一国一城を目指すクライムストーリー
第1章、青春の旅立
希望が丘1
(この物語は、人名、地名、すべて架空のものである事を
ご了承ください。)
のどかな田園風景である。
前が突き出た、一台のバスがガタゴトと田舎道を、上り進んでいく。
このバスが、ある山間の高台まで到着した時、車掌の女性が終点を声高に告げる。
子供から腰の曲がった老人までがゾロゾロとバスから吐き出される。
道が細く、何とか人間と牛が通れる程の道幅しかない、
この終点から先は全員が各々、目的地まで歩くしかない。
しかし、
この通学や通勤を誰もが不自由とは感じていない。
それどころか、つい数年前にやっとバスが途中まで来るようになった事で、
“便利になった”、とさえ考えている。
確かに物事は考え様である。
こんな田舎と考えるのもよし、便利になっていると考えるのと両者には大きな隔たりが
生じるが、これは良し悪しの問題ではなく生き方、いや、性格なのだろう・・。
又この答えは両者共、正解なのだから始末が悪い。
明日を信じて・・明日を夢見て・・・とポジチィブな考えが出来る人が、
生きて行く上で有利であろう事は当然である。
そんな昭和の中、この物語の主人公(山崎.裕二)は元気にこのバスを利用して
町の高校に通学している。
山道を途中登り切った所に、見晴らしのいい、開けた場所がある。
大きな岩が突き出していて、自然そこが途中の休憩所みたいになっている。
そこからは町が一望でき、そこまで一気に登ってきた全員が、一息つける
まさに中間点にある、現代風に言えば“道の駅”みたいな所である。
地名が良い。
“希望ガ丘”と皆が呼んでいる。
裕二もどうして希望ガ丘と呼ぶのか聞いてみた事があるが、誰もその由来を知らない。
きっとあまりにも何も無い田舎なので、夢多き先人達がその、何と言うか、
自分の夢を叫んだ所ではないかと裕二は考えていた。
実際、裕二は他の仲間達とこの希望が丘の大きな岩の先端に立ち、
夢を叫んだことがある。
友人たちは
「00が好きだー」
と叫んでいたが、
裕二は、
「こんな田舎いつかは出ていくぞー」
と叫んだ。
考えて叫んだのではない。
裕二の番になって、岩の先端に立ったら、自然に出た言葉である。
こういう咄嗟の言葉や、判断は、きっとその者が持つ潜在意識なのかも知れない。
若者達が十分休憩を取った頃、老人や子供達が追い付いて来る。
そのすべての人々が顔みしりで、思い思いの言葉を掛ける
「早かね」(足がである)
ある婆さんが腰を大きく前にして杖をつきながら裕二達の傍を
通り過ぎようとしたとき、
「バッチャン、休まんの?」
誰かが声をかけた。
老婆は聞こえたのか、無視を決め込んだのか、無言で歩き去った。
(あのバッチャンは)「耳まで遠くなったんか?・・・」
又、誰かが
「あのバッチャン随分腰も曲がって来たナ・・」
すかさず
「何、気が気が急いて、足が追い付かんのさ」
「ワハハハ」
皆、大笑いである。
平和な田舎の一、瞬間であった。
秋の西日が皆の顔を茜色に染めると同時に細長く人々のシルエットを
形作る頃。
「寒くなってきたな」
「帰ろうか」
親友の原が裕二に振り返りながら、
「しかし、今日はおもしろかったナー。ウブなセンコウやな・・・。」
と笑いながら声をかけた。
「で、あれは本当に裕二が作ったのか?」と
さも裕二を からかうような口調で聞いてきた。
「だから・・・」
とは言ったもの、裕二はもうその事を何度も話すのは止めた。
原だって裕二がどこでそのネタを仕入れてきたか知っていた。
知っていて、わざとからかってくる友人に、裕二は言った。
「裕二が、裕二がと言わんでよ。(言わないで)皆、本気にするじゃないか」
と、裕二は口をとがらせた。
それは、その日の授業が終わった、帰りかけの教室の事である。
次の日の連絡事項として、最後に担任がそれを告げ、終業となる。
それを、最近大学の教職課程を終えたばかりの新米の先生が担当していた。
まさに勉強一筋で過ごしてきた、まじめが歩いているような先生である。
一通り、退屈な翌日の連絡事項を告げた後、
さも何か重大事項を付け加えるのを思い出した様に、
「そうだ」
とその新米先生は叫んだ。
しかし何かモジモジして話を切り出さない。
どうも様子がおかしい。
そして
「何だ君たちは・・・」
と発したのだ。
生徒達は顔を見合わせた。
意味が解らない。
「何なんですか・・一体」
「言わないと解んないすよ」
「・・・・・・・・」
新米の先生は話を始めようとするが、言葉が続かないのである。
どう言ったら、どう伝えたらいいのかと、思案でもしているかの様子である。
その奇妙なふるまいの先生の行動に、教室中大笑いになった。
当然ヤジが飛び出す。
「連絡事項を伝えに来て、バカじゃない」
「早く帰りたいんだよ」
しばらくしてその新米先生はやっと声を上げた。
しかし、放った言葉が又意味不明なのである。
「僕にはよう言えん」
と言ったのだ。
もう蜂の巣を突っついたような大騒ぎである。
大笑いする者、からかう者、ヤジる者・・・。
しばらくの間、新米先生はこの災難を一身に耐えた。
やがて・・・・
意を決したかの様に新米先生は言葉を放った。
「人の身になんて・・・」
と、・・・・・・・・。
この一言だけで、全てを理解できる、さすが地元の秀才たち?が集まる高校である。
しかしこれは、さらなる歓声を引き出す要因にしかならない。
ワ!と笑い声と歓声が上がった。
その騒々しさは校舎中を振動させる程の物である。
その騒動の中、誰かが言った。
「あれは裕二が作ったんだ」
原はこの事を聞いていたのである。
実は、数か月ほど前の登校時の事、裕二は腹の調子がおかしくて駅のトイレに駆け込んだ。
用をたっしている途中、トイレの壁の落書きに目を止めた。
短歌が書かれていた。
なかなかの名作である。
人の身に わが身入れて 腰振れば 天にも昇る心地かな。
これを見つけた裕二は、ニヤーとし、忘れないように、これをメモし、
教室で友人達に見せ、笑いこげた。
想像力豊かな時期である。
同級生の誰かが教室内にこの短歌を、そのまま落書きしたみたいで、
それを他の先生が見つけ担任に告げたらしい。
「僕はこれを聞いて噴き出した」
とその新米先生は言った。
バスから降りて30分程の所に裕二の家があった。
原の所はさらに10分程歩く。
