第3話:請求書は愛を込めて
「ふん、やっと来たか。遅いぞ、このノロマ!」
私が歩み寄ると、ダリオは鼻で笑った。
彼の隣では、ミラベル様が私のドレスを見て一瞬目を見開いたが、すぐに勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「あらあら、随分と着飾ってきたのねぇ。でも、中身が地味なままじゃ、猫に小判ですわよ?」
「まったくだ。いいか、リリアナ。僕は慈悲深いから、最後のチャンスをやる。今ここで土下座して『今までお世話になりました』と言えば、帳簿係として雇い続けてやってもいいぞ?」
会場中からクスクスという失笑が漏れる。だが、それは私に向けられたものではないことを、ダリオは気づいていない。
私はゆっくりと扇子を閉じ、真っ直ぐにダリオの目を見据えた。
「ダリオ様。婚約破棄のお申し出、確かに承りました」
私の声は、驚くほど澄んで響いた。
「え?」
「謹んでお受けいたします。これにて、私と貴方様は赤の他人です」
ダリオがぽかんと口を開ける。泣いて縋ってくると思っていたのだろう。
私は背後に控えるコーデリア様に目配せをした。
彼女は無表情のまま一歩進み出ると、抱えていた分厚い革張りのバインダーを、ダリオの目の前のテーブルに――
ドスンッ!!
と、まるで岩でも落としたような重厚な音を立てて叩きつけた。
「な、なんだこれは?」
「請求書です」
コーデリア様が眼鏡の位置を直し、淡々と告げた。
「婚約破棄により両家の提携関係は解消されました。つきましては、過去五年間にリリアナ嬢が提供した経営コンサルティング料、技術供与費、およびバルトロメオ商会が子爵家名義で借り入れている負債の立替分、さらに精神的慰謝料を含めた総額――金貨五億枚を一括でご返済願います」
「ご、ごおく……っ!?」
ダリオの目が飛び出しそうになる。会場がどよめきに包まれた。
「ば、馬鹿な! リリアナは俺の婚約者だったんだぞ! 家のために働くのは当たり前だろう!」
「ええ、婚約者……ならば、ね」
私は冷ややかに言い放った。
「ですが、先ほど貴方がおっしゃいましたわ。『婚約は破棄する』と。つまり私たちは今、ただの他人です。他人の労働力を五年間も無償で搾取していたとなれば……それは立派な『奴隷労働』という犯罪になりますわね?」
「なっ……!」
ダリオの顔色が青から白へと変わっていく。
そこに、追い打ちをかけるようにベアトリス様が扇子を揺らして進み出た。
「あら、ダリオ様。お支払いできませんの? 飛ぶ鳥を落とす勢いのバルトロメオ商会ですもの、これくらいの端金、お財布に入っていますわよねぇ?」
彼女は客席にいた恰幅の良い紳士に視線を送った。中央銀行の頭取だ。
「と、頭取! 追加融資を! 融資さえあれば払えます!」
「お断りだ」
頭取は冷たく言い放った。
「我々が融資を決めたのは、リリアナ嬢の堅実な経営手腕を信用してのこと。彼女を捨て、あまつさえ横領まがいのことをしていた商会に、貸す金など一銭もない」
「そ、そんな……」
ダリオは膝から崩れ落ちそうになり、そして
――逆上した。
血走った目で私を睨みつける。
「おのれ、リリアナァァァ! 全部お前のせいだ! よくも僕を嵌めたな!」
彼は拳を振り上げ、私に殴りかかろうとした。
悲鳴が上がる。
けれど、私は一歩も動かない。動く必要がないからだ。
ガシィッ。
私の鼻先数センチで、ダリオの拳が止まった。
アンナ様が、片手で軽々と彼の腕を受け止めていたのだ。
「レディに向かってその拳……万死に値するぞ、下衆が」
「は、離せ! この女っ!」
「女? ふん、今の私は債権回収代行業者だ」
アンナ様がニヤリと笑い、ダリオの手首を軽く――本当に軽く捻った。
メキョ。
「ぎゃああああああああ!」
会場に情けない絶叫が響き渡る。ダリオはそのまま床に転がり、泡を吹いて気絶した。
