モテたいおっさん、親友も元カノも自作自演~恋愛VRゲームで一番人気になった美少女の俺が、俺の嘘を全部ばらすまで~
俺は、俺の元カノに嫉妬していた。
銀色の長い髪。紫の瞳。
白いドレスの裾をつまんで、美少女が照れたように笑う。
美人で、気が利いて、男を見る目だけが少し悪い。
別れてからも俺を褒め、今の恋人とも仲良くしてくれる。よくできた女性だ。
実在すれば、の話だが。
名前はリリィ。
中身は俺だ。
《周年祭の主役は、リリィさんに決まりました!》
街の人気投票。その一位が、目の前の掲示板に大きく出ていた。
男の俺、レオンには十一票。
リリィには四百八十三票。
同じ人間だぞ。
「おめでとう!」
「レオンさんも喜ぶね」
友達に囲まれ、俺はリリィの声で答えた。
「……ええ。きっと」
ため息をつくと、まだ彼のことが好きなの、と心配された。
違う。
男の俺のほうを、気にしてくれ。
◆
三年前、三十八歳の俺は、恋愛交流型VRゲーム《エバーラヴ・アイランズ》を始めた。
家電修理の受付で働き、帰って飯を食い、動画を見て寝る。
仕事では何十人とも話すのに、休日は一言も喋らず終える。
最後に女性と二人で食事をしたのは、保険の見直しを勧められたときだった。
笑顔を少し誤解した俺は、契約内容だけ詳しくなって帰ってきた。
モテたかった。
俺が顔を見せたら喜んで、帰ると言ったら寂しがってくれる人が欲しかった。
〈もう一つの人生で、あなたらしい出会いを〉
公式サイトの言葉に頷き、四時間かけて、俺らしくない俺を作った。
金髪。青い目。身長百八十五センチ。
名前はレオン。二十七歳。建築会社を経営している。
作れるのは袋麺くらいだが、趣味には料理と書いた。行ったこともない海外旅行まで書き足した。パスポートは持っていない。
ボイスチェンジャーで、低く落ち着いた声も付けた。
「よろしく」
鏡の中の男が言う。
いける、と思った。
降り立った島には、男前しかいなかった。
寝ている男も、魚を焼いている男も、俺より格好いい。
魚の焼き方が格好いいって、なんなんだ。
合コン施設には七回通い、七回とも一人で帰った。
七回目の帰りの船で、顔見知りの男と隣り合った。
「またですね」
「……またですね」
初めて、会話が続いた。
そのうち、海に潜るようになった。このゲームでは真珠や薔薇を集めて指輪を作ったり、家を飾ったりできるので、俺は真珠集めを始めた。潜っている間は、話題を探さずに済んだ。
二週間かけて、真珠の採れる場所を地図に書き込んだ。
潮によって場所が変わる。その順番が分かると、調べるほうが面白くなった。
地図を掲示板に載せると、礼が届いた。
《指輪の材料、集まりました!》
ゲンと知り合ったのも、その頃だ。
港で船を造っている、無精髭の大男だった。
地面の材料を拾いかけて、注意された。
「落ちてるんじゃねえ。置いてあんだ」
「すみません」
「迷路の薔薇は拾っていいぞ。人の家の前は、一回聞いてからにしろ」
謝ると、余った真珠をくれた。
「地図の礼だ」
俺はそれで指輪を作った。
渡す相手はいなかった。
ある日、俺の地図を見ながら迷っている女性がいた。
「そこ、左です」
「左に行ってるんですけど……」
「どこで引っかかりました?」
一緒に地図を開くと、岸壁の出っ張りを島と間違えていた。
俺の描き方が悪かった。直して案内すると、今度はたどり着けた。
「採れた!」
真珠を掲げた彼女を見て、俺も笑った。
夕方まで何人かを案内し、帰る頃には五人の女性に囲まれていた。
分かりやすい。助かる。またお願いします。
嬉しかった。
ただ、男として好きだとは、誰にも言われなかった。
◆
そこで、親友を作った。
名前はガイ。日に焼けた快活な男で、レオンとは古い仕事仲間だ。
中身は、もちろん俺。
