生まれる日
時系列は本編後
落葉蓮の誕生日のSS
一月二十日。帝都の空は雲が覆い、冷たい風が吹き、綺麗な雪が降っている。それを自室の窓から見つめ、視線を落として窓辺に積もっていく雪を眺める。今日は特になんともない一日である。
わざと朝食の時間とはずらして食堂に向かう。何も今日が特別そうなのではなく、夜更かしをよくする私は朝食の時間に起きれないことがしばしばあった。今日は起きていたけれど、窓から雪が降っているのが見えて、何となく呆然と見ていた。暖房も付けなかった(ナイトギルド本部の暖房器具は個人の部屋それぞれで稼働させられる代わりに、部屋主の魔力でしか作動しない)ので手足が冷え切っていて、靴下を履くだけであったかく感じたものだ。
廊下で可愛い弟分とすれ違った。白くなってしまった頭をぺこりと下げ、弟分が階段を駆け上っていく。あと一段降りれば一階、という所だった。個人の部屋は個人が暖房を付けることになっているが、廊下や食堂といった共有スペースは隊長の連夜が補っていた。彼が居なくとも作動する冷暖房や灯りはとても便利である。よって廊下が温かいからといって、連夜が食堂に居るか、出かけているか、自室にいるか、隊員たちには分からない。蓮は食堂にいなければいいのに、と小さく独白した。
食堂に入ればすることは多い。まず作り置きしてある朝食を温める。手間だろうに、食事係の松本瑠砺花は一人前ずつに盛り分ける。大人数なのだからまとめておけばいいものの、と思うこともあるが、分けられていて助かっているのは蓮や連夜といった、時間を守らない者たちだ。あまりどうこう言いにくい。
馬鹿でかい冷蔵庫(もともとこの建物が寮だったため、想定されている住居人は現在の住居人よりはるかに多い)からおかずを出した時点で気づいた。この料理を作った人には知られている、と。
一月二十日。特に何もない、蓮の誕生日だ、と。
偶然と言い切られてしまえば、それこそ連夜のようなタイプの人間に思い違いだと言われてしまえば納得できるのだが、残念ながら料理担当の松本瑠砺花という人はそういう人ではない。「なんとなく」で人の好物を朝から揃えてくるような人ではないのだ。蓮の好物だらけのお皿が少し怖い。
「おはよう、蓮」
冷蔵庫の前で固まっていると、後ろから声をかけられた。男の声で、もうすでにこのギルドには住んでいない人。ギルドの外に家を持ち、仕事がある時だけギルドに通勤している焔火キセトだ。
「おはようございます。いらしてたんですね」
今日はお仕事あるんですね、と同義語だ。そもそもキセトさんはすでにギルドを脱退している身であって、仕事とは連夜の尻拭いぐらいしかないだろうに。
ぱひ。そんな音を立てておかずが温まったことが知らされる。なぜこんな音なのかわからないが、どうせ連夜の趣味だろう。あの人は趣味が悪い。というかセンスが悪い。
指定された席におかず片手、ごはん片手に着席する。何も言わず、キセトさんも指定の席に座った。蓮とキセトさんの席は丁度向かい合わせだ。何も自分がそう望んだのではなく、連夜が机の横側、連夜の右側の席にキセトさん、左側の席に蓮と、入隊順に詰めただけである。連夜の右が左かぐらいは選べたが、そんなのどっちでも変わりない。強いていうなら左側であれば連夜に食事を奪われることが少ないというぐらいか。
古株と言われる蓮は、正直ナイトギルドに一番長く居ることになるだというと思っている。連夜とキセトさんを除けば、と昔なら付け加えたところだが最近はそうでもなかった。キセトさんはすでにギルドを去った。これからのことを考えれば蓮の方が長期間所属したことになる。連夜もまた、蓮より八つ年上だ。蓮よりは早く死ぬのだろう、と勝手に考えていた。
ナイトギルドに長期間属していたから何、ということはないものの(このギルドは年齢も先輩後輩もあまりない)、自分こそがこのギルドを続けていくのだと思っている。
だからこそ、だ。だからこそ、この空気を壊したくない。ギルド内で誰かが誰かの誕生日を特別な日にしてしまったら、曖昧な繋がりを確固たるものにしてしまう気がして、このギルドに繋がりというものから逃れてきた者たちを居づらくさせてしまうのではないか、と。
