「俺」だった頃
お目汚しではございますが、よろしかったらご覧になってください。
この話にはちょっとだけバイオレンスな描写がございますが、私の文章力ではリアルに伝えられないので、まぁ大丈夫かと思います。
望まれた生ではなかった。
俺が生まれた事が原因で父と母は離婚。母に引き取られたが、そもそも子どもなど望んではいなかったようで、ほとんど育児放棄状態だった。母が留守の間は外出は一切許されず、1日カーテンを閉めきった暗い部屋の中でも過ごすことを強いられていた。玩具も絵本も食べる物すらほとんどない1Kの部屋。退屈と空腹を耐える日々。たまにどうしても我慢できずに公園に遊びに行くと、身なりの小汚ない俺とは誰も一緒に遊んでくれず、挙げ句バレれば母に手酷く叩かれた。
母は近所では悪い意味で有名だったらしく、どこへ言っても「アレの子ども」と言うレッテルを貼られ、小中学校へ通うことはできたが、ついぞ友達は1人もできなかった。
得てして浮いてる奴・悪目立ちしている奴というのは目をつけられ易い。学校に行けば、上履きはほぼ毎日捨てられていたし、机には花瓶どころか汚物や死骸がご丁寧にお供えされていた。子どもながらに暇な人もいるものだと思ったものだ。相談しようにも教師は見て見ぬふりだし、母は基本的に家にいなかった。この頃の母はほとんど帰って来ず、男の家を転々としていたらしい。俺との繋がりは毎週月曜日にテーブルの上に置かれた一万円札1枚だけであった。母の帰りを待って高校への進学希望を打ち明けた際は、酷く冷たい声で
「あっそ」
一言それだけであった。
それでも必要書類にはきちんとサインをしてくれたので、少し位は情があったのかも知れない。早く厄介払いしたかっただけの可能性もあるが。
そしてこれまで過ごした地を離れ、都心近くの高校へと無事進学を果たした。毎週の一万円を極力使わずコツコツ貯金していた甲斐もあり、入学金や引っ越しの費用等々は楽々賄うことができた。住居も学生寮に入れ、相部屋ではあったが今までの生活と比べるべくもない。因みに同居人は2年の先輩であった。
少しの不安と多大なる希望に胸を膨らませてスタートした高校生活は、意外な程好調であった。入学初日から友達もでき、先輩から勧められて入った演劇部でも、演劇に関しては素人の俺を快く受け入れてくれた。
ここなら俺を認めてくれる、受け入れてくれる。そう思った矢先、あっさりと平穏は打ち砕かれた。
6月の事だ。梅雨ということもあり、その日は朝から傘が必要な程度には雨が降っていた。寮を出て傘を差しつつ学校を目指す。
時刻は7時半程、まだ登校している生徒はまばらだ。
パシャパシャと雨水を跳ねさせながら歩き、あと100m程で校門という距離まで来た時に妙なものが見えてきた。校門のすぐ手前に誰かが踞っているようだ。ただ制服を着ておらず、透明な雨合羽を羽織っているので恐らく部外者と思われる。その人は頻りに右手を地面に叩きつけているように見えた。ただ事ではないと思い、走ってその人物に近づく。あと70m。が俺より先を歩いていた女子生徒が不運にも見てしまった。その人物が何をしているのかを。女子生徒が短く悲鳴を上げる。何かに跨がっていた男が振り返り、ゆっくりと立ち上がる。ボサボサの髪に笑みの張り付いた顔、手には赤黒く染まった包丁。残り30m。血走った眼が女子生徒を捉えた。男と女子生徒との距離は目測で5mもない。女子生徒は恐怖のあまり腰が抜けてしまったようでその場にへたりこみ、男はそれを見て笑みを深める。更に恐怖を刻み込むかのようにゆっくりと近づき、逆手に持った包丁を高々と掲げ、振り下ろす………直前に俺が投げた鞄が顔面に直撃し、たたらを踏んだ。間に合った。怯んでいる隙に包丁を奪おうとしたが、予想外に力が強く失敗。態勢を立て直した男とそのまま組み合う形となる。ヤバい、とりあえず皆を逃がさないと。