一つのアカウントで複数のアバターを作れた。ほかの人に見える名前も、プロフィールも別々だった。
ガイで掲示板に書いた。
《レオンの地図、知ってる? 仕事も忙しいのに、初心者のために何度も泳いで調べてんだよ》
レオンに切り替えて返す。
《余計なことを書くなよ》
またガイに戻る。
《そういうところだぞ》
翌日、女性から「優しいんですね」と言われた。
俺はにやけた顔を隠して、うつむいた。
次に作ったのが、元カノのリリィだった。
仕事のすれ違いで別れたが、今もレオンを大切に思っている。
銀髪の美少女アバターに、女性の声を付けた。
「初めまして、リリィです」
録音して聴き直した。
こんな人に優しくされたら、俺なら好きになる。
三人分の声を保存し、アバターに合わせて切り替えた。
《彼、不器用だけど、困っている人を放っておけないんです》
元恋人からの推薦は効いた。
「レオンさんって、今は彼女いないんですか?」
その夜、俺は袋麺の前で立ち上がった。
座り直す頃には、麺が伸びていた。
リリィで女性の相談に乗り、頃合いを見てレオンを勧める。
そのつもりが、なかなか俺の話にならなかった。
「私の彼、返事がいつも遅いんです」
「お仕事中では?」
「分かってます。でも、私ばっかり楽しみにしてるのかなって」
俺も、返事が来るまで何度も通知を開く。
「もう一回送ろうか、迷いません?」
「迷います。でも、しつこいって思われそうで」
「それで、送らないまま何度も通知を見るんですよね。私もです」
「リリィさんでも?」
頷くと、彼女は初めて笑った。
「ちょっと、安心しました」
しばらく話してから、彼女は立ち上がった。
「また、聞いてもらっていいですか」
結局、レオンの名前を出せないまま、また話す約束をした。
レオンでサロンを開き、リリィで人を誘ううちに、来た人同士が仲良くなって結婚する二人も出た。予算が足りないと言うので、サロンを式場として貸した。
そんなことを続けているうちに、リリィは常連の男から告白された。
「リリィさん、好きです」
「……お気持ちは嬉しいですが」
次の週には、別の男にも告白された。
「ごめんなさい。まだ、忘れられない人がいて」
「レオンさん?」
頷くと、男は深く息を吐いた。
「あいつ、幸せ者だな」
そうでもない。今、男に告白されて困っている。
「応援するよ。つらくなったら、俺にも話して」
断った相手に、自分との復縁を応援されていた。
恋愛には、こんなに断る仕事が発生するのか。
男の俺を売り込む時間が、女の俺に惚れた男を断る時間に食われていた。
◆
二年目、サロンの利用者から贈られた《祝福》が貯まり、共同開発用の島を借りた。
ゲンは喜んだ。
「これで船をでかくできるな」
みんなが店や家を建て、ゲンが港を造った。
俺は夜中に作り方を調べ、通路や案内板を整えた。
「社長って、こんなことまでやんのか」
「現場を知らないとな」
本当の現場は、受付のカウンターだった。
街を《ローゼンクローネ》と名付けた。
薔薇の王冠、という意味だ。
時計塔が建ち、ほかの島から船が来る。
広場へ行くと、「おかえり」と声をかけてもらえた。
開港式では、親友のガイにも挨拶をしてもらうことにした。
同時に二人は動かせないので、その日だけ、隣の島の司会者、アヤに頼んだ。
サロンの結婚式も手伝ってくれた人だ。
ふだんは自分の島にいて、催しのときだけ顔を出す。
「俺の作った役で、余興をしてほしいんだ」
ガイのアバターを複製し、声の設定と台本を渡した。
赤い髪を揺らし、アヤは笑った。
「自分を褒める台詞、こんなに書いたんですか」
「……せっかくだから」
舞台裏は内緒で、と頼むと、快く引き受けてくれた。
当日、ガイの姿をしたアヤは、俺の肩を叩いた。
「あいつ、リリィと別れたあとも、彼女の悪口を一度も言わないんだ」
「よせよ、そんな話」
「そういうところだぞ」
