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剣の道

作者: 石化
掲載日:2016/03/20

「メェーン 」

 その掛け声とともにきれいな音が僕の耳に飛び込み、衝撃が僕を頭の頂点から揺らした。まぎれもなく完璧な一本。それを放った相手は今、残心を終えようとしている。ほれぼれするような動きで今、回り終えた。


「面あり! 勝負あり 」

 審判の先生から、巌のように揺るぎない声が聞こえた。互いに向き合い竹刀を納める。五歩下がって礼。勝てなかった悔しさに涙がにじむ。それを見られないように面タオルをとりつつ、顔を拭う。

 そのまま顔を上げると、対戦相手と目があった。笑顔を向けてくる相手に赤くなっている眼のあたりを見せまいと僕は俯く。


 また勝てなかった。その思いに心が押しつぶされる。僕の対戦相手、ユウキは僕の幼馴染だ。小さいころからよく一緒に遊んでいた。小学校に上がるころ、二人とも警察の剣道道場に入った。それから幾年かが過ぎ去ったが、いまだ僕はユウキに勝てていない。才能が違うのか……。同じだけしか練習していなかったんだけどなあ。


 地稽古の後の切り返しも終わり、僕たちは竹刀をおさめた。神座の下に座る先生に向かって僕らは並んで座り、防具を外す。全員が外し終わったことを確認して主将が芯の通った声をはりあげる。

「姿勢を正して、黙想――やめ 」

「礼 」

「ありがとうございました―― 」

 これで名実ともに稽古が終わった。



「剣。一緒に帰ろう 」着替えたユウキから声をかけられる。

「ごめん。先に帰ってて 」さすがにこう何回も負けて何も思わない僕じゃない。負けた相手と一緒に帰れるわけがない。

 ユウキは悲しそうな顔をして帰って行った。ちょっと気がとがめる。



「おい、剣、ユウキを泣かせるなよ 」

 先輩が冗談まじりに言う。

「そんなんじゃありませんよ。それよりも先輩。どうやったらユウキに勝てるのか教えてくださいよ 」

「ああ、今日もきれいに一本取られていたな 」

 先輩は苦笑しつつ言う。

「でもそれは俺よりも先生に聞いたほうがいいぞ 」

「確かにそうかもしれませんけど……」

 先生にそんなことを聞きに行くのはかなりの勇気がいる。現役の警察官でもある先生は厳しく稽古をつけてくれる。それはありがたいのだが、気軽に話しかけるのにはハードルが高い。

「何ためらっているんだよ。あいつに勝ちたいんだろう 」

 そうだ。その通りだ。僕はユウキに勝ちたい。

「ありがとうございます。先輩! 」

 礼を言って先生のほうに向かう。

「頑張ってこいよ― 」

 先輩はそう言って送り出してくれた。


 稽古が終わった後の喧噪のなか、先生は神棚の下で黙想していた。非常に話しかけづらい。及び腰になり、後ろを振り返ると、先輩が親指を立てている。首をぶんぶん横に振り、そのまま先生から離れようとする。と、その時、

「どうした剣 」

 先生が想念の世界から帰ってきて僕を呼びとめた。覚悟を決め、振り返る。

「先生。僕はどうしたらユウキに勝てるんでしょうか 」

「ああ、今日も盛大に負けていたな 」

 先輩といい先生といいどうしてそう僕のことをけなすのだろうか。あれか。僕のやられ方がすごいのか。


「いやそんなことを言っちゃいけなかったな。今のは忘れてくれ 」

 僕の恨みがましい目に気づいた先生。

「さて、剣。おまえがどうやったらユウキに勝てるかだが―」

 先生はきちんと僕に向き合い、質問に答え始めた。立っていたら失礼だと思い、正座になり姿勢を正す。


「そんなにかしこまらなくてもいいんだが…。まず、ユウキは強い。それはわかっているな 」

 それはもちろん。今まで、一度も勝てたことはないんだし。

「あいつには才能がある。あの年で、あれほど上手くなったやつは見たことがない。翻って剣、お前には全く才能がない。なんとか基本の動きができて、基本の技ができるだけだ 」

 