原は来春の卒業と同時に関西のある運送会社へ就職が決まっていた。
大学だって、就職だって簡単にできそうな裕二はそのいずれも決めず
今に至っている。
「半年もせん内に卒業だが、・・・」
原は裕二に尋ねた。
「本当に実家の農業を継ぐのか」
「うん・・それだが、・・・長男だしな・・・」
裕二の返答はいかにも曖昧であった。
「裕二の決心」
裕二は3人兄弟の長男で、幼い頃から当然の様に、農家の長男は実家の後を継ぐものだと
考えられていた。
裕二も何の違和感も感じないで今に至ったが、この頃決心がブレ出している。
一つは彼女の存在である。
しかし彼女は未だ卒業まで二年ある
それより大きな問題は農家の手伝いをしていて、今さらではあるが、気付いた事がある。
それは
農家と言う所は、朝から晩まで(家族はいるが)働くのは全く自分一人だと言う事である。
(おもしろくない)
それよりも気に食わない事は、収入が年に一度しかない事である。
まだある。
一家の総収入である。
裕二の家は田んぼを3町歩(約3ヘクタール)程耕作していて、米の
取れ高が二百数十俵で、仮に2百俵供出しても百五十万円。
勿論農閑期にはバイトも出来るが、それでも一年間の総収入は200万円程度だ。
(今の金額に換算したら4,500万程だろうか・・・)
もちろんこれは裕二 一人の収入ではない。
祖父母、両親、そして裕二を加えた5人の収入である。
それでも、当時の山崎家は、恵まれていると言える。
しかし裕二はそうは考えなかった。
(これぐらいの額・・・俺一人でも稼げる)
そんな事を考えていたのである。
俺一人でも・・・と裕二は考えたが、実は不安も大きかった。
家を出ると言う事は、競争社会に身をさらし、体一つ、
能力一つで立ち向かう事になる。
のみならず、それに打ち勝って行く事を要求される。
はたして田舎の高校を出たくらいで可能なんだろうか?
裕二が出した答えは否である。
このまま就職したとしても、肉体労働を提供するだけである。
賃金だって最低の賃金くらいしか望めないだろう。
大学くらいは出て、専門知識くらい身に着けた方がいいのかも知れない。
この裕二の驚くところは、普通に大学進学などと考えなかった事である。
なんと、裕二はその場所をイギリスでと考えた。
イギリスは英語もクイーンズ・イングリッシュを話し、
これからのビジネスには英語くらい話せなくては先頭を走る事はできないのではないか。
その為にはケンブリッジかオックスフォード大学でも出てやろう
と考えた。
しかし、考えただけである。
考えれば考える程、問題が次から次へと現れ、絶望感に打ちひしがれた。
まずは両親の説得である。
考えるまでもなく、まず無駄な事であろう。
了解してもらえない場合は他の手段として、同意なくても、自分勝手に行動する事は
出来なくもない。
が、その場合すべて自己負担となり、時間がかかりすぎる。
(それでも自分でやるしかないか・・・・)
裕二はそう考えたが、後日、それとなく裕二は母に話してみた。
母は裕二に甘く、裕二の殆どの頼み事は許してくれた
母は驚きながら裕二の話を聞いていたが、やがて裕二に言った。
「裕二、体の具合でも悪いのか・・・」と。
「ケッ、いいかげんにしてくれよ」
裕二は、早々にこの話を切り上げた。
(さすがに駄目だったか・・・)
裕二はそう考えたが、別に失望している様子でも、落ち込む訳でもなかった。
(やっぱしな)
と考えただけである。
この裕二の母だが、多少変わった経歴を持つ。
名を須奈と言った。
この母は裕二に向って「勉強しろ」の言葉を発した事がない。
農家の跡取りであり、一番など目指さなくても、基本は健康であったらいい程度に
考えていたんだろう。
実際、勉強は、いくら言葉で言っても身に付く物ではなく、
本人が奮起、努力しなければどうにもならない。
実際、その通りであるが、心情として、勉強しろ・・の言葉は普通の親は口にする。
成績表など見た時も、
「あら、あら・・」
と言うだけであった。
その為、裕二は母のお墨付きを得た魚の様に、遊び回った。
蜂の巣をいかに蜂に刺されないようにして持ち帰るか・・・。
洞穴の探検、ハチミツ取り、魚釣り、野ウサギ用の罠のしかけ、キャンプ、野球等々、
男の子なので冒険物が多かった。その冒険の中でも、
昔のこの地方の遺跡と勘違いして墓石を掘り起こし、宝物でもないかとさがした事が、
一番記憶に残っている。
幸い、通りかかった老人にこの場所は昔、墓地だった事を聞かされ、逃げ帰った事が
あったが、これだけは夜こわくなってうなされる事があった。
父はどうかと言うとこれもまた、どう考えているのか、いないのか
多くを裕二に伝えなかった。
理由がある。
父は母にベタ惚れで、母が下した決断に逆らおうとしなかった。それ以前に、
父は、確固たる教育方針を持っていたわけではなく、母が許したのなら
それでもいいとでも考えていたんだろう。
それより、母は当時では珍しい高等女学校を出ていた。
これが絶対父が母に逆らえない第一の理由である。
そんな母が、どうして父の元に嫁いだのかであるが、
これが笑える。
「親が行けと言った」
からだそうである。
裕二は不思議に思い、
「それでも嫌だったら、逃げるなり、家を出るなり、方法はいくらでもあったろうに・・」
と聞くと、
「考えもしなかった」
「そして泣く泣く来た」
そうである。
裕二はその心境がどうしても理解できなく、
「ムチャクチャに親父がいい男に映ったんだろう?」
とからかって見た。
すると母の須奈は大笑いしてしまった。
ひとしきり笑った後、須奈は当時を振り返るようなしぐさを見せながら
裕二に言った。
「チンドン屋だった」と。
「エッ?チンドン屋」
もう裕二には意味が分からない
裕二の親父、それ以上に自分の夫をチンドン屋とこき下ろしたからである。
勿論、結婚するまで当然母は父の顔を知らない。
仲人が、話を持って来て、父の話が出た時、多分父ではなかったか・・と思い当たる
事があったそうである。
それは、結婚数年前の事。
全くのチンドン屋的な人が須奈の実家の近くを歩いていたそうである。
その容姿だが、全く異様で、変な服を着、腰には色んな物を巻き付けていたそうである。
そして、
「見たこともない大きな牛を連れていた。」と須奈は話した。
祐二も後から分かった事だが、若かった頃の父は
