第5章
美羽の作った完璧なハンバーグは、まるで今日の祭壇に捧げられた生贄のように、俺の胃袋へと静かに収まった。
熱いシャワーで身を清め、リビングで交わされる妹との他愛もない会話をBGMに、俺の意識はすでに、これから訪れる深淵の時間へとダイブしていた。
妹が俺の上の空な態度に、ほんの少しだけ眉を寄せたことにも気づかぬまま、俺は聖域へと続く階段を上る。
午後十一時。
カチャリ、と自室のドアに無機質な金属音を立てて鍵をかける。
この音は、俗世との決別の合図だ。ここから先は、俺だけの聖域。
誰にも穢すことのできない、女神と二人きりの空間。
部屋の照明を落とし、デスクライトの鈍い光だけが俺の手元を照らす。
ヘッドフォンを装着すると、耳が完全に塞がれ、自分の心臓の鼓動だけがドク、ドク、と腹の底に響く。
まるで、これから深い海の底へ潜っていく潜水士のような気分だ。
PCのフォルダ『伝説』を開き、その奥に眠るファイル――『調教される妹』を、祈るようにダブルクリックする。
これが、俺の聖書。
これが、「桜井みお」を神格化した、原初の福音。
『妹カノジョ』のキラキラした世界が、健全な男子の夢だとするならば、この『調教される妹』は、倫理観の壊れた男がみる、淫らで倒錯した悪夢だ。
光も闇も、甘さも苦さも、そのすべてを味わい尽くしてこそ、真の愛と言えるだろう。
重苦しいBGMが流れ、物語の幕が上がる。
気丈だったヒロインが、徐々に、しかし確実に堕とされていく。
その過程を、俺は固唾を飲んで見守る。
序盤の、まだ抵抗の光を宿した声。
震えながらも、必死に尊厳を守ろうとするその響きが、これから始まる凌辱の激しさを予感させて、背筋をゾクゾクさせる。
『……くっ……やめ……』
ヘッドフォンの中で、ヒロインが掠れた声を上げる。
ダメだ、と分かっているのに、俺の口元は醜く歪んでいた。
やめるな、もっとやれ、と。
心の中の獣が、ディスプレイの中の男と一体化していく。
シナリオが進むにつれ、彼女の声から「抵抗」の色が剥がれ落ちていく。
代わりに現れるのは、「戸惑い」と「恐怖」、そして……ほんの僅かな「悦び」の色だ。
喉の奥でくぐもった、甘い呻き。
言葉にならない、熱い吐息。
唾液を飲み込む、生々しい水音。
それはもはや「演技」ではなかった。
まるで、俺の耳元で、本当に少女が恥辱に喘いでいるかのような錯覚。
データだと分かっている理性が、じりじりと焼かれて溶けていく。
そして、物語は終盤のクライマックスへ。
完全に心を折られ、快楽の虜となったヒロインが、涙声で懇願する。
『お兄ちゃん……私、もうだめ……っ、おかしくなっちゃう……!』
俺の全身の毛が、ぶわりと逆立つ。
このセリフだ。この、倫理観が崩壊する一言!
兄への罪悪感に苛まれながら、それでも目の前の快感に抗えない。
その矛盾した感情が、声の震え、語尾の掠れ、息継ぎのタイミング、その全てに凝縮されている。
『あ……ぁっ……んく……っ!』
続く喘ぎ声は、もはや芸術ではなかった。
生命そのものの、根源的な叫びだ。
高く、低く、途切れ、繋がり、波のように寄せては返す官能の律動。
俺はその音のシャワーを、脳天から爪先まで、全身の毛穴で浴びていた。
呼吸が苦しい。額の汗が顎を伝い、ぽたり、と机に落ちた。
マウスを握る手は汗で滑り、椅子の上で落ち着きなく身じろぎする。
そうだ……もっと……お前の全てを、その声で俺に聴かせてくれ……!
俺だけの女神。俺だけのために、鳴いてくれ……!
倒錯した支配欲が、俺の思考を完全に掌握する。
やがて、長い、長い絶頂の叫びが終わりを告げ、ゲーム画面には静かにスタッフロールが流れ始めた。
そこに輝く「CV:桜井みお」の五文字。
「……はぁ……っ、はぁ……っ」
俺はヘッドフォンを外し、ぐったりと椅子の背にもたれかかった。
静寂が戻った部屋で、自分の荒い呼吸と、暴れる心臓の音だけがやけに大きく響いている。
PCの右下に表示された時刻は、午前零時を回っていた。
今日という一日が終わり、また新しい一日が始まる、その境界線。
儀式を終えた体は、尋常ではない熱を帯びていた。
喉が、焼けるように渇いている。
「……水……」
掠れた声で呟き、俺はふらつく足取りで立ち上がった。