転生したら悪役令嬢だったけど騎士になって死ぬ予定だった推しを救ったらなぜか執着され始めました
私が前世の記憶を思い出したのは、6歳の時だった
片田舎のカリス領からお祖父様に言われてお父様とお母様、そしてお兄様とともに首都のラザニーに越してきた時のこと
当時の私はなぜお父様が首都に行かなければならないのかをわかっていないまま馬車に乗って片田舎からはるばる馬車に乗って首都にやってきたわけだけど、荷物の運び込みの時間があまりにも暇で借家を飛び出してしまったのである
案の定帰り道に迷い、その時道を尋ねたとある王国騎士が…私の前世の推し、ルカ・キャリントンその人
その時私は何気ない気持ちでその辺にいた人に声をかけただけのつもりで、本当にただ帰り道を知りたいだけだった。確かに子供だからって邪険にしなさそうな人を選んだつもりではあったけど、でもこちらの声かけに振り返ってくれたその顔を見た瞬間…私の頭の中にはイザベラ・アンブローズとして過ごして来た記憶を残したまま前世である片桐瀬名の記憶が爆発的に脳に溢れ出す
前世の私は日本人…つまりメルスタン王国の人間ではない。その上で休日に車に轢かれそうになっていた子供を抱きしめたまま視界が真っ暗になるほどの衝撃で記憶が途切れている。つまりその時私は死んだのだろう
せめて庇った子供が生きていることを祈りつつ、目の前にいる人物が当時熱を上げて追いかけていた少年漫画の脇役であることも一目で分かった
『神託の剣』と名付けられたその少年漫画は、文字通り神託を受けたヒロインに勇者として定められた主人公が、連れ添う仲間達と共に魔族と呼ばれる異形達と時に戦い時に友情を育みながら首領である魔王と呼ばれる存在との接触を図る旅に出る物語
そしてその中でルカ・キャリントンというのは圧倒的な脇役で、主要メンバーの中にいる騎士のカトレアという少女の上司であり兄のような存在として時折出てくる
作中ではもっと成長した姿で今はまだ高校生程度に見えるけど、少し長めのプラチナブロンドの前髪に隠れた細めで端正な垂れ目は変わらない
「どうした? 迷子か?」
「!」
こっちから声をかけたというのに、まるで時間が止まっているかのように相手を見つめてしまった。そして相手の姿に見惚れている私に向かってルカ…さんは小さな私の目線に合わせるようにしゃがんでくれる
「見かけない顔だな…名前は?」
「い、イザベラ・アンブローズです」
「アンブローズ? あぁ、この辺りに越してくると申請があったな。家がわからないのか?」
「はい…」
長くて目の半分くらいは隠れてしまっているその隙間から端正な細長い垂れ目と新緑のような緑色の瞳がちらちらと覗いて、嫌でも心臓が鳴ってしまう
あぁ、すごい…と、確かにそう思う。本当に若い頃の推しを目の前にしてるんだと心が弾みそう…ではあるけど
「家まで送ろう。あの辺りは少し裏手だから一人では危険だ」
「え、そんな…」
「気にしなくていい。えっと…自己紹介がまだだったな。僕はルカだ、ルカ・キャリントン。この辺りを見回ってる下っ端騎士なんだ」
「ルカ…さん」
正直、どこかで目の前の人物がルカさんでなければいいと、記憶が蘇って逡巡してる内に思うようになっていた。だって私は、
「ほら行こう、きっとご両親も心配している」
そう言って立ち上がった彼は優しく手を差し伸べてくれた。下っ端と言う割には信じられないほど何かを握り込んだことのわかるタコが何個も手のひらや指についている優しくて力強い手を
「…ありがとうございます」
そして私は控えめにその手を取ってしまった。そこには嬉しさと申し訳なさと、運命を変えたい気持ちが胸に詰まるほどある
だって私は、イザベラ・アンブローズは勇者達の旅を邪魔する悪役令嬢
そしてルカ・キャリントンは、作中半ばで死んでしまうんだもの
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あの衝撃的な出来事から十年が経った
あの日はルカさんに家まで送ってもらって、合流した両親にしこたま怒られた後で私は空気も読まず『騎士になりたい』と言い切り、両親と兄の反対を押し切って十歳で家を飛び出し騎士に志願申請を出して厳しい訓練の後に今に至る
本来騎士になるということは、少なくともこの国では家名も何もかもを捨てて騎士として国に仕えるということだ。そして下っ端である従士から昇格して騎士の位に昇格できれば、安定した収入と栄誉が手に入る。騎士より下の立場である訓練生の従士であっても、厳しい規則を守っていれば衣食住が確保されるのでここには試験に合格した平民や貧民も少なくない
故に従士として生きる中で少なからず治安の不安を感じた両親を説得して家を出るまでに四年かかった。平民や貧民上がりの人間ががいることはもちろん、腕っぷしの劣る女性が騎士を目指すことは早々あることではなく、正直貶され馬鹿にされるばかりか犯罪に巻き込まれた話も聞かないわけじゃない
それでも私が剣の自主訓練と筋トレと体力作りを重ね、何冊も本を読んで勉強し、その成果を家族の見える場所で叩きつけ続けて来たのには理由がある
それは他でもない、ルカ・キャリントンの死の運命を変えるため
ルカさんは作中でも人気の高い、王城戦争編で死んでしまう。王城戦争編は勇者達の行動の裏をついた魔王が、人間に恨みのある魔族を通じて甘言に載せられた官僚を使い大量の魔族をメルスタン王国の王城に攻め込ませる話だ
王城に大軍で押し寄せて来た魔族の軍隊や人間に不満のある集まりに奇襲同然で襲われた王城側は後手に回らざるを得なくなる
人気キャラでありメルスタン王国の内部を描く際のキーパーソンの一人である騎士団長はもちろん、想像以上の劣勢に普段は裏方で作戦の統括指揮を取るルカさんまで前線に出ざるを得なくなる事態に
その戦禍の中でルカさんは王国の危機を聞きつけて急遽転送魔法で帰って来た勇者パーティと共に王国騎士団の騎士達が戦う中、不意を突かれてピンチに陥ったカトレアを庇った末に死んでしまう
私はこの運命を変えたい
ルカさんはカトレアから家族のような信頼を受けていて、カトレアに焦点を当てたシーンによく出てくる。カトレアが旅の不安を打ち明けた手紙をルカさんに送り、その不安に優しく寄り添う返事をカトレアが読む場面や、騎士団の副団長として作中では登場するため彼の兄である騎士団長と共にメルスタン王国国政に潜む闇を調査するのを手伝って欲しいと第一王子から直々に賜るシーンなどもあり、サブサブキャラ程度の立ち位置の割に出番があるキャラでもあった
そして私は彼の頭脳明晰で冷静な指揮やカトレアに優しく寄り添う姿に心に温かいものを感じて好きになり、やがて『推し』と自信を持って言えるほどに追いかけていた…のだけど、私が死んだ時点では作品は終わっていなかったので原作のオチは知らない
彼が死後何かの形で復活や回想のシーンで出て来たりはあったかもしれないけど、どちらにせよ彼があの時死んでしまったことに変わりはなくて。私はあんな思いを二度もしたくないし、その状況が起きると分かっていて指を咥えて見てるほど彼の死に夢を見てない
だから私は悪役令嬢なんてただの盛り上げ役を捨てて騎士になるべくここにいる
「イザベラ〜」
「!」
今日は私の騎士としての一歩目を進む記念すべき日だと思い、広場で青空を見ながら感慨に耽っていたら見知った声が聞こえた。声に反応してそちらに顔を向けると、そこには見慣れた親友の姿がある
「ニコ、おはよう」
「おはよう! 探したよ〜、今日は昇進式なんだからこんなところにいないで会場に行こ?」
「ごめんごめん、ちょっと考え事したくて」
今日も親友の短い赤毛の毛先はあいらしく揺れ、活発な丸い目元が明るい光を伴って私を見ているのを嬉しく思う。ニコはここに来た同期の中で唯一私と同じ女性という共通点から互いに緊張感のない関係性を築けている私の大切な親友だ
私は普段自発的に他人と交流しないので友好関係が狭いというのはあるけど、それを差し引いてもニコの明るく素直な部分が私はとても好きでいつも心に光をくれる
「もうイザベラったら、また考え事? 一人で考えるのも大事だけど、手伝えることがあったらいつでも言ってね。話を聞くだけでもできると思うからさ」
「ありがとう。でも今日は大事な日だからなんか緊張しちゃって、いろんなこと考えてた」
「例えば?」
「従士からここまで長かったなぁとか」
今日は従士から騎士へと正式な昇進を拝命する昇進式だ。六歳で騎士になることを決めて、両親を半ば無理矢理折らせるような形で騎士団に入門して従士なってからはや六年…先に昇進していく同期や後輩の背中の向こうにいるルカさんのことだけを考えてここまでやって来た
だってルカさんは、あの他人に寄り添う温かさで仕事が辛くて死にたかった私の心まで救ってくれたんだから
あの頃の私は職場の人間関係がうまくいっていなくて半ば職場の奴隷のようになっていた
他人に仕事を押し付けられ、地味だなんだと馬鹿にされ、大きな仕事は任せてもらえず他人の尻拭いばかり。それなのに小さくてもミスをすれば上司にまで嫌味を言われて馬鹿にされる始末
本当に辛かった。生きていたくなかったし、死にたいというよりは消えたかった人生。大人になるというのは働くことでもあるし、家にお金はないし、と高卒で就職したことを心底後悔した。あんな場所にいたなら奨学金の返済に首が回らないことになっても大学でやりたいことを見つけられた方が良かったのかもしれない、と何度もそんなたらればが頭を巡って
