では、ウサギは野ウサギであり、その全てが食用であり、

それ以外は無い。


それなのに、この人たちは食うのをさておき、可愛いと言う。

この差は一体何なんだろう

(俺は何だ 肉食動物の半類人猿か?・・・・)

教育か、文化の違いか、あるいは経済的な理由か・・・・

いずれにしろ、裕二はウサギを見ても

食う事しか考えられない後進国の人間の証明みたいなものである。

幸いと言うべきか、裕二は

「捕まえろ」

とか、声を上げて見苦しく騒いだ訳でもない。

どこかの国の旅行者が、日本に来て、堀や用水路で、

色とりどりの錦鯉がスイスイと泳いでいるのを見て、

用水路を流れる水の綺麗さに驚くと同時に、

この鯉が盗まれないのと、食用に捕獲されない事に驚いた記事を読んだことがあるが、

場所が変われば、カルチャーショックに見舞われる事件は

数多く存在するということだろう。


裕二は、

(待てよ・・ここは日本ではない・・。)

と自制したため、誰にも気付かれる事もなく

恥もかかなくて済んだ。


このドイツでの出来事はその後の裕二の行動を自制する

大きな要因となった。

これは・・・全てにおいて行動の前に良く考えなければならない

俺は相当後進国の人間に値するのかも知れない。

その結果、とんでもない大恥をかく事も在り得る・・・・と。


数日後、裕二は無事英国に入国する事が出来た。

今は、一人で一部屋を借りて、そこから近くの日本レストランへ

皿洗いのバイトに通っている。

レストランでは、昼が終わり、夜の営業が始まる前に二、三時間

休みになる。

裕二はこの休み時間を利用して、英語のクラスにも通っている。

最初は何もかも無我夢中で、慌ただしく月日は過ぎて行った。

日本に残した優子にも一応住所だけは知らせておいた。


(モグリか・・・)

裕二はここんところ気が晴れない。

イギリスに、観光目的で入国し、そのまま居座り、隠れて仕事を

している人達をそう呼ぶらしい。 

祐二も何の悪い事をしている自覚はないが、一応捕まれば

強制的に本国送還となる事は間違いない。

(とにかく目立たないように・・、信号無視や、イギリス人たち

との些細なトラブルも避けた方がいい)

