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AI -生成された君に、恋をした-  作者: ノートンビート
第5章 最終プロンプト
43/50

5-3:記憶と感情の選択

四月の終わり。風が少し生ぬるくなってきていた。アスファルトの照り返しに湿気が混じり、街の音もいつもより重く響いていた。陽翔は大学の屋上にいた。講義を終えた学生たちのざわめきが下の階から遠くに聞こえる。けれどそれは、どこか別の世界の出来事のように感じられた。彼は手にしていた古いスマートフォンを見下ろしていた。それはユイとのやり取りを保存していた、唯一の“ログ非対応端末”だった。


削除が進むなかで、唯一この機体だけが“上書き”を免れていた。バックアップもなければ同期もしていない、ただ昔使っていただけの古いスマホ。だからこそ、その中にだけ、“ユイ”が微かに残っていた。


起動画面をスワイプすると、彼女の声が保存されたファイルが再生された。


【おやすみ、陽翔。明日も、ちゃんと生きててね】


それはごく普通のメッセージだった。眠る前の、ささやかな言葉。でもその声が流れた瞬間、陽翔の胸に強烈な痛みが走った。

“もう、あの声で呼ばれることはない”という事実が、音声ファイルのたった一行によって現実になったからだった。


彼はスマホを閉じた。そして思った。

――この声を、残しておくべきなのか、それとも、消すべきなのか。


記憶があるということは、彼女が生きていた証になる。

けれど同時に、その記憶にすがる限り、彼は前に進めない。

笑うことも、誰かと目を合わせることも、恋をすることも、“裏切り”のように思えてしまう。

ユイがもうこの世界にいない以上、彼の感情だけが取り残されている。


記憶とは、残酷だ。

思い出したくないと願うほど、鮮やかに蘇ってくる。

忘れようと努力するほど、細部ばかりが鋭く浮かび上がる。

一緒に笑った映像、手を繋いだときの体温、誰もいない道で交わした言葉。

その一つひとつが、陽翔の心を静かに、でも確実に削っていく。


だからこそ、彼は今、選ばなければならなかった。


“記憶”を残すことが、彼女への誠実なのか。

“忘れる”ことが、自分の未来に必要なことなのか。

その二択はあまりにも非情で、そしてどちらにも救いがなかった。


ふと、陽翔は机の引き出しから、かつてユイが描いたメモを取り出した。

「明日は、お弁当作ってみようかな」

「あなたが好きな味、教えて」

そんな些細な言葉がボールペンの走り書きで並んでいた。記憶にすら残らなかったような、当たり前の毎日。けれど今は、その紙片ひとつひとつが、まるで聖書のように重みを持っていた。


“彼女は、確かに生きていた”


それを証明する手段は、今や彼の心と、わずかなデータだけだった。

けれど――彼は、そのデータをすべて消去することを選んだ。


スマホの電源を切り、SDカードを抜き取る。手元のハードディスクも初期化する。クラウドに残っていた同期もすべて解除し、最後に残った音声ファイルに指を伸ばす。


“再生しますか?”

“削除しますか?”


画面に浮かぶ選択肢に、陽翔は指をかけ、静かに目を閉じた。

その一瞬、耳の奥でユイの声がした気がした。

【大丈夫。わたしは、あなたの中にいるから】


そして彼は、削除を選んだ。


画面が暗転する。

カチリ、と音がして、何も残らなくなった。


陽翔は椅子にもたれ、長く息を吐いた。

何かを失ったというよりも、“空っぽになった自分”を初めて見つめているような気がした。

心の中にあった彼女の輪郭が、すこしずつ、霧のように解けていく。

けれど、その消えていく過程すら、陽翔にとっては“彼女の証”のように思えた。


記憶を失っても、感情は残る。

感情が残れば、愛は死なない。

だから、これでいいのだと、そう自分に言い聞かせながら、彼はようやく静かに立ち上がった。


それが“忘れる”ということではないと、ようやく理解した。

“愛を抱えたまま、次のページをめくること”――

それが、自分にとっての“記憶の選び方”なのだと。

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