静寂が訪れる。
その沈黙を破ったのは、ドレスの裾を翻して逃げ出そうとする音だった。
「み、ミラベル?」
意識を取り戻しかけたダリオが呼びかけるが、ミラベル様は振り返りもしない。
「いやぁぁ! 借金まみれの男なんてお断りよ! 私のパトロンになれない男なんて、ただのゴミだわ!」
そう叫んで走り去っていく彼女の姿に、会場からは失笑ではなく、盛大な拍手が巻き起こった。
私は三人の「先輩」たちに向き直り、深く頭を下げた。
「皆様……本当に、ありがとうございました!」
◇ ◇ ◇
それから数ヶ月後。
バルトロメオ商会は解体され、ダリオは借金返済のために北の鉱山へ送られたと聞いた。一生かかっても返しきれない額だが、せいぜい筋肉でもつけて頑張ってほしいものだ。
一方、私は回収した慰謝料を元手に『L&Cコンサルティング』を設立した。
コーデリア様の法務、ベアトリス様の広報、アンナ様の警備(という名の物理的圧力)のバックアップもあり、会社は連日依頼が殺到している。
そして今日、私たちは勝利の祝杯をあげるため、いつもの公爵邸のティールームに集まっていた。
「リリアナ、今月の決算も素晴らしいわね。見事な黒字よ」
「ええ、最近は『私をプロデュースしてほしい』というご令嬢からの依頼も増えていますわ」
「へっ、文句を言ってくる輩を摘み出すのも飽きてきたところだ」
三人がそれぞれ紅茶を楽しむ中、私は少し頬を赤らめて切り出した。
「あの、実は皆様にご報告がありまして……」
「あら、何?」
「実は……今度、正式に結婚を前提としたお付き合いを申し込まれまして」
相手は、取引先の誠実な商会長だ。私の仕事を尊敬し、対等なパートナーとして見てくれる素敵な方だった。
「まぁ! おめでとうリリアナ!」
「当然の結果よ! 貴女の魅力が分からない男なんていないもの」
「祝い酒の準備だな!」
三人は我が事のように喜んでくれた。私は胸がいっぱいになりながら、ふと気になっていたことを口にした。
「ありがとうございます。……ところで、皆様への釣書などは?」
カチャリ。
三人同時に、ティーカップをソーサーに置く音が重なった。
部屋に、重苦しい沈黙が落ちる。
「……え?」
私が首を傾げると、コーデリア様が遠い目をして口を開いた。
「先日、侯爵家から打診があったのだけれど……。わたくしが作成した『婚姻生活におけるリスク回避および財産分与に関する事前合意書(全五百ページ)』を送ったら、なぜか音信不通になったわ」
「……」
次に、ベアトリス様がふぅとため息をつく。
「わたくしも、夜会でとある伯爵様に『素敵なネクタイね』と微笑みかけただけなのよ? そうしたら彼、顔面蒼白になって『す、すみません! 浮気はしてません! 妻だけを愛しています!』って叫んで逃げてしまったの。……独身の方だったのに」
「……」
最後に、アンナ様がボリボリとクッキーを噛み砕きながら言った。
「私はダンスに誘ってきた騎士がいたんだがな。ターンをした時に少し遠心力をかけすぎたらしい。彼、壁にめり込んでしまってな……。全治三ヶ月だそうだ。『君の愛は重すぎる』と言われたが、物理的な重さの話だったのか?」
「…………」
三人は同時に深いため息をつき、そして虚空を見つめた。
「「「はぁ…………」」」
リリアナ:「あの、皆様もすぐに素敵な方が現れますよ! こんなに頼りになるんですから!」
コーデリア:「……論理的に考えて、この国の男性の進化が私たちに追いついていないだけよ」
ベアトリス:「そうね。私たちの高尚な人助けを理解できる殿方は希少種だもの」
アンナ:「あるいは、私の握力に耐えられるミスリルのような男か……」
最強の婚約破棄バスターズ。
彼女たちが「自分の幸せ」を掴む日は、まだまだ遠そうである。
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