裕二は出来る限り気を付けて生活するよう心掛けた。


入国時、イギリスでの入国審査もスンナリとは行かなかった。

片道切符しか持たない祐二をいぶかり、

「どうして君は片道切符なのか?」

と係官は聞いて来た。

「英国滞在がどの位になるのか・・・又帰国は一度ヨーロッパ大陸に

出て日本に帰る積りなので、あえて?買っていない」

と前から聞かれるであろう質問の答えを練習していたかいがあり、

裕二はスラスラと答える事が出来た。

「なるほど、で所持金は?」

旅行者であるならば、どんなに安くても一応ホテルに泊まり、三食を

食べ、交通費、小使い、他ある程度の所持金を持参しているのは

当然であり、所持金の額を係官が聞くのも又当然な事である。

ここでも裕二は踏ん張った。

一世一代の大芝居を打ったのである。

おもむろに財布、ポケット、腹巻その他、隠し持ってる現金の

札束を取り出し、係官に見せながら、英国ポンドに換算したら二千ポンド

「約100万円ほどある」と

裕二はうそぶいた。

全てが日本円の札で千円札の束だが、見なれない外国の紙幣にOがいっぱい付いている

日本円は、その千円札一枚でも、相当の値打ちがあるように見える。

(相当額の金)と思わせるのが、裕二の考えた手段である。

英国の入国管理官が円とポンド(英国の通貨)の交換率なんて

知ってる筈がない。ただ金を持ってる事を示す事が肝心なのだ・・・と

踏んでの裕二の大芝居であった。

「OK」

とその係官は短く言った

「やった!」

裕二は内心、安堵感と裕二の作戦勝に、小躍りして喜んだが、

係官の次の言葉に背中が凍る思いがした。

「しかし、君はどうして、こんな物騒な・・・」

「どうしてカードを持ち歩かないんだ?」

と係官は聞いて来たのである

こんな質問は想定外である。

裕二は心の動揺を必死で抑え、何と英国との文化の違いを説いた。

「日本では、最近カードの使用を多少見かける事もあるが、未だ

わずかであり、殆ど日本では現金決算である。

又カードは受ける側にもそれ相応の設備とリスクが有り、

カードでの決済がヨーロッパの水準まで浸透するのには、

日本では後、百年はかかるのではないかと思う」

裕二の説明の聞いていた係官は、静かに首を縦に振り、

納得したようにしてうなずいた。そして、

「そうか・・・OK」

と言った。

係官は信じたかどうか分からない。

多分、そうかも知れないくらいは思った筈である。

その証拠に入国を認めてくれた訳だから。

しかし、この裕二と言う青年は“いさぎな・もん(者)”である。

この意味は、度胸がある、物事に動じない、初心を貫く等、肯定的な意味

に使われる言葉で、驚きと、多少の褒め言葉も含んでいる。

要するに、たいしたもんだ・・・位の意味に、ある九州地方で

使われる言葉だが、

入国審査を想定して、聞かれるかも知れない問題集を作成し、

その答えがスラスラ出るよう事前に練習するなど、

予想もしていなかった入国審議官の問いに日本と英国の文化の違い

を説明し、納得させるとは、ただのウサギを見たら食べたいと思う

肉食類人猿だけの者ではない、“いさぎな・もん”である。




(困窮)

裕二はレストランの皿洗いを頑張っていた。

皿洗いと言う仕事はただ、皿を洗っていればいいと言う訳ではなく、

皿洗いの傍ら、野菜等の皮をむく事から、調理人の補助、掃除、使い走り

それこそ何でも用を言いつけられるセクションである。

それを人一倍早く、丁寧に、責任を持って追行する。

それが出来なければ、首が飛ぶ訳で、裕二は首になっては路頭に迷う・・

ただその一心で頑張った。

しかしいくら頑張っても、半年過ぎても、時給も同じで、将来性等

あろう筈もなく、(これは・・・)と裕二自身考え込まざるを得ない。

又、裕二は珍しく魚の処理が出来、重宝された。

しかしこれも重宝されたと言うだけで、裕二に言わせれば、仕事の量が、

他のバイトに比べて増えただけである。


そんな折、珍しく調理長の五十嵐が裕二に声をかけて来た。

仕事が終わったら、カジノに連れて行ってやると言う。

「先立つ物が・・・」と

裕二が言うと、

「何、初めてなんだろう?見ていればいいんだ」

「でも、その恰好じゃナー」

と、調理長は裕二の服装を見て言った。

聞けばカジノは紳士淑女の社交所みたいな所で、

ネクタイとジャッケットが無い人は入場させてくれないそうである。



「それでいいんだ」

調理長は、裕二が着た調理長のダブダブの服を見て、笑いながら言った。

「要は、ジャケットを着ているかどうかが問題で、大小とか似合うとかは

どうでもいいんだ」と。


他にも何人か同行するらしく、この変な東洋の紳士一団?は、キョロキョロと、

まるで猿が初めて町中に迷い込んだような様子で、カジノたる物を目にした。

そこは、

大きなシャンデリアが輝く、広い宴会場みたいな所で、まるでおとぎの国の館である。

そこに紳士、淑女達が、大金を賭けて色んなギャンブルを楽しんでいる。

ウエイターやウエイトレスはチョウネクタイで決めており、

祐二みたいな、借り物のジャケットに身を包んだあやしい者にも

本音はともかく、紳士として接してくれる。

裕二はいい気分になって来た。

(映画の世界にいる)

裕二はまるで、このおとぎの世界を楽しんだ。

そこには直接賭け事をしない人達の社交場みたいな場所も用意されている。

そこでのコーヒーやティーは無料である。

(スゴイ)

裕二は驚いた。

自分もいつかはこんな場所でカジノを楽しむような人生を送ってみたいと考えた。


毎日、単調な日々が続いていた。

日毎に裕二は元気がなくなってきていた。

仕事と勉強で、毎日クタクタになって帰ってくる。

金も一向に貯まる様子もない。

英語のクラスも、裕二自身上達しているのか、いないのか・・・。

日本に残してきた新妻の優子にお金の一銭も送れていない。

(このままでは駄目だ)

そう裕二は毎日考えるが、妙案がある訳でもない。

給料を多少でも上げてもらおうか・・・とも考えたが、直ぐ否定した。

多少給料が上がったとしても今のこの生活に、何の変化も期待できないからだ。

(ではどうする?)