客席に笑いが起きた。
俺は二人の写真を掲示板に飾り、〈親友と、最初の港で〉と題を付けた。
ゲンとは、作業のあとによく夜食を食べた。
ゲームを出ても通話をつなぎ、それぞれの台所に立った。
「今日は何だ」
「餃子。冷凍の」
「俺も。嫁さん寝てるから、音立てると怒られる」
顔は映さず、仕事で受けた理不尽な電話や、スーパーの安売りの話をした。
向こうでも、餃子を焼く音がした。
冷凍餃子は、羽根つきのやつに限る。俺のほうがきれいに焼けたと言い張っていたら、ゲンに「見せてみろ」と言われ、皿の写真を送った。
つい長電話になった。
それでも俺は、翌日にはガイになって聞いていた。
「レオン、迷惑かけてない? 張り切りすぎるとこ、あるだろ」
「本人が聞きゃいいじゃねえか」
俺は笑って、話を変えた。
◆
ミナは、街の楽団でバイオリンを弾いていた。
栗色の髪に、大きな帽子。
「演奏、どうでした?」
「素晴らしかった。後半の盛り上がりが特に」
「ずっと静かな曲でしたけど」
俺は、祝福の集計画面を閉じた。
「……すみません」
「次はちゃんと聴いてください」
次の演奏会では、本当に聴いた。
一人で潜っていた海を思い出したと伝えると、ミナは笑った。
「同じ景色を考えてました」
一緒に椅子を片付けた。
角で彼女の椅子が引っかかったので、通路を広げる印を付けた。
「今日はもう、仕事終わりでいいのに」
その言葉が、少し嬉しかった。
ミナは現実の楽器店で、修理の受付もしていた。
「電話に出ただけで、直し方まで分かると思われるんです」
「分かります。技術の人に聞く時間もくれないんですよね」
「レオンさんの会社でも?」
「……窓口があるから」
仕事の愚痴なら、話題に困らなかった。
次の週、ミナから連絡が来た。
《今日、少し会えますか。演奏はないんですけど、話したくて》
返事を書いては消し、結局「俺も話したいです」と送った。
それから、催しのない日にも二人で会うようになった。
交際は、俺から申し込んだ。
「私で、いいんですか」
「俺のほうこそ」
海で集めた真珠で、揃いの指輪を作った。
カップル登録をすると、ゲンが二人乗りの小舟をくれた。
小舟に初めて乗った日は、俺が片側ばかり強く漕いで、その場をぐるぐる回ってしまった。
ミナが声を上げて笑った。
「私が漕ぎますね。レオンさんは案内して」
それから会うたび、二人でまだ行ったことのない入り江を探した。
「いつか、あの島の楽団とも合わせてみたいんです」
対岸の灯りを見ながら、ミナが言った。
「楽団の外の人と合わせるの、苦手なんですけど」
「そのときは、聴きに行くよ」
後日、リリィに切り替えて交際を祝った。
《あなたが幸せになってくれて、嬉しい》
その夜、レオンにはミナからのおやすみが、リリィにはお礼が届いた。
俺は両方に返事をした。
リリィのほうでは、調子に乗ってこんなことまで言った。
《彼、記念日は絶対に忘れないんです》
交際から三週間ほど経った頃、ミナから連絡が来た。
《もうすぐ一か月ですね》
俺は慌てて、カップル登録の日付を調べた。
《もちろん、覚えてるよ》
送ってから、予定表に〈交際一か月〉と書き込んだ。
忘れるわけにはいかない。元カノが保証している。
だが、付き合うほどに、嘘が邪魔になった。
旅行の思い出は話せない。手料理の写真も見せられない。
現実で会おうと言われると、仕事を理由に断った。
そんなミナの相談を、リリィが聞いた。
「私、急ぎすぎてるんでしょうか」
「今は忙しいみたい。もう少し待ってあげてもいいと思います」
俺はレオンに戻り、仕事が落ち着いたら会おうと言った。
ミナは安心して、リリィに礼を送った。
何を言えば喜んでくれるか、先に知ることができた。
俺はようやく、いい恋人になれた気がした。
◆
ゲームを始めて三年。
