第2話:悪魔たちの優雅な作戦会議
私が連れてこられたのは、王都の一等地にある公爵家のタウンハウスだった。
その一室、壁一面が本棚で埋め尽くされた書斎で、私は息を呑んで座っていた。
目の前のマホガニーの机には、私が持っていた帳簿や、実家から取り寄せた過去の契約書の写しが山積みになっている。
それを凄まじい速度で読み飛ばしているのは、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせたコーデリア様だ。
「……なるほど。酷いものね。いえ、ある意味で芸術的だわ」
ペラリ、と最後の紙をめくり終えたコーデリア様が、冷ややかな感嘆のため息を漏らした。
「リリアナ嬢。貴女の実家、ヴァイオレット子爵家がバルトロメオ商会から受けていた『援助』とやらの実態がわかったわ」
「は、はい。やはり、多額の借金があるのでしょうか……?」
私が身を縮こまらせると、コーデリア様は嘲笑うように鼻を鳴らした。
「いいえ。逆よ。名目上は『事業拡大のための投資金』として子爵家名義で金が動いているけれど、その実態はダリオ個人の遊興費と、失敗した投機の穴埋めに使われている。これは横領に近いわね。しかも、契約書の第15条を見て」
示された箇所には、小さく虫のような文字でこう書かれていた。
『尚、本契約における成果物の権利は、出資比率に関わらず甲(バルトロメオ商会)に帰属する』
「こ、これは……」
「貴女が考案した流通システムも、経費削減案も、すべて彼のものになっている。無効よ、こんなもの。王国の『知的財産保護法』第9条に抵触するわ」
コーデリア様は羽ペンを取り出し、羊皮紙にさらさらと数字を書き連ねていく。
「過去5年間の貴女の労働を『上級経営コンサルタント』の相場で換算。さらに不当契約による精神的苦痛への慰謝料、システム使用料の未払い分、そこに法定利息を上乗せして……」
弾き出された金額を見て、私は目を剥いた。
それは、小さな国なら城が一つ買えるような額だった。
「こ、こんな金額、払えるはずがありません!」
「払わせるのよ。彼が払えないなら、商会の資産を差し押さえればいい。大丈夫、法律は武器を持った者の味方よ」
コーデリア様の笑顔は、完全に悪徳弁護士のそれだった。けれど、これほど頼もしい笑顔を私は他に知らない。
◇ ◇ ◇
「さてぇ、外堀の方も順調よぉ」
ふわりと甘い香りを漂わせて部屋に入ってきたのは、ベアトリス様だった。彼女は扇子をパタリと閉じ、優雅にソファへ腰を下ろした。
「今日のお茶会で、中央銀行の頭取夫人とご一緒したの。そこで少しだけ、話題に出して差し上げたわ」
「話題、ですか?」
「ええ。『最近、バルトロメオ商会の数字が素晴らしいけれど、あれはすべて優秀なフィアンセの支えがあってこそ。彼女がいなくなったら、一体どうなってしまうのかしら』……ってね」
ベアトリス様は、楽しそうにクスクスと笑う。
「頭取夫人は顔色を変えていたわ。だって、商会への追加融資を決めたばかりなんですもの。もしその『優秀なフィアンセ』がいなくなるなら、融資の前提条件が崩れるわよねぇ?」
「そ、そんなことをしたら、本当に商会が潰れてしまいます!」
「あら、潰すのよ? 正確には、彼が持っているものを全て砂の城に変えてしまうの。恐怖と不安の種は蒔いておいたわ。あとは断罪の場で、水を与えるだけ」
ベアトリス様の瞳の奥には、冷徹な計算が渦巻いていた。
社交界の噂一つで人の信用を殺す。それが「社交界の毒蝶」と呼ばれる彼女の戦い方なの
だ。
◇ ◇ ◇
「よし、書類と噂の準備はできたな。最後は本体だ」
背後からガシッと肩を掴まれた。
振り返ると、仁王立ちしたアンナ様が私を見下ろしていた。
「リリアナ。貴様のその猫背、今すぐ直せ」
「は、はいっ!」
「声が小さい! 貴様は明日、ただの元婚約者として夜会に行くのではない。数億ゴールドの債権を持つ『強者』として乗り込むのだ。債権者が債務者の前で背中を丸めるな!」
バンッ、と背中を叩かれる。痛いけれど、不思議と力が湧いてくる。
アンナ様は私の顎を指で持ち上げ、鏡の方を向かせた。
「いいか。ドレスや宝石はベアトリスが最高のものを用意した。だが、それを纏う中身が負けていては意味がない。胸を張れ。顎を引け。そして、あの男を見下ろしてやれ。『お前など、私の人生の通過点に過ぎない』とな」
鏡の中の私は、まだ少し怯えている。けれど、アンナ様に背中を叩かれるたび、少しずつ視線が上がっていくのがわかった。
「……はい。私、やってみます」
「いい目だ。もしあの男が逆上して襲いかかってきたらどうする?」
「えっと、逃げます?」
「馬鹿者。私がいるだろう。貴様には指一本触れさせん。だから貴様は、言葉のナイフで思う存分、奴の心を刺せ」
アンナ様の力強い言葉に、私は深く頷いた。
法、情報、そして武力。
三人の最強の「先輩」たちが、私を支えてくれている。
もう、泣き寝入りしていた昨日の私ではない。
◇ ◇ ◇
そして、運命の夜会当日。
王都の大ホールは、華やかなドレスと宝石の輝きに満ちていた。
シャンデリアの下、人々が談笑する中、中央には一際目立つ集団がいた。
ダリオとミラベルだ。ダリオは新しい燕尾服に身を包み、ミラベルは真っ赤なドレスで着飾っている。周囲の人々は、遠巻きに彼らを見てヒソヒソと噂話をしていたが、ダリオたちはそれを「注目されている」と勘違いしているようだった。
「皆様! 本日は私の重大な発表をお聞きください!」
ダリオが声を張り上げると、会場が静まり返る。
彼は勝ち誇った顔で、入り口の方を指差した。
「そこにいる、リリアナ・ヴァイオレットとの婚約を、この場で正式に破棄することを宣言します!」
重い扉が開き、すべての視線が入り口に集まる。
そこには、私が立っていた。
かつての地味な茶色のドレスではない。
深い夜空のようなミッドナイトブルーのドレス。髪は艶やかに結い上げられ、首元には星屑のようなダイヤモンドが輝いている。
そして何より――私の背後には、三人の「悪魔」(私にとっては救世主)が控えていた。
冷徹な参謀、コーデリア様。
微笑みの処刑人、ベアトリス様。
最強の守護神、アンナ様。
私はゆっくりと息を吐き、扇子を開いて口元を隠した。
震えはない。あるのは、静かな闘志だけ。
さあ、精算の時間よ、ダリオ様。




