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「さようなら      兄さん」

羅沙明津と羅沙鐫、兄弟の話。


「兄さん! 兄さーん!?」


 もう少し寝かせろよ、鐫。

 そんな意味を込めて声がした方とは逆側に寝返りを打つ。すると体を激しく揺らされた。眠ることは許さない、ということだろうか。


「もー! 今日は一日遊ぶ約束でしょ! したいこと、一杯あるんだよ」


 まず、日の出見るんだから! と弟は叫んだ。


「あー……、わかったよ、わかったってば。って髪がくしゃくしゃだぞ、鐫」


「いいの。それより、早く!」


 日の出前の薄暗い部屋を、俺を急かす鐫が跳ね飛び回っている。三日前まで病床に就いていたとは思えない。わかったから静かに待ってろ、と言って手早く着替える。普段ならそんなに必要だろうかという使用人に囲まれて立っているだけで終わる着替えだ。自分でするのはこうやってイレギュラーが起きた時だけか、高貴が寝坊した俺を起こしに来る時だけ。今更鐫一人に裸を見られるぐらいはどうってことない。

 着替え終わるなり鐫が俺の手を引いて部屋を飛び出す。後ろで静かにしているタイプに見える弟だが、実は俺よりも行動派だ。鐫に引っ張られるがまま暗い廊下を進む。寝起きということもあって足元もしっかり見えていない。ただ鐫が引っ張ってくれるからそれに任せて走っているだけだ。鐫はこういう暗い所が好きで俺よりも夜目も利く。壁も屋根もある廊下から渡り廊下に出る。鉱山の頂上に作られた羅沙城に吹く風は冷たい。何か上着を着てくるんだった、と公開しながら空を見る。まだ暗い灰色をしていて、今更だが何時なんだろうと思った。

 鐫が俺を連れてきたのは東の城壁の見張り塔だった。それも梯子を上る必要がある最上階。吹き曝しの場所。


「見て見て」


 鐫が東の地平線を指さす。空が明るい灰色になっていて白い丸いものが顔をのぞかせていた。しかし、その時吹いた風に俺は体を震わせ、思わずうつむいて体をさする。あー寒い寒いと言っているうちに当たりが明るくなり、丸いものは輝きを伴ってその全貌を晒していた。


「次」


 鐫の短い声。もしかして怒らせたか。我が弟ながら、鐫は怒ると怖い。次の目的地まで顔は見れないな、と思った。城壁の中の通路を走って、城の渡り廊下を戻り、途中で曲がる。空も明るくなって使用人たちも働き出していた。鐫に連れられて走り回る俺の姿を見て青ざめた顔で止めようとしてくる。だが鐫はスピードを落とさなかったので誰も止められなかった。


「えーる! ちょ、ちょっと休憩!」


 もともと鐫も俺も体は丈夫ではない。走った勢いを殺しきれず鐫は数歩小走りで進み、歩みになり、ゆっくり止まった。肩で息をしていてかなり無理をしていたらしい。


「明津様!!」


 後ろから追いかけてきた使用人も追いついてきて、俺の世話をしだす。自然に、鐫は俺の手を離していた。女性の使用人が俺の襟を直し、お部屋にお戻りくださいと言った。仕方がないな、と俺は鐫を見る。部屋の中でできる遊びでもしようと言うつもりで。だがそこに鐫はいなかった。視線を先に延ばすと、廊下の曲がり角で鐫がこちらを除いている。手招きをして姿を消してしまった。


「ごめん、鐫と遊んでるんだ。居住区からは出ないからさ」


 そういって俺は鐫を追った。その曲がり角の先は中庭しかない。高山のくぼみに作られた中庭。整えられた階段を下りて姿の見えない鐫を探す。茂みの中ものぞいたが見つからない。そんな俺を嘲笑うように上からカタッカタッと音がした。見上げるとそこには鐫。この中庭はくぼみ。仮にも落ちないように、と屋根になる部分はガラス張りになっている。鐫はそのガラスの上でくるくる回りながら一人でダンスを踊っているようだった。


「鐫! 危ないだろ! 降りなさい!」


 丈夫に作られていて分厚いはずのガラス越しでも俺の声が聞こえたのか、それとも俺が見上げていることに気づいたのか、鐫はこちらを見た。見下ろした。そしていかにも上機嫌ですという笑顔にしてやったりという色をまぜ、へらへらとした笑顔で、俺の上でくるくる回る。

