扇風機の前でアイス食ってると溶けるぞって、いつもそう叱る君が好きだった。
平成30年7月18日、これを記す。
わたしは夏が嫌いだ。
夏はいつも、君のことだけを思い出させる。
わたしと柚はまだ平成が始まったばかりの頃、つまり平成が始まったのは冬のことであるからして、冬に生まれた。わたしが愛理花という名を与えられたのもそのためだ。と、言って一回で理解してくれる人はまずいないが、エリカという冬に咲く花があるのだ。わたしの名はそれに由来する。ユズについては説明はいらないだろう。柚とわたしは同じ産院で、同じ日に生まれた。その産院で平成最初の産児はわたしで、柚はその次だったそうだ。そういうわけで、両親同士交流を持つようになり、以来ずっと柚とわたしは幼なじみとして育った。まるで、双子の姉と弟のように。幼稚園も同じ、小学校も同じだった。一緒にいるのが当たり前なのだと、ずっとそう思っていた。あの夏の日までは。
それにしても今年の夏はなんという夏だろう。平成の夏はこれで終わる事がもう確定していて、それに対する嫌がらせか何かででもあるように、今年はとんでもない夏になった。なんと、ウェザーニュースの告げる今日の気温、40度を超えたそうだ。それも7月に。こんな気温は、日本中でももう十何年かぶりだそうだ。その十何年前というのが、いつなのかを計算してみたらわたしと柚が小学の六年生だった、わたしたちが幼なじみとして交流していた、最後の夏のことであった。まあ流石に、その年に気温が40度を超えたというのは日本のどこか別の街の話であってわたしたちの暮らしていた故郷のあの街のことではないし、わたしがいま一人暮らしているこの街のことでもないのだが、ともかく、そういうことなんだそうだ。確かに、あの年、わたしの頭は熱波に茹でられていたし、いろいろと浮ついてしまってどうしようもなかった。
「なんで毎日うちに来るんだ」
と、呆れたように11歳の柚は言った。
「お前んちにはクーラーがあるだろう。うちには無いんだぞ」
だって、うちで待っていても柚はまいにちわたしの家に遊びに来たりはしない。とは言うもののそんなことを、面と向かって言えはしないから、わたしはこう言った。
「だって、うちにはプレステが無いんだもん」
それは本当だった。親の教育方針というやつだ。まあ、今となっては些細なことだが、小学生の子供にとっては深刻な問題であった。親がドリームキャスト派であったというのは。
「アイス食べていい?」
「駄目だって言っても、勝手に食うんだろ。ヨーロピアンシュガーコーンは食うなよ、俺んだからな」
「だって、ケイちゃんから食べていいって言われてるもん。あと、わたしはあずきバー派ですから」
ケイちゃんというのは柚の母親のことである。馴れ馴れしくこう呼んでいたわけではなく、本人が「おばちゃんと呼ぶな」と言うから仕方がなかったのだ。
扇風機を勝手に全開にし、わたしはその前に座ってあずきバーをかじる。柚はこちらに興味を示すでもなく、ゲームをしながら、こちらを見もせずにこう言った。
「溶けてる」
「溶けかけがいいんだよ」
「そういうものかね」
したたるように、あずきバーの汗が流れ、わたしの口元からたらりと垂れた。胸元が濡れる。
「あーもう。だからいつも言ってるのに。ほら、タオル」
柚はそのとき、事もあろうに、いや普段ならそこまではしないのだがわたしがいつもそれをやっていることに業を煮やしたのであろう、わたしのランニングシャツの上をめくってハンドタオルをわたしの胸元に突っ込んできた。
「ひゃっ!」
「なんだよ、女みたいな声出して」
「女だよ! 何言ってんの!」
そりゃあもちろん、向こうはこちらが女だと知っている。ほんの数年前までは一緒にお風呂にも入っていた間柄なのだし。
「うー……えっち」
「何言ってんだ、アホ」
柚は心底呆れたようにそう言った。この年頃の男の子というのは、個人差はあるが、早熟でない子だと本当にそういうことに興味がないものだ。わたしの胸はもう夏に咲く花のつぼみのように膨らみ始めていて、そしてわたしの柚に対する気持ちはそれよりもずっと大きく、腫れあがるほどに膨れ上がっていることを自分自身で自覚していたのだけど、向こうの反応はさっぱりだった。
そう。
柚に下心は無かった。
あったのは、わたしだ。
わざと扇風機の前でアイスなんか溶かしていたのも、気にして欲しかったからだ。
他にもいろいろやった。扇風機の前でシャツの上とか下とかをぱたぱたさせたり。わずかにシャツをはだけて日焼け跡を見せつけてみたり。だが反応はさっぱりであった。
柚も異性にまったく関心がなかったわけではない。もう名前も忘れてしまったが、クラスのマドンナみたいに崇められている女の子というのがいて、わたしとは全然違うタイプの、肌の白い雪の精のようなその少女のことをよく、わたしの前で柚は話した。
「そんなに――さんのことが好き?」
「好きだね。美少女ってのはああいうのを言うんだぜ」
「ふーん……」
手を伸ばせば届くところにいて、そこに手を伸ばすことができる、そういうことの尊さを、彼は分かっていなかったし、多分わたしも分かってはいなかったのだろう。わたしのアプローチにしたところで、どこかズレていたのだ、自分たちの立場と年齢を考えれば。
「それにしても、暑いな。ちょっとタオル」
柚はそう言って、最前わたしの胸元に突っ込まれたタオルで自分の汗を拭き始めた。
「なんだ? そんな赤い顔して。熱中症か?」
「……えっち」
「何がだよ」
柚は本当に分かっていなかった。そして、わたしもそれがふたりで、幼なじみ同士の気安い関係として付き合う最後の日だということを残念ながら分かっていなかった。分かっていたら、もう一手くらい攻めておくべきだったとしみじみ思うのだが。
その夏の、学校の登校日のことである。柚は、例の美少女氏に校庭の隅に呼び出され、告白され、「男女交際をする」ということになった。
割ときっぱりとあっさりとわたしは柚から「自宅にカジュアルに入り込むの禁止」を言い渡され、それで縁がばっさり切れたわけではなかったが、当然会う機会などはめっきりと減り、そのまま夏休みは終わって、秋になって学校が始まっても柚の隣のわたしの居場所はやっぱり無くなっており……
そして、中学校からは別々だった。それっきりだ。高校は、間違っても同じところに行きたくなかったからというだけの理由で、わたしは女子高を選んだ。それくらい、中学の三年をきっちりと過ぎてもわたしの方は未練たらたらであった。
というか、平成三十年、今年、二十九になった今もわたしには心の片隅の未練が残ってやまない。せめて、告白くらいはしておくべきだったと。玉砕でもなんでもいいから、この気持ちを伝えておくべきだったと。
そう思いながら、箱ごとのヨーロピアンシュガーコーンを、今日もわたしは柚の墓の前に供える。十七の時。バイクの事故だった。どうせすぐにどろどろに溶けてしまうだろうが、袋は開けてないから流れて何処へ行くこともない。わたしの気持ちが今も、こうしてくすぶっているのと同じに。