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 主守すのもり白雪しらゆきの心労は限界に達していた。亡き父から神器守護のお役目を継いで半年の日、総本山である天照寮てんしょうりょうから書状が届いた。そこには、警備態勢や神衛たちの実力の査察をするため、近く専門の御使を派遣するということが記されていた。各地の神社の査察は年末に一気に行われるのが通例だが、何故か白雪のところだけ四月に実施されることになったらしい。

 急な査察だけでも頭が痛い。だがそれ以上に、査察を担当する御使が二有秋良にゆうあきらであることが、白雪の心労に拍車を掛けていた。


 神器に携わる者で、二有秋良の名を知らない者はいない。二有はかつて陰呪一派の刺客として六宇の神社を襲撃し、二つの神器を破壊した記録のある超危険人物だった。


「「膿戻り」がどうして……」


 神器が人の手に委ねられてから数百年、天照寮と陰呪一派は敵対関係を続けてきた。神聖な祭具として神器を丁重にお祀りする天照寮と、私利私欲のために神器の力を利用せんとする陰呪がわかり合うはずもなく、血で血を洗う抗争は泥沼の様相を呈している。そんな情勢下において、陰呪から天照寮に寝返った者のことを「膿戻り」と呼ぶ。その性質上、彼らは両陣営から忌み嫌われ、常に血生臭い現場にのみ職を与えられる。

 悪名高い生粋の膿戻りが、天照寮三翁、詩賀無しがない家の勅命で主守にやってくる。断るなんてできるわけもなく、何をしでかすかわからない二有への対策を練るため、白雪は三日ほど眠っていない。

 そしてとうとう、今しがた二有が到着したと境内の神衛から通信が入った。


「やだなぁ、怖いなぁ」


「お嬢様。御心を強くお持ちください。いざとなれば私がこの祭剣で斬り捨ててご覧にいれます」


「それはそれで困るんだけど……」


 主守家に代々支えてきた一族の末裔である葦川あしかわキヨラが、刀の柄に手を添える。キヨラは頼りになる神衛だったが、少々短気なところがあった。キヨラと二有が下手な衝突をしないかどうかだけでもお腹が痛い。


「む。いました。あの男です」


「う、わ……」


 鳥居の下に佇む全身黒ずくめの男を見て、白雪の背筋が凍りついた。男が一歩ずつ近づいてくるごとに、キヨラと二人で額に汗を浮かばせた。


「……御使の二有秋良だ。これが委任状になる」


 口元は隠されていて見えないが、思っていたよりもずっと若い声だった。だが。


 ーーひぇ〜。


 白雪は心の中でベソをかく。二有の纏うオーラが血に飢えた獣よりも禍々しく、周囲を歪ませるほどの殺気を垂れ流していたからだ。百聞は一見にしかずとは言うが、二有が放つ荊棘のような圧力は白雪の想像のはるか上を行くものだった。唇が震えて、会話を切り出すのも難しい。


「え、その、伺っております。当主の主守白雪と申します。早速ですが、我が神社の警備態勢の案内をさせていただきます。あ、この者は警備長の葦川です」


 キヨラは何時でも祭剣を抜刀できる構えだ。剣呑な目つきで二有を睨み据えている。そして二有もまた、敵意と殺意が五分に混じり合った視線を彼女に突き刺していた。隣にいるだけで息がつまる。


「け、境内には詰所があり、常に四人の神衛が警護に当たっています。全員が四星の位です」


 四星とは神衛の実力の指標のようなもので、彼らは上から四番目、下から六番目ということになる。


「神器は地下の神域で保管されています。こちらへ」


 本殿の奥に置かれた鏡に、白雪が手をかざす。するとすぐ側の木床がゆっくりと動き出し、地下へと続く階段を開いた。

 二有は眉間に深く皺を寄せて床や壁の造りを検分している。その無言の圧力のせいで白雪の血圧は下がりっぱなしだ。

 施設の警備システムを管理するモニタールームや、神衛が寝泊まりする部屋、医務室を案内し、最後に地下最深の空間に到着した。


「ここが最深部、神器をお祀りしている神域です」


 そこは四方を大理石に囲まれた真っ白な空間だった。空間の四隅で警備に当たっている神衛たちが警戒した顔つきで二有を睨んでいた。

 神域は不純なものを何一つとして許容しない。あるべきは一際大きな祭壇だけである。


「あれこそが、神器けものの第八十七位【駿進の賢狼】です」


 畏れ多くて指差すことはできないが、白雪の視線の先に、鈍い光を放つ正八面体の結晶が浮遊していた。

 神器とは、神器うつわ神獣けもの神理ことわりの三つに分類される特別な祭具のことを示す。序列は一位から百位までが存在し、数が小さくなるほど古く、強力になっていく。一桁代の神器を呼び覚ませば、星の摂理を塗り替えることすら可能だと伝えられてきた。


