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優しさに違和感を覚えて

作者: P4rn0s
掲載日:2026/03/31

静かな夜のニュースが、また一つ、教室の映像を流していた。


モザイク越しに揺れる机と、切り取られた怒声。

教師の暴力は許されない、と画面の中の誰かが言う。


正しい言葉だと思う。思うのに、胸の奥で、

別の声がひっそりと息をしていた。


叱らない育児。

体罰に過剰なほど敏感になった教育。


それらが、今のこの息苦しさに、

どれほど影を落としているのだろう。


私は、叱られずに育った子どもたちを何人も知っている。

彼らは優しい。丁寧で、誰かを傷つけない言葉を選ぶ。


けれど同時に、境界線を知らない。


「ここから先はだめだ」


という、身体で理解するはずだった線を、

頭の中の説明だけでなぞってきたせいで。


ある日、近所の公園で、年上の子が年下の子を突き飛ばした。


泣き声が上がる。

大人たちは駆け寄り、言葉で諭す。


「だめでしょ」


「やめなさい」


「気持ちを考えて」


正しい言葉が、いくつも重なって、宙に浮く。


その子は、黙っている。

謝りもしないし、逃げもしない。


ただ、何が悪かったのか、

本当には分かっていない顔をしていた。


私は思ってしまう。

良くない行動のとき、痛みを知ることが、

すべて間違いなのだろうか、と。


痛みは残酷だ。


だが、現実はもっと残酷で、取り返しのつかない痛みを、

いつか必ず誰かに与える。


その前に、どこで線を引くのか。


教師の暴力を糾弾するなら、親は何を引き受けるべきなのか。


「学校では手を出すな」


と言うなら、

家庭では、どこまで責任を持って、止めるのか。


言葉だけで届かなかったとき、

それでもなお、何もしてはいけないのか。


しつけにおける暴力を、すべて同じ箱に入れて否定することに、

私は違和感を覚える。


怒りに任せた暴力と、境界を示すための介入は、

本当に同じなのだろうか。


殴ることと、止めること。


傷つけることと、守ること。


その違いを、私たちは曖昧なまま、

恐怖だけで語ってはいないだろうか。


もちろん、暴力は簡単だ。


一瞬で終わる。

考えなくていい。

だからこそ、怖い。


だからこそ、無条件で肯定することもできない。

けれど、無条件で否定した先に、何が残るのかも、

私はまだ分からない。


叱られない子どもは、世界に叱られる。


その最初の一撃が、親であるべきなのか、

社会であるべきなのか。

答えはきっと、誰にも言い切れない。


夜のニュースは、次の話題に切り替わる。

私はテレビを消して、静かな部屋で考え続ける。


痛みを与えないことと、痛みを教えないことは、

同じではない。


そのことだけが、今のところ、私の中で、はっきりしていた。

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