その中で偶然親に勧められたのがルカさんの出てくる少年漫画…『神託の剣』だった。私の家は親が漫画好きなので家にたくさんの漫画があるのが私にとっては当たり前で、かといってここまで大きく何かにハマることはなく社会人になったけど会社での状況を母親に愚痴ったら『気分転換に』と単行本が送られて来たのが全ての始まり
元々会社を辞めて実家に帰るよう両親からは言われていたけど、忙しいあまりそんな余裕もなく…ならせめて、と両親がおすすめの漫画を送ってくれたのだ
最初は王道少年漫画のノリというか…主人公がある日突然の出来事から今までの人生とは全く異なる道を歩むことになり、その中で仲間やライバルやストーリーで出てくるキャラ達と交友を深めていく姿に「よくある展開ではあるなぁ」とは思いつつ楽しんでいた
そうして寝る前に一冊ずつ読み進めていく物語の中で、私は彼に出会う
初登場時では騎士団長であるレオに連れ添う形で出て来たので地味な立ち位置だったけど、勇者達が旅立つ時のカトレアとのやりとりやカトレアからの手紙に真摯に応えていく姿に私は、
「…」
私は、『こんな人に愛されたい』と、確かにそう思った
そう確かに思ったところから読み進めたり振り返ったり外伝小説を買ってまで読んでいくうちに掘り下げられていく彼の繊細で真摯な内面に、私は駆け出すように惹かれていく。
でも今私が触れられる世界に彼はいない。いないなら、それ自体は仕方のないことだ。たとえ現実のアイドルのように触れられる存在だったとしても、いる世界が違う存在であることに変わらない以上私は同じことを思っただろう
だからせめて幸せであってほしかった。あの物語が終わる時、彼が信用できる誰かと家庭を築いたとしても、孤児上がりであるカトレアを引き取って家族のように過ごしていったとしても、騎士として独り身で過ごしていこうとも、彼がそこに充足感を得られる人生であってほしかったのに。愛されるのは私じゃなくて良かったのに
ルカ・キャリントンは死んでしまった
幸せも何も、あの時彼からは全てが失われてしまったということに最初はついていけなくて。だけど彼の行いはとても英雄的で彼らしいと思った。それが嬉しくて辛くて
ただ幸せになって欲しかっただけなのに、そう思うたびに自分は彼に何もできないという事実が、それこそ会社のことなんて全部吹き飛ぶくらい悔しくて辛かった
幸い私が転生前の記憶を取り戻したのはイザベラが六歳の時だったというのもあって準備期間はたっぷり取ることができて、私もそれなりに成長したと思う
そう思うと、決意を新たにする思いが脳内で記憶を逡巡させていた
「そうだね…確かに私とイザベラは同期の中で一番最後の昇進だもんね」
「また落ちこぼれだって馬鹿にされるかもしれないけど…それでもいいんだ、ずっと目の前にあった目標を一つクリアできたし」
「イザベラは二番隊に入りたいって言ってたもんね」
「今のままだと難しそうだけど、それでも上を目指すよ」
「そういうところ、イザベラっぽい。決めたことはとにかく諦めないよね…他はどうでもいいみたいな感じなのに」
そう言ってニコは呆れたように笑う。私が何か目標や好きなものの話をするといつもニコはこうやって呆れたようで温かい目で私を見る
「それを言い始めたらニコだって、スイートロールには目の色を変えるくせに」
「えぇ〜、それを引き合いに出すのはずるいよ」
今度の彼女は困ったように眉間に皺を寄せて不満気な顔で私を見るんだ。こうしてコロコロと表情を変える彼女を見ていると癒される
そうやって私たちはくだらない話を重ねながら昇進式の会場へと向かった
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正式に騎士として昇進してから一年、とうとう神託に選ばれた勇者が仲間を引き連れて魔王の住まう遠い異国の離れ島へと行く様を今まさに私は眺めている
勇者の旅立ちは王城にて盛大な式典として送り出され、教会の人間が神託を受けたという巫女の少女と共に祈りを捧げていた
私は会場の警護の一人として式典に参加している。勇者が旅立つってことは物語はすでに始まっているわけだけど、時期的に王城に魔族が押し寄せてくる時期は明確じゃないのが正直痛いところ
魔族侵攻はメルスタン王国から他国を跨いで魔王の住まう離れ島まで後一歩、という段階で発生する。要するに勇者たちは魔王から入念な嫌がらせをされるってことになるけど、勇者達は国宝である魔法通信機という道具を出立時に持たされていて、それに入って来た緊急連絡で王城での事態を知り、勇者たちのいた港から離れ島に置かれている魔族達が離れ島との行き交いに使っていた転送装置を一時的に乗っ取って大慌てで勇者達は王城へと帰還するという流れ
でもそもそも勇者たちがどの程度の速度で移動して、何日かけてその時の現在地から次の場所まで移動してるかは明示されてないしそもそも移動距離にもよると思うので確実な時間を知ることはできない
主犯というか、魔族の甘言に騙くらかされて協力した官僚自体はわかってはいるけど物語では官僚は最終的に拘束されていて、その後を私は知らない状態で前世では死んでしまったので、後の物語でキーパーソンになる可能性もあると考えるともし私にその技量があっても暗殺というのはリスクがある
魔王がどんな理由で人間を敵視してるのかはまだ仄めかす程度にしか明かされてなかったし、小さなヒントが一つなくなるだけで物語が破綻する可能性があるというのが厄介だ。読んでいた流れ的にはハッピーエンドに行き着きそうな作風だったので、そこから叩き落とすのが趣味みたいなヤバい作家でもない限り最終的にはハッピーエンドに行き着くんだろうし、そうなってもらわないとルカさんの穏やかな幸せは訪れないので困るどころの騒ぎではない
かと言ってその辺の小娘がなんの後ろ盾も無しにこの先の未来を騒ぎ立てたところで、どんなに良くても変人扱い、最悪拘束されて牢屋行きもありえる…それはそれで本末転倒だ
つまるところ私に残されているのは、現状から成り上がり有力な協力者という名の後ろ盾を見つけて物事を未然に防ぐか、物語通りにことが進むよう状況に気を配りつついざという時に物理的にルカさんを助けられるようにしておくしかない
どちらも現実的かと問われれば現実味はないけど、果たしてどうしたものかと思いつつ私は王城の大きな門を抜けて本格的に旅立っていく勇者一行の背中を眺めていた
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「副団長、隊長より書類を届けるようにと…」
ある日、私は副団長室のドアの前で部屋の主人へと静かなノックで呼びかけている。すぐに返ってきた入室許可の返答にドアを開けると、部屋の奥の執務机で書類作業をしているルカさんが目に入った
ルカさんはこの十年でしっかり副団長の座まで上り詰めている。まぁ基本的に槍を使うルカさんとは言え、やらせれば片手剣でも弓でもなんでも使えてしまう人なのであまり不思議じゃないんだけど
「…」
それにしても、と目の前で書類に目を向けるルカさんに私は釘付けになってしまう
相変わらず綺麗なプラチナブロンドの金髪は前髪が少し長くて、書類に目が行ってる今ではその奥にある垂れ気味の目元と緑色の瞳を見ることはできない。そしていつでも非常時に備えられるよう私たち騎士は仕事中は常に戦闘用の鎧を着るよう義務付けられているけど、その鎧を着た上でルカさんは少し細身に見える。だけどペンを持つ指にはもう焼き付けられたように跡に残ったたくさんのタコが見てとれた。それはこの人が努力の末に今を掴み取ったことを意味している
「どうした?」
「!」
なんてぼーっと彼を眺めていたら、急に視線が合って心臓がどきっと鳴った。部屋に入ってきたはいいものの何もしないで突っ立ってる私に疑問を抱いたんだろう、何も不思議なことじゃない
「あ、いえ…申し訳ありません。こちらが預かっている書類になります」
「あぁ、ありが…」
私は慌てて書類を差し出すと、今度は書類を受け取ったルカさんが何かを言いかけて何故か私をじっとみ始めた
「…?」
私がそれを疑問に思いつつもやっぱり前髪の奥にある緑色の瞳が綺麗だと現状を幸運に思っていると、そのまま数秒してルカさんがはっと何かに気づいたように視線を背ける
「! すまない、人の顔をじろじろと見るものではないな」
「いえ…貴方になら構いませんが」
「…? 僕にならとは、どういう意味だ?」
「!!」
あ、しまった。と、私は慌てて視線を背ける。何気なく出た言葉があまりにもよくない
推しに見つめられて嬉しくないオタクは早々いないと思うけど、ついそれが言葉に出てしまった…。相手が疑問に思うのも不思議じゃない
「あ、いえ、その…副団長の瞳は綺麗なので、前髪の奥にあるのが勿体無いといつも思っていまして、それで…」
「…」
慌てて言葉を返してから今の発言は絶対に返答として正しくないとさらに動揺する
でも『前世で推しだったので』なんて言えないし、そもそも信じてもらえないだろうし…これ以上はなんて言ったらいいか。ルカさんも私の珍妙な発言になんか固まってるし、絶対返答に困って…
「ふっ…」
しかししどろもどろとしていたら、目の前から吹き出すような音が聞こえてきた。ぽかんとした私がそのまま視線を戻すと、ルカさんが口元に手を当ててくすくすと笑っている
「…!?」
「あぁいや、すまない。そんなことを言われたのは初めてで驚いてしまったんだ」
「え、初めて!?」
初めてなんてそんな馬鹿な…ルカさんはいつだって見惚れるくらい綺麗で、漫画の載ってた雑誌の人気投票で十位以内にこそ入れないものの上位にはいつも入っていたのに
この美しさを讃える人がこの世界にいないなんて有り得ない!