 仕方がない、と俺は階段を上り、ガラスの上に足を進めた。大人が上に乗ってガラスを拭いているのも見たことある。子どもの俺が乗ったところでびくともしない、はず。だいたい鐫はあんな動き回ってるんだから、大丈夫。


「わー……、高い……。ほら、鐫。危ないから降りるぞ」


 なんとか鐫の傍まで寄って、鐫の手を掴んだ。それでも鐫は首を振る。俺の手を握り返してきて、こっち、とガラスの上を駆ける。いやいやいやいや、怖い怖い怖い怖い。


「ここ!」


 鐫が示したのはガラスの屋根の端。くぼみの一部壁が壊れており、土の壁に沿ってガラスが地面に向かっている。駆けおりるのは危険でも座ることぐらいはできそうだ。

 鐫はそこに座って、はい、と俺にサンドウィッチを差し出した。あまり見かけない不格好なそれはおそらく鐫の手作り。俺はため息を吐く。それはあきらめたというサイン。鐫の隣に座ってサンドウィッチにかぶりつく。思っていたよりかはおいしかった。鐫は正面、目下に遠く広がる城下町を眺めていた。


「鐫の分は?」


「兄さんを起こしに行く前に食べたの。かくれんぼ、楽しかった?」


「俺が鬼かよ」


「えへへ。兄さん全然見つけられないんだもん。音を立てるまで全くこっち見ないの」


「ガラスの上なんかにいると思うかよ」


 今度は何の遊びなんだ? と鐫の視線の先を探すが、遠い遠い場所に羅沙の民が暮らす街が見えるだけだ。遊びに使えるものはない。


「僕ね、兄さん。ここの風が好き。冷たい日、暖かい日、じめじめする日、砂が混じってる日……。いーっぱい。今日の風は花の匂いがするね、兄さん。誰かが花瓶をひっくり返したのかな?」


 そんなの届くはずないと言おうとして、やめた。明津を呼ぶ声が下からしたからだ。下を見下ろすと使用人たちが降りてくるように必死に呼びかけている。


「心配させたかな? 鐫、風は気持ちいけどここじゃなくていいだろ? ガラスじゃなくて地面に降りよう」


 ほら行くぞ、と明津は来た道へ進む。立ち上がろうとするとしたから悲鳴が聞こえたので四つん這いで安全にガラスの上を移動する羽目になった。階段近くの、ガラスと地面の高低差が小さい場所に来てから地面に飛び降りる。また使用人たちに囲まれて、大丈夫だから、と繰り返した。俺の言葉だけでは信じられないのか使用人たちの顔は青いまま。仕方がないな、と鐫を振り返って――


「鐫?」


 また、いなかった。鐫はまだガラスの屋根の端で座っていた。


「えるー!」


 聞こえているはずなのにこちらを振り返らない。城下町を見下ろして、自分で作ったサンドウィッチを頬張っている。もう一度呼ぼうと息を吸った俺を、鐫は振り返った。ニコニコと笑っていたけれど、先ほどの上機嫌さは消えていて冷たい印象を受けた。

 鐫は再び城下町の方を見ると、立ち上がってガラスを駆けおりた。なんて危険なことを、と思ったが鐫に掛けよろうとする俺を使用人たちが止めた。お怪我はないですか? と善意しかない声で使用人は俺に聞いた。大丈夫だよとそれだけ告げて鐫の方をもう一度見る。鐫は怪我をしていないようだった。平気そうだ。既に駆けだそうとしていて、その方角は皇室図書館。俺は使用人たちに大丈夫だからと念を押して鐫を追う。

 なんか追いかけてばっかだなぁ。まぁ俺がお兄さんなんだからいっか。

 皇室図書館に駆け込むと、鐫は螺旋状に下に伸びていくフロアを駆けおりていた。吹き抜けになっているので、鐫がかなり進んでいることが見てわかる。同じようにフロアを駆けおりても追いつけないだろう。この高山を海面より低い位置まで掘っているので底は暗くて見えない。途中にある部屋に鐫が入っても見えない。仕方がない、と俺は避難用の梯子を下りた。それぐらいしか鐫に追い付けないし、見失わないようにしなければ。

