その3:約束
「お母さんはお父さんとの約束があるのよ」
「約束ってなにを?」
「禁酒」
ブーッ!
シェラは飲みかけていた水を、思いっきり噴出していた。じろりとアルマににらまれ、ニオがテーブルの上に飛び散った水を拭く。
「禁酒って、あのお酒をやめるってやつでしょ?」
「そう、その禁酒」
「アルマさんが禁酒なんて、できるわけないじゃん!」
「そう、できるわけがないの。だからお父さんが帰ってくるときだけ、こっそりとラベルを張り替えて凌いでるってわけ。お父さん忙しいから、次の日には帰っちゃうしね」
「ニオ、ちょっとしゃべりすぎだぞ!」
米をとぎながら、アルマがニオへと目を吊り上げる。だがニオは負けじと反論していた。
「どうせみんな知ってることじゃない」
「知らないのに教える必要はないだろ?」
「ふーん。じゃあ、悪気のないシェラの口から、お母さんがいつもお酒を飲んでるって言われてもいいんだ」
「ぐっ……」
この口論はあきらかにアルマの負けだった。そのしわ寄せが、シェラへと向けられる。
「いいな、わたしがお酒を飲んでることは絶対にばらすなよ! もしシェラの口からもれたら、めくるめくお仕置きが待ってるからな!」
「は、はひ……」
いままでいろいろなモンスターを相手にしてきたシェラもたじろいでしまう、まるで般若のようなアルマの形相だった。ふらふらと後ずさり、背中を壁にぶつける。
「まあ、それで結婚したわけだけど、結婚の条件ってのが禁酒だったわけよ」
「それからずっと、守ってるフリをしてるってわけ?」
「そんなとこかな」
アルマを見ると、時折不気味に笑いながら手が止まっている。どうやら帰ってくる最愛の人のことを想像しているらしい。
「お父さんが帰ってくる日は、お酒も飲まずに一生懸命オートエーガンを支えている姿を見せようとしてるわけよ」
「それでアルマさんが全部仕事をこなしてるのか……」
「だから今日はゆっくりしてていいよ。きちんと給料は払うからさ」
突然告げられたニオの申し出に、シェラは目を丸くした。自分を指差しながら、慌てて問いただす。
「えっ、わたしの仕事は?」
「特にしなくてもいいよ。もともとこのお店はお母さん一人で切り盛りしてた店だからね。わたしなんかより効率よく仕事するから、シェラの出番もないと思う」
「じゃ、じゃあ帰ってもいいわけ?」
ニオはうーんと唸りながらあごに手をやり、少しの間考え込む。だが、真剣な表情はすぐさまいたずらっ子のような含み笑いへと変貌していた。
「帰るのは別にかまわないけど、ここにいたら面白いと思うよ?」
「面白い?」
「普段見慣れないお母さんの姿が見れるし、それに……ウシシシ」
かすれた笑いを放ちながら、口元に手をやる。シェラはあまり理解してないのか、首をかしげるだけだ。
「まあいいから、座って座って!」
シェラのそでをひっぱって、隣の席へと無理やり座らせる。意味もわからないままシェラはアルマの仕事ぶりに目をやった。
確かにアルマの仕事は素早かった。いつもニオの仕事ぶりをみているシェラも、うーんと唸り声を上げてしまう。一つ一つの動作に無駄がなく、効率よく開店の準備を進めていった。