周年祭の主役を決める人気投票が始まった。
俺はレオンで、掲示板に書いた。
《普段、街のために頑張っている人へ、一票をお願いします》
住民のために夜中に直した通路のことを、誰かが思い出してくれればいい。
《リリィさんに入れてきました!》
《相談に乗ってもらったので、私も》
そっちか。
ガイでも書いた。
《レオンも、見えないところで頑張ってるんだぜ》
《リリィさんも、いつもそう言ってますよね。別れても応援できるの、素敵です》
俺を褒めたせいで、リリィの評判が上がった。
もう何も書かないほうがよかった。
開票の結果、リリィが一位を取り、周年祭で〈薔薇の女王〉を務めることになった。
十二の島から船が集まる、大きな祭りだった。
司会のアヤが、一位のリリィを紹介する映像を作ると言った。
《一緒に遊んだ写真や、思い出の映像を送ってください!》
祭りの掲示板に募集が出ると、次々に投稿が付いた。
結婚式の写真。初心者だった頃の相談。夜中まで話した思い出。
覚えのある話ばかりだった。俺のサロンで撮った写真にも、リリィへのお礼が付いていた。
アヤから、レオンとミナの二人で、リリィへのお祝いメッセージを収録したいと頼まれた。
俺はすぐに引き受けた。ミナと二人で映れば、レオンのことも紹介してもらえる。
「私もリリィさんに入れました」
ミナは言った。
「困ったとき、いつも話を聞いてくれたから」
俺は笑って、頷いた。
リリィでは女王の衣装合わせに、紹介映像の収録。
レオンでは祭りの会議もある。
ミナと会う約束を、二度、先延ばしにした。
その夜、リリィに電話が来た。
「二人で会ってるのに、通知が来るたび、私との話が途中で終わっちゃうんです」
俺は白いドレスの袖を握った。
この前のデートでも、祭りの通知ばかり見ていた。
「昨日も、呼ばれたからって帰っちゃって。そのあと、時計塔の裏で泣いてました。人に見られたくなくて」
鼻をすする音がした。
「忙しいのは分かってるんです。でも、もう少し一緒にいたいって……嫌われたくなくて、うまく言えなくて」
俺は黙って聞いた。
「彼には言わないでください。私が、自分で話したいので」
「分かりました」
翌日、俺はレオンで彼女を誘った。
通知を切り、話を最後まで聞くと、ミナは嬉しそうに笑った。
俺は祭りで、ゲーム内の結婚を申し込むことにした。
レオンが指輪を差し出し、録画のリリィが祝福する。
空には、各島から集めた七千発の花火を上げる。
ミナを喜ばせたかった。大勢に祝ってもらえれば、きっと安心してくれる。
広場のどの画面からも二人が見えるように、立つ場所まで調べた。
ゲンに小箱を作ってもらった。
「二人で話はしてんだろうな」
「大丈夫だよ」
現実で会う日も、決めていなかった。
◆
祭りの三日前、お祝いメッセージの打ち合わせで、ミナと会った。
「今日は、忙しくないんですか」
「うん。通知も切ったし」
入り江のベンチに並んで座り、撮影する場所を相談した。
「時計塔の前はどうですか。街も映るし」
「あそこ、平気?」
「え?」
「この前、泣いてたって言ってたから」
ミナが、俺を見た。
「……どうして知ってるんですか」
言ってから、気づいた。
それを聞いたとき、俺はリリィだった。
「それ、リリィさんにしか話してません」
「リリィが、心配して教えてくれたんだ」
「言わないでって、お願いしたんです」
「君のためを思って――」
「私が、自分で話したかったんです」
その日は、一人で帰りたいと言われた。
俺は引き止められず、入り江に残った。
リリィに切り替えると、もう連絡が来ていた。
《約束してくれましたよね。何を話したのか、三人で会って確かめたいです》
予定を確かめる、とだけ返した。三人で会う約束など、できるはずがなかった。
翌日、アヤから連絡が来た。ミナが、二人での撮影を延期してほしいと頼んだという。