農閑期に、或るバイトをしていたそうである。
それは、山中で切り倒された木材を、車が通れる
平地まで、牛を使って引っ張り出す仕事と言う。
仕事がら、自宅から通える所ではない。
山中の防寒や防水、蚊、マムシの対策、
弁当に飲み水、寝具に至るまでにすべて自分で持参するしかなく、
それらを、全部身につけたら相当変わった容姿に映る筈で、
うら若い須奈には、その理由や仕事内容等、到底理解できなく、
変な人、チンドン屋みたいな・・・と
物陰に隠れて見た事があるそうである。
不思議な物で、母の須奈はそのチンドン屋と結婚して、裕二を始め三人の
息子の母となっている。
(当時の結婚と言うものは案外そんなものだったのかも知れない、)と
裕二は思いつつ、いつか父が言った言葉を思い出していた。
「いいか裕二、結婚と言う物は、絶対惚れた女とするもんだ」
何を考えたか父の清二は裕二にそう言った事がある。
両親の仲なんて子供でも分かる。
高校生くらいになると、どっちがどう惚れているかさえ分かって来る。
「だからお袋と結婚したのか?」と
裕二は逆に父に聞いてみた。
「バカか・・・」
と、清二は当惑したような表情を見せ、返事を返さなかった。
連休のある日、裕二はガールフレンドの優子を映画に連れ出した。
優子は少女みたいな装いで現れた。
優子は同じ高校の一年生で、裕二と同じ陸上部に属していた。
ある駅伝大会で、
(元気が出るアメ)を持って来、裕二に差し出したのが、きっかけだった。
裕二は殆ど全てのスポーツに万能で、小学校から剣道もやっていた。
中学では足の速いのを買われて、剣道をやりながら、陸上部に属した。
中学校を代表して、県の大会など殆ど出ていた。
しかし、これは裕二が望んでの事ではない。
足が速いから、駅伝、中体連、地区大会等あるいは剣道の大会にと、自動的に
名前が出ていたと言うだけの事である。
裕二の不思議な所は、これを喜ばなかった事である。
それどころか、
(出るとは言っていない)
そう裕二は思っていた。
しかし期待されているのも分かるので、イヤとは言えなかった。
シブシブ出た。
その為、練習もあまり積極的ではなく、県の大会等でも、最初からずっと一番で
走っていても、最終コーナーで、やはり抜かれてしまう事が多かった。
走り込みの練習が足りないためである。
その事は何度も大会に出ている裕二も気付いている。
ではどうして裕二は練習しようとしないのか・・・・。
この裕二と云う男は、あまり、競争とか、百点を目指すなどと言ったような事を
両親からも求められた事もなく、乞われるから出た と言った感じで、
結果とか成績などどうでも良かったのである。
性格なのか、頑張りを求められた経験が少ないためか・・・
多くは性格に由来する事の方が大きいと思うが、欲がないのであろう。
県単位では裕二はそんな感じだったが、裕二の学校では中学、高校時代共
裕二はエースであった。
裕二は優子をからかうように、
「優子、俺の何が良くて惚れたんだ」
と聞いた事がある。
優子は
「だってカッコよかったんだもん」
と言った。
(こんなガキだったかな・・・)
優子はそんな裕二の思いなんか当然解らず、クリクリした大きな目で嬉しそうに
「バイトもしているんですって?」
と聞いた。
事実、実家を手伝っても(小使いはもらえるが)
まとまった収入は、今年の秋まで待たねばならない。
それでバイトに行っていることは手紙で優子に伝えてあった。
喫茶店での食事の後、裕二は切り出した。
「なあ、優子」
「俺は考えたんだが、実家は弟達に任せて家を出ようかと思うんだ」
一瞬、優子は驚いた様子で裕二を見つめたが、
やがて
「どこへ?」
と聞いた。
「うん、東京にでも・・・」
二人の間に沈黙が続いた。
裕二は今まで考えていた事を説明し始めた。
理解してもらうのが本筋ではない。誰かに話してみたかったのである。
「そんな事、本当にできるの」
優子は当然の疑問を裕二にぶっつけた。
熱っぽく語る裕二の(まるで月に住むかのような話を)さらに目を丸くして
聞いた優子は、しばらく沈黙の後、
「両親には話したの」
と聞いた。
「いや・・」
裕二は言葉を濁した。
話したがてんで相手にもされず、母に、具合でも悪いのかと、からかわれた事など
裕二は優子に言う気などない。
裕二は続けた。
「その為にはまず資金だ」
「軍資金がなければ何事も始まらない」
「だから・・・」
ここまで言って、しばらくの間を取って
「働きに出る」
自分に言い聞かせるかのように、そう優子に告げた。
そして裕二は優子の言葉を待った。
優子は、
「要するに資金を稼ぐ為に家をでるって言う事?」
(そういう事だ)
裕二は、力強くうなずいた。
卒業後、裕二は両親を説き伏せて本当に東京へ出た。
両親も、このまま家を継ぐより、未だ若いし、他人の飯を食べさせた方が、
行く行く、本人の為にもなるだろうし、
仕事でも始めれば外国に行く等と言う、夢みたいな話から目を覚ましてくれる
かも知れないと、言う淡い期待でもあったのだろう。
父親の清二は母に向って、
「お前が甘やかすから・・・」
と言った
「東京へ」
祐二は東京に出た。
東京には母の弟が中学の学校の先生をしていた。
この弟に、愛情いっぱいわがままに育った裕二がとても東京での一人の生活に
辛抱できるとは考えられず、
どうせすぐ、逃げ出すに違いないと思うから、どこでもいいから、なるべくハードな
所を紹介してくれるように、と母の須奈は弟に頼んだ。
そんな事は当然裕二は知らない。
東京の叔父さんの所で、裕二はしばらく厄介になっていたが、
仕事先のスーパー近くのアパートに越した。
裕二はこうして、
スーパーの中の鮮魚部門でアルバイトをすることになった。
バイトと言っても週6日、8時間勤務である。
その後、アパートに帰り、急ぎ食事を終え、バイトで染みついた魚の匂いを
落として七時から英会話のクラスに通っている。
9時過ぎにアパートへ帰り、今日習った事をちょっと復習でもしていたら、
もう寝る時間である。
これが毎日続くのである。
7日目に休みが一日来るが、東京では、地理も分からないし、友人もいない。
それより、毎日、クタクタになって日曜日くらい休んでいたいと裕二は考えた。
(面白くない)
実家では、食事も三食無料で食べられる。
裕二は、美味いだの、美味くないだのと勝手な事を言って食べるだけでいい。