「この神器を、主守一族は命を張って守り続けてきました」


 見上げる白雪とキヨラの頬に赤みがさす。【駿進の賢狼】の守護を任されてから四百年。不敬者の侵入を一度も許していないことが、彼女たち主守家の誇りだった。だが、


「脆弱だな」


 彼女たちの誇りは、二有に一言で吐き捨てられた。


「なに!?」


「脆弱だと言ったんだ。神衛の練度は低く、レーダーだのレーザーだのの科学技術に頼らなければ守護もロクにこなせない。主守は古より伝わる優秀な神縁の使い手集団だったと聞くが、これでは見る影もない。零落したというのは本当だったようだ」


「貴っ様……!! 黙っておれば好き勝手に……」


「待って」


 キヨラが抜刀しようとするのを、白雪は手で制した。


「二有さん。確かに我が一族の神縁は弱くなりました。ですが、私たちの心まで弱くなってしまったと思われたのであれば、それは間違いです。力は無くとも、私たちは神器を守り続けます。力ではない。守ってきたことが私たちの誇りなんです」


「……」


「査察の方、どうか厳しくお願いします」


 頭を下げる白雪に二背を向けて、二有は無言で階段をのぼって行った。白雪はその背中が見えなくなるのを待って、溜め込んでいた息を一気に吐き出した。最後に交差した視線の色、あれは絶対に殺意だった。

 
















 二有が到着した日の夜、月羽野雄二はいつも通り境内の警備に当たっていた。彼はここの神衛の中では葦川と並んで二番目に若い。最年少は当主の白雪で、彼女はまだ十六歳である。だが、彼ら以外の神衛は全員五十代後半の中年たちで、他の神社と比べると平均年齢は十歳以上も高い。

 はっきり言って、今の警備態勢では危ういと月羽野は感じている。神縁をほとんど持たない当主と、四星程度の神衛が十と七名寄り集まった警備ではあまりに頼り無い。もし強力な死縁使いの襲撃に遭えば、果たして主守の人間だけで神器を守り切れるのか。

 今宵は月がない。神縁が最も弱り、死縁が最も強くなる新月の夜だ。いつも以上に気を引き締めて警備に当たらなくてはならないし、何より二有という男のことが気がかりだった。


「どうか、お嬢様に賢狼のご加護がありますよ……ぅ!?」


 背中から腹部にかけて強烈な違和感が生まれた。それが痛みだと気づいた時には、ズルりと背中から何かが引き抜かれ、月羽野は顔面から地に崩れ落ちていた。傷口から溢れる血が砂利の上を広がっていく。


「お、まぇ……?」


 月羽野の薄れゆく視界は、舌なめずりをしながら笑う女を捉えていた。女の振るった真っ黒な何かが血を飛ばし、遠くの御神木にこびりつかせた。









「……皆んなの具合は?」


「四人とも、まだ目を覚ましません。霧口と原目に至っては早く大きな病院に連れていかないと……」


「そんな……」


「昨晩は新月でしたから、死縁による傷は特に深くなっています。私も全力を尽くしますが、神縁が弱いままだと最悪もあり得ます。ご覚悟ください」


「死縁ってことは、やっぱり陰呪の者なの?」


「おそらくは」


 査察二日目の朝、白雪と主守専属の医者が沈痛な面持ちで顔を合わせていた。神衛は死縁など使わないし、使えない。また逆に、陰呪の者は神縁を使うことは出来ない。襲撃者は間違いなく陰呪の者だ。だが、白雪が考えてしまうのは二有秋良、「膿戻り」の性質ばかりだ。

 境内の四人が襲われた昨晩、二有はここにいなかった。警備態勢を説明された後、何故かあの男はすぐにいなくなってしまったのだ。今朝になってお勤めに来た時も、重傷の四人に見向きもしなかった。

 考えれば考えるほど、二有の黒く不吉な雰囲気が襲撃の余韻に見えてしまう。彼が来たその日に起こった事件。天照寮には報告しているが、何故か返答がない。


 ーーまさか妨害されている?


 白雪の中で二有への不信感が最大にまで高まったその時、異常事態を告げる緊急警報が響き渡った。


「なっ!?」


 だが、それは即座に消された。誰かが意図的に警報を切ったのだ。白雪は頭で考えるよりも早く医務室を飛び出した。神衛服の内ポケットに装備している神縁の武器〈賢狼の祭簪〉を、いつでも投げられるようにしておく。二有に指摘された通り、これにはほとんど神縁が宿っていない。だが、白雪にはこれしか闘う術がない。


 白雪がいなくなった直後、四名の中では軽傷だった月羽野が意識を取り戻していた。


「あ、ぐ、うぅ……?」


「あ! 目覚めたか! 傷はどうだ? 痛むか? 痛むならどう痛む?」


「そん、なことは……いい。はや、く。早くお嬢様に、お伝えしなくては!」


「落ち着け! 傷口が開く! 何を伝えたいんだ。儂が伝えてやるから!」


「逃げ、ろ! あの女を、信用しては……いけない!」


「女? 女って……」


 その時、二発の銃声が医務室にこだました。白雪は咄嗟に振り返りそうになったが、首を振って階段を駆け下りる。神器こそが彼女たちが守るべきものなのだ。


 ーー闘わなくちゃ。私が!