「そんなに驚くことか? 男に綺麗なんて普通言わないだろう、団長や殿下でもあるまいに」
そう言ってルカさんは少し不思議そうな顔をする
でも言いたいことがわからないではない…ルカさんの兄である騎士団長やこの国第一王子はとにかく顔面の美しさが強く、物語では王国側の…つまり人間社会側の主人公的な立場であることも含めて常に人気の最上位にランクインしていた
でもさ、だからと言ってさ
「そういう問題ではなくて…副団長はいつだって見惚れるくらいかっこいいですし綺麗ですよ」
「!?」
「槍を扱う所は勿論ですが、副団長はどんな武器でも扱えてしまいますし、指揮はいつも完璧でいて状況にも冷静でいらして、前髪の奥の優しげな目元と瞳は誰にも負けないほど美しく鼻筋は通っていて小顔で唇の形も綺麗でこっちが羨ましいくらいですし、性格だっていつも静かに過ごされていますが騎士だけでなく従士にも真剣で優しくて…」
と、そこまで言ってはっとした
私は何を熱く語っているんだ、と
「…!」
どう考えても急に語り出してキモい。やばいどうしよう。ドン引きされてたら心がショックで割れてしまうのに
そもそもオタクが推しに推しの良さを語るってなんだよ! 死ぬほどキモいよ!
そう思いながら泳ぎまくった目を震えながら目の前の彼に戻すと、
「…!?」
何故か彼は、顔を真っ赤にして口元を手で覆い私から視線を背けていた
「「…」」
そして固まる空気
でも真っ赤になった彼を見ていたら、だんだん私も心臓がうるさくなってきて顔が熱くて…
「っし、しつれしましたっ!」
そのまま慌てて頭を下げてから部屋を飛び出した
やや乱暴に閉めたドアに背中をつけて痛いほど鳴っている心臓に手を当てる
「て…照れ…てた…?」
ルカさんが?
私なんかの言葉で?
でもなんで、どの言葉が要因になってあんなに顔を真っ赤にしてたんだろう
「でも…可愛かっ、た…」
あんな姿漫画でも見たことない。だって漫画のルカさんはいつも大人で、カトレアに寄り添う優しいお兄さんで
私はいつもその姿を見ているだけで幸せだったのに
「…っ」
あんなに照れた姿が可愛いなんて思ってなくて、それを自分が引き出したなんて信じられない
それに褒められたことがないなんて…やっぱりおかしい
「と、とりあえず、離れないと…」
疑問や動揺は尽きないけど、とりあえず他人の仕事部屋のドアにいつまでも背中を預けているわけにはいかない
私はまだ耳に届くほどうるさい音を立てている心臓を抱えながら、ふらふらとした足取りでその場を去った
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「もー! どうして私ではダメなんですの!?」
ある日、当番で城の中を見回りしていると甲高い女性の叫び声が耳に入ってくる。声の方に目を向けると、十字路になっている廊下のど真ん中で立ち止まる複数人の令嬢が見えた。その中心には金髪をドリルツインテにしてる私と同い年くらいの貴族の令嬢が見える
私はヒラの騎士なので貴族の子であるご令嬢たちに意見をする権利もないと付近のドアに護衛のふりをして立ち止まった。ただ突っ立ってるのも文句を言われるし、かと言って引き返すのもなんなので向こうがこちらを気にしてない様子なのを利用して付近のドアの前に立って護衛のふりをしてこのまま盗み聞きしてしまおう
「私にも巫女の適性はありましてよ! 地味でチンケなエルシィなんかより私の方がケント様に相応しいですわ!」
キーキーとやかましい声で令嬢は叫び倒している。そしてこのドリルツインテの令嬢は、所謂私の"代打"だ
私が騎士になるまでにできた数少ない友人の中に大変いけ好かない死神がいるが、初対面で私が転生者だと見抜いた彼女曰く物語には"強制力"というものがあるらしい。それはこの漫画の世界の見えざる手が決めた暗黙のルールのようなもので、世界はその見えざる手の描いた道筋にある程度進むようになっていると聞いた
故に、本来悪役令嬢になるはずだった私がその道を進まなかったことで他の令嬢がその役割を担ったんだろう。同じように人間と魔族の対立や勇者の旅立ち、そして王国に大量の魔族が押し寄せてくることも大きなイベントである以上避けられないと死神は言った。ここまで考えると、見えざる手からすれば神託の巫女を目の敵にして勇者たちに茶々をいれる存在もまた、私が思っていたより必要だったらしい
とはいえイザベラはあんなですわ口調じゃなかったし頭悪そうでもなかったけどね!
「エルシィは昔っからドジで、間抜けで、地味で、なんの取り柄もない女だったといいますのに。階級だって私の家の方がずっと上で、それでいて私の方が華があるのですからケント様も喜ばれますわ」
令嬢…ミカエラ・サンドリットは今も取り巻きに向かってぐちぐちと文句を垂れている。それを私はなんでもないような顔で聞いていたけど、実際の腑は煮えくり返っていた
エルシィは確かに一見おとなしめの女の子だけど、優しくて使命感の強い芯のある女の子なんだよ。あんたみたいに傲慢チキで自己中でもないし、何より他人にそんな酷いこと言ったりしない。料理だって裁縫だってできて、確かにたまにドジを踏むけど彼女の聖属性魔法は巫女の中でもトップに位置している
実力と魅力を兼ね備えて作中でも屈指の人気を誇る、誰もが認めるヒロインになんてことを言うんだ
流石にミカエラの発言に苛立ちを隠せない。原作ファンとしては一言言ってやろうとドアから一歩動いたその時、
「失礼、サンドリット嬢」
十字路の私から見て右側の通路から見慣れた姿が目に入った。今日も美しい金の髪は彼の優しい目元を隠してしまっている
そして突然かけられた声に反応したミカエラとその取り巻きは不意な出来事にほんの一瞬驚くも、すぐに声の主人の方を見てくすくすと笑い始めた
「あら、これはこれは『おこぼれ様』ではありませんの。ごきげんようですわ、キャリントン副騎士団長」
ミカエラは嘲笑を隠すことなくルカさんに当てつけている。その姿はまるで虫のいどころが悪いのを相手を馬鹿にすることで憂さ晴らしでもしたいかのようだ
「変わらずこの顔を覚えてくださっているようで光栄です。サンドリット嬢はこのようなところで何を?」
「これから皆さんとどこに行くかお話をしていたところですわ。なにかいけないことでして?」
「そうでしたか、では自分は少し早とちりをしてしまったようです。遠くからでも聞こえる貴女のお声に、てっきり何やら騒ぎかと思いましたので」
「っ!」
ルカさんの言葉にミカエラは不快げに眉間の皺を寄せ、強く彼を睨みつける。とは言っても無理はない、今ミカエラは遠回しに「声がデカくてはしたない」と言われたようなものなのだから
「貴方! 騎士の身分で私にものを申していいと思っていますの!? 不敬ですわ!」
「"貴女に意見ができないから"、僕の部下に貴女のくだらない愚痴を聞かせても構わないと?」
「!」
気を荒立てるミカエラに向けた冷たい言葉に、わざとここまでちらちらと覗く程度だった自分の視線が思わず顔ごと騒ぎの二人へと向かう。普段のルカさんならこんなつまらないことにわざわざ首を突っ込んだりする印象もないし、少しおかしいとは思っていたけど…私のことがその口から出てくるなんて
「な、なんのことでして? 辺りを警邏している騎士などいくらでもいるではありませんか」
「えぇそうでしょう、彼らは貴女にとってはなんでもない他人でしかない。しかし彼らも人間だ、頻繁に周囲で八つ当たりをされるのはいい気分ではないでしょう」
「その言葉はまるで私が騎士に気を遣わなければいけないかのようではありませんか! 私はサンドリット侯爵家の娘でしてよ!」
一瞬の驚きのすぐ後で、なにを偉そうに…と言いたくなるミカエラの言葉に内心でため息をつく。確かにこの国の貴族階級は何をやったところで私たちみたいな身分の低い騎士や平民は何も言えないけどさ
本当、日本とは価値観の一部が違うんだよな。日本だとどんなに偉い人間でも目下の者の苦労に報いることや立場を振りかざすことなく最低限の礼儀を持つことが美徳とされてきた部分がどこか根底にあって、だから保たれてたモラルもあった。でもここにそれはない
だからこそ私がこの言い合いに口を出すこともできないしなぁ、という気持ちと一言でもルカさんを蔑称である『おこぼれ様』と抜かしたことを今にもぶん殴ってやりたい気持ちで腑を煮立たせていると、再び冷たい声が場には落ちる
「サンドリット家の名を名乗りたいのであれば、尚のことその美しい顔を泥で汚すような真似はやめた方がいい」
「!」