後かたずけ等、考えた事もなかった。
料理は当然な事だが、食べる前に作らなければならない。
作るにはその知識と材料、鍋や調味料、他にそれを盛る皿までいる。
まだある。
作ったら、それを食べる場所がいる。
そしてそれが終わったら後かたずけ、皿洗い・・・
それを全部自分がやらなければならないのが裕二は気にいらない。
寸暇を見つけて掃除、洗濯が待っている。
(これは・・・)
裕二は今さらながら、自分が恵まれた環境に居た事を実感している。
が、裕二には一応目的がある。
それが無かったら裕二は直ぐ田舎に逃げ帰っていたかも知れない
それより裕二が一番、計画と違った事は、お金が思うように貯まらない事であった。
貰った給料から部屋代を始め、諸々の諸経費を差し引くと、半分は無くなる。
これから、授業料、テキスト、交通費を払う。
時には美味いものでも食べたい。
着たい洋服だってある。
(来なければ良かった)
東京にである。
実家からバイトに出た場合だと、諸経費は似たり寄ったりでも一番大きな出費である
部屋代が一応免除される。
この事に今さらながら気付かされたのだ。
(考えが浅かった)
と後悔している。
が、裕二は踏ん張った。
どんなもっともらしい理由をつけても、東京から帰ったら逃げ出した事であり、その事実は
一生裕二について回る事となり、それがどうしても裕二には我慢ができそうになかった。
時折、ガールフレンドの優子から手紙が来て、励ましてくれる。
高校生活も後わずかを残すのみとなり、進路に迷っていると言う。
(俺にきかれても・・・)
と、裕二は考えたが、男兄弟しかいない裕二は女心が理解できない。
優子は暗にどうして欲しいか・・・と裕二の意見を聞いている訳だが、裕二は文字通り、
解釈した。
そして、自分で良く考えて結論を出すようにと、まるで教科書の答案みたいな事を返事した。
しかし、
どうもこの返事には血が通っていないと気付き、近く帰郷するので、二人で良く話し合って
みよう・・と付け加えた。
二年ぶりの帰郷である。
やはりふるさとはいい。両親も直ぐ逃げ帰るであろうと考えていたこの裕二の頑張りを
喜んでくれた。
裕二は実家に帰っても一日も家にいることなどなかった。
毎日友達と会っていた。
久しぶりの友人達と会うのは楽しかった。
多くは家に招待してくれて、ごちそうずくめである。
そんなある日、
裕二は優子と会った。
二年ぶりにあった優子はずいぶん大人びており、又一段と美人に見えた。
「優子、随分美人になったなー」
裕二が二年ぶりに優子に会った時の第一声である。
優子はそんな裕二の言葉にはにかみながら、笑顔を返した。
「背も高くなっただろう?」
ファッションのセンスがいい。
白のワンピースに腰を大きなベルトでしぼり、かかとの高い靴をはいて、肩からは
可愛いショルダーバッグを吊るしていた。
「優子」
笑顔を返す優子に向って、
「お前、そんなにファッションのセンスも良かったっけ?」
(お袋も確か二十歳前に嫁に来た様なことを話していたが、
今の優子が結婚しても何にもおかしくない年頃だしなー)
裕二はそんな事を考えながら歩いていたが、やがて小さな喫茶店に着いた。
ここでの簡単な食事の後、
「就職決めたか」と裕二は優子に聞いた。
「ううん」
そう言って優子は首を横に振った。
「家を出たいんか?」
そう聞く裕二に、優子はうなずいた。
「だったら・・・俺の所にでもくるか?」
裕二に何の考えも無く、ただ、流れから出た裕二の言葉だった。
一瞬、裕二の心臓が激しく鼓動し出した。
裕二はそう言った後で、いまさらながら、自分が何を今言ったかを自覚したからである。
優子はクリクリした大きな目で裕二を見つめ、
「本当に行ってもいいの?」
と聞いた。
「ああ・・」
と 裕二は返事をしたが、内心焦った。
「でもそんな簡単に出れるんか?」
優子の家を、である。
当然の裕二の質問である。
裕二の場合、他人の飯でも食えばバカな考えを改めるかもしれない・・と言う伏線が
あった為、家を出る事が出来た。
直接就職したいと話したらこんなスムーズに行ったかどうか・・・。
「就職はここ(実家)でしろ」
くらいは 当然言われたはずである。
優子は一人娘である。
裕二が聞いた「俺の所にでも来るか?」の質問は、殆ど無理の言葉を予想していての
リップサービス的な言葉だったが、優子の返事に今度は裕二が驚かされた。
(本当に来るかもしれない)
優子の話では卒業したら結婚するまでどこかに働きに出て、婿養子を取るように・・と
言い聞かされているとの事。
婿養子が来ても生活の為には、共に働かざるを得なく、
共稼ぎが絶対条件ならば、何も
家に婿養子をもらう必要なんかないのではないか・・・
と優子は言う。
要は優子の家を残す事が絶対条件なのである
「誰か来ると思う?」
と、優子は聞いた。
婿養子にである。
「そりゃ分からんが・・・」
聞かれた裕二は曖昧に答えるしかなかった。
「来る訳ないじゃない・・・貧乏だし・・・」
と優子はつぶやくように言った。
「しかし、家(財産)と嫁がセットで手に入るんだろう」
この裕二の心無い返事に
「バカみたい」
と優子は本当に嫌がっている様子だった。
「でも仮に優子が家を出たら、家はどうなるんだ?」
と、裕二は核心を聞いてみた。
「どうしても家を残したいのなら、本当の養子でも迎えたらいいのよ」
なるほど・・・そう言う考えもあるか・・・と裕二は考えた。
「出よう」
そう裕二は言って優子を促した。
隣町の唐津には、虹の松原と言った観光名所がある。
海岸いっぱい数キロの松林があり、大小の松が曲がりくねって連なっている。
この海岸を裕二は優子と歩きながら、どう話を切り出そうかと思案していた。
「何考えているの?」
急に無口になった裕二に優子は問いかけた。
「うん・・俺たちもう付き合い始めてもう、二年過ぎたよな」
裕二は急にもっともらしい話を始めた。
「うん」
と優子はうなずき、裕二の次の言葉を待った。
「ここいら辺で、俺ら本当のカップルにならないか?」
と裕二は言った。
「本当のカップルって?」
「だから、本当の彼氏と彼女って事だよ」
「今の私たちって、そうじゃない?」
「ったく!ガキなんだから・・」
そう裕二は言ったが、それ以上の言葉は裕二もどう話したらいいのか分からない。