 かなり傷つくが、事実だろう。自分のことをあるがままにとらえなければいけない。泣きたくなってきた。

「はい 」

 とりあえず相槌を打つ。

「そこで…だ。まず考えられるのはゴーストライターというか身変わりだな。ユウキより強いやつにお前の振りをしてもらんだ 」

「先生。それじゃ意味ないと思います。というかどう考えてもばれます。後、仮にも公職にある身でそんなこと言ってもいいと思っているんですか 」

「お前はよくその歳で公職とか言う言葉を知っているなあ。まあ、冗談なんだが 」

 なんだ、冗談か。僕の周りの人達は真顔で冗談を言うから困る。

「となると、どうしようもないな 」

 いや、そこで諦められても…。どれだけ僕とユウキの技量には差があるんだよ。じと目で先生を見つめる。


「まあ、実際は、ユウキの何倍も努力すればいいんだ。時間も質もな。どうやったら効率よく練習できるかを常に頭の中に置いておけ。そして、ここで稽古している間はもちろん、家や学校にいる時も、常に剣道のことを考えろ。ユウキの戦いと練習を観察しろ。あいつの癖を見抜き、技を盗め。これをすべて妥協せずにやり遂げれば、お前もユウキに勝てるだろうぜ 」

 先生はそう言って僕を見つめ返した。

「わかりました。ありがとうございました 」

 先生と長時間共にいるのは緊張感でオーバーフローをおこしてしまって危険だ。心臓が耐えられない。まずは先生から離れる。

 

 先生から離れ、一息つく。先生に質問するのはどんなに回数を重ねても慣れられるもんじゃない。充分に距離をとり、先ほど言われたことを吟味する。

 

 えっ、僕の語彙どう考えても小二レベルじゃないって。仮にも勉強では天才と言われた僕に不可能はない。漢検一級とは言わないまでも二級ぐらいの実力は保持しているつもりだ。

 とりあえず、先生に言われたことを考える。とにかく努力か。精神論だな。無理だな。といつものように流れ作業で諦める方向に向かう僕。

 しかし、今日のユウキとの試合が僕の心に熱いものを呼び起こしていたようだ。このまま諦めるのか。ユウキには勝てないと達観してこれから過ごしていくのか。さぼり癖と負け癖がつくぞ。何より、ユウキに勝ちたくないのか。その熱い心が僕に問いかけてくる。

 そして僕は自分で答えを出す。勝ちたい。ユウキに勝ちたい。あきらめてたまるもんか。僕だってやれるはずだ。心が決まった。どんな努力でもしてみせる。

 

 まずは、これからある大人向けの稽古に参加しよう。

 気配を消して隅に紛れ込む。

「何してるんだ、剣 」

 あっという間に見つかった。

「強くなりたいんです 」

「それはわかるが、お前がこっちに来るのはまだまだ早い。第一、あんまり遅くなると心配されるだろう。おれの責任問題に発展してしまう可能性もある 」

 先生がどんどんだらしない本性をさらけ出してきている気がする。

「じゃあ、親の許可を取ったら混ざってやってもいいんですか?」

「う~ん。まあ、いいか 」

「ありがとうございます 」

 とりあえず礼を言う。やっぱり責任問題に発展しそうだけど、先生の責任だし気にしない。

 じゃあ、帰ろう。

「おい、剣、家まですり足で行けよ。基本を身につければつけるほどお前の力も伸びるんだからな 」

 実践したら確実に靴を履き潰すな。いや、すり潰してしまうな。まあ、やってみるか。


 剣道場から家までは小二の足ではとても長く感じる。すり足は、実際ほとんど日常では使わないので、まだ慣れ切っていない。50m行くごとに一回休憩をはさむ必要があった。日が暮れていて、道を行く人が少ないのが救いだった。それでもすれ違う人には変な顔をされたが。


 ここで、すり足とはどういうものなのか、簡単に説明しておこう。すり足は剣道の最も基本となる動作である。そして、最も大事なものだ。すり足がマスターできるまでは竹刀すら握らせてもらえないということもある。具体的な動作としては、足を空中に浮かせず、床をこするように移動させるというものだ。これにより、袴と相まって、足の動きが読みにくくなる。達人ともなると、どこからも技を出す動作を見せることなく攻撃に入ることができるが、その際になくてはならないものだ。


 また、ステップ回避とか言う技をラノベとかゲームで見た人もいるかもしれない。これを剣道でやるのは難しい。袴は足の軽快なステップを邪魔する。つまり、ステップを駆使して敵の攻撃をよけることは本来できないと言って良い。   