「…少なくとも、僕のような落ちこぼれになりたくないのであればね」
場に落ちた声は淡々と、静かで、空虚な冷たさに満ちていた
まるで何かに絶望しているかのようなその声に私の視線は引き込まれて、そして、今にも胸が潰れそうなのに言葉にできない悔しさと怒りが込み上げてくる
どうしてそんなに、悲しいことを言うの? と
「…っ、話すだけ無駄ですわ。行きましょうみなさん」
ルカさんの言葉に一瞬だけ怯んだような表情を見せたミカエラは、すぐに彼へ向ける視線を嫌悪のそれに変えると取り巻きを連れて去っていった。私はその背中を追いかけることもなくすぐルカさんの元に向かう
「申し訳ありませんでした、副団長」
「君が謝ることじゃない。不快だっただろう、よく耐えた」
「えぇ…まぁ」
今思い返しても腑が煮え繰り返る思いだ。散々好きなことを言ってくれやがって
それでも不機嫌な様子を隠さない私にルカさんはいつもの静かな視線を向けてくれる
「サンドリット嬢は難しい性格の方だ、それに女性の嫉妬は恐ろしいと言うから…」
「いえ、そうではないです」
「え?」
でも、彼の発した全くもって見当違いな憶測に思わず声が出てしまう。一見確かにあの八つ当たりに不満を抱えていると思われるのは仕方ないし、最初こそ彼の言う通りミカエラの八つ当たりにイライラはしてたけど…でもそんなものは今や些細なことだ
「サンドリット様は貴方を侮辱した。それなのに私は何もできなかった…それが悔しいんです」
「それは君が気にすることじゃない。いつものことだ」
もはや慣れたことだと、ルカさんはそう言いたげにその言葉を吐き捨てる。ルカさんはいつもそうだ
先ほどミカエラがルカさんに言っていた『おこぼれ様』というのは、ルカさんが影で言われている有名な蔑称である
ルカさんの実家であるキャリントン家は代々貴族家出身の騎士を輩出し続けている名家だ。初代キャリントン氏は平民の出であったが、そこから騎士団長の位まで成り上がり爵位を得たところよりキャリントン家の歴史は続いている
そしてルカさんの兄であるレオ・キャリントンは現在王国の映えある騎士団長様であり、その圧倒的なカリスマ性と戦闘力で絶大な人気を誇っていた
原作でも第一王子との仲の良さや二人のカリスマ性を活かした描写の数々で薄い本の頒布スペースをいくつも見かけるくらいには人気である
でもいつもルカさんはその影に隠れた存在として扱われ、あまり目立ちたがらない部分も悪さをして彼のことを『兄や家の七光でおこぼれの地位を授かった落ちこぼれ』と揶揄する奴が後を絶たない。これは私がこちらに転生してきて初めて知ったことでもあった
どうしても原作での彼は脇役ということもあってメインサブであるレオや第一王子ほど掘り下げがなく、描写としてはルカさん本人が家族のように扱っていたカトレアに寄り添うような描写が多い上それを除くと冷静沈着なレオの部下として描かれているところばかり
でも訓練に出てきた彼を負かしたことのある騎士や従士を私は見たことがないし、この国には魔法が存在してるけどルカさんはどの武器でも人並み以上に扱えるどころか魔法すら頭抜けていて、矢尻に風魔法のかまいたちを乗せて貫通力を高めた技は初歩的と言われるそれを感じさせないほど威力も高く旋風よりも早い矢だったのに
大規模訓練や首都周辺の森で発生した魔物の討伐では環境を利用したトラップで少ない人員での討伐の指揮をやり遂げて、それでいて偉そうな顔は一切しないし何かと今みたいに声をかけてくれる本当に優しい人なのに。何のどこをとっても優秀でカッコよくて原作で見るよりさらにさらにさらに好きになって、更に幸せになって欲しいって思うほどの人
それをみんなして妬んで馬鹿にしていいって言わんばかりに蔑称を叩いて、何度周囲の人間に噛みついたことか
そんなひどいことが"いつものこと"で済まされるわけかわない
「いつもだからって人を馬鹿にしていい理由になんてなりません。それに副団長は私が思う中で誰よりも優秀で優しくて尊敬する上官なんです。そんな貴方を他人が侮蔑していいなんて私は見過ごせない」
「そんなにできた人間ではないよ、僕は」
「いいえ! 貴方は私にとって世界で一番格好良くて、頭脳明晰で、武器の扱いがうまくて、戦略の立て方が効率的で、それでいて優しさを忘れない人。真面目で、静かで、いつも己の責務を正しく全うされている」
私はできるだけまっすぐに彼の目を見た。少し自虐的な彼の言葉に私の思いのかけらでも届けと必死に言葉を向ける
「誰がなんと言おうとも、私は貴方を心から尊敬しています。だから…」
「…だから?」
「だから、弱い私で申し訳ありませんでした」
そして、真っ直ぐに私は頭を下げた
「え…?」
「私が厳罰を厭わなければ貴方にかけられた侮辱を正すことができたかもしれません。ですが私は貴方の顔に泥を塗るまいという言い訳をして黙っていた。申し訳ありませんでした」
しっかりと謝罪をしてから頭を上げる。すると彼は、なぜかまた顔を赤くして口元を手で覆っていた
「…ふ、ふくだん…ちょう?」
その姿に私もまた胸がきゅっと締まって高鳴るけど、赤くなる顔を必死に抑えて声をひり出す
「っあ、いや、その…」
対して私の声にハッと何かに気づいた様な反応をした彼はあたふたと言葉を濁し視線を逸らした
確かにこの間みたいなキモオタ早口がまた出て私も恥ずかしいけど、今回だけは本当に譲れない。どんにドン引きされようが、彼は素敵な人なんだからそれはきちんと伝えなくちゃ
そう思ってじっと彼を見る。でも少し考えてみると、私なんかの言葉でこんなに顔を赤くするのはどうしてなんだろう。とても優秀な人なのにまるで褒められ慣れてないみたいな…
「…すまない、失礼する…」
しかし疑問の晴れない私を置いて彼はそう言うと、私の横をするりと抜けてどこかへ行ってしまった。まぁ私に用があってここに来たわけじゃないだろうからそれはいいんだけど
「…どうしてあんなにみんなあの人を下に見るんだろう」
ただただそれが、不思議でならない
********
「はぁっ!」
振り払われた剣先が眼前の的を切り落とす。的と言っても丸太を並べただけだけど
手に持った片手剣を鞘にしまってからチリチリと燃えたまま地面に落ちた丸太にバケツで汲んでおいた水をかけて火災を防ぎつつ、一休みにと近くの岩に腰掛ける
「ふぅ…」
あの六歳の決意から十年間、休日にも訓練を怠ったことはない。私はルカさんを救うためにここにいるんだから、つけられる力はつけておかないと
そのおかげか最近は特に魔力の巡りがいいように感じる。大技を使い始めたからだとは思うけど、今のままでは魔力のコストパフォーマンスがどうしても悪いので練度を高めたいところだ
この世界の魔法というのは、主に植物や微生物が酸素を作るのと同時に光合成によって生み出される。それは呼吸を介して生き物の体に蓄積し、必要に応じて消費と供給を繰り返しているものだ
その中で才能のある者が魔法を使う素質を持ち、素質のないものは魔力が鉱石化した魔石というアイテムに特殊な印を刻んだものを必要な場面で使っている
私は…というかイザベラは巫女としての素質と言われる聖魔法の素質を持っているけど、それ以上に炎魔法の素質を高く持っている。原作ではある村を訪れた勇者一行のなかで村の子供と仲良くなったエルシィを追い詰めるために子供とその母親の住む小屋に火をつけたところから彼女の悪行が発覚し、そこから本格的に勇者一行とイザベラは敵対。イザベラは魔物の子分をつけて何度も勇者たちに難癖をつけに行っていた
「そう考えると、ミカエラを最近見てないような…」
もしミカエラが原作のイザベラと同じ様に勇者たちの元へ向かったのだとしたら、魔物の攻勢はすぐそこまで迫りつつあることを意味している。物語において"強制力"という言葉が働いている以上、このままというわけにもいかない
かつていけすかないあの死神は私を"特異点"と表した
私はこの世界におけるバグの様なもので、本来存在し得ない。それは私もわかっていたけど…その上で彼女はこう言葉を添える
『この世界にある強制力に一つの特異点では大きな影響を与えることはない。だけど、人一の人生を変えるくらいなら…私はできると思っているけどね?』
と、確かに彼女は言ったわけで、そして私はその確信のない言葉を信じることにした。つまり彼女の言うことを噛み砕けば、"物語の展開を変えることはできなくても、キャラの一人程度の運命なら変えられるかもしれないね"ということ。そんなもの確証がなくたって信じたいに決まってる