「だから、ちゃんとした彼氏と彼女って事だよ」
裕二は意味不明な言葉を又言った。
そして裕二は本当に何の話をしているのか優子が分かっていないのか、疑りつつ、
「俺が何の話をしているのか本当に分からないのか?」
と聞き返した。
「・・・・・・・・・・」
優子は急に無口になった。
ザザー、シャー
寄せては返す波の音が規則正しく繰り返している。
それ以上二人は何の話もすることなく、ただ歩いた。
時折すれ違う人達が、この高校生のマセ共が・・・とでも言うような目つきで
二人を一別していった。
裕二も優子も童顔で、制服を着ていない高校生くらいにしか
見えなかったのかも知れない。
海岸のはずれまで来たとき、
「なあ、優子?」
(どうなんだ)
と 裕二は聞いた。
「でも・・・」
裕二は優子の顔を見ないで、
「でもなんだ?」
と、優子に言った。
「怒ってるの?」
「まさか怒ってなんかいないけど・・・」
「でもちゃんと聞いて」
と優子は真剣な顔を裕二に向けた。
裕二はこの緊張感に耐えられなくなって来ており、中場もうどうでもいいとさえ
考え始めていた。
男と言うモノは案外その程度位しか考えていないのかも知れない。
しかし女性である優子に取っては一大決心なのであろう。
いい加減な妥協など出来るはずがない。
ちゃんと話を聞いて自分の納得のいく結倫を出したい。
優子は真剣な口調でそして短く、
「子供が・・・」
とだけ言った。
(できるかもしれない。その場合どうするの)と言う意味である。
この裕二と言う男は、利口なのかバカなのか・・・
「出来ないようにする」
と答えた。
「どうするの?」
とは、優子は聞かなかった。
休みが残すところあと二日を残すのみとなった。
その後東京へ戻り、又今までの変化の少ないただ働くだけの生活に
戻らなければならない。
大人の女性に成長した優子との一夜が当然裕二に興味が無い筈がない。
しかし何処で・・・と考えると裕二には名案が浮かばなかった。
このころ、裕二も優子も青春真っ盛りのころの昭和の中頃は今みたいなラブホが
あるわけでもなく、かと言って、ホテルは敷居が高かった。
相手は未だ高校生であり、何か裕二のせいで
取り返しのつかない事件や事故にも巻き込まれたくなかった。
あくまでも二人の世界であり、他のだれにも邪魔されたくもなかった。
裕二は考えたあげく、決めた。
(これしかない)
裕二は次の日、優子と会った時に、
「明日だけど、」
そう言って時間を置き、
「明日優子の部屋に行く」
と昨日考えた結論を優子に告げた。
「エエッツ」
「どうして?」
この問いには二つの意味がある。
どうしてそんな事を未だ話すのかと言う事と、三十キロも離れている優子の家まで、
どうやって来るのかと言う意味である。
裕二は優子の問いかけに直接答えず、
「そんな事は俺が解決するから、心配せんでいい」
と話しを制し、裕二が一番心配している事を確認した。
「二階に一人で寝ているんだろう」
優子は言葉を発せずただ下を向いたまま頷いた。
優子は二階で一人で寝ている事に首を縦に振ったが、本当に裕二が来るかと言うと、
半信半疑であった。
今まで裕二は優子には、部活の使い走りとか、汚れ物の処理、ほころびの修繕などの
ヤボ用を言いつけるだけで、好きだの愛しているなど言った事がない。
久しぶりに田舎へ帰っても、いついつ、何処そこに来い・・・等と
自分の都合だけで優子を呼び出し、優子に対する思いやり等、裕二は見せた事も無かった。
優子は裕二に他の女性の存在すら感じていた。
そんな裕二が本当にそんな大胆な行動を起こすのだろうか・・・
中半否定はしてみたが、本当に来るかもしれない。
「私の事、愛しているの」
と優子は裕二に聞いた。
「愛?」
(そんなもんわかんねーよ)
裕二は正直そう思った。
が、口にしてはまずい。
「ちゃんと言葉にして言って!」
「言葉でか・・・」
裕二は照れくさそうな様子だったが、
「愛かどうか分からんが・・・・大好きだ」
と、言った
優子は満足したような顔をして頷くと、
優子は言った。
「その一言が聞きたかったの」
次の日は東京へ戻ると言う日の前日、深夜になるのを待って裕二は出かけた。
幸い雲が薄くかかっており、月明かりもこの雲が遮断してくれていた。
その上、田舎の夜道には街灯もなく、真っ暗であり、道で知人に出会っても
誰だか分からない田舎の夜はこの日の裕二には都合が良かった。
良し悪しは別として、裕二は長年日本で培われてきた日本の文化?である
夜這いを決行しようとしていた。
この夜這いの話は裕二も、面白おかしく老人たちから聞いた事があった。
しかし戦後になり、女性の地位が向上しはじめると段々アメリカを始めヨーロッパの
文化、習慣が重んじられるようになり、裕二の頃はまるで昔話のような
趣で語られる事が多かった。
裕二は考えた。
(顔も分からない・・・)
(そんなイヤな奴が忍び込んで行っても、当然受け入れてもらえる筈がない)
しかし裕二は優子に“行く”と明確に伝えてある。
これほどの確実性と、期待は胸躍るものがある。
現代で、この文化を継承しようとする者は、昔みたいに勢いだけで行動するのではなく、
女性の同意が必要なのである。
しかし不安材料はいっぱいある。
優子の家には裕二は未だ行った事がないのだ。
しかし、田舎の事、家だってポツリポツリしかなく、どの辺の何処くらいは容易に
想像できる。
しかしうまくいかなかったら、目も開けられない修羅場も想像される。
それを押して行動するのはやはり若さなんだろうか・・・。
(あの家に違いない)
裕二はそう目星をつけると、乗って来たバイクを離れた草むらに隠し、歩いた。
こんな暗闇の世界でも、道路、川、木々、家と言った大きなものは判別出来、
裕二はたいした苦労もなく、優子の家の前に出た。
優子の家はただ一軒だけポツンとあるのではなく、隣の家と併設していた。
(あそこに違いない)
裕二は確信を持った。
(こんな深夜に明かりがついている)
農家では一般、仕事の関係上、肉体労働となる場合が多いので、
早めに就寝するのが普通である。
しかし、こんな深夜、未だ明かりが灯っていると言う事は
優子か・・・。
裕二は、勝手に、
(優子もまんざら・・・・)
と考えた。
そう考えるとうれしくなり、と同時に心臓の鼓動が増した。
裕二は大きく息を吸い込んだ。
ヤルゾ!