 しかしすり足を極めると、前や後といった基本動作だけでなく、横に避けることができるようになる。しかもすり足の特性上全く体がぶれない。そのまま一気に踏み込んで、間合いを詰め、足の打ち鳴らしとともに、重い一撃を相手に与えることができる。


 まあ、ゲームやラノベの世界では、床は平らじゃないし、石とかが散乱するところで戦うこともあるし

 で、実際に使うのは厳しそうだけど。


 とにかく、すり足は剣道の基本にして、極めるうちに攻撃にも防御にも役に立つすごい技術なのだ。

 さて、横回避をマスターするために、ジグザグにすり足るか。さらにすれ違う人の視線が冷たくなった気がする。幾度となく心がおれかけたが、先ほど心に誓ったばかりの決意を思い返し、立ち直った。



 ようやく家に帰りついた。

「お帰り、剣 」

 母が出迎えてくれる。

「お帰りー お兄ちゃん 」

 妹が飛びついてくる。まだ幼稚園だからどこもおかしなところはない。うん。僕も小二だし。

「今日は遅かったじゃない 」

 時計を見るといつもの帰宅時間より30分も遅かった。そりゃあ、言及されるのも当たり前だ。

「ちょっと居残って練習してたからね 」

 居残っていたのかは微妙だが、確かに練習はした。道で。

「そういえばお母さん。明日からもっと遅くなるかもしれない 」

「どうしたっていうの 」

「もっと真剣に練習に打ち込みたくなったんだよ。もっとたくさん練習したいんだ。いいでしょ 」

「ちょっと心配だけど……。まあ、いいわ。剣だもの。きっと大丈夫よね 」

 地味に信頼されているんだなと思った。信頼には応えて見せよう。




 翌朝、学校へと向かう。途中でユウキと会った。

「おはよう、ユウキ 」

「うん 」

 ちょっとユウキが沈んでいる気がする。昨日は悪い事をしたと思った。だけど、ユウキに勝つための特訓を本人に知られるわけにはいかない。でも、ユウキのつらそうな顔を見てると気持ちが揺らいでいくのを感じる。特訓を相手に黙っているのは卑怯なのではないか。そんな幼い、青臭い人間独特の感情が頭をもたげてくる。大人になるにつれて消えて行ってしまうだろう正義感が。

結局口を開くことにした。

「昨日は一緒に帰らなくてごめん。でも、僕は強くなりたいんだ。ユウキに勝てるぐらいに 」

 コミュ二ケェーション能力の不足というか、幼いというか、どこか脈絡の欠落した言葉を発してしまった。


「なんだ。そういうことだったの。剣に嫌われたのかと思ったよ 」

 ユウキは安心したように言った。ちゃんと僕の言いたいことを汲んでくれたようだ。だてに8年間一緒にいるわけじゃない。

「じゃあ、こっちも剣に負けないよう頑張らなくちゃ 」

 ユウキに火をつけてしまったようだ。しまった。話さなければよかった。まあ、ユウキの元気がなくなっているよりましか。

 ユウキと一緒に登校する。校門に着いた時、気づいた。そういえばすり足で登校するの忘れてた。初日からさぼってしまうとは…。

 


 さて、授業を終え、昼休み。学年が上がっていくにつれて辛い授業が増えていくって聞くけど、小二現在、ほぼ遊びの延長線上といっていい。楽しい。学年が上がるごとに苦しい勉強まみれのの世界が忍び寄ってくる気がするけど。

 さて、訓練開始だ。すり足で教室を出る。奇異なものを見る視線が僕に突き刺さってくる。下に降りる。さすがに階段ですり足る事はできなかった。

 外に出る。少し夏の暑さも和らいできた…と言いたいところだが、和らぐ気配がない。これが異常気象ってやつか。いつも思うんだけど異常気象が続いたりしたらそれはもう異常じゃなくて通常じゃないのかな。


