虫友達
BNSH本編のミラージュ編後のお話です。
松本瑠莉花と哀歌茂茂がお友達になる話。
ナイトギルドに哀歌茂茂が入隊して一ヵ月ほどが経った頃だった。旧友である戦火と週に一度おすすめ本を交換しているのだが、今週は時津静葉とミラージュの件があって本を探せていなかった。戦火も同じだろうと断ろうと思ったのだが、先ほど廊下で出会った彼女に先手を打たれてしまったのである。
「茂! 今週の本は楽しみにしていてくださいね!」
待ってくれよ、と声をかけようとしてやめた。これはあと数日で本を探し出す他ないのだ。
おそらく戦火は、暗い出来事のあとだからこそいつもの生活を取り戻そうと必死なのだろう。茂もまさか時間がなかったというわけにはいかないではないか。
「と、というわけです。キセトさんの部屋は小さな図書館並みだとお聞きしました。もちろん奥の私室には入りません! 本を読ませてください!」
キセトと連夜の自室だけ手前の応接室、奥に私室といった二室構成になっている。手前の部屋までだけなら事前に断りを入れれば自由に入っていいことになっている。連夜の応接室は隊長の部屋ということもあってギルドの書類が保管されているので、キセトや会計の仕事をこなす蓮などがよく出入りしていて、それは茂も何度か見ていた。茂自身も時々入って書類仕事をこなすこともある。連夜の意外なところだが、部屋の掃除だけはこまめにされている。違うものがしていると思っていたのだが、先日茂が訪ねた際、連夜自身が掃除をしているところに出くわした。
比べてキセトの応接室は、人に応接しようという気持ちが全く窺えないものだ。部屋の壁という壁には本棚が設置され、部屋の中央にも人がすれ違うことすら厳しい幅の通路だけ設けて本棚が置かれている。そこまでしても本が溢れていて、一応設置されている机には本の山がいくつもできていた。奥の私室も本棚があると聞いたことがある。
それを聞いた茂は、そこまで本があるのならおすすめ本もすぐに見つかるだろうと思ったのである。実家に帰れば本はいくらでも取り寄せられるのだが、時間がかかる。人に勧める本の中身を読まないわけにもいかない。今回ばかりはキセトの小さな図書館を借りたい。
「構わないぞ。自由に入ってくれ。本を戻すところがわからなくなったら机の上に置いておいてくれ。私室のほうも入って構わないぞ。ただしベッドの上にある本は読みかけだから触らないでほしい」
「も、もちろんです!」
そんな会話をして、さっそく茂はキセトの応接室にやってきていた。本棚が窓も覆っているせいで薄暗い。昼間でも部屋の灯りをつけなければならないほどだった。
「……もー、スイッチどこだろ」
壁を伝うが見つからない。思わず口に出た言葉に、クスリと笑う声が聞こえた。
「この部屋はこういう灯りを使うのですよ」
「えっと、松本さん? 持ってるのはランプですか」
「火じゃなくて魔力ランプなのです。ほら、ここの棚に二つあるのですよ。一つは机に置いておいて、一つは持ち運んで本を探す用なのです。この部屋、灯りが取られてるのだよ。本棚が当たって危ないとかで。キー様が勝手に取っちゃったのです」
ぼんやりとした灯りが照らす女性は松本瑠莉花だった。茂と同い年で、ナイトギルドでいうなら先輩にあたる。常に実姉の松本瑠砺花と行動と共にしていて、茂は個人的な話をしたこともなければ、一人で居るところを見たこともない。
「松本さんも本探しですか?」
「まっさかーと言いたいところなのですが、まぁ、本探しは本探しなのですよ。読みやすい本を探してるのです」
「読みやすい?」
「私とヒー様とエーレー君はキー様から読み書きを教わってるのです」
「読み書きを? たしか、松本さんはぼくと同年齢ですよね?」
茂は十八歳だ。十八歳で人から習う読み書きとはなんだろうか。それに学校で学べばいいことではないのだろうか。
「学校行けばいいのにって顔してるのですよ。たしかシゲシゲ様は学校行ってるのですよね? 楽しいのです?」
「松本さんは行ってないの?」
「行ってないのですし、行ったこともないのですよ。本を読むのは好きなのですけど、教えられるのってあんまり好きになれないのです。自分で知りたいことを知る。知りたいことを学んでいく。独学でもいい。そう思ってるのです。幸せなことに、わたしはここで働いてるのですし、ここが潰れない限り食べていけるのです。ここが潰れないようには私たちが頑張ることなのですし」
にこり、と瑠莉花が笑う。それ以上聞いてくれるな、と言っているようだった。
「というか、シゲシゲ様。私と同い年なのですよ? 瑠莉花って読んでほしいのです。ルー姉ともかぶっちゃうのですし」