と、言う意思の高揚である。
これ程の決意を、勉強なりスポーツに頑張っていたら、裕二はきっと
相当な所まで行けたと考えられるが、
幸か不幸か、これ以前にここまでの決心をしたことはない。
中腰のまま家下まで進むと、二階へ伝わるべき、何かを探した。
何かが二階にまでつながっていればそれをつてに登れるかも知れない。
そかし、そんな物は何も見当たらなかった。
焦った
何か小石でも拾って二階に投げ、裕二の存在を優子に知らせようか・・・
とも考えたが、すぐ、その考えを打ち消した。
仮に、優子が裕二の存在を知ったとしても、どうなるものでもなく、
優子の部屋まで導く、秘密の通路を教えてくれるわけでもない。
(駄目か・・・)
裕二は背中に汗ばむ何かを感じた。
裕二は片手を大きく伸ばし、何か当たる物はないかとさぐっていたが、やがて、
唯一、手に何かが触れた。
裕二はそれが裕二の体重をささえられる物か、ぶら下がって強度を探ってみた。
(大丈夫そうだ)
裕二は両手でそこにぶら下がり、大きく懸垂して、宙返りし、
その宙返りした足を二階の瓦屋根にひっかけた。
この裕二の身軽さや運動神経は
子供の頃から野や山で走り回って鍛えた足腰ではあるが、この(夜這い)為ではない。
二階に上がった裕二は瓦の目にそって腹這いながら、明かりのする二階の
窓口へと、少しずつ移動した。
行程の半分程進み、あと数メートルを残すのみの距離に達した時、
急に隣の家の方向から犬がけたたましく吠えだした。
(ヤバイ)
裕二は伏せたままそう思ったがどうする事も出来ない。
そっと鳴き声のほうへ顔を向けると、それはまさしく裕二を見つけて真っ直ぐ
裕二に向って吠えている。
万事休すである。裕二は動けなかった。
動物は逃げれば多くの捕食動物がそうであるように本能的これを追う。
裕二の場合は逃げるより先に地理的条件が、全く分からず、身動きできなかったのである。
犬はますます吠え続け、止めようとしない。
すると人の声まで加わった。
犬があまり激しく吠えるので隣の人が様子を見に出たらしい。
少しの間静かになった。
(何か探している)
犬が吠えている方向を凝視しているのであろう。
動いたらマズイ・・・。
見つかりませんように・・・・。
裕二は生きた心地がしなかった。
裕二は、伏せたまま身じろぎもせず、まるで瓦と一体にでもなっているかのように
小さく身を伏せ、この瞬間が過ぎるのを祈った。
やがて、
「何もいないじゃない」
の声がした。
犬がキツネか猫でも見かけて吠えていると考えたに違いない。
(助かるかも・・・)
「00!(犬の名前)入る(家の中)よ」
と言い、犬を連れ去った。
(助かった)
が、何という不運なハプニングだろうか・・・・。
裕二が一大決心して行動した日本の文化の継承は、不運なハプニングにより、断念を
余儀なくされた。
優子は、何と思ったんだろう。
まさか犬に吠えられ逃げ帰ったと大笑いしているかも。
全く、凹こませる出来事である。
でも不思議な事に、優子は裕二に“来たの?”と聞かないのである。
その後の、手紙でも何でも、聞くことができるのにその話には触れない。
裕二も犬に吠えられ、逃げ帰った等、言いたくもなかったし、優子が聞かない
事を良い事に、その後、この話を二人でした事はない。
それより、優子は卒業したら、東京に出て来ていいかと言う。
裕二は、優子の事を考えると直ぐ、あの日の犬に吠えられた苦い
失敗を思い出す。
表向きは、東京のどこかに就職すると言う事ではあるが、
その実は裕二の所へ行くと言うことであり、
その行動は裕二より大胆である。
未だ、手も出していない後輩の?の女性の話で、
優子がどこに就職しようが、裕二とは何の関係もないと言えばそれまでだが、
二人が付き合っていた事は公然の事実である。
裕二が女を置いたまま、東京へ一人向かったと話が広まっているらしい。
話は、それだけでは終わらない。
噂には必ず尾ひれが付き、多くは男が女をそそのかした事に話は進んで行く。
しかし、裕二は優子と手をつないで町中を歩いた訳ではない。
それが、何故、噂なんかになるのだろうか
それは、カップルだけが持つ、幸福感、緊張感からかもしだされる
独特の雰囲気、気配などから、
(この二人出来てる)
と、誰かが思っても何も不思議では無かったのかも知れない。
(それにしても、まずい)
しかし話は簡単である。裕二がその気はないから・・・
と突き放せばそこで終わる話であった。
しかし問題なのは裕二にその気が多いにある事だ。
母から、二、三日でいいから帰って来いと手紙が来た。
「帰って来いか・・・」
東京へ出ても直ぐ逃げ帰るに違いないとの両親の淡い期待を裏切って、
頑張り続ける裕二に両親は、
このまま放って置いたら、この先、本当に田舎には帰らず、実家も継がないのでは
ないか・・・考え始めたのである。
裕二は当初の計画の半分もお金は貯まらなかったが、
これを機に行動に移すか・・・と考えて、会社を退職し帰郷した。
1970年。
裕二が海外へ行こうとしたこの時期。
日本の若者が日本から自由に飛び出すような事は殆どなかった。
海外旅行もつい数年前に自由になったばかりで、日本人がビザなしで行ける所など、
殆どなく、持ち出せる外貨も500ドルまでだった。
一ドルは固定相場で、360円もしており、今のドル(1ドル=約100円)の
4倍近い値である。
その上、ヨーロッパまでの飛行機の片道運賃が当時の金額でも30万~40万円していた
要するに、貧乏人は海外なんて行けない時代であった。