だから私はここまで力をつけてきた。時に友人であるニコと、時に所属する班のみんなと、そして…時には一人で誰にも見せてない大技の練習をすることもある
「…よし」
一通り逡巡する思考の終わりを起点に座っていた岩場から立ち上がり休憩を終わらせて、数歩歩いた先で私は片手剣を鞘から抜き眼前に構えた
そこから目を閉じて深く息を吸う。自らの中に閉じていた扉をゆっくりと開き、その奥から溢れ出る靄を燃料に自分の中に火をつけて、燃え盛るその炎は現実に私が持っている片手剣の刀身を赤く紅く燃やしていく
そして私が語りかける言葉はたった一つ
「…舞え、不死鳥」
********
その日は、どれだけ準備を重ねていてもあっさりときた様に感じた
夜明けの少し前、突然騎士団寮に鳴り響いた非常出撃の鐘の音に飛び起きる。そして同時に慌ただしい寮内の様子を見て改めてこの時が来たのだと感じた
この鐘が鳴り響いているということは、もう私が予想した地点から魔物たちの襲撃が来ているはず。それを潜伏していた従士たちが発見して急いで知らせてくれたのだろう、ルカさんに「ミカエラが裏切った可能性がある」と耳打ちした甲斐があった
ミカエラを近頃見かけていないと気がついた時すぐにルカさんに相談して、幸いなことに私がミカエラを直に見たあの日ルカさんもあの場にいた故に、私が「密偵を出したい」と言ったのはすぐに承諾してもらえたのは運が良かったと思う
あとはそれでミカエラの行動の裏をとって、彼女が魔王側の手引きをしている一人であることを確認。同時に城の中のスパイも炙り出してひっ捕え済みではある
しかし私の行動が遅かったのがこの世界の"強制力"なのだろう、魔物の群勢が来ることまでは防ぎきれなかった。故に抵抗はしつつも結局大きな戦いになってしまったのが悔しい
そして今、全ての戦いを終えた私は場内で拡大された医療スペースの一角で左腕に当て木を添えて布で巻かれた状態でぼけっと座り込んでいる
だけど後悔は何もしていない、なぜなら私の腕一本でルカさんの命は守られたから
戦中、配置の関係でずっとルカさんと引き離されてしまっていたので自分の持ち場の敵をとっとと片付けた私は道中の敵を避けたり薙ぎ倒したり足払いしたりしながら急いで彼の元に走った
そしてルカさんが視界に入った瞬間にはもう彼は向かい来る敵に対してカトレアを庇うための体勢に入っていて、私は敵とルカさんの間に勢いで割り入り敵の構えた大斧を左手で持った盾で受け止めそのまま左腕を骨折。ルカさんたちをなんとか逃してからなんとか敵を倒し…今の私は負傷者である
片腕使えなくなったから死ぬほど戦いづらかったし、新技覚えてなかったら勝てなかった。なんとか一体倒したと思ったら次々湧いてきて死ぬかと思ったし…生き残ったのはラッキーだったなと改めて思う
さらに言えば私の腕一本程度の犠牲で推しの命はまだこの世界にあるわけで、これを幸運と言わずしてなんと言ったらいいのか。とにかく、本当に、よかった。ありがとう神様
「にしても腕、治るかな…」
この世界には一応魔法の中に聖属性魔法というものがある。簡単に言えば退魔の魔法なんだけど、怪我や病気を"穢れ"として扱う故に治癒として利用されることが多いらしい。聖属性魔法が使える平民は教会で保護されている
そしてこういう時に教会にいる教徒たちは城へやってきて医師と共に負傷者の治療に当たる。魔法で治癒ができるのに医者がいるのは聖属性魔法が扱える人間が限られているから。基本的に"魔法"を施してもらえるのは教会に現金を寄付できる人間だけなので、そうでない人々のために医師は存在する
しかし私の腕は負傷から時間が経ってしまい初動の処置が遅れた上にそのまま戦闘までしていたので状態は最悪と言ってよかった。おかげで魔法であろうが医療であろうが限界はあるので、前線に復帰できるか現状では謎
聖女として祀られていたエルシィは作中で『神の花嫁』と言われるほど聖属性魔法の適性が高く、死んでなければ全てを治癒することができるほどの実力を持っているけど…まぁ私より悲惨な怪我や病気になんなら闇魔法の呪いまで受けてる人もいるから、いくら助太刀にきた勇者一行の一人としてエルシィが王城にいると言ってもたかだか骨折程度の人間にエルシィが顔を出すこともないだろう
「まぁ、本当に私が特異点とやらなら副団長が死ぬことはもうないだろうし…」
ぽつりと呟く。正直ここまでの努力も含めて騎士団から離れたくはないけど、かといって前線に出れないとなるとルカさんを間近で見ることは叶わなくなる。そうなったら最後、もし私が彼の運命を変えられなかったとしたら彼は私の知らないところで死んでしまう。その時になって足掻けないのは死にたいほど嫌だ
しかし日本の医療ですら骨折はスポーツなどの前線復帰を大きく妨げる。それが命をかけた戦闘であるならば尚更だろう、だからもしそうなれば…
「!」
少し気持ちが暗くなりかけたところで視界の端に入った光景にハッと振り向く。なぜなら私がいる場所はあくまで中程度の負傷の下っ端騎士が集められたそれなりに粗雑な空間で、よほどのことがない限り騎士団副団長が、ましてや聖女エルシィが来ることなどありえない
なのにその二人が今、護衛を連れてここにいる
「…」
私はおろかその場にいた全員が驚いてルカさんたちの方に視線を向けていると、彼はきょろきょろとあたりを軽く見渡して…こちらに視線を向けた
「!?」
驚く私をよそにルカさんたちはなんの迷いもなくこちらにやってくる。いやいやいやいや、おかしくない?
とはいえ私に用事じゃないかもしれないし…と視線を逸らしてやり過ごそうとすると、彼は私の前に立った
あぁ、嫌な予感がする。そう思いながらも私は怪我をしていない右手で彼に向かって挨拶として敬礼をした
「お疲れ様です、副団長」
「あぁ。怪我の調子は?」
「…」
彼の言葉に私は思わず黙りこくってしまう。それもそうだ、私が一番現実を受け入れたくないんだから
貴方のそばにいられなくなるかもしれないなんて、本当に…信じたくない
「答えるんだ、アンブローズ」
「…前線に復帰できるかは不明だと言われました。重症であったところを長時間放置したので処置が遅れていたせいだと」
それでも答えろと言われれば答えるしかないよ。だって誰でもないルカさんがそう言うんだもの
私はこの世界に来て漫画では見れなかった彼の一面をたくさん見てきた。その上で今も彼が最推しであることに変わりはないし、更にその上で彼が上司とくれば私はあらゆる意味で彼に逆らえない
「…そうか、そうだと思っていた」
「え?」
「ミノタウルスの大斧を直接受け止めたんだ、いくら強化された盾であろうとそうなるだろうとは思っていた。だから」
そう言って彼は一歩後ろに引くと、共にここにきていたエルシィが私に向かって少し前に出る
「はじめまして、キャリントン副団長様より呼ばれ参上しましたエルシィ・コーネリアスと申します。よろしければ私と一緒に来ていただけませんか?」
「一緒に、ですか?」
どうして私がエルシィと? と最初に思ったことは特段不思議ではないと思う。だってエルシィは今頃もっと重症な怪我人の相手をしているはずで、私みたいなたかだか骨折程度の人間に構ってる暇なんてないはずなんだから
そんな彼女とどこに行くって言うんだろう
「はい。キャリントン副団長よりアンブローズさんのお手当てをして欲しいと」
「はい!?」
いきなりなんだって!?
エルシィが私の治療をするなんて聞いてないし原作にもこんな場所にエルシィが来てる様子なんてない。だって彼女は重症者を治し過ぎて過労で倒れてしまうはずなんだもの。ここにくる余裕なんてないはずなのに
なんで私を特別扱いなんてするんだろう、話が全く見えない。そう驚く私はついルカさんを見てしまった。驚きが隠せない私を見た彼はいつも通りの冷静さで口を開く
「君を今失うわけにはいかない。なぜなら君はあの場で『不死鳥の炎』を使用した、あれが上位魔法であることは知っているだろう? それほどの実力を潰すわけにはいかない」
「あれは、正直賭けで…」
彼の言葉に私は咄嗟に嘘をついた。正確には賭けだったのは本当だけど、あの時の私にはあの魔法を出せる自信があったのも事実。だからこの言葉はある意味嘘になる
嘘もつきたくなるでしょ、こんなのおかしいもん。慈悲深く優しいエルシィがこんなところにいるなんて絶対何か裏があるとしか思えない。もし何か裏がないならそれこそ、私を特別扱いしてることをこんな人のいる場所でなんかやる必要ないはず
こんなやり方どう考えたっていつも冷静なルカさんらしくない。何がどうなってるって言うの?
