幼い頃 =れんや=
峰本連夜。彼が幼い頃、なにを感じたのか。
「違う!」
叫ぶ少年は黄金の髪をしていた。白銀の世界には馴染まない金色は、馴染むことを拒否しているかのように美しい。
対して、少年の叫びを聞く女性。赤の上着に緑のスカート。未来の誰かさんのような姿だ。それだけではない、短い髪は根元は白く、毛先は紺やら茶やら色が変化している。
女性、峰本深は叫ぶ少年、葵縺夜を馬鹿にする笑みで見つめる。あぁ、コイツ、本当に馬鹿だなとでも言いたげに。
「違わないでしょ。あんたは弱々。ちょーと人間にしては強いだけー」
「弱くなんかない! どいつもこいつも弱いんだよ! オレはあんな奴らと違う! 弱くない!」
弱いことよりも周りと同じだと言われていることに怒っているらしい。
人外であり、それなりの強さを持つ深と戦ってボロボロの身でありながら、少年は弱くないと繰り返している。
「そんな台詞はワタシに勝手からにしなさーい。人外で人魚のワタシが、人の形をとって地上に立ってるっていうのに勝てないじゃないの」
「それは……た、体調悪いから!」
ここで子供らしい言い訳が出た。深はため息をついてストレッチを行う。
「ふーん。あそう。じゃ、縺夜。体調が整ったらまたおいで。覇葉に家庭教師頼まれてるんだもん、面倒は見てやるからね。またワタシに倒されてにおいで。弱々の人間の子」
深は近くの湖に飛び、すぐに水面から顔を出す。その姿は大きく変わっていて、特に下半身は魚のように鱗に覆われている。
「さて、縺夜。もしお前が最強の人間になれたのなら、この姿のまま相手してやるよ」
「いらねーよ。どうせ勝てないじゃん。まっそれが楽しいんだけどな!」
弱いと叫んだ時とは違って、連夜は嬉しさが溢れた声で叫ぶ。自分より強い者の存在を心のそこから歓迎していた。そして自分がその者と戦うことも。
「もう、本当にガキだな。まだ十代のガキにワタシの誘いは早かったか」
「なんだよそれ」
「ふふぅ。用事があるならこの湖に向かってワタシの名を叫びなさい」
「おいっ」
「じゃっ」
ジャポンと水の音。すでに深の姿は水面のどこにも見当たらない。人魚相手に水の中の移動速度で勝てるわけもなく、縺夜は見送るしかない。
「あー。イテテテテ……、あいつ容赦ない。怪我ばっかり!」
一人になって雪の上に座り、怪我を一つ一つ確認する。縺夜の体に痣が残るなど、どんな力だというのだ。
余すところなく体を調べて、空を見上げる。何の嫌味なのか黄昏色に染まっていた。あまり遅くなると家の者がうるさい。慌てて立ち上がって家のほうへ走った。
「ただいまー……かえりました」
門のところで強面で待っていた使用人を見て後から付け足す。
縺夜が深のところに入り浸っているのは毎日のことだが、今日こそは使用人が怒り出しそうだ。
「おかえりなさいませ、坊ちゃま」
「おう、ただいま」
「……お怪我が増えているようですがどうなさいました?」
「別に。授業。それより飯」
「頭領が時間を守れない者に食う資格はない、と」
「あっそ。じゃいらねーよ!」
苛々する。
自分の思い通りに行かないこと。
自分より弱いものが支配している世界。
父親に縛られる自分。
なにもかも。
グギュルルル
「………」
グー
「なんか、食うか」
部屋に行く前に台所に寄り、使用人を掻き分けあまりものにありつこうと思った。だが、台所にすら入れない状態で、使用人全員が縺夜の間食を許さなかった。
「つまみ食い一つできねーのかよ!!」
「頭領に念を押されていますからできません。これに懲りられて夕食の時間には帰ってきてください」
「あーあーあー! いらねーよ! いらねー!」
さらに苛々が増した状態で自室に戻る。すぐにでも寝てやろうと思っていたのに、部屋の中心には父親がいた。
「なんだよ、見たくない面なのに」
「座りなさい」
「なんで」
といいながらも指定されたところに座る。こんなところがまだ素直だったというのに、未来の彼にこの素直さは欠片も残っていない。
「深には時間を越えた"授業"はやめるように伝えておく。お前も時間には帰ってきなさい」
「な、んだよ、それ! オレはあの馬鹿師匠との戦いを楽しみにしてるんだぞ!」
「時間内にしろ。そもそも深との戦闘授業は例外だ。次に時間を破ることがあれば中止とする」
「なんでだよ。なんで親父にそこまでされなきゃいけないんだ! 飯だって時間なんか守らなくても胃に入れば一緒だろ! 時間がずれたぐらいでオレは弱ったりしない! そんなに弱くない!!」
「時間を守れない者にオレの後は継がせない」
「継ぐ気なんてねーよ!! ばーーか!! オレの部屋から出て行け!」
思春期の少年らしく親に反抗して。無理矢理追い出した後はあてつけに扉を思いっきり閉めて。
すぐその場にしゃがみこむ。チラリと見えた金色の髪も、苛々、する。
「疲れた。腹減った。寝る」
独り言の宣言とその通りに動く自分。
苛々する。
独りの空間を感じて、それを心地よく思って。
少年は自分の存在意義を疑問に思いながら眠る。