田舎に帰る前に、裕二は渡航の為のパスポートを申請する傍ら、イギリスまでの
旅費を少しでも安くならないかと、旅行会社を片っ端から当たった。
結果はどの旅行会社も似たり寄ったりの内容で、裕二は途方にくれた。
イギリスまでの片道運賃が持ち出せる外貨(500ドル)の倍以上かかるのである。
そんな中、裕二は耳寄りな話をある旅行会社から聞く事が出来た。
それは、飛行機ではなく、貨物船で行く方法で、貨物船とは言え、船内にゲストの為の
客室が、何個か必ず常備されており、空いている場合は、乗せてくれると言う話である。
早速、船会社に当たってみたが、値段は飛行機で行く場合の半分程度(500ドル)とは
言え、これでも裕二は無理であった。
裕二は未だ諦めない。
一層の事、韓国まで渡り、後はすべて陸続きであり、バイクでも行く事は
出来ないだろうか・・・とも考えたが、さすがにこれは無謀だと考え、止めた。
そんな時、多くの若者が、新潟から海外に出ていると言う話をある旅行店で裕二は聞いた
新潟に出て、船でロシア(ナホトカ)まで行き、そこからシベリア鉄道で、ヨーロッパに
入ると言うルートである。
(これしかないかも・・・)
調べてみると片道約250ドル程で行けるらしい。
裕二はこの3年近く貯めた金の大半を支払ってこの片道切符を手に入れて
帰郷したのであった。
(実家)
家では両親が裕二を説得していた。
父の清二が言うには
「結婚せよ」
と言う事だった。
裕二は、家を出て、もうそろそろ3年にもなるし、いいかげん実家を継げとでも言われると
思っていたが、結婚せよなんて・・・
「なぜ?」と
裕二はこの途方もない話のいきさつを聞いた。
裕二は優子と結婚するのが嫌だとは考えていない。
しかし、それはずっと先の話で、今の時点では定職さえ無いではないかと考えている。
父は裕二に言った。
「色んな噂が飛び交っても・・」
(裕二が優子と東京で一緒に住んでいるらしいとの事)
これは噂だし、その内、この噂も消えてなくなるかもしれんが、
女の子にキズが付く。」
(フーンそうかな?)
裕二は未だ父の真意をくみ取れないでいた。
「で?」と
裕二は短く聞いた。
「我々もこんな噂が出ているのに、いつまでも知らん顔は続けられん」
裕二は母の顔をチラッとみたが、その母さえ大きくうなずいている。
(これは母が父に言わせている)
裕二は咄嗟にそう判断した。
(と言う事は同意見か・・・)
(これはやっかいだぞ)
「まして、裕二がこのまま外国にでも行ってしまったら、その娘は実家にも
帰りにくくなるだろう・・」
(何も乗り捨てて逃げる訳ではない)と裕二は考えたが、
要するに、このまま宙ぶらりんで何処かえ消えてしまうより、ちゃんと結婚と言うケジメ
をつけて、外国なりどこなり行くべきである・・と言うのが、父の話であった。
いつもは母が多くを語り、大体父は無口を決め込んでいるのが常なのだが、
今日の父は雄弁であった。
母が聞いた。
「裕二も相手の人は、好きなんでしょう?」
「しかし、俺はまだ二十二歳だし、式を挙げる金もない」
母はちらっと父を見ていった。
「それはお父さんが何とかしてくれるから」
「でも・・・」
「仮に式を挙げたにしても、優子は何処に住めばいいの?」
母はあきれたように裕二を見て言った。
「ここに住むに決まっているじゃない」
「俺がいなくてもか?」
「当然じゃない。」
「山崎家の長男坊のお嫁さんだし・・」
正に願ったりかなったりの様子で話は展開して行った。
裕二に何の不満もない。それどころか式も挙げてくれて、
優子をちゃんと長男の嫁として預かると言うのである
裕二は言った。
「俺は未だ優子が俺と結婚してくれるか聞いていない。」
「エッ」
両親の驚きの表情である。
「まだ結婚の約束はしていないの?」
と驚いた様子で、母は聞いた。
裕二の話を聞いて母の須奈は安心したのかも知れない。
母は大笑いし出した。
その程度のつきあいかと思ったらしい。
そして安心した様な大きな声で、
「申し込んでみる事ね」
といたずらっぽく笑った。
真に変な具合に話が進み、当の優子の知らないところで優子を嫁に向える話が
山崎家で決まった。
この話には、両親が、嫁でも持つと多少は落ち着くかも知れないと言う両親の淡い
期待も入っていた。
それでも、この恵まれた山崎家の長男である裕二は、多くの皆の期待を裏切り、
一人海外へ向かう。
東京に住む優子の所に直ぐ裕二が向かったのは3月の始めであった。
優子は卒業と同時に東京での就職をさっさと決め、
裕二とは、近い距離の会社の寮に住んでいた。
裕二は、これまでのいきさつを説明した後、優子に問いかけた。
「優子、俺の嫁さんになってくれるか?」
優子は嬉しそうに笑顔を見せて、
「うん」
と短く答えた。
その後の事は目が回る程裕二も優子も忙しかった。
優子の会社の退職、仲人を立てて、正式な山崎家から優子の家(田崎家)への結婚の
申し込み、案内、結婚式これら一連の行事をわずか一か月で済ませた。
多少、話がこじれたのは優子の家である。
一人娘だし、嫁に行かせるのは・・・、
それより、養子に入ってくれないかとお願いされた。
式は挙げたが、新婚旅行なんて事はない。
それどころか、裕二は優子を残して一人でイギリスに向う事を少しも諦めていない。
式の後、わずか一週間足らずで出発すると言う。
再び希望が丘へ
ここは高校を終えるまでの3年間、通い、休憩を取った所である。
この希望が丘は心のオアシスのような所だと裕二は考えている。
あれから3年、裕二は妻を連れて来ている。
裕二はそこから眺める町を指さしながら、高校時代の優子との話に花を咲かせた。
