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第1章

 月曜の夜は、いつだって憂鬱の味がする。


 大学のクソつまらない講義と、気の乗らないサークルの顔出しを終え、俺、葛城拓海かつらぎたくみは自室の椅子に深く沈み込んでいた。

 部屋の空気は淀み、週末に飲み干したエナジードリンクの甘ったるい匂いが微かに鼻をつく。

 積み上げられたラノベの塔が傾き、壁には美少女キャラのポスター。

 典型的な男子大学生の、それも限りなくオタク側に振り切れた城だ。


「……ふぅ」


 短く息を吐き、俺は聖なる儀式の準備を始める。

 おもむろにPCの電源を入れると、静かな部屋にウィーンというファンの回転音が響き渡った。

 デスクトップに鎮座する女神――『妹カノジョ~秘密の放課後~』のアイコンを、震える指でダブルクリックする。


 そして、仕上げにゲーミングヘッドフォンを装着。

 外界のノイズが完全にシャットアウトされ、俺だけの世界が完成する。


 さあ、始めよう。俺の、俺による、俺のための聖餐式を。


 『妹カノジョ~秘密の放課後~』

 

 数多の同人サークルがひしめくこの業界で、今最も注目を集めている作品だ。

 だが、俺に言わせれば、このゲームの本質はそこじゃない。


 シナリオ?まあ、悪くない。

 イラスト?うん、可愛い。


 だが、そんなものは全て、彼女の声を際立たせるための前菜でしかないのだ。


 彼女――同人声優界に彗星の如く現れた至宝、「桜井みお」。

 それが、このゲームのメインヒロインに命を吹き込む女神の名だ。


 ゲームが始まり、可憐なヒロインが少し照れたような表情で画面に現れる。

 そして、俺が待ち焦がれたその声が、鼓膜を優しく震わせた。


「お兄ちゃん……もう、我慢できないよ……っ」


 来たッ……!

 俺は、椅子の上でのけぞりそうになるのを必死でこらえる。

 心臓が早鐘を打ち、全身の血が沸騰するような感覚。


 これだ。この一言を聞くために、俺は今日一日を生きてきた。


 ただの甘ったるい声じゃない。

 巷に溢れる量産型の萌え声優とは、存在の次元が違うのだ。


 彼女の声には「純度」がある。

 恥じらいの中に隠しきれない欲望の熱。

 懇願するような響きの中に、確かな意志の強さを感じさせる芯。


 そして何より、吐息の成分だ。

 言葉の終わり際にふっと漏れる、あの消え入りそうな息遣い。

 あれはもはや国宝級の芸術品だ。


「はぁ……完璧すぎる……」


 俺は、恍惚の表情で天を仰ぐ。

 何を隠そう、俺は「声ソムリエ」を自称するほどの声フェチだ。


 特に、二次元の女性キャラクターの声に関しては、その声帯の震え、息継ぎのタイミング、感情による周波数の微妙な変化まで聞き分けることができると自負している。

 そして、俺の二十年の人生における分析と探求の果てにたどり着いた最終結論こそが、「桜井みおこそ至高」という揺るぎない真理なのだ。


 デビュー作のツンケンした妹キャラから、最近のヤンデレお姉さんキャラまで、彼女の出演作は当然すべてコンプリート済み。

 キャリア初期の、まだ少し硬さが残る演技も、それはそれでダイヤモンドの原石のような輝きがあった。


 だが、この『妹カノジョ』での彼女は、明らかに一つ上のステージに到達している。

 演技の幅、感情の深み、そして何よりエロスの表現力。

 その進化の過程をリアルタイムで追体験できることこそ、ファンとしての無上の喜びってヤツだ。


 マウスを握る手に、じっとりと汗が滲む。

 ゲームのシナリオは、主人公である兄への禁断の想いを募らせた妹が、一線を越えようとする王道中の王道。


 だが、桜井みおの声が乗ることで、その陳腐なはずの物語が、シェイクスピアもかくやというほどの重厚な悲恋叙事詩へと昇華されるのだ。

 彼女が囁く甘い言葉の一つ一つが、乾ききった俺の心に染み渡っていく。


 大学の講義も、人間関係も、将来への漠然とした不安も、この声の前ではすべてが無に帰す。

 そうだ、俺には桜井みおがいればいい。


 彼女の声さえあれば、明日もまた、このクソみたいな現実を生き抜いていけるのだ。


 マウスをクリックし、選択肢を選ぶ。

 ヒロインの好感度を上げるための、最適解。


 俺の脳内データベースが、瞬時に答えを弾き出す。

 次の彼女のセリフ、その響きを想像するだけで、口の端が自然と吊り上がった。

 

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