 昼休みは校庭で行ったすり足で終わってしまった。明日は、竹刀をもってこよう。そう思いつつ教室に戻る。


 終業の鐘が鳴る。早く帰って道場に行かないと。


 いつもより一時間くらい早く着いた。まずは道場全体の雑巾がけを行う。良い全身運動だ。

 この時は、雑巾がけは単にいつも使っている場所を清めるとともに基礎体力をつけるためのものだと思っていた。しかし、のちに別の効能を見つけることとなった。

 それは、床の状態がよくわかることだ。わずかなへこみや傷をチェックし、それを計算に入れて戦うことができる。

 大会の前に会場を掃除できたらなあ。


 30分程雑巾がけをこなした時、ユウキが来た。

「剣! 早いね。君の家に行ったら、もう道場に行ったって聞かされて、慌てて来たよ。というかかなり本気で強くなろうとしてるね。こっちもうかうかしていられないや 」

 やっぱり更に強くなる気満々なユウキだった。しかし、ちょうどいい。次に何をしようか迷っていたところだった。

「ユウキ。準備運動終わったら戦わないか 」

 先生も言ってた。相手の技と癖を盗めって。ユウキと試合すればするほどその機会が増える。

「うん。いいよ 」

 ユウキは二つ返事で引き受けてくれた。というか、よく考えると戦ったらユウキもその分強くなるんじゃね。何か間違ったかな。

 2人で準備運動をする。まずはラジオ体操を一通りやる。やっぱり、ラジオ体操は万能だからな。しかし、最初のほうやたら腕を回すのはやめてほしい。せめて下半身も一緒に動かせるようなものだったらバランスがいいのだが…。それと全体的に上半身に偏っている気がする。なので、ラジオ体操の後は、剣道では酷使するアキレス腱を重点的に行う。最後に柔軟を。これをやるのとやらないのとでは、怪我のしにくさに数倍の違いが出るって誰かが言ってた。


 ストレッチを終え、防具をつけ、正対する。ユウキはきれいに僕ののど元に竹刀を突き付けるように構える。剣道の基本にして最強と呼ばれる構えだ。なんか剣道では基本を突き詰めると最強へと至る確率が高いような気がする。

 先手必勝を旨とするユウキが先に仕掛けてきた。きれいな面打ち。ぎりぎり竹刀で防御する。まずい。先手を取られた。そのままユウキが怒涛の攻撃を繰り出してくる。面小手面、胴。一旦距離をとって更に面。防御することで手一杯である。このままじゃ埒が明かないというか、ジリ貧というか、とにかく攻めないとどうしようもない。

 ユウキの攻勢に耐え、ユウキが少し離れたところを狙って反撃に転じる。面。簡単に防がれた。ユウキが再び攻めに入る。

 再び防戦一方となる。そして集中力が切れた時、「メェーン」

 ユウキの声と共にきれいな一本を取られたのが分かった。

「面あり。勝負あり 」

 いつのまにか現れていた先生に終了を宣告されてしまう。

 

 しかし、今ので分かった。今までは漫然としか見ていなかったユウキの動きが目的意識をもつことで捉えられるようになっていた。ユウキの出す技を理解した。基本の技だ。すべて基本の域を出ていなかった。しかし、磨き上げられた技だった。剣道では基本が最強。再びそんな言葉が頭に浮かんだ。

 いつもの稽古をする。一時間やって、休憩して今度は五十分やる。目的をはっきり持ったからか、いつもの数倍いい稽古ができたように思える。上手な先輩や先生の技を盗もうと観察を怠らず、自分が今やってることが試合ではどのように使えるのかを意識した。試合のように稽古し、稽古のように試合せよ。この誰か有名な人が言ったっぽい言葉が頭の中で再生回数100を超えてきたところで稽古終了。黙想して、解散となる。

 

 先生に声をかけられた。「剣。今日は良かったぞ。その調子で続けたら万に一つの確率でユウキに勝てるかもしれん 」

 やっぱり先生は僕を低く見積もりすぎだと思うんだが…。

「さすがにもうちょっと確率高いですよ 」

 ため息をつく先生。

「お前、もうちょっと自分の力をちゃんと計れ。事実、万に一つぐらいだぞ 」

 本当だった。へこむ。メンタルまで鍛えてくれなくてもいいのに…。

「じゃあな 」

 先生は逃げるように話を打ち切った。

 


 続いてユウキがそばに来る。大人気だな僕。………いや、別にそういうわけじゃないことくらい分かってるけれど。言ってみただけじゃん。言ってみたくなる時ってあるじゃん。俺ってすごいんだぜって。

