その7:談笑
ニオとシェラの散歩は、ウォルガレンの滝の前で止まっていた。まだ時間も遅くないせいか、人の姿もちらほらと見える。
だが、すでに日は沈んでいるため、滝は淡い光を放っていた。普段見慣れているこの光景は、いまでも身震いさせる。
「なんだかさあ」
滝を眺めていたシェラが、おもむろに口を開いた。ニオの頭が大きくかしげられる。
「レインさんやアルマさんやニオを見てると、家族っていいもんだなって思うよね」
「そうかな?」
「お互いがお互いを、心の底から信頼しているってのが分かる。わたしはもう両親が亡くなってるから、よけいそう感じるのかもしれないけどね」
柔らかな笑みを放ちながら、寂しげにつぶやく。シェラが家族について語ったのは、これが初めてだった。
「シェラの故郷って、どんなところなの?」
「わたしの故郷ね……ここから南にずっと行ったところにある、なにもない小さな村だよ。本当に、なにもない……ね」
「そっか……」
なぜかそれ以上聞いてはいけないような気がして、ニオは口をつぐんだ。シェラの横顔から憂いが漂ってくる。
代わりにかけてあげる言葉を、ニオは必死に探した。少しでもシェラの憂いを除いてあげたかった。
「ねえ、シェラ」
「ん?」
「わたしとシェラも、もう家族みたいなもんじゃない。いつも一緒に仕事して、一緒に笑ったり怒ったりして。だから、そんなに悲しまないで?」
予想外のニオの励ましに、大きく目を見開く。そして次の瞬間には、笑いながらニオの肩をバンバンと叩いていた。
「ちょ、シェラ、痛いよ」
「そうだね。わたしたちも家族みたいなものかもね。助け合って、励ましあって」
「そうそう。これからもずっと一緒だよ!」
ニオの首筋に腕をまわし、ギュッと引き寄せる。そのままシェラはニオの頭にコブシをこすりつけた。
「ちょっ、痛い、痛いって!」
「まったく、年下のくせに生意気な口きいちゃって!」
「ご、ごめんなさいって! 痛いよ!」
ピタッと手を止めたシェラはそのままニオを抱きしめていた。
「本当に、ニオと出会えてよかったよ」
「またそんなこと言って、大袈裟な……」
「大袈裟なもんか」
ニオを抱きしめたまま、シェラは顔を上げる。大量に流れる水の音が、突如大音量でシェラの耳へと届いていた。
「この滝にもずいぶん救われたわ。わたしはマスカーレイドに来ることで、生まれ変われたのかもしれない」
「どうしちゃったの急に、おセンチになっちゃって」
「おセンチなんて、いまの若い子は言わないよ……」
シェラから開放され、ニオが大きく背伸びをする。と、そこに一人の男性が近寄ってきた。
「やっぱりここか」
「お父さん」
それは二人を呼びに来たレインだった。
「ご飯のしたくできたから、帰って食べよう。もちろんシェラさんもどうぞ」
「えっ、いいんですか? 家族水入らずなのに……」
「もちろん。オートエーガンの店員は家族も同然ですよ」
白い歯を見せたレインに、再びシェラの顔が真っ赤に染まる。だが、レインはシェラのようすに気がつかずに、滝のほうへと視線をやった。
「ウォルガレンの滝か……話によると、この滝が狙われたそうだな」
「えっ、なんで知ってるの?」
「通行証の提示のときにノルンから聞いた。まったく、ろくなこと考えない奴だ」
レインはぼやきながら、シェラの肩に手をやった。ビクッとシェラの体が大きく揺れる。
「そうは思いませんか?」
「は、はひ! そう思いまふ!」
直立不動のまま硬直したシェラを見て、ニオがプッと吹きだす。レインはニオの笑いの原因が分からないまま、ニオにも声をかける。
「ニオ、明日からもアルマのこと頼んだぞ。あまりお酒を飲みすぎるなってな」
「わかってるって。お父さんも仕事頑張ってね!」
当たり前のような親子の会話だが、舞い上がっていたシェラを一瞬にして我に返らせるには十分だった。
「ちょ、ちょっと!」
「ん、どうかした?」
「だって、いま、アルマさんにお酒って……」
慌てふためくシェラに二人は顔を見合わせた後に、夜空に響き渡る大笑を放つ。通行人が驚き、一斉にニオとレインのほうを振り向いていた。
「な、なにがおかしいの?」
「実をいうとね、お父さんはもう知ってるの」
「へっ?」
脱力感に実を奪われて、シェラの両腕がダランと垂れる。
「アルマがおれを騙そうなんて百億万年早いってことさ。だいたいアルマが禁酒なんてできるわけないだろ? それに棚いっぱいに調味料が並んでればだれだって気づくってんだ」
「そうそう。同じ棚に醤油が三本も四本もあるもんね」
「今回はそこを突っ込むために、わざと料理を練習してきたんだ。調味料を使おうとしたらなんてごまかすかと思ってな」
「まさか高級醤油なんて言うとは思わなかったよね」
「慌てっぷりが半端じゃなかったよな」
声を押し殺して笑う二人に、シェラは一人ぽかーんと口を開けて呆然としていた。
そんなシェラに二人は駆け寄り、シェラを中心に三人で肩を組む。
「アルマには内緒だぞ? これから先もからかい続けるつもりだからな」
「そうそう、いつもからかわれてるわたしが、確実に一杯食わせられる日なんだから、邪魔しちゃダメだよ?」
そのまま三人は笑いつつ、ウォルガレンの滝をあとにした。ポカンとしたまま止まっている通行人の中ウォルガレンの滝だけが、流れる水流で確実に時を刻んでいった。