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龍国物語  作者: ひろしま じろう
姫君と天草の刀
3/21

天正門光

男らしく振る舞いなさい。周囲からはそう言われてきた。だが、男らしく振る舞うとはどういうことだろうか。食事の際は大盛りの茶版を持ち上げて、豪快にかっこむことだろうか。腕の血管が浮き出ていることだろうか。立小便をしているときが、一番男らしいかもしれない。それなら、自分も既に男らしい振る舞いができているだろう。しかし、男らしく振る舞えと言うことの本当な意味は、そのどれでもない。要は武士になるために必要な資質を身につけなさいと、そういうことだった。

(てん)正門光(しょうもんひかる)は護国武士の家系に育てられた。当然のように、光も武士になることを期待されていた。強くなるためにと、毎日稽古に行かされた。しかし問題は、本人にやる気がないということだった。困ったことに光は優柔不断で、口先が軽く、褒められるところを挙げるとすれば、妙に前向きなところのみだった。武士になるために男らしく振る舞えと言う期待は、光にとっては常人以上に難題だったのだ。


陽ざしのあたたかい朝だった。のどかな風は通りの草をなで、緩やかな川は朝日を浴びてキラキラと輝いている。光が家に向かって川沿いに歩いていると、河原で揉めている集団が目に入った。自分と同い年ぐらいの三人の男の子に、泣いている小さな男の子と、女の子が対峙している。光は面倒には首を突っ込むまいと素通りしようとしたが、もう一度だけ見やってみてはっとした。あの女の子は、もしや…。光は河原に駆け下りた。

「おい、待ってくれ、妹なんだ。」

集団に追いつくと光は三人の男の子に声をかけた。

「お兄ちゃん。ちょうどいいところにいらしたわ。」

妹の花はおかっぱ頭に三角の目の猫のような顔を、待っていましたとばかりにこちらに向けた。

「お前、誰だ。」

三人の内の、尖った吸い口の一人が聞いた。明らかに光が割り込んできたことが気に食わないという顔をしている。光だって、好きで割り込んできたわけではない。

「天正門光だ。よろしくな。花、何があったんだ。」

吸い口の質問に適当に返すと、光は花に聞いた。

「この人たちがこの子をいじめていたのよ。だから私が止めに入ったの。よってたかって小さい子をいじめて、自分が恥ずかしくないのかって。」

花が大股で腰に手を当てて答えた。花の側には、ぼろきれを着た小さな坊主頭の男の子が泣いていた。そんなことだろうと思った。花はこういうことがあると、放っておけない性分なのだ。そのために間の悪い光が巻き添えを食うことはよくあった。