 最下層の神域に突入した。くるりと二回転して、簪を構える。


「止まりなさい! 抵抗すれば容赦なく攻撃します!」


「ん〜?」


「なっ……!?」


 目前に広がる光景に、白雪は目を疑った。手練れである四星の神衛五名が、神域のあちこちで倒れていた。命の危険がありそうなほど出血している者もいる。

 血の匂いが充満する神域で、人間離れした風貌の女が神器に手を伸ばそうとしていた。


「それにっ! 触るなぁ!!」


 指に挟んだ三本の簪を投擲する。精魂込めて毎日祝詞を挙げて強化してきた簪だ。コンクリ程度なら大穴を開けて貫通する威力を持つ。

 女の胸、脇腹、太腿に簪が命中した。だが、


「だめだよ。わたしにはそんなの効かない」


「なっ!?」


 深く突き刺ささったはずの簪が、三本とも塵になって消えた。


「ほら、ほつれてもないでしょ?」


 漆黒のジャケットを手で閃かせ、女は楽しそうに笑っている。あれは絶対に普通じゃない。だが、白雪は女の美しさに目を奪われてしまっていた。

 女が人ならざる者であることは、一目でわかった。陶器よりも冷え冷えとした肌に、丁寧に編み込まれた透き通るような白髪。髪先に結わえられた鈴が心臓のまえで揺れている。そして、艶やかな紅色の光を宿した瞳。女を形作る全てが、見る人の心を掻き乱す凄絶な美しさで輝いていた。


「あ、あなたはどこの誰ですか!? ここで一体何を!?」


「え? ふつーに仕事だけど?」


「し、ごと……!?」


「うん」


 神衛たちが傷つき倒れているのも、この女の仕業なのか。こんな酷いことを、平気な顔で仕事だと言うのか。怒りで頭が真っ赤になるが、女はもう白雪を見ていない。

 女は白雪の警告を無視し、すらりとした右手を神器にかざす。するとジャケットの袖が生きた蛇のように伸縮し始めた。漆黒色のジャケットの袖、ベルトで締められた同色のロングスカートの裾。女が纏う黒の衣服のあらゆる場所が蠢きながら本体と分離していき、本来の半分ほどの反物が六つ生まれた。それらは女の周りをゆっくりと回転している。


 ーーあの人が、全部操っている!?


 女の虚空を掴むような動きに反物たちが呼応し、旋風のような動きで神器に巻き付いていく。

 白雪には何がなんだかわからない。だが、このままにしてはいけないとだけ、心が強く叫んだ。


「手を止めなさい! 次は本気で打ち込みます!」


「だから効かないってば」


 交差した両手に四本ずつの簪を挟む。


 ーーそんなことはわかっている。


 白雪では、女をどうすることもできない。あの妖しい黒の衣服がどれだけの力を秘めているのか見当もつかないのだ。


「ですが、私は主守の神衛! ここで闘うのが私のお役目!」


 何とか持ち堪えれば、きっと葦川が来てくれる。それまで時間を稼ぐことができれば。渾身の力を込めて簪を振り抜いた。その時、


「そこまで!」


 発砲音が白雪の動きを止めた。葦川が持つ祭銃が二人の間を撃ち抜いたのだ。


「葦川! 来てくれたのね!」


「ええ。もちろんですとも。お嬢様」


 他の神衛たちも突入してきた。全員が祭具を手に闘気を漲らせている。何人か知らない者も混ざっていたが、これならなんとか……!


「それでは、さようなら」


 二桁を超える全ての銃口が、白雪に向けられていた。


「え……」


 躊躇いなく引き金が引かれる一瞬を、白雪はスローモーションのように見ていた。共に神器を守ってきた神衛や、お付きの葦川までもが白雪に照準を定めていた。


 ーーどうして?


 疑問は呟きに変わったが、言葉にはならない。信じていたものが突然崩れ落ちて、何がなんだかわからない。それでも唯一わかるのは、これから自分が死ぬのだということ。

 尻餅をついた白雪は、身を固くして瞳を閉じた。


「はぁ〜あ」


 女の億劫そうなため息がすぐ近くから聞こえてきた。


 私は……。まだ、死んでいない?


 恐る恐る目を開くと、白雪は漆黒色の反物に包み込まれていた。


「お仕事増えちゃった。残業だ」


 隣から声が聞こえてくる。咄嗟に顔を上げると、黒い服の女が手の届く距離に立っていた。女は紅い舌で上唇を舐めた後、白雪に向かって片目を閉じたのだった。


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