「剣。今日こそ一緒に帰ろうよ 」

 今日もユウキが声をかけてくれる。断らざる得ないのが心苦しい。

「ごめん。今日も、ちょっと用事があるんだ 」

「そう…、なんだ 」

 ユウキが沈んだ声を出す。

「いや、前も言ったけど、強くなるために自主練するんだ。僕がユウキを邪魔だとか思ってるわけじゃないよ 」

 ユウキは安心したように微笑んだ。

「じゃあね、剣 」

「また明日 」

 挨拶を交わして分かれる。

 

 思うんだけど、こういう時、挨拶って言うとなんか違和感があるのはどうしてなんだろう。「別れの」をつけると一気にそれっぽくなるんだけどなあ。ほら、別れの挨拶なら違和感ないじゃん。ある言葉が、接頭語をつけるだけで別物になる。これだから言葉は面倒臭い。それを使う会話なんて言わずもがな。などと、将来友達が100%できない人間特有の思考に陥る。

 しばらくして、思考の迷路に陥ったことに気付き、意識を引き戻した。

 

 気がつけば先輩たちは皆撤収していて、ちらほら大人たちの姿があった。今日からはこの中で教わるんだ。そういえば先生に許可取らなきゃな。

「先生。親からは許可もらいました。稽古に参加させてください 」

「しょうがねえなあ。泣き言言ったら問答無用で放り出すからな 」

 そして、そのまま大人たちに混じって当社比20倍輪辛い稽古を行った。ちょっと体力的に持つか心配になってきたぞ。まあ、意思を強く持っていれば大丈夫なはずだ。

 そして、ハードな一日を終える。


 






 

 それから5か月がたった。ユウキと僕は小二最後の大会を迎える。


 僕は特訓の成果を存分に発揮し、なんとかではあるが勝ち上がって行った。万年一回戦敗退だった僕にしてだれも予想しなかっただろうと思われる快進撃だった。そしてもうひとつの山からは、その才能をいかんなく発揮し、ユウキが勝ち上がってきた。そして、来たる決勝。僕とユウキは激突することになった。


 








 思考がクリアだ。ただユウキに勝つという思いだけがある。視界の端に姿をとらえつつ、僕は開始の白線の後ろに向かう。一秒が何百倍にも引き伸ばされえているかのような感覚だ。

 互いに向かい合い、礼。三歩踏み込み、抜刀。蹲踞の姿勢になる。わずかな音さえも意識を乱すような緊張感の中、審判の「始め 」という声が響いた。

 ユウキが飛び込んでくる。極限にまで圧縮された思考がそれを知覚した。神速と呼ばれるにふさわしい、きれいな乱れのない、音さえも置き去りにしたような一打が僕の面に伸びてくる。

 

 完全に出遅れた。僕はそう思いながらも竹刀を正中線に沿って振り上げる。基本に忠実なユウキのことだから、まっすぐに振ってくるだろうという予想に賭ける。果たして僕の竹刀がユウキの竹刀を叩き上げた。そのまま面打ちに移行する。振り上げた動作そのままにユウキの面に僕の一打を向かわせる。

 と見せかけて、胴打ちに移行。半年練習を重ねてきた面に行くと見せかけての胴打ち。特訓しまくったすり足のおかげで、流れるように移動し、捉える。入った。だが、音が鈍い。ユウキは胴打ちを察知していたのかのように、後ろに少し体をそらしていた。これが天才か。わずかに戦慄を覚えつつ、残心を終え、ユウキと正対する。

 

 周囲の歓声も全く頭に入ってこない。ユウキの竹刀と僕の竹刀の先が絡み合い、離れる。互いに間合いを測る。

 息の詰まるような緊張感の中、先に動いたのは僕だ。特訓の成果である起こりの見えない面打ちを仕掛ける。すり足を極めたため、僕の体は全くぶれることなく攻撃に向かう。ユウキから見たら突然僕が大きくなったように見えるだろう。そのまま打つ。

「メェーン」

ユウキは反応できなかった。僕は残心を終える。

「面あり 」

旗が僕のほうに上がっている。よしっ。心の中でガッツポーズをして、開始線に戻る。


「二本目 」

その声と共に場に更なる緊張がみなぎる。もう後がないユウキは必死だ。その必死さと一本取った側の余裕。それがどう転ぶかは誰もわからない。余裕はすぐさま慢心へと変わり、油断につながる時もあれば、それのもたらす落ち着きがうまく働く時もある。