 結局鐫が梯子のある場所を避けてしまったので途中で捕まえることはできず、かといって見失うこともなく、一番下までたどり着いた。だが、俺はここがあんまり好きじゃない。一番下のフロアの本棚はほとんどが空。中央にテーブルがある。俺と鐫の父親、羅沙皇帝が一日のほとんどを過ごす場所だ。幸い、今はいないようだけれど。


「鐫、上に行こうぜ。ここには何もないだろ?暗いし」


出入り口を見上げて、この深さを登るのにどれほど疲れるだろうか、と俺は嫌になった。


「兄さん、下から四層目にね、新しい本が増えたんだよ。それを見てからでもいいでしょ?」


 鐫は、つかまっちゃったーと何かを諦めたような声でわざとらしく叫んで、俺の手を引く。この状態を見れば捕まったのは俺じゃないのか?


「なんでこんな下に新しい本入れるんだよ」


「お父様のルールだよ。知ってるでしょ? この本棚ぜーんぶ、お父様のルールで管理されてるんだよ?」


知ってるよ、といやいや答え、鐫が出してきた本をのぞき込む。小説のようだ。大きな羽を持つ黒い影が挿絵で描かれている。羽が生えている本体は人間のように見えた。黒い黒い影。俺は羅沙の敵国を思わせる黒に眉をひそめる。鐫はそんな俺を見ておかしそうに笑った。


「物語じゃない。そんな顔しなくていいでしょ。それに、兄さんはこっちでしょ」


鐫が指さしたのは黒い黒い影の前に描かれた「ヒーロー」だった。武器をその影に向けている。弟にそのヒーローだと言われて嬉しかった。

 もっとその話を、と思った。しかし鐫はさっさと本を片付けると次の場所へ向かうという。折角忘れていたこの図書館の入り口を目指す労力を思い出し、足が重くなる。それでも鐫が手を引いてくれたので、一人で登るよりかは早く登れたのではないだろうか。

 鐫が俺の手を引く。また渡り廊下。廊下。曲がり角。城壁の中の通路、そして、階段。階段に来た辺りで俺にも次の目的地がわかった。ただの階段ならわからなかったが、この階段の先は空中庭園しかない。羅沙皇帝と皇帝が許したものしか入れない、羅沙城の中でも三本の指に入る神聖な場所だ。ちなみに他の二つに俺は行ったことがない。中庭よりも低い位置にあるという歴代の皇族が眠る水晶の島。場所も知らない。そして羅沙皇帝の私室。高山に立つ羅沙城だが、皇帝の私室だけ別の高山に建っている。繋ぐのは橋が一本だけ。場所は流石に知っているが、俺に入っていいと、父は一度も言ったことがない。

 そして、この空中庭園も数えるほどしか入ったことがない。鐫は俺の手を引いて階段を駆け上る。入り口で立ち止まり、空中庭園にあるガゼボの中にいた皇帝に手を振った。皇帝の表情まではわからない。ただ手で招くようにしたのは見えた。鐫は迷うことなく俺を連れて空中庭園に入る。


「いいのか?」


「え? だって、手招きしてたし」


 羨ましいと思った。

 皇帝と後継者ではなく、父と子として関係を築く弟が羨ましい。

 第一皇位継承者と第二皇位継承者の違いなのだろうか。俺は父が苦手だった。

 鐫が俺の両手を取ってくるくると回る。芝生なので滑ることはなさそうだった。なんと、鐫は靴を脱いでいた。楽しそうに俺と回って笑っている。


 (羨ましい)


 弟の自由が、羨ましい。

 後継者としての責務にうなされない夜を過ごすのだろうか。

 何かと優秀な父と比べられずにいつも笑って過ごせるのだろうか。

 優秀なのに人の気持ちを破壊する父と敵対するように望まれずに、父の手も、俺の手も取って笑っている弟。

 だが俺は兄。それを誇りに思っていた。兄だから頑張れるというところもある。兄だから弟に譲って当然。そもそも今回の事も父とうまく関係を築けない俺を鐫が気遣ってくれたのかもしれない。