「んー、おはよ」
そう。ここは隊長が呑気に寝坊してくるぐらいでいい。それを当然としてキセトさんですら受け入れる。それがナイトギルド隊長だ。
「おはよう。お前が呼び出したんだろう」
そんなこと言うけれど、キセトさんもわざわざ連夜を起こしはしない。悪い(本当はもっと口が悪い謝罪だけれども、謝っているという意思を汲んでこの表現に留めておこう)と言って連夜が席に着く。彼にしては珍しく食事よりも連絡事項を先にしたらしい。
「買い出し頼む。食材とかは瑠砺花と蓮に行ってもらうから、その他の。後で払うし代払いしといて」
「分かった」
ちょっと待とうか。瑠砺花さんと私が一緒に買い物? おそらく私の誕生日が今日であるということに気付いてる彼女と、二人で? それは何の拷問なのだろうか。彼女はああ見えて気を遣う。誕生日の人と二人っきりで買い物などさせたら疲労感しか残らないだろうに。蓮だって気を遣われながらの買い物などごめんだ。
「連夜さん、必要な食材もメモにおこしてもらっていいですか? 瑠砺花さんと私では持てきれません。キセトさんが居てくださるととても助かります」
「ん? まぁそういうもんか。いいぜ。わかった」
行って来いよ、と連夜。用意がいいことにすでにメモを貰っているらしい。いや、なんでそれを持ってる? もしかして何か謀られた?
「連夜さん、まさかと思いますが確認のために質問させてもらいますね。私を出かけさせようとしてたりなんて、しませんよね?」
「ギルドに居たいなら居ればいいと思うけど…?」
連夜はしらっとしているけれど、キセトさんの方が正直だった。おまえ、丸わかりだ。
「きーせーとーさーん」
「……連夜に俺が頼んだんだ」
あっさり打ち明けられた内容は、蓮が思っていたようなものではなかった。約二カ月後、キセトさんの妻である亜里沙さんの誕生日が迫っている。故に女である私に誕生日プレゼントを選ぶ助言をもらいたいとのことだった。何言ってんだ、こいつ。
「言っときますけど、私と亜里沙さんの好みって全く違いますよね。なんで私なんですか?」
「それは連夜に薦められたからだ」
「では連夜さんに同じ質問をします。なんで私なのよ」
「男の趣味が一緒だから」
ぐぅ。この男、数年前まで鈍感男No.2だったくせによく見ている。
いや、否定させてほしい。落葉蓮のこの感情は近所のお兄さんに向けられる憧れということになっているのだ。近所のお兄さんへの憧れ。実兄に対する嫌悪のような絆。そんな感じの、頼れる人っていいなーといういことで終わっていたはずなのに。
「何言ってるの、意味不明」
この反論までに約二秒かかるとは。私はどこまでわかりやすいんだ。
「ダメ男にひっかかるなよ、蓮」
キセトさんは亜里沙さんの思い人を自分と結びつけた上で、ダメ男と言い切った。わかってるならちょっとは黙っててくれよ。
「とりあえず二人で行って来いよー。キセトなんか四カ月前から同じこと悩んでるじゃねーかぁ!」
「悩むに決まってるだろ!」
目の前で今日が誕生日である蓮以外の人間の誕生日の話題が盛り上がっている。蓮にとってはなんとも気まずい。そういえば~と自分のことを言い出せないのが祝ってほしいと思っているのが丸わかりだ。祝ってほしいだけではなく、特別視してほしいのだ。
さっきまでギルドに長く居るのがなんたら、と考えていたことを忘れることにした。人は変化する生き物だ。仕方がない仕方がない。
「それじゃ、行きましょうよ、キセトさん」
憧れのお兄さんと一緒に買い物に行けるのを喜んで何が悪い。そうだ、悪くはないのだ。なら喜ぼう。
「そうだな、どうせは行かなければならないことだし」
憧れのお兄さん本人も嬉しそうだ。連夜の言うことが本当なら半年前から準備する奥さんの誕生日だ。一つでも決まっていくのは嬉しいに違いない。
「それで、どこに行くんですか?」
雪が降る中、外に出てからそんなことを尋ねた。キセトはアクセサリーか食べ物か、とぶつぶつ呟いている。子供が二人もいる夫婦間なのだから味気ない食べ物でも十分だとは思うのだが、この蓮の価値観は亜里沙さんと一致するのだろうか。
「しないんだろうなぁ」
「何か言ったか?」