辞めて、他のもっといい会社にでも就職するか・・・しかし

それは、無理な話で、外国人である裕二の場合は、就労許可書が必要で、

モグリに当たる裕二には、猫や犬の姿に怯え、コソコソと毎日を

隠れ住むネズミのような生活をするしか他の道はないのである。


この裕二と言う青年の変わった所は、普段皆が考えもしないような事を

自ら考え、そしてそれがどんなに難しい事でも何とか実行に移す事である。

今回も裕二は考えに考え、結論に至った。

その結論がまさにぶっ飛んでいる。

何とギャンブルを始めようと決めた事だ。

読者にもう一度説明したい。

ギャンブルを止めようとするのは普通の人も考える。

生活が出来ないからギャンブルを今から始めようなんて考える人間は、

当時のヨーロッパにさえ多くはいなかったに違いない。

世間一般の常識とは逆の発想であるが、その逆も又真実かも知れない。

結果がこれを認めてくれる・・・・。


裕二が考えたのはこうである。

幸いイギリスでの裕二の給料は週給である。

部屋代、交通費を差し引いた残りとして、学費を止めれば週に、二万円近く、

自由になる金が残る。

ギャンブルで無一文になっても、仕事柄、食事は出来るので、

飢える事は一応、心配無い。

裕二は、ルーレットに目を付けた。

ルーレットは一発勝負で、賭けた数字に当たると、三十五倍の

掛け金が帰って来る。

一万円賭けると数秒で三十五万になる訳だ。

そこで、毎週自由になる金を持って、これに張ってみようと考えた。

そして実際この通り行動した。

大切に、大切に握りしめ、中半、湿り気さえ感じられるイギリスの紙幣を

丁寧に広げ、伸ばし、

神頼みも加えて、

裕二が信じる、ある数字の上に張る(賭ける)のである。

一時間も紙幣を握りしめて賭けた裕二の読みも、殆ど外れ、

数十秒で決着がついた。

決着がついたら無一文となり、又一週間待つしかない。

それを裕二は凝りもせず続けた。

では負け続けたのかと言うとそうでもない。

おしい事もあった


この半年の間に、二、三度、日本円で換算したら二、三十万程勝った事がある。

しかしそれは

その日のギャンブルを止める(持ち金が無くギャンブルを止めざるを得ない)

までの通過時の一瞬の過程であり、勝ってその金を持ち帰った訳ではない。

あくまで、浮いた(勝った)瞬間があったと言うだけの事である。

(バカが・・・貧乏人のくせに、二、三十万あれば大いに助かるだろうに・・)

と、普通は考えるが、裕二の考えはどうもそうではないらしい。

(一万円が二十倍、三十倍になると言う事は、勝ったそのもとでを

そのまま賭ければ数百万円になる筈だと裕二は考えた)

その為、多少の勝はあったもの、続ければ、最終的には無一文になってしまう。

これが半年近くも続いたのである。

(バカがイギリスに来て博打に狂ってしまった)

(もう山崎は立ち直れない・・・)と裕二を知る誰もがそう考えたのも、

不思議ではない。

中には親切に忠告してくれるバイト仲間もいた。

しかし、裕二は、(ご忠告、親切に・・・と)やめる訳にも行かない事情がある。


裕二はやせ細っていた。

職場で食べる食事は、長時間労働の為、

あくまでも一時的な食物摂取であり、裕二みたいに、それだけが

主食である・・・と言うような食事法だと、飢えこそしないまでも、

痩せるのは当然の事であり、これが長引けば色んな病気を引き起こす

可能性まであった。


そんな時、裕二が、勝った。

カジノで、である。

日本円で二百万余りと言う途方もない金額を入手した。

現金決済なので、二百万円相当の英国ポンドを現金のまま、裕二は

持ち帰ったのである。

どうして帰ったか覚えていない程興奮して、これを持ち帰った。

部屋に入ると、カーテンを閉め、全ての鍵を確認すると、

裕二はその現金をベッドに並べてみた。

イギリス女王が印刷された紙幣がベッドいっぱい並べられた。

裕二はしばらくそれに見とれていたが、

何を思ったか、その上に大きくジャンプした。


なんとも幸せな感情が沸き起こってくる。

加えて自然、笑顔がこぼれ、裕二はその札束にキスし、抱擁した。

一人踊り出したいような感情さえ、してきた。

(どうだ、見たか・・・この俺を・・・)

この夜、裕二はこの幸せの余韻に浸った。

少しずつ一年かけ貯めたとしても、この百分の一くらいしか貯まらなかった

であろう金額を一瞬で持ち帰る事が出来たのだ。


読者は、この金で、裕二は新しい住居に移り、国の新妻に送金して・・・と

考えると思うが、違っていた。

多少の送金はした。が、後が良くない。

あぶく銭とは良く言った物で、この金も結局身に付かず

大半を又ギャンブルでなくしてしまった。

しかし無一文になるほどギャンブルを続けた訳ではない。

さすがに、残金が目立ち始める頃、裕二は目が覚め、我に返った。

「イカン、本当の博打打ちみたいになるところだった」


(転職) 


