欲しいもの
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外出しなくなって数日、家の中はあまりにも退屈だった。
家族全員が出かけてしまうと、その空間に俺一人しか存在しない。家族が使っている生活用品のみが家族の存在を示してくれている。
「もう、することもないしな」
その日の家事はすべて終わらせて、広い家の広いダイビングに一人座り込む。そのような必要などないというのに体を縮こまらせて呆然と天井を見上げた。
昨日は我慢できずナイトギルドへ行ったのだった。そして引継ぎをすべて終わらせてしまった。急ぐつもりは無かったというのに、終わってしまったのだ。今日はギルドへ行く用事はない。
一昨日は皆が忙しいとのことで俺が買い出しに行ったっけ。冷蔵庫の扉を開けなくてもその時に買った食材がまだあると知っている。料理を作っているのも俺だ。
その前の日は夕飯に煮込み物をしたのだった。時間をかけてつきっきりの世話をして。とてもおいしいがこの暑い季節に煮込み物は嫌だと娘に言われてしまった。今日の夕飯ももうできてしまっている。
何もすることもなく、かといって今までのように散歩に出かけるようなマネはできないので、俺はノートを開いた。
ずっと俺の部屋にあった魔法学の研究書類をまとめていこうと思ったのだ。多くの人々が書き残した学問のうち、魔法学だけは俺の興味を引いた。わからないところはないが、俺にその奥を考えさせる唯一の学問である。
莫大な魔力があったとして、という仮定の下に述べられている論述を実際に試したこともあった。俺の所有する魔力で事足りるならそれもよし、事足りないなら俺のできないこととして記録するもよし。どちらにしろ悪い結果を呼びはしない。中庭に出て論述通りの魔方陣を書き上げる。図がない場合は何時間でもかけて読み込み、図にしていく。そして論述通りに魔法を発動させ、
「………まさかな」
ある日、”異世界を渡る力”を俺は実証した。
目の前にあるゲートは、空間移動魔法のゲートに似ている。だが魔方陣も詠唱も魔法式も空間移動魔法とは程遠い。この目の前にあるゲートは全くの別物だ。
恐る恐る(といった感情に近いものを秘めながら)ゲートの向こう側に手を飛ばす。ゲートは不透明性で、飲み込んだ手がどこに行っているのか見えない。感覚でいうなら俺の家の中庭より寒いところのようだった。手に何か当たる。顔を突っ込む気にはなれず、手にとどまったそれを指の腹と指の腹の間でこすり合わせて正体を探った。
「水……?」
また見えない向こうで手に水が当たる。雨が降っているのだろうか。
「つぅっ!?」
突然ゲートはその繋がりを断ち切り、俺の手首から先ごと、ゲートの先の世界を閉ざしてしまった。先を失って、だらだらと血液を吐く手をもう片方の手で押さえる。俺の手が体験し、確かにゲートの向こうにあった空間は、異世界なのだろうか。
その日から、俺は何度もその術式を試した。だが一度も成功しない。一度も、あの雨が降っていた世界を俺に見せてはくれない。
考えた。雨の降っていた地域。全く違う形の空間移動魔法だったのだろうか。俺の手はこの世界のどこかに落ちてしまったのだろうか。それとも、異世界の、どこかに。
考えてもきりのないことだと思っていても考えずにはいられなかった。手から先は元通りに治っても、あの時落としてしまった手が気になった。
結局、居ても経ってもいられずにあの日あの時間に雨が降っていた地域を探すことにした。この世界のどこかなら確かに俺の手があるはずなのだ。だが自分の体の一部を感じなかった。だから実際にその地に行って調べてみよう。この化物の手だ。朽ちずに残っているはず。
調べつくして、自分の手の大きさ、雨の当たった毎分数。一・二分手をかざしていたはずだ、と雨の度合いを想定して地域を絞った。そして、もともと使える空間移動魔法でその場にとんだ。何度もどこへでも行ったが、俺の手はなかった。朽ちてしまったのか、と自分の魔力の痕跡を探してもそれも見当たりはしなかった。
「『愚者ルーフの手書きの書に書き記された、唯一愚かではない論述、それは異世界の存在証明である。ルーフが語る異世界にはこの世界ではありえない”魔法無き世界”を成立させていた。』」
その文は俺が好きな物で、そして俺が古代好きになった理由でもあった。
「『ルーフが語った世界は古代文明の世界と酷似している。古代では魔法の代わりに科学が発達し、現在では魔法が補っているそのほとんどを科学が補っていた。だがルーフの語る世界は古代文明よりも魔法というものを除外した世界であった。古代でも摩訶不思議な現象を魔法と呼び、魔法という観念はあったとされる。しかし、ルーフの語る魔法無き世界は魔法という概念を一切持たなかった。古代にあった摩訶不思議とされる現象はなく、すべてある一人の存在が一つの論述で論理立てたという。その論述の中身についてはルーフも語ることはなかったため、理解できなかったか、知らなかったとされる』」
愚者ルーフ。ルーフ・フラゼット。愚者と呼ばれる理由は彼が愚かだったからではない。彼の子供たち、現在では賢者の兄弟といわれる者たちと比べたからだ。賢者の親にしては愚かである、とそうされただけだ。個人としてみれば優秀な人であることは間違いない、だろう。何せ伝説としてしかその名が残っていない。ルーフの手書きの書というのも今では存在を認められていない。