「俺たち、いじめていたんじゃない。こいつがぼろきれを着ているから、聞いてやったんだ。どうしてそんな服を着ているんだって。」

吸い口がこう反論すると、光の中から花へのいら立ちがすっと消えた。代わりに、光はこの三人組に対して呆れた。そのことを花は咎めているのに…。

「言っておくけど、お兄ちゃんはとっても強い武士なのよ。」

花は光を指さして、自分のことのように自慢した。

「武士だって?ただの人殺しじゃないか。父さんもそう言っているぞ。」

吸い口は意地悪く批判した。

「違うわ。みんなを守っているだけよ。平和な世の中になるまで、それまで誰も傷つくことのないように、守っているんだわ。」

花はこれまた自分が馬鹿にされたように怒った。

「ハハハッ。そんな世の中がくる訳ないだろ。」

吸い口が笑うと、脇の二人も一緒になって笑い始めた。つられて光もへらへら笑うと、花は光に厳しい表情を向けた。

「くるわ。お兄ちゃんたちがつくってくれるわ。」

花はムッとして言い返した。勝手に決めるなよ、俺みたいな一武士にそんな権限ないだろう。しかし光は、その言葉を呑み込んで代わりに三人組に向かって言った。

「とにかく、帰った。帰った。二度とこの子に関わるなよ。さもないと…、花がお前たちをこてんぱんにしちまうぞ。」

光の言葉に、吸い口はうらめしそうにこちらを睨みつけたが、これ以上言い争わないほうが得策だと考えたのか、あっさり立ち去った。脇の二人もこれに続いた。

「大丈夫?けがはない?」花は屈んでぼろきれを着た小さな男の子に視線を合わせると、優しく声をかけた。「君、名前は?」

「小太郎。」小さな男の子が答えた。鼠のように歯の出たこじんまりした顔だ。

「そうか小太郎。これに懲りたらあんまり町の中心部に来ないほうがいい。」

光はその男の子の服装から町で一番低い身分の者だと分かった。そういう人はたいてい町の隅っこで細々と暮らしている。光は川に腰まで浸かって、投げ捨ててあった草履を拾いに向かった。川面が細面の顔と丸っこい目、やせ形に長身の体を映し返す。すごんでも相手が怯まないわけだ。まるで柴犬みたいだな、と光は思った。人を動物に例える癖があるが、自分の顔も例外ではない。草履を受け取ると男の子はお礼を言って、泣きながらとぼとぼと自分のいるべき場所へ帰って行った。光と花の二人は家に向かって歩いた。

「ぶっとばしちゃえばよかったんだわ。」

花は拳をつきだして殴るまねをした。

「そんな必要なかっただろ。」光はなだめた。「でもお前は偉いな。自分より大きい三人組にでも、間違っていることは間違っているって言うんだもんな。」

「でも、結局お兄ちゃんがいなきゃ何もできなかった。」

花は下を向いた。

「こういうのは、最初に言い出した人が偉いのさ。後に続くのは簡単だ。おれだって、花がいなかったら止めに入らなかったよ。」

光は花を褒めたが、花はうつむいたままだった。光が花の巻き添えを何度食っても彼女を責めないのは、結局彼女がいつも正しいことをしているからだった。

「私もお兄ちゃんみたいに強くなりたい。」

「君こそ武士になるべきだよ。おれじゃなくて。」

光は熱を込めて言った。

「女の子は武士にはなれないの、お兄ちゃんも知っているでしょう。」

花はまじめに返した。

「いや、向いているよ。少なくとも俺よりは。」

「何よ、情けない。お兄ちゃんには、天性の才能があるじゃない。調子がいい時は、大人にだって勝てちゃうんだから。」

花はこれまた自分のことのように自慢げに言った。

「気分によって、その調子にムラがあるからよくないんだ。おじさんも言っているよ。そういう人間は、戦をしたときには真っ先に死ぬんだって。」

妹が何と言おうと、光は武士になるのが嫌だった。殺される危険を冒したくなかったし、それ以上に人を斬りたくなかった。どうして戦わなければならないのかも分からなかった。どうして人を斬ることが求められるのかも…。しかし武士の家系に養子として育てられた光に、武士になる以外の選択肢はないようだった。

光は生まれて間もなく天正門家に養子として預けられた。だから、今一緒に生活している家族は本当の家族ではないし、花は本当の妹ではない。本当の両親が誰なのかも知らなかった。養親によれば、光の本当の両親はお金がなくて光を育てきれなかったらしい。しかし、光はこの言い分に納得していなかった。それならば、初めから子どもなんて生まないはずだ。光は薄々、本当の親には捨てられたのではと感じていた。そこでおそらく稼ぎのある、ここ東国の護国武士の大将であった義父、天正門虎仁の家で拾われたのだ。

天正門家の人々はとても親切で、温かく、光に対して本当の家族のように接してくれた。同じ名字で名乗らせてくれたし、花は光のことをお兄ちゃんと呼んだ。そのため、外から見れば家族そのものだったし、本当の事情を知るものは少なかった。