「えっ、でもいきなり呼び捨てってのは……。女の子だし」
「戦火様は呼び捨てなのに?」
「戦火は昔からの友達だから」
「……それじゃ、友達になるのですよ。小さな灯りに寄って本を読む。たしか、『本の虫』。そう、『本の虫』同士。虫さん同士、仲良くなるのですよ」
パタン。瑠莉花が閉じた本が終わりを知らせる音がした。彼女は本を近くの棚に戻すと、机の上の本の山から一冊取り出して茂に渡した。それ、面白いのですよ、と笑って部屋を出ていく。『機械のメイド』という題名が掠れている。茂はこの本を知らないが古そうだった。
近くの椅子に座ってその本を開く。彼女と茂が友人になれるかどうか、この本にかかっているような気がしたのだ。
数日後、茂は戦火と無事におすすめ本の交換を済ませた。戦火に勧められた本は恋愛もので、少々甘ったるいほどだったが最後に結ばれた主人公と主人公の思い人の幸せには、茂も喜びを感じるほどであった。
それでも、茂の心に残っていた本は、召使いが自分の主に恋をし、叶わない恋に機械になることを選んだ、哀れな少女の物語だったのである。それを進めたツインテールの女の子は、そんな悲しい物語を面白いと言ったのである。もう一度、彼女と二人っきりで話を聞きたい。
そんな思いで、またキセトの応接室に茂は足を運んだ。薄暗いところに彼女は居るのだろうか。
「松本さん?」
「る・り・か、なのですよ」
本棚の影から彼女が姿を現した。灯りを持っていなかったので互いの表情は見えていない。
「あ、灯りは? 棚にもランプが置いてないんだけど」
「机の上。あと、今はヒー様も居るのですよ。ヒー様が持ってるのです」
「前も思ったんだけど、ヒー様って誰?」
「落葉蓮さんなのです。このギルドでキー様とレー様を除いた場合の一番の古株の」
「あぁ……。彼女も学校に行ってないよね」
「でも生きてるのですし、働いてるのです。それで十分なのですよ」
そういうものだろうか、と茂が首を傾げたのが見えていたのだろうか。瑠莉花はまたクスリと笑う。
「どうだったのです? 機械になってしまった女の子は、哀れなのです?」
「悲しい物語だと思ったよ」
「私はそうは思わないのですよ。彼女は自分で自分の在り方を選んだのです。幸せなのです」
瑠莉花がまた本の山から一冊取り出す。悲しい物語、彼女が言うには幸せな物語の本と表紙が似ている。茂の見間違いでなければ、その題名は『機械の主』だった。
「本当はこっちが先に出版されたのですよ」
瑠莉花は茂にその本を渡す。読んでほしいと、その思いが伝わってくる。
茂はその夜、徹夜してその本を読んだ。主人公は恋をしていた。自分と対等な身分を持つご令嬢で、相手も主人公に恋していた。二人は貴族として結婚し、互いの家の困難を乗り越え、愛を深めつつ生きていく。そんな感動的な物語。その物語のどこにも、「機械」も「主」も出てこない。ただ、『機械のメイド』を読んだ茂にはわかった。名前もない、特に取り上げられている訳でもない、主人公の家にたくさんいるメイドのうちの一人が『機械のメイド』の主人公だと。主への思いを切り捨てて機械になってしまった女の子が、紛れ込んでいるのだと。
哀れだった。幸せで感動的な物語の裏に、悲しい物語が隠れているのだ。
それがわかったからこそ、瑠莉花の言葉がわからない。本当に機械になってしまった女の子は幸せなのだろうか。
「ねぇ、松本さん」
「シゲシゲ様。私たちはきっとただのメイドなのです。何も知らないうちに取り上げられて幸せになるのはレー様やキー様。私たちは知られないままに悲しい物語で終わっていく。そう思うのです。でも私たち、幸せなのですよ」
そうでしょう? と瑠莉花。彼女は笑っている。
「だって、私たちは自分で生き方を選べるのですもん」
「……メイドは自分で機械になることを選べた。だから幸せ?」
「私はそう思うのです」
「わかった。君の考えはわかった。でもね、それは悲しい物語だよ」
瑠莉花はまだ笑っている。茂は灯りによった虫同士だと言った彼女を、仲間として、同士として、言ってやらねばならなかった。
「ぼくらは自分で選ぶんだよ。たしかにそうだ。悲しみを選んでしまったら、どうしようもないんだ。ぼくと同じだというのなら、幸せになろうよ、瑠莉花」
「……なーんだ、心配することなんてなかったのですね。シゲシゲ様も強い人なのですね」
「友達なんだろう、ぼくら」
「そうなのですよ、友達。……私、友達初めてできたのです。虫友達なのですね」
またここで、と小さな光が照らす狭い世界で彼女は笑う。淡く照らされた笑みが茂の新しい友達になった。