「いえ、アクセサリーにするとキセトさんは片っ端から買い取ってお家で選定会を開いてしまいそうなので、食べ物を見に行きましょう。ギルドの食料の買い出しもそっちの方がいいですし」
「わかった。行こう、蓮姉」
無意識に違いない。最近弟分(今朝階段ですれ違った彼とはまた違う)にそう呼ばれるようになったのだ。その弟分はキセトさんの息子なのだから、話を聞くうちに移ってしまったのだろう。姉などと呼ばれる筋合いはない。年齢だってキセトさんのほうが八つも上で、姉と言われるほど親しみもない。
そう、親しみなどない。私が憧れであると意地になるのは、ソウであってはいけない理由があるからだ。私は彼らを憎み続けなければならない立場にあるからだ。だから、敢えて言おう。もう間違えないでと伝えるために。
「龍道君の、移ってますよ。蓮姉って言ってました」
「そうだな、すまない。龍道が嬉しそうに話すものだから」
誰かの口癖や言葉遣いが移るなど、彼が愛する家族以外には考えられなかった。連夜の言葉遣いですら(連夜の言葉遣いがキセトさんに移ってほしくはないけれど)移らなかったのに。
「そうだ、蓮。これ」
キセトさんがそう言って花屋の前で止まる。蓮は名前も知らない白い花が目の前でバケツに突っ込まれている。用意されたバケツに入れられた水を同じ種類の花同士で奪い合う、醜い姿に蓮には見えた。
「行きましょう。私、花屋嫌いなんです」
「花も嫌いか?」
「……いいえ、花は嫌いじゃありません。よく枯らしてしまうだけで」
そもそも名前からして落葉だ。花に好かれそうにはない。
「これ、持って帰って部屋にでも置くといい。デンファレという花だ。色も種類があるはずなんだが、目の前にある白がいいだろう。きれいな花だ」
「でもこれって、世話が大変な花じゃ」
「花束にしてもらって枯れるまで飾ればいいだろう。いずれ、花は枯れるものだしな」
キセトさんは、私の返事を待たずにその花だけの花束を購入してしまった。迷いなくそれを私に渡す。でも、どうして突然花なんて。
「デンファレは今日の誕生花だ、蓮」
「えっ」
キセトさんの意外な言葉と、同時に私の手に伝わってくる花の重み。誕生花? 今日の? 今日が誕生日の私に、今日の誕生花を? まさか、まさかまさか、万年鈍感男№2のキセトさんが?
「亜里沙の誕生日のプレゼント、協力してくれよ、選ぶの」
何でもないようにキセトさんは進みだした。妻の誕生花を調べたついでにでも調べたのだろうか。そもそもなぜ誕生日を把握しているのか。
「あ、あのっ!」
「なぁ、蓮。俺は化物かもしれないけど息子がいる身だ。妻もいる」
「えっ、は、はい」
「親子にすれば歳は近いかもしれないが、蓮の両親代わりのようなつもりもあるんだ。顔も知らない誰かの誕生日はともかく、娘の誕生日ぐらいは分かってる」
「…」
あぁ、近所のお兄さんだって言ってるのに。まさか父親気分だったとは。
でも、そう言ってくれればこちらだって開き直れる。取り繕う必要もなくなる。って、あれ、あれ? これって失恋? そうだとは言わなかったけれど結果的に失恋になるのだろうか。誕生日に? 残念すぎる。
「キセトさん、あの……」
「ん?」
「……わ、私も亜里沙さんに何か贈ってもいいですか?」
恋はもうしないだろう。恨むべきとわかっていて認められない恋を続けて、それも終わって。今日が誕生日だというのなら生まれよう。焔火キセトの娘として、今日生まれよう。
「キセトさんが親代わりなら、私は龍道君のお姉さん代わりにもなりますし、亜里沙さんの娘代わりでもありますから」
父や母と呼ぶのは気恥ずかしいけれど、それでもいいから家族の一員になりたい。
「あぁ…、そうだな、亜里沙も喜ぶだろう」
花束の向こうから伸びてきた手が頭を撫でる。はるか昔に失った、父の大きな手を思い出した。蓮の父の手とは全く違うのに、重なった。
「誕生日、おめでとう。蓮」
何か欲しいものはあるか? と続く声。
ある、と答えてその背を追う。特別として祝ってはくれなかった。相変わらずこの世界は望んだことは叶えてくれないけれど、望まない、考えもしない方法で幸せは与えてくれる。そんな世界に、落葉蓮は生まれたのだと、改めて知った誕生日だった。