しかし光はどこかで、自分はよそ者なのだという思いを抱えていた。だからそんなよそ者を歓迎してくれる家族のためにも、誰よりも鍛錬して誰よりも強くなろうとした。養父の影響で周囲からも期待されていたし、それに応えられるよう努力してきた。それでも時々、養母と花には本音を漏らすことがあった。

光が考え事をしている間に、河原から道をそれて屋敷の前まで来た。二人は門をくぐってようやく家に着いた。

「ただいま、お母さん。」簡素な戸を横に開けて敷居を跨ぎ、花が声を張った。

「ただいま、皐月おばさん。」皐月(さつき)おばさんとは花の母親で光の養母だ。

「おかえり。もうすぐ食事ができるよ。光はちゃんと手を洗ってからだよ。」

おばさんは気前よく返事すると、まるで光が先程まで泥遊びをしていたかのような言い方をした。

「そこの河原で男の子がいじめをしていましたの。けれど、なんで平気であんなことできるのかしら。」

花を先頭に二人が草履を脱いで畳の居間に座ると、おばさんはいつものようにこちらに背を向けて食事の準備をした。調理をする時の軽快な音と、魚の焼けるいい匂いが漂ってくる。まもなくおばさんは食べ物の載ったお膳を運んできた。お膳には、ふっくらしたお米と焼き魚、青菜の漬け物と味噌汁が載っていた。光はいただきますの形に手を合わせると、茶碗を持ち上げて米を口の中に掻っ込んだ。

「時々そういうのがいるね。良いことと悪いことの判断のつかない人が。私はあなた達が自分に恥じない行動をできているから、誇らしいよ。」

母親の言葉に、花はくすぐったいような顔をした。

「それでね、お兄ちゃんが助けてくれたの。」

花はくすぐったい気持ちを逸らすように光に向けた。

「いじめてたほうをね。」

光は米を口に頬張ったまま皮肉った。

「でもね、お兄ちゃんまたおっしゃっていたのよ。武士になりたくないって。」

花のおしゃべりは一度始まったら止まらない。

「言うなよ、まったく。お前は口から生まれてきたのか。」

光は口の中の米を呑み込んで慌てて言った。

「またかい。今まではいろいろ言ってきたけどね…、」皐月おばさんの言葉に光は身構えた。「私は実際のところ、あんたがやりたくないなら、別に構わないと思ってるよ。」

「ほんとに。」光は驚いた。「皐月おばさん、大丈夫?体調でも悪いの?」

今まで散々武士らしく振る舞えと説教してきた頑固なおばさんが、いきなりそんな発言をするとはにわかに信じがたかった。

「なにバカなこと言ってんだい。」おばさんは突っ込んだ。「そりゃあ、光が武士になってもらったほうが私はいいけど。本人が嫌だって言い続けてるんなら、それも仕方ないよ。成長っていうのはね、みんなができることをできるようになることだけじゃない。自分ができることを探していくことさ。あんたはもう八才になったんだし、自分のことは自分で決めな。」

光はしばらくぽかんと口を開けたまま何も言えなかった。

「ただし、お父さんが認めたらの話だけどね。あらどうしたんだい。魚みたいに口開けて。」ずっと口を開けたままの光に向かって、おばさんは続けた。「まあ、お父さんも本当は私と同じ意見だと思うけど。」

「そりゃあ、ないね。」光は口がちゃんと閉まるのを確認してから言った。「絶対反対さ。」

おじさんは普段は優しかったが、将来のこととなると厳しかった。光がおじさんにそのことを訴えたことは一度しかなかったが、体が縮むほど叱られたのを覚えている。その時以来その話題は口にすらしていない。

「そうかね。親はわが子がどうなったってその子の味方をするもんさ。お父さんも、例外じゃないはずですよ。私らはあんたが今まで通り真面目に生きていれば、それで十分です。」