紹介映像の掲示板で、俺たちの撮影予定が〈未定〉に変わった。
《二人のお祝いメッセージ、なくなったの?》
《レオンさんの都合かな。忙しくても、撮影の時間くらい取れないの?》
俺はガイで返信欄を開いた。
ここにいる人たちからも、レオンを信じると言ってもらえれば。
ミナも考え直してくれる。三人で会う話も、なくなるかもしれない。
《レオンは撮影に合わせて時間を空けてたよ。ミナさんとも話そうとしてる。事情も知らずに、あいつが悪いみたいに言わないでほしい。昔から知ってる俺が保証する》
励ます返事が付いた。
当人同士に任せろ、という声もあった。
そこへ、一人が開港式の映像を貼った。
《リリィさんの思い出映像を探してたら、出てきました。このときも、ガイさんはレオンさんを褒めてましたよね》
画面の中で、ガイの姿をしたアヤが、俺の書いた台詞で俺を褒めていた。
《ガイさんが保証するなら、信じます》
そんな返事が、いくつも付いた。
アヤから連絡が来た。
《掲示板のガイもレオンさんですよね? あの映像、私が本当に見ていた話みたいになってますけど》
《事情があるんです。今だけ、話を合わせてもらえませんか。舞台裏は内緒という約束でしたよね》
《余興だから引き受けたんです。私も楽しかったのに。演じていたのが私だってことは、説明させてください》
アヤが掲示板に、俺の送った台本と依頼文を載せた。
《開港式のガイは、私が演じました。レオンさんの作った役を演じる、余興の依頼でした。発言は台本どおりで、レオンさんとリリィさんの交際を見ていたわけではありません》
《普段のガイさんも、レオンさんってこと?》
《リリィさんは、このこと知ってるんですか》
画面を閉じた。
開くと、返事が増えていた。
レオンへ切り替え、返信欄を開いた。
どちらの名前でも、もう何も書けなかった。
台本は内緒のはずだっただろ、とアヤに送りかけて、やめた。
◆
その夜、ミナにサロンへ呼ばれた。
《リリィさんと三人で話したいです》
窓際のテーブルに、椅子が三脚あった。
向かいに座ると、ミナは入口を見た。
「リリィさんは、何時頃ですか」
リリィの名前で欠席の連絡を送ろうと、「仕事が」と打った。
「リリィも、悪かったと思ってる。今日は仕事が長引いてるみたいで」
「その話は、リリィさんから直接聞きたいです」
「日を変えたほうが――」
「待ちます。今日は、ちゃんと話したいんです」
ミナは入口を見た。
俺は、入力欄に残った「仕事が」の文字を見た。
十分経っても、ミナは席を立たなかった。
ほかの客が入ってくると顔を上げ、そのたびに視線をテーブルへ戻した。
俺は書きかけの文字を消した。
「……リリィは、来ない」
「どうしてですか」
空いた椅子を見た。
「俺だから」
ミナは、しばらく動かなかった。
「ガイさんも?」
「うん」
「リリィさんも、最初から?」
頷いた。
「じゃあ、私があなたのことで泣いてたとき、聞いてたのも、あなた?」
「……うん」
ミナは口元を押さえた。
「嫌われたくないって、言いましたよね」
俺は頷くしかなかった。
「あれを聞いて、次の日、会いに来たんですか」
「安心してほしかったんだ」
ミナは何も言わなかった。
「……別れたくなかった。何て言えばいいか、先に聞けるから」
「私が話そうとすると、リリィさんは、もう少し待ってあげてって」
会うのを急ぎすぎているのか、と聞かれた夜を思い出した。あのときも、俺が待たせた。
「二人とも、私の話を聞いてくれてると思ってました」
ミナは指輪を外した。
カップル登録の解除通知が来て、俺の指輪も光を失った。
「今日は、これ以上聞けません。追いかけてこないでください」
彼女はサロンを出ていった。
空いた椅子が、二つになった。
◆
翌朝、アヤにもリリィの正体を話した。
女王の紹介映像は、上映中止になった。