「だとしても魔法を発動させて僕とカトレアを守ってくれたのは事実だ。もし業務上の理由が受け取れないと言うのなら、僕の個人的な礼だとでも思ってくれないか」
「…個人的な? 副団長がそこまで職務に私情を挟む方だとは思えませんが」
そうだよ、こんなのますますルカさんらしくない。貴方はいつも冷静で、誰かに対して一定以上に踏み込んだ他人はカトレアだけ。いつだって優しい人なのは事実だけど、普通そんな理由で聖女を連れてくるまでするかな?
確かに聖女であるエルシィの聖魔法であれば私の怪我なんて一瞬で治って元通りだろうし、前線にも問題なく復帰できると思う
それほどのものがたった一回の上位魔法を出しただけで当てがわれるなんてあり得ない。上位魔法を扱える人間なんて少なくないんだから
絶対に、これは何かがおかしい
「そうだ、悪いかい? 命の恩人に出来る限りの手を尽くすというのは」
「私は役職もない一介の駒です。副団長にご迷惑をおかけするわけにはいきません」
「では席を用意しよう。それなら君も納得してくれるはずだ」
「…? 何が狙いですか?」
懐疑心の募った心が少しずつ苛ついてきてとうとう本音が出てしまった。どうしてそんなに食い下がるのかがわからない
しかし疑いの感情で眉を顰める私に向かって、彼はさも当たり前のように口を開いた
「何がも何も、これは君が望んだことではないのか?」
「は?」
「僕に近づいてきたのはこの時のためじゃないのか? でなければあのような状況で———」
彼にその言葉を言い切らせる前に、この空間には大きな平手打ちの音が響く。その掌は私のもので、そのままその右手は彼の襟首を掴んで思い切りこちらに引き寄せた
「ふざけないでよ!」
自分でも信じられないくらい大声で叫ぶ。こんなものは不敬極まり無い、私はこのままでは不敬罪で死ぬかもしれない…それでも、それでも私は彼の言葉を許せなかった
「私は、貴方を救いたくてここにいるの! あの時私を救ってくれた貴方が死ぬなんてあり得てほしくなかったから、絶対に助けたかったから全部投げ出してきたのに!」
「…」
彼は私の言葉に呆気にとられたような表情でこちらを見ている。そんな顔しないでよ、何が貴方をそんなにも卑屈にさせるの?
「私にとって貴方は、世界で一番美しくて、世界で一番かっこよくて、優しくて、そばにいたくて、誰よりも愛してるのに!」
涙の滲む目で私は彼を睨みつける。こんなの許せるもんか、私は昇進や特別扱いのためにあんなことしたんじゃない
ただ彼に生きて欲しかった、あの優しい貴方がいなくなるのは心が耐えられなかった…それだけなのに
「あの時私は、貴方を守れたなら死んだってよかったんだ!」
私には、今の私にはそれができるだけの力がある。それを生かさないでどうするって? そんなのあり得ないよ
「…っ、失礼します。申し訳ありませんでした」
私はさらに眉間の皺を深くさせると、乱暴に掴んでいたままになっていた彼の襟首を開放した。そしてそれ以上は何も言わずに部屋を出る
「…っ」
バタンと音を立てて閉まったドアが悔しい。彼にあんな思いをさせている原因が突き止めきれない自分が、悔しかった
********
翌日、寝起きに叩き起こされて他の騎士に連行された先で私は地下牢に入れられている
まぁこうなるよね、とは思いつつもやはり冷たい地下牢の空気は怪我人用の寝間着には堪えた
「さむ…」
申し訳程度に置かれたかけ布を体に巻いてベッドでうずくまる。正直上官を堂々と引っ叩いた挙句に暴言まで吐いて地下牢で済んでるんだからありがたいと思わないといけないだろうな
怪我に関しては治療はされるらしいと聞いたけど、質は落ちるだろう。これで本当に騎士として前線に復帰できるかは絶望的になってしまった
「…ルカさんはなんであんなこと言ったんだろ」
確かに騎士団副団長という肩書きには邪な輩もアホほど寄ってくるだろう、その中にはいい人のふりをして昇進や何かを狙ってくるやつも少なくなかったのかもしれない
「いやでも、ルカさんに限ってそんなことするかな…?」
ルカ・キャリントンは作中でも屈指の頭脳派だ、彼はその頭脳でカリスマ性と突出した戦闘力をもつ騎士団団長であり兄のレオをいつも支えてきた
そんな彼が"命の恩人だから"という理由であそこまで露骨に他人を贔屓するとは思えない。精々周囲に怪しまれないよう腕のいい医者を回す程度と考えるのが妥当だと思う
ならなんで、彼はあんなことを?
「あの卑屈さも気になる…」
正直私から見て、彼は謙虚を超えて卑屈に見える。とても誰もが羨む地位と名誉と才能を持ち合わせた人間の自己肯定感があるとは思えない
いつも自分をどこか卑下していて、他人の褒め言葉をどこか詭弁のように感じているのが見ていてわかる。転生して彼を間近に見るよっになってからずっと、彼はいつも私の妹と同じ側面があるように見えていた
妹は幼い頃友人グループに裏切られてから自分がいい評価をされることを信じられなくなっていて、テストでいい点が取れても趣味の絵画が何かの賞をとっても『偶然だ』といって他人の言葉を信じられない子だったのを思い出す
かといって正直キャリントン家の細かい事情までは原作で描かれてないのでルカさんの事情が想像できない。私が知らないだけで若い頃にいじめに遭ってたとか? それとも親が厳しかった?
なににせよ由々しき事態だけど、このままではその真相を探ることもできない。そうなると脱獄しかやることはなくなる…けどこの腕じゃ、難しい
「くそっ…」
右手で思い切りベッドを殴る。殴ったところで木の素体にペラペラのマットレスと汚いシーツが敷かれたベッドを殴るのはそこそこに痛い
そんな細かなことにまでモヤモヤと感情を募らせていると、何やら物音が聞こえ始めた
「…?」
複数人いると思しきその音は確かに鎧の擦れる音をたてながらこちらに向かってくる。一体何事だと柵の外を覗き込むと、そこには予想外の人物がいた上に、相手は私の牢の前に立ち止まった
「き、キャリントン団長、お疲れ様です!」
目の前に現れたレオの姿に反射的に敬礼で応える。レオは「あぁ」とだけ私に返すとなぜか護衛と思しき周囲の二人を地下から出ていくように指示を出した
そして帰っていく騎士たちをある程度見送ったレオはなぜかこちらに向かってニヤリと笑う
「お前、ルカの顔に平手をかましたそうだな?」
「…はい」
急になんだろう、そのことを話すってことは処罰の宣告とかかな。それにしては団長が自ら来たり護衛っぽい騎士たちが帰っていったり変なところばっかりだけど
それに相手が楽しげにニヤついてるのが気になる。嫌な予感がしてならない
「王国騎士団副団長に平手をかまし、盛大に告白を交えた啖呵を切った挙句に地下牢とは…」
そこからレオは堪えきれないと言わんばかりに腹を抱えると盛大に笑い始めた
「っははははははは! あっはっはっは!」
「!?」
急に大声を聴いて驚く私をよそにレオは笑い続けている。そこからひとしきり笑って、目の端に少しばかりの涙を浮かべた後で満足げにため息をついた
「はぁー…面白い女だ。流石に男に平手をかましながら告白をした女など見たことがない」
「…っ」
私だってあんなところで告白したくてしたんじゃない
ただ許せなかったんだ、私を助けてくれた…生きようと思わせてくれた彼から自分の気持ちが軽く見られていたことが
それを誰でもない、ルカさんが突きつけてきたことが辛くて気がついたらあんなことをしてた
全く後悔はないけど、同時に申し訳なくは思ってる…あの場には人も多かったし恥をかかせてしまっただろうから
「まぁいい、お前の名前はなんだ?」
「…イザベラ・アンブローズです」
「あぁ、アンブローズの家出娘か。ならあの奇行も頷ける」
くつくつとレオは私を見ながらまた笑っている。その目はまるで珍しい見世物でも見つけた人間の目に思えて不快に感じた
ていうか知らないうちに変なあだ名ついてるのは普通に嫌だな…
「さて、アンブローズ。お前に一つ提案をしてやろう」
「提案、ですか?」
「俺と婚約したらここから出してやる」
「お断りします」
あまりにも何を言ってるのかわからなくて即答で断ってしまった。いや何言ってるかわかっててもあんなの断るけど
「では一生このままだな。お前の大切なルカを守ることも叶わない」
「自分の心に嘘をつくくらいならそれで結構です。どうせもう私は前線に復帰できない」
そうだ、私はもう前線には出れない。この腕の怪我を放置した代償は大きいし、こんな場所ではろくな治療も受けられない…何を騒いでも後の祭りだ
「勿論腕は聖女の力を借りてでも元通りにしてやるとも。それでも嫌だと?」
「勿論です。嫁に行ったら戦うことなどできません、貴方の言葉は最初から罠だ」
嫁ぐということは相手の家の女主人としてやっていかなければいけないということ。元より当主として跡を継いだ女性ならばともかく、嫁入りの人間に前線で戦い続ける自由などない
「思ったより頭が回るな。だが俺は"婚約"としか言っていない、婚約などいつでも解消できる口約束のようなものだろう?」
「その点に関しては先ほど言ったとおりです。私は一度でも自分の気持ちを裏切ったら私じゃなくなる。私が大切なのは副団長です」
「くく…いいぞ、その精神はいい。精神の強い人間は好きだからな」
「…面白がらないでください」
他人の決意を笑うなんて失礼な人だな。しかも上からさも箱庭で足掻く人間を眺めるように笑うなんて
そしてどう考えてもこの状況はおかしい。レオはどうして私なんかと変な口約束をしにきたんだろう
「そもそも団長はなぜこのような場所に? ただ愚か者を笑いにきたようには見えませんが」
私からすれば身長の高いレオを見上げながら睨みつける。しかし私の目に対してレオ本人はさも悠然と余裕の顔をしていた。オールバックになった襟足の長い金髪はともかく、こちらを見下すような細長い吊り目の奥にある瞳はとても気持ちいいものじゃない
そして私の質問に彼はまたニヤリと笑って口開いた
「そんなもの、ルカから物を取り上げるために決まっているだろう。アレには常に身の丈という物を教えないといけないからな」
「っ!」
それを聞いた瞬間、私は牢の柵の隙間から思い切り腕を伸ばし相手の襟首に掴み掛かる。しかしひらりと一歩下がったレオに私の手は届かず、悔しい指先がその場に残された
「おぉ、こわいこわい。男には見境なく手を上げるのか?」
「そんなわけないだろ! ルカさんに何をしてるんだお前は!」
こいつだ、そう私は相手の言葉に確信する
ルカさんが異常に卑屈なのはこいつのせいにちがいない。人気キャラがこんなテンプレのいじめっ子兄貴みたいな最低なやつだなんて知らなかった!