おばさんはなぜか自信ありげに言った。

「なにそれ、じゃあ私は武士になりたぁい。」

話を聞いていた花が机に身を乗り出して割り込んできた。

「それは私らが決めることじゃないよ。」

おばさんはぴしゃりと言うと、花は不満そうに腰を落ち着かせた。光は花とおばさんのやり取りをぼうっと見ながら、しばらく頭の中でもやもやしたとらえどころのない気持ちが渦巻いた。その気持ちが突然、一つの塊になって一気に噴き出した。

「でも、そんなのおかしいよ。じゃあもう、俺に見切りをつけたってこと?」

光は納得いかなかった。自分のためにではなく、おばさんやここの家族のために納得がいかなかった。おばさんの矛盾はおかしい。おかしすぎる。

「そういうことじゃないさ。あんたの幸せも考えたんだ。親とはそういうものなんだよ。」

おばさんはいきなり態度を変えた光に慌てた。

「さっきから親親って、本当の両親じゃないじゃないですか。俺の…本当の両親は、俺を捨てたんだ。俺のことなんてちっとも考えていない。」

光は吐き捨てるように言った。

「光の本当の両親は…、子を育てるお金がなかったから、そのままじゃあんたを幸せにできないと思ったんだよ。」

おばさんは必死に弁解した。

「もちろんそうさ。我が子をどっかのだれかに預けて厄介払いすれば、それでその子どもが幸せになるって考えたわけだ。」

光は立ち上がって叫んだ。悪気はなかった。とくにおばさんたちの家族を悪く言うつもりは。しかし親に憎しみを込めるあまり、些細な言葉選びに注意がいきゆかなかった。

「どっかのだれかなんて言ってほしくないね。確かに血は繋がってないけど、私らはあんたを本当の家族だと思っているんだ。」

おばさんにはこの些細な不注意がたいそうきつく響いたらしい。それで、これまでにないほど怒って言い返した。

「やめてよ、二人とも。」

花は泣きそうになって割って入ろうとした。

「おばさんとおじさんは、俺を護国武士にしようとして引き取ったんだ。そうでしょう。なのに八年もお金をかけて育ててきて、それが無駄になるなんておかしいよ。じゃあ俺なんて、最初から育てないほうが良かったんだ。」

光は食事もそのままに大股で家を出た。去り際に、何も言わないで泣きそうになっているおばさんと花の顔が目に入って、しまったと思った。だがもう手遅れだった。そこで発言を覆して謝ることほど不自然なものはなかった。それで光はそのまま外に飛び出した。

 俺は馬鹿だ。光は自分に腹が立った。せっかく育ててもらった恩人に、あんなことを言うなんて。恩知らずの、愚か者だ。光は苛立って、どうしようもなく惨めな気持ちになった。だけど、おばさんも俺と同じくらい愚か者だ。正直に、稽古を続けてほしいといえばいいのに。それが当然のことなのに。もしくは、最初から俺なんかを引き取るんじゃなかった。護国武士なんて立派な人を育てたいなら、もっと従順で、恩義に報いることのできる子どもを見極めてから養子を選べば良かったのに。それにおばさんは嘘をついている。光の両親のことを話す時、考えながら話しているように見えた。

 光はいつも首から下げている大切な石を取り出した。本当の両親の家系の家紋が彫ってある。単純な逆三角形の家紋だ。これは、四才で光が養親に引き取られる時、母にもらったものらしい。四才までの記憶はほとんどなく、本当の両親がどんな人だったかも覚えていないが、その時に自分が泣き叫んでいたのだけは覚えている。光は急に大切にしているはずのその石を投げつけたくなった。

我に返ると、河原まで来ていた。川向かいの民家の屋根の下で、ツバメの雛が寂しげに泣いていた。そうだ、今まではおじさんの家族ともうまくいっていたのだ。武士になりなさいと言われていた今までは、あんなふうに揉めたことはなかった。家に帰って、おばさん達に謝ってこよう。そして明日からも頑張って稽古をすると約束しよう。そう思って引き返そうとした時、近くから声が聞こえた。

