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魔法使いとコーヒーを  作者: 宇部松清
第4章 消えた魔法使い
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 家に戻ると、どちらともなしにダイニングに向かい、食卓に着いた。もちろん、夕飯を食べるためではない。さっきのファミレスでなんとなく我慢していた食後のコーヒーを飲むためである。そして、さっきの話の続きをするためでもあった。

 またしてもコーヒーじゃんけんかと祥太朗が身構えていると、「次は母さんの番よね」と言って、佳菜子がコンロへ向かった。珍しいこともあるものだ。

 湯気を立てたカップが祥太朗の前に置かれる。飲み始めたころはどうしてこんなに苦いものを、と思ったが、慣れてくるとこの苦さがたまらない。ミルクと砂糖はもう必要ないよな。俺だってもう子供じゃないんだ……。

「……って、これミルクも砂糖も入ってんじゃん!いらないっつっただろ!」

「あら、そうだったっけ?ごめんごめん。じゃあ母さんの方と交換しましょ。こっちにはミルクも砂糖も入れてないから。ほら」

 そう言って、自分のカップを食卓に置く。祥太朗が手に取って臭いを嗅ぐとたしかにこちらはブラックコーヒーのようだ。

 じゃあいただきます、と口をつけようとした瞬間「ちょっと待って!」と佳菜子からのストップがかかった。手には空のマグカップを持っている。

「あたしそのカップじゃないといや!こっちのカップに移し替えて!」

 ほんと、子供かよ。

 祥太朗は特にカップにはこだわらないので、ノベルティグッズのマグカップで、佳菜子用に淹れたコーヒーを飲んだ。

「にっげぇ!なんだこれ!」

 そういえば、佳菜子のコーヒーはいつも濃いめに作ってるんだった。

「はっはー、これが大人っつうもんだよ、祥太朗君」

 佳菜子は、勝ち誇った笑みを浮かべて祥太朗用のコーヒーを飲んでいる。

「いや、こんなの飲んでたらいつか胃に穴開くぞ」

 やむを得ず、お湯を多めに足す。母さんはいつもこんなの飲んでんのかよ。

「ほんとよねー、でも濃いのは1日に2杯まで。それ以外はカフェオレって決めてるの、あたし」

 にこにこと笑いながら、地獄のように苦いコーヒーを飲む。そっちの方が魔女みたいだ。

 やっと飲めるくらいの濃さになったところで、もう一度同じ質問をする。

「でさ、なんで父さんは消えちゃたんだ?なんかあったの?」

「……はー、やっぱりこの話になるよねぇー」

「なんで溜息ついたんだよ。母さんなんかやらかしたのかよ。もしかしてあれ?ケンカとかして『アタシ、実家に帰らせていただきます!』系なわけ?」

「……アンタには父さんがそういうキャラに見えたのかしら?」

「いや、そんな感じではないけどさ。なんか母さんこの話避けてる感じだからさ。もしかして母さんが何かやらかしたのかと思って」

「そういうんじゃないのよ。そういうんじゃないんだけどね。あの後、お義父さんがいなくなった後なんだけど――……」



 風が止んでも10秒は動けなかった。目の前に起こっていたことが信じられなかった。

 これまでも、不思議な光景はたくさん見てきた。砂浜で作ってくれた大きな城。湖の水で作った大きな竜。空気をぎゅーっと集めて舟を作り、空を飛んだこともある。

 しかし、そのどれも恐ろしいと感じたことはなかった。どんなに恐ろしい竜でも、信吾が作ったものならば、こちらに危害を加えることは絶対にないとわかっていたし、佳菜子が怖がりそうな巨大な生き物を作る時は、佳菜子を別の場所に移動させるか、もしくはずっと手を繋いでくれていたから。

