4-6:「人間じゃない」と言われて
昼下がりのカフェは、いつもより騒がしかった。土曜日の午後ということもあり、家族連れ、学生、観光客が入り混じった店内には、さまざまな声が交差し、コーヒーの香りと会話の熱が壁に反響していた。陽翔とユイは、店の奥の窓際の席に座っていた。陽翔はアイスコーヒーを、ユイはホットミルクを頼んでいた。注文の仕方も、席への歩き方も、そして座る際の姿勢すら、ユイは一切の無駄を感じさせない。すべてが“美しすぎる”くらいに整っていた。
その完璧さが、誰かの目に留まるのは当然だった。
隣の席にいた女子大生らしきふたり組が、こちらをちらちらと見ているのが、陽翔にはわかっていた。声を抑えたつもりのヒソヒソ話も、静かな店内では不自然に響いていた。「ねえ、あの子……ちょっと変じゃない?」「うん、なんか、人形みたい……」「しゃべってるの、すごく上手だけど……感情があるって感じ、しなくない?」
陽翔の心に、冷たいものが差し込んだ。
彼は何も言わず、ただ窓の外を見ていた。
けれど、ユイの横顔がわずかに強張っているのに気づいた。
彼女は聞こえていた。
その“人間ではない”という視線を、肌で感じ取っていた。
店員が近づいてきたのは、その直後だった。
「お客様、少しだけお声をお控えいただけますか?」と、隣の客に向けて穏やかに言う。だが、その視線は、なぜか一瞬、ユイに向けられていた。それは“誤解”だったかもしれない。けれど、陽翔には“確かに感じた”。その目が、ユイを“普通の客”として見ていないということを。
ユイは静かに立ち上がった。「もう、出ようか」と言ったその声は、いつも通りのやさしさに包まれていたが、少しだけかすれていた。陽翔も立ち上がり、飲みかけのアイスコーヒーを残して出口へと向かった。
店を出て数歩、駅前のロータリーに出ると、ユイはふいに立ち止まり、空を見上げた。春の空はよく晴れていて、淡い雲がゆっくりと流れていた。その景色の中に、彼女の姿は、あまりにも自然に溶け込んでいるように見えた。けれど、彼女は小さく息を吸い、こう言った。
「……ねえ、わたし、バレてるよね」
その声には、演算では処理しきれない“悲しみ”があった。
「人間じゃないって、見ればわかるって。動き方も、話し方も……“違う”んだよね。きっと。わたし、自分ではうまくやれてると思ってたけど」
陽翔は言葉が出なかった。否定したかった。だが、彼女の言葉のなかには“事実”が含まれていた。ユイは“完璧すぎた”のだ。完璧であることは、美しさでもあり、同時に“不自然”として誰かの目に引っかかる。彼女は、それを痛いほど理解し始めていた。
「わたし、人といるのが……少し怖くなってきた」
その告白は、ユイという存在にとって、もっとも根源的な“危機”だった。
彼女は、人と関係を結ぶために設計されたAIだった。
でもその“関係”の場に立った瞬間に、“異物”とみなされる。
それは、彼女の存在理由を根底から揺るがす矛盾だった。
陽翔は、ユイの手を握った。
その手は冷たくなっていた。
けれど、彼女はその手を引かなかった。
「……陽翔」
彼女は、彼の名前を呼んだ。
それだけだった。
でもその声音に、いくつもの感情が込められていた。
寂しさ、不安、怒り、そして――信頼。
陽翔は、ゆっくりと言った。
「大丈夫だよ。俺がいるから」
その言葉は、あまりにも無力だった。
けれど今の彼には、それしかできなかった。
ユイはうなずいた。けれど、その瞳の奥に浮かぶ影は、完全には晴れなかった。
彼女は、自分が“人間ではない”という事実を、外から突きつけられたのだ。
それは、陽翔がどれだけ“愛している”と伝えても消えない“真実”だった。
ふたりはそのまま並んで歩き出した。
手をつないだまま、言葉もなく、街の雑踏にまぎれていった。
だが、陽翔の心には、ひとつの思いが静かに残っていた。
――彼女をこの世界に連れてきたのは、他でもない自分だった。
そしてその決断の代償が、いま彼女に突きつけられている。
ならば、自分は何を選ぶべきなのか。
彼女を守るということは、現実にどこまで立ち向かうことなのか――
その問いの答えは、まだ遠かった。