「君が光君かい。」

見知らぬ大人が言った。

「そうですけど。」

光は目をぬぐって歩み寄った。次の瞬間、突然に首根っこを掴まれて体が宙に浮いた。光の頭の中のいろいろな気持ちが一気に吹っ飛んだ。

「そうか。うちの子をひどい目に合わせたそうだな。」

つるっぱげ頭の、口の尖った赤いタコ顔の親父が覗き込んだ。光は困惑したが、先程の河原でいじめをしていた吸い口の子どもと、この親父の顔が一致した。

「ひどい目?」光はすっとんきょうな声を上げた。「ひどい目になんか合わせてない。」

「うちの子は何もしてないのに殴られたと言ってるぞ。」

タコ親父は怒りの表情をあらわにした。

「何もしてない?あいつらいじめをしていたんだ。それにおれは殴ってもない。」

光は男の手を逃れようと手足をじたばたしたが、手足はむなしく空をかくだけだった。

「言い訳するな。」

タコ親父は拳を振り上げた。殴られる―。

「やあ。」

その時、タコ親父のすねを竹で叩く者がいた。親父は痛さにうめいて、光を掴んでいた手を離した。光は地面にころげたが、慌てて飛び起きて助けてくれた人を見た。この人懐っこい子猿のような顔は、

「与一。」

与一(よいち)は光の友達だった。有力商人の息子四人兄弟の末っ子であり、能天気な割に金に意地汚いところがあったが、家が近所で幼い頃から親しくしていた。二人はタコ親父の追撃を逃れようと河原沿いに走った。

「いいところに来てくれたよ。」

光は走りながら感謝した。後ろを振り返るとタコ親父が追いかけてくる姿が見えた。

「とにかく町の中心部に逃げよう。あそこの路地裏は俺たちの庭みたいなもんだろ?」

二人はわざといくつも路地裏を抜けて、タコ親父を巻こうとした。路地裏は光たちにとっても格好の遊び場であったために、光たちはどの路地がどこにつながっているかを知り尽くしていた。家と家の間の迷路のような五本もの路地をジグザグと曲がった頃には、後ろに追いかてくる姿は見えなくなった。

「しめた。逃げきれたぞ。」

与一は笑っていた。

「俺たちが町中で捕まるもんか。」

光は得意げになった。それから二人は走るのをやめて路地の先に見える大通りに出た。

「待っていたぞ、坊主。」

その路地の先にはタコ親父が待ち構えていた。

「うわー。」

光たちは叫びながら捕まえようとする両手をかわし、大通りへと走った。藁屋根の茶色い家々の並びに挟まれた土の大通りは、人をかわしながらでないと進めないほどにたくさんの人々でごった返していた。隣近所で噂話に花を咲かせている人、用事があって町中まで来た人、それを狙って半ば強引にものを売ろうとする商人など、様々な人々が行き来している。

光たちはその中を、何度も人とぶつかったり、かわしたりしながら走った。思いがけず見知らぬ親父をぶつかってこかすと、そいつが勘違いして別の若者に言いがかりをつけた。すると言いがかりをつけられた若者は別の男のせいだと言い張り、周りの野次馬も巻き込んでたちまち大乱闘になった。

必死に走りながら振り向いてその乱闘にタコ親父が巻き込まれているのを確認していた光は、野菜を運んでいた商人にまともに衝突し、たくさんの赤くて丸い果物が地面に転がった。果物はころころと通りを転がり、踏みつぶされたりけっ飛ばされたりで土の道や人々の着物の裾を赤く染めた。

大通りは走る二人の子どもと、それを追いかける大人のせいで、もはや大騒ぎになっていた。だれかれとなく罵ったり、わめいたりする声が通りに響き、収拾のつかない状態だった。これは騒ぎを起こした張本人の二人にとっては好都合だったが、タコ親父の追い上げが意外にも速く、捕まるのも時間の問題だと思われた。その時光に名案が思いついた。