裕二は殆ど二十四時間束縛されてる感じの日本レストランでのバイトを辞めた。

そして病院で働いている。

食堂ではない。ポーターと言う名の仕事である。

看護婦が大変であろうと思われる仕事(重い患者をベッドから運ぶ、

高い窓の開閉、荷物の受け取り、出荷、ゴミ出し等の雑用一般の仕事)であるが、

こういう仕事は日本には無く、日本ではおそらく、殆ど看護婦や職員が、

この仕事を兼任するのではないかと思われる。

仕事が無い時はポーターの詰め所に全員待機しており、電話などでポーターの

要請を伝えられ、その都度、出向く。

仕事は、十五分、長くても三十分位で終わる作業で、後の暇な時間は

本など読んだりして、詰め所で時間をつぶす。

裕二はこの暇な仕事に驚いた。

八時間勤務の内、実労は、二、三時間であり、それでも依頼の電話が鳴れば

「俺はさっきやったから、お前行け」の仕事の譲り合いみたいな事をやる。

大英帝国の労働者達・・・

日本人の方が、三倍は働くと裕二は思った。

が、裕二はあくまで骨休め的な仕事だと考え、このまま、このぬるま湯に

しばらく浸かってみるつもりであった。


実家から、手紙が来ていた。

優子は、先回の送金のお礼と、両親にはいつも良くしてもらって、

何不自由なく、暮らしていると書いてあった。

そして、送金が出来る程、そんないい仕事をしているのか?

とも書いてあった。

母からは、優子は何の心配もなく、預かるから、又、

せっかく行ったイギリスだし、悔いなくイギリスで頑張るように・・・

とあった。

(何か様子が変である)

早く帰って来いと言うのなら、裕二も分かる。

しかし、悔いなく頑張れとは・・・。

後で分かった事だが、両親には女の子の子供が無く、優子が初めて

長男の嫁として家に入ったから、両親が代わる代わる、優子を連れ出し、

それはそれは実の娘以上に可愛がり、今では手放したくない程だと言う。

お互いの気も合ったのだろう。

裕二は嬉しい半面、何となく寂しい思いに駆られた。


そんな時、

辞めた、前の職場の調理長の五十嵐から、連絡があった。

「話がある」と言う

裕二はピンと来た。

正式に会社で働かないかとの勧誘だろうと考えた。

しかし裕二にはその気は無かった。

レストランでの仕事は、当然な事だが、周りを塀にでも囲まれたような

狭い四角い部屋の中での作業で、一日中決まった人以外の顔も見ることなく、

同じ人達と一日中一緒に過ごす。

調理を志す人であれば、そんな事は考える以前の問題かも知れないが、

生活の為、飛び込んだ裕二の印象は多少違っている。

要するに、個性の強い職人達が、バイト等、消耗品くらいにしか扱わず、

こき使い、口からでる言葉は、へそから下の話で、これを一日中

続けるような職場なのである。

(こんな職場に勤めるくらいだったら、何もイギリスまで来ることは無い)