俺は、別に録っておいたプロポーズ用の祝辞も消した。
祭りそのものは、予定どおり開かれる。
店にも、楽団にも、船で来る人にも、それぞれの準備があった。
俺はスタッフに、祭り当日の式典で説明する時間をもらった。
祭りの夜、白い客船が港を埋め、薔薇で飾った大通りまで人がいた。
街中のスクリーンに、舞台の俺が大きく映っていた。
隣にある女王の席は、空いていた。
「ガイは、俺が動かしていました。開港式だけは、アヤさんに演じてもらいました。普段の投稿は全部、俺が書きました」
マイクを握り直した。
「リリィも、俺です。元恋人だという話も、嘘でした」
客席から声が上がった。
コメント欄に、知っている名前が次々と現れた。
街のために働いたことまで、嘘ではない。
喉まで出た言葉を、飲み込んだ。
「他人のふりで自分を褒めていました。相談されたことも、好かれるために使いました。すみませんでした」
頭を下げると、花火が上がった。
予定の時刻だった。
七千発の光が、海の上で開いていく。
二つの薔薇が寄り添い、一つの王冠になった。
その下で、ミナへ小箱を開けるはずだった。
「本日をもって、引退します」
誰かに止められるのを待った。
スタッフが次の催しの準備を始めた。
俺はマイクを置いた。
舞台の裏で、ゲンが待っていた。
「ガイで、俺の気持ちを探ってたんだな」
「……嫌われたくなかった」
「俺に聞けばよかっただろ」
年齢と仕事も話した。
「建築は」
「このゲームで覚えた」
「電話で、餃子焼きながら話してたろ」
「うん」
「あのときも、話、作ってたのか」
「……いや。冷凍餃子食って、仕事の愚痴言ってた。あれは、そのままだよ」
ゲンは顔を伏せた。
「俺、港に戻る。帰りの船がある」
歩きかけて、立ち止まった。
「俺は、あれでよかったんだけどな」
「え?」
「餃子食って、くだらねえ話して。それで」
ゲンの背中が、人の間に見えなくなるまで立っていた。
◆
街の代表を辞め、管理権限を手放した。
ゲンとミナ、アヤに、それぞれ謝罪を送った。
返事はいらないと送っておきながら、帰宅するとまず受信欄を開いた。
四十一歳の俺の部屋は、ゲームを始める前と変わらなかった。
飯を食い終わって時計を見ても、まだ九時だった。
公開掲示板で俺の話を見つけると、言い返したくなった。
街を造った。地図を作った。誰かを助けた。
書きかけて、消した。
《楽しかったことまで、どう思えばいいか分からない》
リリィへ相談していた人の、その投稿だけが頭に残った。
相談が長引いて、レオンに戻らず寝た夜もあった。また来てくれると嬉しかった。
それなのに、投票が始まれば、レオンの票ばかり気にしていた。
次の日も、修理の受付をした。
分からないことは技術担当に聞く。詳しいふりをして、客を困らせるわけにはいかない。
夜は米を炊き、動画を止めて食べた。余った飯は、翌日のチャーハンにした。
休みには少し歩いた。
◆
引退から九か月後、公開掲示板で、桟橋の補修を手伝う人の募集を見つけた。
募集主はゲンだった。
船の発着が増えたらしい。俺がいなくても、街は大きくなっていた。
ゲンと、もう一度話したかった。
それでも、前の名前で港に降りるのは怖かった。
俺は、新しいアカウントを作った。
名前はシュウ。本名の修平から取った。
黒髪に茶色い目。動きやすい作業着。
四時間かけたレオンと違って、十分で終わった。
年齢欄には四十二、職業には家電修理の受付と書いた。
声の加工は切った。
名前は変える。でも、以前のことを聞かれたら、隠さず話そうと決めた。
港へ降りると、会場への案内板が目に入った。
〈案内担当・ローゼンクローネ楽団〉。
以前は俺が更新していた板に、次の演奏予定が出ていた。
ゲンは、前と同じ前掛けをしていた。
「シュウさん?」