「このまま城門を目指そう。」

光は隣を走っていた与一に呼びかけると、転がっていた果物を拾って一口かじった。だんだんと通りの人気は減ってきたが、それは城門が近いことを意味していた。水の溜まった堀の間の道を城門の前まで来ると、光は果物を頑丈な厚い木の板でできた城門に向かって投げつけた。果物は果汁を飛び散らして門に引っ付いた。

「こらっ、待ちたまえ、君。」

いかつい顔をした門番が二人を呼び止めた。

「あの人が投げろって言ったんだ。」

光は追いかけてくるタコ親父を指さした。もうすぐ後ろまで来ていた。

「追いつめたぞ小僧。」

「君、子ども等に果物を投げるように言ったというのは本当かね。」

タコ親父が喜びの表情で光を捕まえるより早く、門番が間に入って話しかけた。

「は?果物?いったい何のことです。わたしはただ…。」

「税が重すぎるから仕返ししてやるんだって。」

タコ親父が言い返さないうちに与一が気づいて続けた。下手な嘘だった。しかし、

「きさま、うそをつくな。」

タコ親父が与一の首根っこを掴もうとすると、

「やめたまえ、君。ここ東国の税はよそよりもずいぶんと軽いはずだぞ。ここの人達が平和に暮らせているのも、東久邇宮豊実様のおかげなのだ。どちらが嘘をついているのか。君はどこの出身だね。」

門番が遮って、三人の服装を見ながらもったいぶって聞いた。

「農民です。」

タコ親父は下を向いて悔しそうに言った。

「君たちは?」

門番は光たちにも聞いた。

「武士です。」

「商人です。」

光と与一はそれぞれ答えた。

「子どもたちの言うことが正しいようだ。今回は見逃してやるから帰りなさい。」

門番は一瞬考えるふりをして、タコ親父にそう言った。東国の領国主は農民出身の家系であったが、そのために農民が成り上がることを警戒していて、農民を低い身分とみなしていることを光は知っていたのだ。しかしタコ親父が悔しそうに立ち去る姿を見て、光は罪悪感を抱いた。

「さて、なかなかいい働きだったよ。」

与一が門番に声を掛け、立ち去ろうとした。

「待ちたまえ。実際に果物を投げたのは君たちだ。名前を教えなさい。親に知らせねば。」

門番は毅然とした態度で言った。

「ええっ、そんな。」

光は抗議した。それだけは何としてもやめてもらいたい。ここで罰として一日正座でもさせられるほうがましだ。与一も同じように考えているようで、ひきつった顔で口を「へ」の字に曲げていた。

「果物を投げたのはどうしようもなかったからで…。」

「理由はともかく、そうしたことは事実だ。」

光の抗議に門番はぴしゃりと言った。久しぶりの仕事にここぞとばかりに偉ぶっているのがみえみえで、光は嫌気がさした。

「見て、あれは何。」

与一が大通りのほうを指さした。

「ごまかそうとするな。」

門番は怒った。しかし、光がその指さすほうを見た時、与一がごまかそうとして指さしたのではないことが分かり、光に衝撃が走った。

 大通りの蟻のような人だかりをかきわけ、一頭の栗毛の馬が走ってこちらに近づいている。人々は馬をかわそうと、叫び声をあげながら左右に道を開けた。馬には一人の大人と、その前に女の子が乗っている。大人のほうは全身を黒づくめの服で顔まで覆っていて、女の子は白い衣を着ていた。蒼白な顔をしていて、ただごとではなさそうだ。

「門を開けて。」

大人のほうが人ごみを突き抜ける鋭い声を出した。女性の声だ。門番はその光景に見とれ、固まっていた。

「門を開けないと。」

光がこづつくと門番はようやく言われた通りにしようと、門の反対側の人に呼びかけた。

「ぐおおおう。」

その時、別の生き物の奇妙な叫び声が聞こえた。馬を追って、大通りを二匹の生き物が走っていた。顔は猿のようなしわくちゃの顔、体は狸の茶色の毛、太い虎のような四本脚で走る生き物だった。その上には、これまた光の見たことのない、奇妙な生き物がまたがっていた。人と同じような体系だが、体は赤黒く、頭に角が生えている。どんどんと迫ってくる恐ろしさに光は声も出せず、その光景を見ていた。