「何をも何も、あいつはただの落ちこぼれだ。キャリントンの家に生まれながらオレのように恵まれなかった哀れな弟。せめてオレが構ってやらねば可哀想だろ?」
「ふざけんな! ルカさんが落ちこぼれなわけないだろ! ここの作戦指揮のほとんどはあの人がやってるんだぞ!」
「あぁそうだな。俺と大して変わらない策を練られることがあいつの唯一のいいところだ。それ以外は突出した何かもない哀れなやつだがな」
「哀れだと…!?」
ルカさんが哀れだって?
あんなに日々己の役割をこなす傍で周囲に気を配り常に全体を見てるルカさんが?
あんなにカトレアに対して優しいルカさんなのに
そんな言い方って、なんだよ
「キャリントンの家に生まれて全ての武器が使いこなせるなど当たり前のことだ。そしてあいつにはカリスマ性もなければ野心もない、両親の期待はいつもオレが背負っている上、あいつにできるのは精々オレの代わりに目になることと書類仕事だけ…それはキャリントンにとって恥だ」
「お前な! 他人に支えられてるって精神がないのか!?」
「無いな。オレは他人を扱うためにここまできた」
「…っ」
はっきりとレオは私の意見を叩き切る。その堂々とした言葉に私は思わず言葉を失った
とてもじゃ無いけどレオの在り方は理解できない。キャリントン家は子供に一体どんな教育をしてるの?
「キャリントン家は代々騎士団を背負う家系だ。形式だけの団長選抜戦に勝ち抜き要らぬ威厳を示してでもそれは守られている。単純にお前は我が家を知らないに過ぎない」
「…そう」
確かにレオの言うとおりな部分もある。私は原作で描写されていないキャリントン家について何も知らない。キャリントン家の教育が如何に残酷で差別的であろうと想像がついても、それを変える力もなければルカさんはもうあそこまで自分を自分で貶してしまっている
だけど、
「なら私が、ルカさんを肯定し続ける」
私にもまだやれることがあるはずだと、私は一瞬だけ俯いた顔をあげた。心の力を精一杯瞳に込めて相手を睨みつける
「ルカさんは誰よりも素敵な人だ。常に周囲に気を配れる素敵な人で、罠の扱いには貴方よりも長けてると私は思う。綺麗なプラチナブロンドの金髪も、優しい緑色の瞳も、少し細い体も、頭のいいところも、静かに笑うところも、全部…全部素敵なんだと言い続けてやる」
この声は届かなくていい。届かなくていいんだ。他の誰が聞いてなくたって、もう死にたいくらい辛かったあの時に見た彼のカトレアへの優しさに心を救われた私にとって、彼は紛れもなく特別なんだから
「ほう、誰が聞くんだ? そんな戯言は」
「届かなくていい。少なくとも貴方とここを出るよりずっとマシだ」
「…」
私の言葉に、相手は急に冷たい氷のような視線を私へと向け始める。どうやら余程私の態度が気に食わないみたいだと考えるのは簡単だけど、私はここで殺されてもこの気持ちを変えたりなんかしない
本当に、彼が生きていてくれて嬉しかったから。怪我をして最初に目が覚めてからルカさんが後方指揮を続けていると誰かが言っていたのを聞いた時どれだけ嬉しかったことか
少なくともその場で泣いたほどに嬉しかった。周囲にいた人が少しざわついたけどそんなものはかけらも気にならないくらい嬉しくて
私は彼が生きていてくれればそれでいい。私は彼の物語にいなくていいから、幸せになってほしいんだ
だから絶対に、この気持ちを変えることはない
「…ではここで死んでおくか、アンブローズ。あいつには自殺とでも伝えておいてやる、『ルカを助けなければこんなことにはならなかった』と恨み言を言っていたと添えてな」
「!」
こいつ、私を殺してまでルカさんを苦しめたいの!?
信じられない、どういう倫理観してんのよ!
とはいえ相手はもうゆっくりと腰に携えた剣を抜いてこちらにちらつかせている。多分すぐに私に斬りかからないのは脅しなんだろうけど、このままじゃ確実に殺されるだろう。レオの目は本気で私を殺そうとしてる
どうする…私は素手どころか怪我を負ってるとなると、流石にできるのはここで殺されて後で化けて出るくらいだ。いや絶対に化けて出てやる、キャリントン家はルカさん以外総じて殺してやる…
しかしそんなことを考えていると、地下牢通路への入り口側から何やら全速力で走る音が聞こえてきた
「「!」」
私とレオが同時にその音に反応すると、その全力で走ってきた何者かが勢いを生かしたままレオに切り掛かる。反射的に受け止めたレオの剣と相手の剣が正面からぶつかり合い、耳をつんざくほど大きな金属同士がぶつかり合う音に私は思わず顔を顰めた
「お前は…ルカか?」
「…」
「!?」
え、嘘。レオの言葉を聞いて最初に思ったのはその言葉だけで、そのまま私の視線は襲撃者に向かっていく
「…そんな」
でも確かにそこにいたのは紛れもなくルカさんで、彼は眼前の兄を憎しみすら隠るような勢いで睨みつけたまま鍔迫り合いの剣をそのまま押し切ろうとしていた
「らしくないなルカ。そんなにまた痛めつけられたいのか?」
「申し訳ありません兄上、しかし彼女だけは譲れない。もう間違えるわけにはいかないのです」
「間違い? 何を言ってるんだお前は」
重なり合った剣は一度弾き合うように別れ、そのまま二人は睨み合う。私は何が起きてるのかわからないままただ眺めることしかできないのが悔しかった
こんな怪我がなければ…いや、怪我…か
「いや、お前が妄言を吐くのは昔からだったな。その度に要らぬおもちゃは取り上げてやったものだ」
「彼女はおもちゃなんかではない」
「ほう…口答えをするか、お前が」
周囲の殺気が強くなってる。空気が痛いほどひりついて私は肌を焦がされるような感覚になった
ただそれでも、やることがある
「…っ、なんとか、なれよ!」
私は首から左腕を吊り下げていた布から左腕を抜くと、つけられていた当て木を思い切り牢につけられた施錠用の鎖に殴りつける
「ぐっ…」
痛い。泣きそうなくらい痛いけど、まずはこの空気に水を差さないと始まらないので全力で鎖を殴り続けた
「っ、あ゛っ、ぐぅ…!」
大きな音を立てて鎖が鳴るたびに気絶しそうなほどの痛みが脳まで突き上がってくる。でも二人が音に気づいたのかふっと殺気が和らいだのを感じた
「アンブローズ!」
声に反応して腕を下げると目の前ではなぜかルカさんが死ぬほど慌てたような様子でこちらを見ている。とりあえず戦闘は落ち着いたのだろうか、なんて考えていたらルカさんが両肩を思い切り掴んだ
「何をやっているんだ君は!」
「な、何って、こんなところで戦闘はと思いまして…」
「だからと言って怪我を重ねてどうする! まだろくな処置さえしきれていないんだぞ!」
「あ、え、すみませ…」
がくがくと体を揺さぶられて驚きのあまり返事が少し途切れ途切れみたいになる。それなのに視界の外からまた大笑いといって過言でない声が聞こえてきた
「っははははははは! これは傑作だ!」
「…?」
視線を向ければ当然レオがこちらを見て爆笑してるわけで、私がその姿に何事かと怪訝な表情を示すとレオは突然剣を鞘に戻し何かをルカさんに向かって投げた
「! これは…」
「家出娘の見世物に免じて今日は見逃してやる。どうせ聖女には話をしてあるんだろう? 早く出してやればいい」
「兄上…」
「しかしオレは諦めない。こんなに面白い人間はそういないからな、手懐けるのに時間がかかる人間は良い」
そういってこちらに向かってニヤリと笑うレオを私は強く睨みつける。しかしレオはその姿すら面白い見世物であるかのように見ていた
「お前との婚約を楽しみにしているぞ、アンブローズ」
最後にそう言い捨てたレオは実に楽しげにその場を去っていく。私がその姿を最後まで睨みつけていると、彼が私の名前を呼んだ
「アンブローズ」
「は、はい副団長」
「今鍵を開ける。怪我もあるからゆっくり出てくるんだ」
「…良いんですか?」
本当にいいのだろうか、と牢から出るのを躊躇う私にルカさんは静かに頷く。それから彼は真剣な目線で私を見た
「問題ない。これは団長が僕に渡した鍵でもあるし、そうでなくとも僕がここを開ける分には理由もある」
「理由?」
「やはり君の上位魔法を扱える素質を失うのは惜しい…ということだ、表向きはね」
「…表向き、ですか」
静かに話に言葉を返しつつも、とりあえず副団長であるルカさんがいいと言うならいいのだろうと恐る恐る牢屋を出る。すると、
「きゃあ!?」
突然抱え上げられた。これはいわゆるお姫様抱っこというやつだけど、なんで…?