裕二はずっとそう考えていて、やっと半年前ここから逃げ出したばかりだった。


当日は社長も顔を出すと言う。

裕二はその気は無かったが、一応世話になった、調理長の五十嵐の顔も立て、

話だけは聞いてみる事にした。

久しぶりレストランに顔を見せると、顔見知りのバイト仲間たちから、

「どうしたの又、働きたくなったの?」

とからかわれたが、裕二はこの手のユーモアの持ち主が、好きである。

「どうしても生活出来なくて・・・」と笑いながらジョークを返した。


案の定、

「新しい店を開店するので、正社員として働かないか?」との誘いであった。

この会社は裕二がバイトをしていた頃、六店舗を運営していた。

二、三年後までに十店舗まで増やしたいと言う。

「私に何を期待して・・・・?」

まさか皿洗いとは言わないだろうと裕二は内心思って笑い出しそうに

なったが、聞いてみた。

社長はこぼれる様な笑みを裕二に向け、

「君はバイトやってた頃、魚も良く引けて、他のバイト達より、目立っていたが、

調理の経験もあるんだろう?どうだい板前は?」と聞いた。

裕二は調理長の五十嵐がその場をはずした事を確認して、言った。

「もし、仕事をお受けするのであれば、これが生涯の仕事となると思いますが、

どうしても(失礼だが)板前なんかで一生を終わりたくない」

と答えた。

社長は裕二からそんな話が出るとは予期していなかったらしく、

「ほう・・・」と

意外の表情を見せた。

そして

「じゃ、君は何だったら仕事してみようと思うかね?」と

興味深そうに聞いた。

裕二は最初から気乗りしない話だったので、言うだけなら・・・と、

絶対不可能と思われる話をした。


「レストランのマネージャーだったら・・」

と言ったのだ。

「ワハハハ・・・」

社長は豪快に笑った。

(このガキは良く言う)とでも思ったような以外さの笑いを裕二は

感じた。

そして、

「マネージャーみたいな仕事は、向き不向きも有り、まして経験が

必要で、誰でもなれる訳ではない」

とその社長は言ったのだ。

その通りである。その社長の言葉が、間違っているとは裕二も考えない。

が、裕二は知っていた。

次々と新店舗を開店していく中、人材不足で、あれがか・・・

と思うような人物が抜擢されて行くのを・・・。

裕二は六店舗のレストラン名を上げ、

「ここに働く人達が、社長の云う、向いている人達ですか?」と言ってしまった。

その上、

一人、裕二の友達の高野(この六店舗の一つのマネジャーを務めている)

の事が思い起こされ、笑ってしまった。

この高野と言う人物は、愛すべき人物なのだが、

背が低く、当然足も短く、眼光鋭く又目が大きい為、達磨を連想させ

物腰も、とてもサービス業に従事している人物には見えない。

一見こわそうに見えるのだが、

裕二は社長の言葉にこの高野の事を連想したのである。

そして思わず笑ってしまったのだ。

社長自身、意に添わない人事も自覚している。

(このガキ・・・本当の事をズケズケと・・・)

と思ったかどうか・・・、半面、裕二に興味も増したらしい。

多くのワンマン社長の場合、取り巻きにYESマンが多い。

自分の意見をたとえ社長にでも堂々と言う裕二にこの社長は興味を感じた

のかも知れない。


一方裕二は、採用されたくて来た訳でもなく、比較的思った事を言えた。

適当な所で、

「そうか・・・残念だったが・・・」と

この話も終わる筈だった。

裕二が持っている不思議な縁と言うか、何と言うか・・・

裕二に、どこか引き付ける人間的魅力みたいな物があるのだろうか・・・。

そう言えば、裕二はどこへ行っても、意地悪されたり、

仲間はずれにされたりした記憶がない。

その為か、他人に対して警戒心も薄く、誰に対しても旧知の友人のように

接する事が出来た。

両親が愛情いっぱい育ててくれたのも、田舎と言う育った環境も、この裕二の

人格形成に大いに寄与しているのかも知れない。

「ちょっと失礼」と社長は言うと事務方を呼び寄せた。

あそこの店はどうだとか、裕二を置いて事務方と話していたが、

何かを決心したんだろう

「今、ちょうどOO店で、OO月いっぱいで帰国するマネージャがいる。

そこをやってみるか?」

とその社長は裕二に向って言ったのだ。

「エッツ」

驚いたのは裕二である。

まさか棚ぼた式にその職を獲得できるなんて、裕二は考えてもいなかった。

「しかし・・・。」

(私に務まるんでしょうか・・・)

裕二は思わず声に出しそうな程、突飛な話だった

そんな裕二の驚きと戸惑いをこの社長は知ってか知らずか続けた。


「今まで私に直談判でマネージャをやらせろと詰め寄った男は、君が初めてだ

面白い、やってみろ」

と言ったのだ。


まさに急展開な話である。

裕二はこの会社で、半年前までは皿洗いをやっていた。

首になりたくなかったばっかりに、一生懸命、仕事はやった。

しかし、博打で駄目になったと陰口を言われていたのも確かである。

しかし裕二は大方の予想を裏切って、博打で、だめにならなかった。勝ったのである。

博打で勝って、会社を辞めた。

そんな裕二の過去もここの社長が裕二を面白いと考えた理由の一つなのだろうか・・。

裕二は舞い上がり、上ずった口調で、

「ハーハイ」

と答えた。


英国で働く為の正式な書類は当然会社が手続きしてくれると言う。

給料もバイト時よりも三倍は多くもらえるようになった。

何よりも友人の達磨マネージャの高野が喜んでくれた。

(これで優子も呼び寄せられる)

(住むところも何処かいい処をさがなきゃ)

まさに良い事ばかりの話だが、裕二は気が重かった。

それは、裕二が大口を社長に向ってたたいた事である。

初めて経営に携わるのである。

うまく行かなかったら、当然首は覚悟すべしだろう。

(うまくやっていけるのだろうか?)























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