「俺の、遠い、先祖、か」
先祖が異世界を見たのなら、俺もその扉の前に立っているのではないだろうか。扉を開けるかどうかは、俺の問題だというだけで。
「もう少し、ここの式を拡大してみるか。あまり範囲を広げると収集に問題が出るかもしれないが」
体を散らせ、粒より小さいものに砕いて時空を渡り、そして目的地で最収集させる。それが今の移動系魔法式の基本である。遠距離になればなるほど粒より小さくなったときに飛び散る範囲が増え、再収集に時間がかかったり、うまくできなかったりする。
だが、俺の体なら一部が足りなくとも平気なはずだ。冒険してみるべきだろう。
「魔法式を変更。範囲"section"から"pays"へ」
魔法式が光り、成立を証明する。そして、
「魔法式を起動。『地から地へ、国から国へ、空から天へ。区切りなく世界を渡るもの。その道を開く。入り口となり出口となれ』」
ガゴンと、頭の中で何かがなりひびい、
「いっ……」
気づいたら中庭でないどこかに投げ出されていた。何がどうなったのか、全く分からない。体中が痛い。どうしても痛い。立ち上がれない。苦しい。
よく体を見るとところどころ足りない。何かに噛みつかれたように欠けている。
(移動、している。体が完全に収集しきっていない間に意識が構築されたのか……)
痛みが弱まると同時に欠けている体が戻っていく。
痛みから解放されて顔を上げると都市が見えた。山の側面にでも作ったのかというほど上へ上へとのびている。一番上に位置するだろう場所は霞みかかっていてよく見えない。
「ちょっとおにーさん」
「……?」
お兄さん? と首をかしげる。あ、そうか、と今更ながら自分の外見のことを思い出した。いまだ二十代のそれを抜けていないのだ。
「ちょっと、来てくれよ」
「何か、御用でしょうか?」
「あー、ここ街中な? 突然誰かが現れたら驚くだろうが」
「……突然現れた、ですか? 何か、ゲートのようなものは出ませんでしたか!?」
「詳しい話は向こうで、おにーさん。俺はこの街の……そうだな、兵士、かな?」
「分かりました。混乱していますから、そちらで説明もしてください」
俺の腕を引っ張る青年の力が思ったより強い。腕をつかんだその手は、何かに躊躇して力を弱めたが、彼は俺の顔を見て再び力を込めた。
「異世界人か。珍しくはないけど、首都にいきなり現れたやつなんて珍しい。この世界は初めてか、旅人」
「……異世界というものに来たのは初めてです」
「おっ、そうか、初めてか。まぁ、なら事情説明とかだけで開放だな。よかったなー。あと、今日の当番が俺でよかったな! 嫌な奴は解放してくれないぞ」
「そうですか……。お名前を聞いてもよろしいでしょうか」
「俺か? ファークス、ファークス・ディファイルドだ」
そういって青年は微笑む。嫌味のない、爽やかな笑みである。
「異世界は存在する。初めてなんだろ? ここは龍と人間が水をめぐって争う世界だ。龍は普段人間の姿をとり、ブレスを使える。人間は龍のような丈夫な鱗や巨体を持たないが、その代わりに魔法を使うことができる。まぁ、だからさ。突然街の中で魔法を使って現れた奴は嫌われるぜ」
「つまり、ここは龍が暮らす都市なのですね?」
「そういうことだ」
そういってまた青年は笑う。俺の中ではなかなか見ない、すっきりとした笑みだ。
「あなたも、龍なのですか?」
「まぁな。人間ではないな。さてと、一応世界をまたぐ旅人さんにはこれつけてもらって。んで、もとの世界の話を聞かせてもらうことになってんだけど」
「………」
「まぁ、無理にとは言わないさ。その異世界人証明あれば捕まったりはしないから。この街の中なら自由に見て回ってくれ。あぁ、魔法がある世界のどこかの出身にしておくからそのつもりで」
あとな、と青年が姿を消す。再び現れたときには弁当のようなものを持っていた。
「どんな方法で世界を渡ってきたのか知らないけど、飯は食えよ。腕細すぎだぞ」
「世界を渡ったことは関係ないのですが……」
「じゃ、なおさら食え。絶食を習慣にするな」
「ありがとうございます」
「おう。じゃ、またな。おにーさん」
さようならとは言わないところが、この人の良さなのかもしれない。
しばらく街を見て回って、帰れるのかという疑問にやっと行き着いた。人目につかないところで魔方陣を描き、きたときと同じように魔法を組み立てていく。
また、頭がガツンと痛み、
「………」
目が覚めたときには、心配そうにする顔三つに覗かれていた。
「父さん、大丈夫か?」
「パパ、お庭で倒れたんだよ?」
「キセト、また魔法の実験でもしてたの?」
大丈夫だから、と体を起こすが、違和感を覚えた。何かが肌に直接触れたような。服の中をごそごそと探り、「異世界人証明書」が指先に触れたのを感じた。
(夢ではなく、あれは……)
異世界を渡る方法。それがこの世を変えるものだということぐらい分かる。そして、このときから、俺は考えていたのだろう。
(一人の世界が欲しい)
本当に一人っきりの。手に入れることもできないけれど、失うこともない世界が。欲しい。
そして俺は、家族にすら異世界に渡る術を伝えることなく、この社会から名を消し、ギルドから名を消し、歴史から名を消していき、最後には世界から名を消そうと決意しのだった。