「ふ、副団長これは」
「これも君がこれ以上暴れないための措置だ、表向きはね」
「だからその表向きってなんですか!?」
なぜかルカさんはそれ以上答えてくれなかった。ただずっと沈黙だけが返ってきて、私はどこへ向かうのかも知らず運ばれていくのみ…
********
翌日
「おはよう、アンブローズ」
「え、お、おはようございます…」
「どうしたアンブローズ、昨日ほど覇気がないな」
「いやそりゃあという話ですよ…」
朝早く訓練場に来てみたら、目の前の光景に戸惑いしかない私である。なんでってそりゃ…
「なんで私、お二人に挟まれているんですか…」
私は今、なぜかルカさんとレオに挟まれてリハビリをすることになっているからだ
昨日は城の知らない部屋につれていかれ、そこにはエルシィがなぜかいて私の腕を治療してくれたわけだけど…なんで聖女様が私なんかの怪我を治していったのか今だにわからない。エルシィは私の怪我を気にかけてくれていたみたいで、ルカさんに『もう一度お願いできないか』と声をかけられた時に二つ返事で来てくれたみたいなんだけど
エルシィの聖魔法の力で私の腕はありえない速度で完治したけど、かと言ってそのまま前線に復帰するのも危険なので一週間ほどリハビリの期間をもらった
…そしたら、何故か美形が二人その自主的なリハビリに来ているというわけで
「何が起こっているんだ…」
震えるオタクとは今の私のことである。小声でつぶやいたとはいえ何がどうなってるのかわからないのは本当だ
ただでさえ昨日のことで全体的に頭が混乱したままなのに、さらに混乱するような事態を引き起こさないでほしい
「大丈夫か? アンブローズ」
「ひゃっ!? え、えと…大丈夫です」
やばい頭ぐるぐるしてたら知らぬ間にルカさんがこっちを覗き込んでた。金髪の向こうに見える垂れた目元と緑の瞳が綺麗すぎで動悸がすごいことになってしまう
「どうしたアンブローズ、リハビリに手が必要ならオレが…」
「結構です」
しかしありがたいことにここにはどうでもいい人間もいてくれる。元々ルカさんしか目に入ってない私ではあるけど、それでも昨日のことで私の中のレオの評価は地の底まで落ちていったので彼を見るととてもすんなりと冷静になれると思うといっそありがたい
「団長、そろそろ会議のお時間ですがこのようなところで油を売られているのはいかがなものかと」
「問題ないさ副団長。オレだって時には不要な会議を断ることもある、そうすればこうして暇を持て余すものだ」
「いや、それ私暇つぶしに使われてません…?」
正直昨日言われたよくわからない婚約申し込みだって頭が混乱するのに、何があったらわざわざ会議休んでまで私で遊びにくるんだろうか。少女漫画なら確かに恋愛フラグに発展するイベントなんだろうけど、少なくとも私はレオとのフラグを求めてないのでそんなフラグが立っているとは信じたくない
「ヒラの騎士が団長直々の指導を受けられることがどれだけ幸運か考えてから言うんだな。いくらお前が暇つぶしにちょうどいいからといって、オレがそう長く暇なわけでもない」
「ではお仕事に戻られては如何でしょうか、僕は正式に休暇を取っていますが団長は違うでしょう」
「ここまでろくに休暇を取ることもなかったお前が休むとは相当ご執心だな。取り上げ甲斐のあるおもちゃだ」
「彼女を物のように扱うのはやめてください」
えぇ…なにこの空気…と言わざるをえない冷え込んだ状況に、私は今心から困り果てている
いくらリハビリに誰か側で指導してくれる方がありがたいって言ってもこんな空気にしたいわけじゃないし…そもそも団長と副団長が同時にヒラの騎士見てるなんておかしいにも程がある。レオはからかいに来ただけかもしれないけど、ルカさんは今の話が正しかったらわざわざ休暇取ったってわけでしょ…?
険悪な空気の二人のことを横目に見ながらストレッチをしていると、付近から見覚えのある姿が見えた
「イザベラ〜! 元気してる!?」
突如全速力で私の名前を叫んで走りながら訓練場に現れたのはニコ…ではあるけど、またなんでここにいるのかわかんない人が増えたような
「ニコ! どうしたの? 仕事は?」
「仕事は仕事だけど、半休もらったよ! 何日もバタバタしてて心配だったんだから!」
急な登場に驚きはしたけど、彼女の揺れる瞳から本当にこちらを心配してくれていたことが伝わってくる。ありがたいけど申し訳ないな…
「ありがとう…もう大丈夫だから」
「本当に? とんでもない大怪我したって聞いたけど…」
「あ、あぁ…なんかね、廊下で歩いてたら聖女様がご慈悲をくれたんだ…」
あはは…と乾いた笑いで誤魔化す。まぁ間違ってないといえば間違ってないはずだ、多分
「えぇ、聖女様に!? すごいね…なんかあと副団長殴ったって物騒な話聞いたんだけど…ってあれ?」
あ、まずい。そう私は思った。ニコが視界の端で今だに言い合いを続けていたルカさんとレオに気づいてしまった…そのことになんか面倒なことになりそうだなと思っていると、こちらの視線に気づいたルカさんとレオという似てない兄弟の視線もまたこちらに向く
「「アンブローズ」」
「!? は、はい!」
突然ユニゾンした声で呼ばれた名前に背筋が伸びる。しかし視線の先の二人は何故か真剣な様子で口を開いた
「選べアンブローズ」
「えら…え?」
「オレの教えを乞うのと」
「僕とリハビリをつづけること」
「「どっちがいい?」」
また聞こえるユニゾンした声に反応できない私
いやいやいやいや、何いってんの!?
「…イザベラ」
私が困惑したまま返答に困っていると、ニコが耳打ちで声をかけてくる。私はどうしたものかという表情のまま彼女の耳打ちに耳を傾けた
「どうしたの? 副団長と団長が急にイザベラに指導したいなんて…何かあった?」
「えっと…あったというかなかったというか」
なんて言ったらいいんだろう、推しを引っ叩いて牢に入ったらその兄から婚約申し込みをされた挙句今日も解放されてない…なんて信じてもらえる気がしない
「おい、アンブローズ。こそこそしてないでさっさと選べ。オレの時間も差し迫っている」
「団長のことは気にしないでいい、僕とゆっくりリハビリを進める方が君のためだ」
「「…」」
どうしてこうなったのか、一ミリもわからない。それこそルカさんには嫌われたとすら思ってたのに
どうしたらいいかわからない私は、とりあえず助けを求めるようにニコに視線を向ける。するとニコは『自分には手が負えない』と言わんばかりに静かに首を横に振った
「えーっとぉ…」
とりあえず、私の明日はどっちだ
終