 大人と子供を乗せた馬と奇妙な生き物との距離はわずかで、今にも追いつかれそうだった。二つの間はどんどん縮まっている。馬が門前の道まで着いたところで、女の子の顔がはっきりと見えた。女の子の黒い目に光が映り込んだ瞬間、光は体の震えるような、妙な感覚を得た。時間が止まり、静寂の中で、彼女と二人だけの空間にいる気がした。

「閉めて。」

光たちとのすれ違いざまにまた大人のほうが鋭く叫んだ。光は我に返り、止まっていた時が、また進み始めた。城内の門番たちは腰を抜かしていたが、あわてて門に手をかけた。光たちも慌てて門の中に走った。馬が門を通り過ぎた瞬間に皆で門の戸を押して閉めようとした。体で重い門に体重をかける。門はなかなか動かず、動き出すと急に勢いづいた。閉め切ったかどうか分からないうちに、門にものすごい衝撃が走った。光は吹き飛ばされそうになって、何とかこらえた。馬を追う四本脚の生き物が体当たりしてぶつかったのだ。

「抑えろー。」

門番の一人が言った。門の外で生き物が扉をよじ登ろうと唸り声を上げ、ガリガリと爪をかける音が聞こえる。門を破られまいと、光たちは体を揺れる門に押し付けていた。皆息を止め無我夢中で耐えた。しばらくした後、ようやくその生き物があきらめ、立ち去る足音を聞いた。光はほっと胸をなでおろした。

「あれは(ぬえ)だ。鬼が鵺にまたがっていた。顔は猿、体は狸、虎の足、尾が蛇の妖怪。」

「やれ。こんな騒ぎは忍者の襲撃事件以来だな。」

門番たちは目を見開き、何人かは腰を抜かしてながら、息も絶え絶えに会話を交わした。その後やっと、城内の人々がどこからともなく湧いて出て、あれこれ言い合いながら城門に集まってきた。皆緊急の事態に慌てふためいていて、光たちの存在に気づいていない。

「何が起きたんだろう。それにさっきの生き物。」

与一が目と口を真ん丸にして光に聞いた。

「中に入ってみよう。何か話が聞けるかもしれない。」

光は与一の耳元でささやいた。二人は大人の女性と女の子を乗せた馬が走っていった方向へこっそりと向かった。城内は茂みや生け垣で狭く、二人はその間を縫って進んだ。与一がきょろきょろ辺りを見渡す中、光は何かに導かれるようにまっすぐ歩いた。探していた光景は突然現れた。

城より奥の離宮の一階の部屋の中で、先程の黒ずくめの大人の女性が片膝を立てて話していた。その女性に向かい合って、高貴で小太りの男がいて、その横で美しい女性が先程の女の子を優しく抱いている。三人とも高貴な服を着て、領国主のようだった。

光は慌てて目の前の茂みに身を隠し、竹の上からつるされた藤の花と並んだ灯篭ごしに、会話が聞こえるように耳をそばだてた。

「…そのため、希世様の身を案じて十分な警戒をしておりましたが、不穏な気配がして城内を調べておりました。」

黒ずくめの女性が言った。

「娘に君がついていてくれていて本当に助かった。それで、本題というのは?」

小太りの男が言った。黒ずくめの服の女性は、口にするのも恐ろしいというように目を閉じた。光は、この女性は気持ちを落ち着かせてから説明ができるように、あえて重要な情報を後回しにしていたのではないかと思った。女性は、もう一呼吸おいて口を開いた。

(とよ)(さね)様、地獄の門が開かれました。」


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