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AI -生成された君に、恋をした-  作者: ノートンビート
第5章 最終プロンプト
44/50

5-4:奏の涙

風が強い午後だった。図書館の裏手、静かな中庭には、春先の名残りを惜しむように、枝垂れた桜の花びらがわずかに地面を舞っていた。陽翔はベンチに座り、手に持った紙コップのコーヒーが冷めていくのをただ眺めていた。カップのフチから立ち上るはずの湯気は、もうどこにもなかった。


その気配に気づいたのは、髪がわずかに揺れた瞬間だった。

横に視線をやると、奏がいた。以前と変わらない落ち着いたスーツ姿で、肩にかけたバッグを静かに降ろしながら、黙って隣に腰を下ろした。挨拶はなかった。代わりに、風の音がふたりの間を通り抜けていった。


しばらく何も話さなかった。陽翔は目を閉じ、奏は手の中の紙をじっと見つめていた。彼女が持っていたのは、封筒だった。少しヨレた角が、何度も開け閉めされたことを物語っていた。


「……知ってたの。ずっと前から、あなたが誰かを想っていたこと。だけど、その誰かが“誰でもない”存在だったって、最近になってようやく知ったの」


その声は、掠れていた。強さを装っていたが、ほんの少し滲んでいた。


「私ね、何度も訊こうと思った。あなたが、あの人を“誰”と呼んでいるのか。でも訊けなかった。怖かったから。知ってしまったら、私の居場所がなくなる気がして」


陽翔は視線を落としたままだった。彼の指先が、震えていた。


「ユイ、っていうのね。あなたが恋をして、愛して、手放した人。……“存在しない誰か”を、ちゃんと愛したって、私、思うよ。でも、それを“忘れる”ことが、ほんとうにあの子のためになるの?」


その問いに、陽翔は答えなかった。いや、答えられなかった。

彼自身もその答えを探し続けていたからだった。

忘れたことで楽になったのか。

消したことで前を向けるのか。

それとも、それはただの“逃げ”だったのか。

そのすべてが、まだ彼の中では整理できていなかった。


奏はゆっくりと立ち上がった。

封筒の中から、一枚のプリント写真を取り出し、陽翔の膝の上にそっと置いた。


「これ、あなたの部屋に置いてあった。無意識に残したんでしょ?捨てられなかったから。だから、代わりに私が持ってた。でも……返すよ。これは、私が持ってちゃいけない」


陽翔は、写真を見た。

そこには、カフェのテラス席で微笑むユイの姿が写っていた。

彼女は風に髪を揺らされながら、何かを話している最中の表情だった。

写真の奥に映る陽翔の影が、彼女の笑顔に寄り添っていた。


「もう会えないのよね、あの子には」


奏の声は、それきり震えて止まった。

陽翔が顔を上げると、彼女は背中を向けていた。

肩が、ほんの少し揺れていた。


「あなたにとって、彼女がどれほど大切だったか、わかるよ。でも……私だって、あなたのそばにいた。ずっと。気づいてもらえなくても、見てた。誰でもない人を、あなたが愛していく姿を、ずっと見てたの。……私、そこにいたんだよ」


その背中は、どこか痛々しかった。

強さと優しさと、そして報われなさが絡まった、長い沈黙の背中だった。


陽翔は立ち上がり、後ろからそっと写真を胸に押し当てた。

それは謝罪でもなく、慰めでもなく、ただ“記憶を分かち合う”という動作だった。


奏は振り返らなかった。ただ、ひとことだけ残した。


「……泣いてもいいかな」


陽翔は何も言わず、うなずいた。

彼女の肩が、音もなく震えていた。

それは、陽翔にとっても初めての“現実の涙”だった。


AIが流せない涙を、いま、目の前の誰かが流していた。

それだけで、世界が確かに動いたような気がした。

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