 だから、単純に、制御できない自然現象は恐ろしいし、しかもそれが絶対に起こるはずのない室内でとなれば、身がすくむのも当然だった。

 やっと体が動くようになり、ふらつきながらも2人に駆け寄った。

「どうしたの?さっきの何?祥ちゃんは大丈夫?信吾さんも血だらけじゃない!」

 そっと祥太朗の胸に手を当てる。すう、すう、と寝息を立て、それに合わせて胸が上下している。ドクドクと力強い鼓動も伝わってくる。どうやら祥太朗は無事らしい。

「さっき、僕のお父さんが来たんだ」

「え?それで、いまどこに?」

 辺りを見回すが、どこにもそれらしいものはない。

「もう消えちゃったよ。きっともう来ない。だからもう大丈夫だよ」

 両腕から血を流しながらも、信吾はいつもと変わらぬ優しい笑みで、穏やかに言った。

「もう来ないって、どうして?あたし挨拶もしてないのに」

「祥太朗を連れていこうとしたんだ。人間との間に生まれた子供は魔法使いの子供って認められないみたいだ」

 そう言うと、悲しげな顔で祥太朗を見つめた。白く、ふくふくとした頬に触れようとして、自分の手が血まみれであることに気付き、止めた。

「そんな……」

「だから、親子の縁を切った。僕はもう親を探したりなんかしない。僕は、普通の人間になることはできないけど、精一杯、祥太朗の父親をやるよ。親だからといって、無条件に敬えるわけじゃないもんな。僕は祥太朗に敬われる父親にならないと」

 無傷で済んだ身体の組織を使ってなんとか止血だけはした。さすがに完治するにはもう少し時間がかかりそうだった。改めて祥太朗の頬にそぅっと触れる。柔らかく、すべすべとしている。そのまま撫でようとした時、祥太朗は目を覚ました。

「あら、祥ちゃん起きたのね。お腹すいたかしら。いまミルク作ってくるから、信吾さんちょっと見ててくれる?その手だと抱っこは無理よね?」

「大丈夫だよ。祥太朗は僕の抱っこが好きだろう?いくらでもするさ」

 祥太朗の頭の下に左手を、抱え込むようにして右手を背中に差し込んだ時、突然、火がついたように泣きだした。

「ちょ、ちょっとどうしたの?なんか尋常じゃない泣き方だけど!」

 ダイニングでミルクを作ろうとしていた佳菜子が、空の哺乳瓶を持ったまま飛んできた。

「いや、わからない。初めてだ、こんな風に泣くのは。一度下ろした方がいいのかな、それとも、揺らしてみる?」

「どうしたのかな、とりあえず、抱っこ代わろうか」

 佳菜子が抱っこを代わると、あっさりと祥太朗は泣き止んだ。キャッキャと笑ってさえいる。もしかして……と信吾に渡すとまた泣き出す。

「もしかして、僕のことが嫌いになったのかい?君も僕のことが怖いのかい?」

 佳菜子に抱きかかえられた祥太朗の顔を覗き込むと、やはり火がついたように泣く。これはもう疑いようがなかった。

「きっと、この子にばれてしまったんだ。僕が人間じゃないって。なにか恐ろしいものにでも見えているのかな。ねぇ、僕はちゃんと人間の形でいるよね?」

 いままで見た中で一番悲しい顔だった。いまにも涙が零れ落ちそうだった。

「もしかしたら、これが魔法使いの親に与えられた試練なのかもしれないね。いまが消えるタイミングなのかもしれない。きっと、魔法使いの子供は、親が恐ろしい何かに見える瞬間があるんだ。そうなったら、自分の子供が、自分を怖がらなくなるまでに成長して、見つけに来てくれるまで姿を消してしまうんだよ」

 信吾は一息にそう言った。祥太朗は佳菜子の腕の中で笑っている。いつもなら、首を動かして自分にもその可愛い笑顔を向けてくれるのに。いまは頑なにこっちを見ようとしなかった。

「どんなに上辺だけ繕っても、わかっちゃうんだな。でも僕は幸せだよ。離れていても、君の目があるから、いつだって祥太朗を見ることができる。君の顔も見たいから、毎日鏡を見てほしい。1日に1回でもいいから、僕に向けて笑ってくれるかい?」

 佳菜子は何も言えなかった。ちゃんと人間の形をしているわ。そう言いたかった。でも、形は人間でも、やっぱり普通の人間じゃない。

「約束だよ。笑顔を見せて。祥太朗は魔法使いになれないかもしれないけど、もしかしたらもう会えないかもしれないけど、僕は君達のそばにいるからね。反則なのかもしれないけど、君達は絶対に僕が守るから」

 そう言いながら、信吾の身体は透けていき、最後の一言を話し終えるころには、もうどんなに目を凝らしても見つけることはできなかった。


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