 まるで高段者同士の対戦のように僕とユウキは互いの気配をうかがう。ただ闇雲に打ちかかるのは技量の足りていないものがやることだ。互いに手の内を知っている者同士、下手に動くことはできない。

 時折、思い出したかのように声を出す。この声を出すことによるメリットにはどのようなものがあるのだろうかという思考が頭をかすめる。声を出すとスタミナが減るし、その間は動くことは難しい。それならそれを逆手に取ってみよう。

「ヤァー」

声を出す。力の限り出す。そして、声を出していると見せかけ、面打ちに動く。全身を躍動させ、ユウキの面へ――。

「小手ェー」

一瞬何が起きたのかが分からなかった。

「小手あり 」

徐々に状況に思考が追い付く。僕の面打ちに合わせるようにユウキが小手を決めたのだ。

「出小手 」難易度は高いが、相手の動く瞬間を狙えば、きれいに決めることができる技だ。相手は攻撃モーションに入っているため防御できない。それを一本とってどこか油断していた思考の穴を突くように決められた。やはり、別のことを考えながら戦えるほど甘くはない。

 開始線に戻る。あと何分だろう。そんな疑問が頭に浮かんだが、すぐに頭を切り替え集中状態に戻る。


「始め 」

三度戦いが始まる。何も考えず、ただ、ユウキの姿だけが鮮明に映る。ユウキが打ち掛かってきた。起こりのほとんどない動作で僕の頭を狙ってくる。それを防御し、体当たり。互いに引き、今度は僕から打ち掛かる。二本目までとは違い年相応の激しい戦いになった。竹刀の当たる音が途切れることなく響く。

 そんな中、面金の隙間からユウキの顔が見えた。楽しそうに笑っている。たぶん僕も笑っているんだろう。楽しい。受ける。打つ。出ばな。返す。これまで学習した全ての技を注ぎ込む。そして、両者ともに息が途切れた。次で決める。そんな覚悟を持つ。

 果たして、僕もユウキも同時に動いた。両者ともに起こりの見えない面打ちを真っ正面からぶつけ合う。僕の竹刀がユウキの竹刀に向かっていくのが見える。そして、剣先が真っ向から激突する。衝撃に思わずたたらを踏む僕とユウキ。だが、ここで決めてやる。そう決断していた僕は瞬時に体勢を整える。

 まずは小手。

「小手ェー」

一番近い位置にある打突部位を狙う。ユウキの体が反応し避けられる。だが、僕の攻撃はまだ終わっていない。流れるように足を引きつけ、裂迫の気合とともに体勢を崩しているユウキの頭を叩く。

「メェーン」

声を出し、残心終了。

「面あり。勝負あり 」

審判の先生の声が僕の耳に当たる。四度開始線にて向き合い、剣を納め、五歩下がり、礼をする。正座し、面をとる。ユウキと目が合った。赤くなった眼を見て懐かしくなった。あいつもまたさらに強くなるだろう。そんな予感がした。




 









  エピローグ


「フッ。あいつらも強くなったもんだ 」

一緒に帰るユウキと剣を見送ったあと、先生と呼ばれている男はひとりごつ。

「だが、これからだぞ、お前ら。ここからいかに慢心せず精進を続けられるか。剣の道は長く厳しいのだから 」

そう男は神棚の下でつぶやいた。


「今日の剣、すごったね。こっちもかなり頑張ったんだけど、勝てなかったよ 」

夕日に赤く照らされる帰り道、ユウキが言う。

「ずっとユウキに勝てなかったんだから、本当にうれしいよ 」

小躍りしたい気分だ。足が勝手にステップ踏みそうで怖い。

「まあ、剣はずっとすごく頑張ってたからね。こっちも負けないように努力してたけどかなわなかったや 」

必死さが違ったからな。本当にユウキには勝ちたかった。これでもう思い残すことはない。


「今度は勝つよ。努力でも、試合でも 」

ユウキは僕をまっすぐ見つめてそう言い、にっこり笑った。つられるように僕も笑顔を浮かべた。

 夕焼け空に電信柱が伸びていた。


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