優子は幸せいっぱいと言うような笑顔で、
裕二に語り掛けた。
「いいわね、あなたは・・・」と突然いった。
「何が?」
「希望があって」
「希望?そんなもん、優子にだって有るだろう?」
「無かったわ」
「いや、無かったと言うより、持たないようにしていたわ」
「何故?」
「前に話した事があったでしょう?小さい頃から優子は養子を迎えて家を継ぐんだと
ずっと言われ続けて来たから、希望なんて・・・」
と優子は言って口をつぐんだ。
「そうだったな」
そう裕二は言葉に出したが、後が続かなくて裕二も黙りこくってしまった。
「それから・・・」
と優子は言って笑いだした。
「あなたのお母さん」
「もう裕二、裕二と言って裕二大好きのお母さんなんだから・・」
「そんな間に私が入り込むなんて出来るのかしら・・・」
「バカか、お前は」
他愛もない話がひと段落した後、
裕二は真剣な表情で優子に言った。
「優子、俺が物になるかどうか、この2年いや、3年が勝負だと考えている。
3年と言う期間は優子に取って随分長く感じると思う・・・
その間、辛抱できるか?」
真剣な裕二の言葉に、直ぐ裕二はいなくなってしまうという現実に引き戻された
優子は無言のまま、こっくりと頷いた。
「未だ住所も決まらないし、手紙も書けないが・・・
決まり次第、直ぐ手紙書くから。」
「それから・・・何か困った事が起きたら・・・」
続けようとする裕二の言葉を優子は遮った
「もう言わないで」
「泣いてしまいそうだから・・・」
裕二は無言で優子を抱きしめた。
優子の柔らかな体と、甘い優子の髪の香りを感じながら、
「俺は、絶対に大丈夫だから・・・」
裕二は優子に言い聞かせると言うより、自分に言い聞かせてでもいるかのように
繰り返した。
明日は出発すると言う前の日の夜、ささやかな裕二の送別会の後で母の須奈が
裕二を呼んだ。
どうしても聞いておきたい事があるという。
「裕二!あんたは何しに外国に行くの」
須奈は正座すると、裕二を真っ直ぐ見つめ、聞いた。
裕二は何々をしに・・・と言うような固い目標があった訳ではない・・
しいて言えば、このままこの田舎で米を作って一生終わりたくない・・と言うのが、
家を出たいと考える大きな要因であるが、さすが、そんな事は言えない。
裕二は困って、
「そうだな・・一旗揚げに行く」
と答えた。
この一旗であるが、昔は、戦場で、陣地の目印として
旗を揚げた事に由来するそうだが、現代では事業でも始める。
独立する等の意味に使われる事が多い。
そんな裕二の言葉に母の須奈が納得するはずがない。
「そんな外国で一旗なんか揚げれるものですか」
母はあきれた表情で、
「私は女学校を出て直ぐ行け(嫁ぐ)と言われ、やりたい事も
何も出来なかった。
だから・・・自分の子供達には、せめて好きな事をさせてあげようとしてきた
「誰もが羨ましがる、この山崎家の農家の跡取りと言う、恵まれた条件を捨てて・・・
たった今もらったお嫁さんまで置いて・・・何が良くて外国へ行こうと言うのか、・・・
どう考えて分からない」
裕二もどう話したら母が安心してくれるのか、分からなくて困ってしまった。
いや、何を話しても理解なんかしてもらえなであろう事は裕二が一番よく分かっている。
「今さら、そんな事言わないでよ」
と言って裕二はこの話から逃げようとした。
無言のまま裕二を凝視していた順奈は、
仕方がないとでも言うような素振りで、やがて懐から
封筒を取り出し言った。
「頼りになるのはこれしかないから。」
そう須奈は言いながら裕二に封筒を渡した。
そして母は裕二に言った。
「裕二!、絶対生きて帰っておいで」と。
物語の進行上、この昭和四十五年というこの時期、日本を取り巻く世界の情勢が、
どうであったかを簡単に説明しておかねばならない・。
この一九七十年(昭和四十五年)と言う時期であるが、日本では東京オリンピックを
五年前に終え、この年に大阪万国博を控え、内閣は佐藤第三次内閣の時代であった。
日本が高度成長の波に乗り始めた年であり、地方からも仕事を求めて、東京、大阪へと
人々が押し寄せ、中学、高校卒の人材は金の卵ともてはやされ、都会にさえ行けば
仕事はいくらでもあった。
一方外国へ目を向けると、アメリカはベトナムとの戦争真っ盛りであり、
そのアメリカでも
戦争推進派と反戦運動派が世論を二分し、国内はごったがえししており、当のアメリカ自身、
どうこの戦争を終結させるか、パリで何度もベトナムと話し合いを続けていたが
合意に至らず、アメリカが実際、ベトナムから撤退するまでさらに三年の歳月を要している。
また、裕二が目指そうとしている英国では、前年の一九六九年、北アイルランド紛争が
激化しており、中心部のロンドンでも至る所に爆弾が仕掛けられ、物騒で街も歩けない
状態であり、これを取り締まる為、軍が市内を完全武装して実弾入りの銃を構え、
パトロールを強化している状態であった。
海外へ出ようとする多くの場合、短期間の旅行は別として、目的地に知人や親せき、
少なくても友人くらいはいて、行動すると言うのが平成の世になっても変わらない。
仕事も金もなく、その上片道切符で、英語も多少習った程度の田舎出の青年の行動は、
無謀としか言いようがない。
しかし何がこの青年の行動を突き動かせているのか、裕二は結婚と言う両親の
最大のもくろみも裏切って、新妻まで残し、出発しようとしている。
第一章 青春の旅立ち終わり。
四苦八苦してやっと投稿出来ました。
初めての作品ですが、多少でも喜んで頂けけたら幸いです。