 「鐫、あの、今日は……」


 俺が突然止まったので当然のごとく、鐫の勢いはあらぬ方向へ向いた。手を握っていたので、止まったはずの俺も一緒に。

 つまり、父が毎日その手で世話をしている花壇に、二人して突っ込んだのだ。何とか自分の体を下に滑り込ませたものの、俺も鐫も泥だらけだったし、服には葉っぱやら花びらやら泥やら、様々なものが付き放題だ。

 父と父の騎士がこちらの様子を窺っている。手は差し伸べない。それが父だ。なので、俺は鐫の体を起こして風呂に入れてもらうように言って一人で父の前に名乗り出た。自分の非だったと。


「ですので、鐫は……」


「さっさと風呂に入れ。花壇は気にしなくていい」


 突き放されたのか、心配されているのかわからない。それはきっと、俺の心が落ち着いてないから。素直に従って俺は空中庭園を後にした。


 その後は流れに流されて、解放されたのは昼過ぎである。

 まず泥だらけの俺を見た使用人たちが悲鳴を上げて、事情説明をする前に風呂に放り出された。四、五人の使用人に体を隅々まで洗ってもらい、腹が減ったと言っておいたので自室に昼食代わりが運ばれてくるだろう。もう髪も乾かされていて、数時間前まで泥だらけだったとは思えないほどさっぱりしていた。

 今日は大人しくしていてください、と願われ自室へ向かう。途中まで騎士の高貴が一緒だったが、高貴は父の騎士に呼ばれて席を外した。

 俺の自室は鐫の部屋の目の前。少しぐらい鐫の部屋をのぞいても使用人たちにはばれないだろうと思って、部屋のある道にまがって入る。


「うわっ」


 まがった直後、誰かに当たった。廊下の灯が消されていて、レンガ造りの古い城では昼間でも真っ暗になる。城内では滅多に感じない殺意を感じて、俺は身構えた。今は一人で、恐らくだが相手も一人。一対一ならなんとかなるか、と後ろを確認する。逃げ切れば俺の勝ち。


「兄さん」


 殺意を放っていた誰か。その誰かから弟の声がする。

 正直に言おう。怖かった。


「え、える? あっ、風呂入れてもらったか?」


「入れてもらった、ね。……必要ないよ」


 それだけ告げると、鐫は暗闇から出ることなく俺の手を払って自分の部屋に引っ込んでしまった。その後の予定も何もかも放棄した、拒絶だった。今日一日(と言っても午前だけだったが)、俺の手を引いて駆け回った弟とは思えなかった。

 鐫が拒絶の為に振り払った俺の手。綺麗になったはずの俺の手に砂埃がついていた。


 ***


 最後だと決めていた。身勝手で一方的な取り決め。

 今日。今日一日。兄と一緒に過ごそう。それでも、何も変わらなかったら。

 僕は兄を見切る。


 まずは兄と一緒に一日を始めるんだ。朝日を見よう。そして中庭のガラスの上でサンドウィッチを食べて……。あぁ、サンドウィッチ作らなきゃ。そう、その後はどうしようかな。そうだ、中庭で秘密の出入り口を一緒に探そうかな。皇族たちが眠るという水晶の島への入り口。中庭にあるらしいから。見つからなくても花が綺麗に咲いてる。兄も喜んでくれるだろう。図書館へ行ってゆっくり本を見ながら降りて、適度なところで引き返そう。絶対に疲れるだろうからちょっと休んでから空中庭園に行こう。お父様と兄さんと一緒にご飯を食べるのもいいなぁ。お父様のお花の手入れを兄さんと一緒に手伝って、ティータイムまで一緒にいても怒られないかな? あとはお父様は忙しいだろうから兄さんに勉強を見てもらおう。動き回って疲れてるから集中できず眠っちゃうかな。兄さんなら起こしてくれるかな? それとも一緒に寝ちゃうかな? あぁ、兄さんがよく行くっていう兄さんのお友達の貴族の家に行くのもいい。いつもの遊びに混ぜてもらうのも、楽しそう。

 今日だけ。今日で変わって欲しい。


「兄さん……」


 まだ日付が変わったばかりだ。計画をもっと詰めよう。

 何も変わらなかったら、僕は兄さんを嫌いになろう。


「僕の……大好きな兄さん」


 跡継ぎばかり大切にされるこの城という閉鎖空間で、僕は僕の脆い心を守るために、兄を嫌いになる。


(身勝手でごめんなさい……)

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