「おい、あんた!さっさと逃げろ!!」
「あぅ……あ、足が動かないんです……!」
「んな事言ってる場合か!!何でもいいからここから離れろ!」
「は、はい……!」
俺の怒鳴り声にびくつきながらも何とか立ち上がり、覚束ない足取りで走り出した。他の生徒も流石に異変を感じとり逃げてくれるだろう。ほっと胸を撫で下ろす……なんて事ができるハズもない。眼前には新しい獲物を見つけて喜んでいるかのような、男の寒気すら感じる笑顔。嬉しそうに細められた眼には、どす黒い欲望が渦巻いている。
今はまだ均衡を保っているが、腕力は男の方が強いようで、徐々に包丁が迫ってきている。どうするどうするどうする!?恐怖で頭がうまく回らない。死が目前まで迫る中、とりあえず口を動かしてみることにした。
「な、なぁあんた!こんな朝っぱらからどうしたんだい?ジョギング?」
………我ながら、もうちょい何かあるでしょうに。男は無言のまま更に力を込める。本格的にまずい。切っ先と俺の眼球との距離はもう5cm程。思考は纏まらないままだ。
「このままじゃなんだ!ちょっとそこの交番まで行って、雨宿りなんてどうよ!?」
なんでも良いから意識を逸らさないとと思い、とりあえず喋る。とにかく喋る。
「ほら雨も本降りになって来たし!風邪引きますって!!」
これで何分稼げた?助けはまだ?ジリジリ押されている、包丁はもう正に眼前だ。
「もーー無理!!ヘルプミー!!!」
全力で叫んだその時、後ろで複数の足音が聞こえた。バシャバシャと道路に溜まった雨を蹴散らしながら、確実にこっちに近づいている。よかった、これで助かる!
心に隙が生まれた。
「ははっ」
男の笑い声が耳に届いた。その瞬間、視界の左半分が黒く染まり、今まで味わった事のない激痛が走る。
「あ…が………」
声を上げることすらできない痛み。立っていられず、左目を押さえたままその場に膝を着く。雨に交じっておびただしい鮮血がアスファルトに降り注ぐ。痛い痛いいたいいたい!悶絶していると腹部に衝撃。残った片目で見ると、臍よりやや左に包丁の柄が生えている。雨で濡れたワイシャツに紅が滲む。男は俺の腹から生えていたそれを無造作に引き抜き、今度は勢いよく鳩尾に突き刺す。髪を乱暴に掴んで正面を向かせ、俺の顔を覗き込みながら、男は笑顔のまま問う。
「なぁ痛いか?怖いか?今どんな気分?教えろよなぁ?」
痛いに決まっている。ビックリする程血も流れている。急激に体から力が抜けていき、抵抗することもできない俺を見て、男は更に笑みを深める。力任せに押し倒し、無抵抗な俺に容赦なく包丁を突き立てる。引き抜き、突き刺す。引き抜き、突き刺す。男は恍惚の表情を浮かべていた。それはもう心底嬉しそうに。
その直後、男は複数の人により取り押さえられた。それでも尚、声を上げて笑い続けていた。
俺も誰かに助け起こされ、止血を施されているようだが、もう無理であろう。薄れ行く意識の中で他人事のように思った、これはもう助からないと。五感が失われていく。傷口からは壊れた水道みたいに血が溢れている。
温度を失っていく体に、暖かい雨がポツリと落ちた。霞んでほとんど利かない視界で見えたのは、俺の手を握る、先ほど尻餅を突いていた女子生徒。あぁクラスメイトの
「さ、くら……」
それが俺の最期の記憶。………もう何も見えない。何も聞こえない。何も感じない。消え行く意識の中で思った。もし次があるならば、楽しい人生になるといいな、と。
男はよく聞き覚えのある、感情を含まない声で言い放った。
「地下室にでも入れておけ」
母が俺に向けていたのとそっくりの、愛情どころか興味すら欠片もない、凍てついた声。
あぁまたダメなんだ、そう思った。
稚拙極まりない文章を最後までお読みになっていただき、誠にありがとうございます。楽しんでいただけたなら幸いです。
これの続きも書く予定ですので、今後とも宜しくお願い致します。