「はい。募集を見ました」
「運ぶのと、組むの、どっちがいい」
「運ぶほうから、お願いします」
板を運んでいると、若い男が固定具を裏返しに当てていた。
「そこ、いったん外してもらっていいですか」
「あれ、こっちじゃない?」
「どこで引っかかりました?」
同じ部品を持ち、彼の隣に立った。
「この溝が、海側です」
「ああ、逆に見てたんだ!」
板がはまり、二人で笑った。
ゲンが向こうから見ていた。
休憩で、彼が隣に座った。
「建築の仕事か」
「いえ。家電修理の受付です」
「こういうのは」
「このゲームで覚えました」
ゲンは海を見ていた。
「お前、……レオンか」
喉が詰まった。
「……はい」
「ほかのやつに聞かれても、今みたいに答えろよ」
俺は頷いた。
ゲンは手袋をはめ直した。
「午後、あっち頼む」
運んでいない板が、まだ積まれていた。
「看板、楽団で直してるんですね」
「ああ。演奏の予定も一緒に出したいって。元の図面は、そのまま使ってる」
俺は会場のほうを見た。
帰りに、広場で演奏を聴いた。
ミナが、同じ帽子を被ってバイオリンを弾いていた。
最後まで聴いて、拍手した。
椅子の片付けを手伝うと、ミナが反対側を持った。
「ありがとうございます」
「いえ」
角で無意識に椅子を引いた。
前に広げた通路だ。もう引っかからない。
ミナが、椅子越しに俺を見た。
「ミナさん。俺、レオンです」
彼女は椅子を持ったまま、しばらく黙っていた。
「……戻ってきたんですね」
「はい」
倉庫へ向かって、また歩き出した。
「今日は、途中で画面を見てませんでしたね」
「……はい」
倉庫に着いて、椅子を下ろした。
ミナが、俺のプロフィールを開いた。
「プロフィール、家電の修理受付って」
「はい」
「電話に出ただけで、直し方まで分かると思われるやつですね」
「……はい」
ミナはそれ以上、仕事のことを聞かなかった。
「また、来るんですか」
「手伝いに。邪魔でなければ」
「私は、すぐには前みたいに話せません。リリィさんに話したことも、まだ……」
ミナは、俺から視線を外した。
「ほかの人のふりをして、私の話を聞かないでください」
「もう、しません」
彼女は頷かなかった。
俺は倉庫の外を見た。
「椅子、あと二脚ですね」
「はい」
取りに戻った。
◆
次の週も、その次の週も、俺は港へ来た。
正体を聞かれたら答えた。
挨拶しただけで嫌な顔をして離れていった人もいた。
前のようには話せないと言われたら、分かりましたと返した。
管理者に戻ってほしいとは、誰にも言われなかった。
それでも板は運べた。迷った人へ道も教えられた。
ある夜、ゲンと久しぶりに通話をつないだ。
俺は台所で、冷凍餃子を焼いていた。
「まだそれ食ってんのか」
「ゲンさんもでしょう」
向こうで笑う声がした。
それから何度か港へ通った夕方、ゲンが、俺の付けた手すりを揺すった。
「いいな」
思わず笑うと、ゲンがこっちを見た。
「何だよ」
「いや。よかったなって」
「明日も来るなら、手袋用意しとけ。そろそろ破れるぞ」
手袋の指先が、擦り切れかけていた。
「来ます」
ミナが楽団の仲間と歩いてきた。
隣の島へ、合同練習に行くという。
対岸の灯りが、水面に揺れていた。
「船、間に合うか」
「まだ大丈夫です」
ゲンに答え、それからミナが俺を見た。
「シュウさん、また明日」
「……はい。また明日」
彼女は乗船の列へ戻り、仲間の話に笑っていた。
時計塔の鐘が鳴った。
俺は、手袋の店がまだ開いているか、案内板で確かめた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
笑ったところや、心に残った場面があれば、感想で教えていただけると嬉しいです。
楽しんでいただけましたら、下の☆から評価もいただけると励みになります。




