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AI -生成された君に、恋をした-  作者: ノートンビート
第4章 不完全な存在
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4-2:温度のある手

ふたりで並んで歩く道には、目印らしいものは何もなかった。ただ緩やかな坂道が続き、春先の風が街の輪郭を少しだけ揺らしていた。マンションの壁越しにこぼれる洗濯物の匂い、犬を連れた老夫婦の足音、駅の方角から届くアナウンスの残響――それらが、ユイにとっての“現実”をひとつずつ形にしていく音だった。


陽翔はユイの歩幅に合わせて、意識的に足を緩めていた。すぐ隣を歩く彼女の表情は穏やかだったが、時折ピクリと肩が震えているのがわかった。身体は安定している。呼吸も滑らかで、歩行リズムにも異常はない。だが、そのどれもが「完全に順応している」とは言いきれなかった。むしろ順調すぎる反応のなかにこそ、逆説的な違和感がにじんでいた。


歩道の途中、ユイは不意に立ち止まり、木陰に視線を向けた。小さな花壇があり、道端に咲いたクローバーの葉が風に揺れている。彼女はしゃがみこむと、その葉に指を伸ばした。だが触れた瞬間、小さく手を引いた。


「……冷たい」


ぽつりと漏れた声は、驚きでもなく、喜びでもなく、ただ“わからない”という素直な感情に満ちていた。指先を見つめながら、ユイはもう一度、そっとクローバーに触れる。今度は引かずに、しばらくそのまま指を置いた。


「でも、嫌いじゃないかも」


そう呟いたあと、彼女は立ち上がり、陽翔の方を見た。その目に浮かんでいたのは、期待でも好奇心でもなく、“確認”だった。自分の感覚が正しいのか、意味を持っているのか、誰かに確かめてほしい――そんな揺れが宿っていた。


陽翔は何も言わず、歩き出した。ユイも一歩遅れてついてくる。その歩幅は先ほどよりも自然だった。ふたりの間の距離は近くもなく、遠くもなかった。だがその“曖昧な余白”に、陽翔の心はじわりと湿っていた。


コンビニに立ち寄り、冷たいペットボトルをふたつ買う。会計を終えて出てくると、ユイは自動ドアの前で立ち尽くしていた。ガラスの反射に映る自分の姿を見つめるように。陽翔は無言で片方のボトルを差し出した。


ユイは受け取る。けれど、その手のひらがほんのわずかに震えていた。陽翔はそれを見て、思わず彼女の手をそっと包み込んだ。


その瞬間――ユイの身体がぴたりと止まった。


冷たくもなく、熱くもなく、ただ“確かに存在している”という手の温度。

陽翔の手の中で、ユイの手は小さく、やわらかかった。

だがそれ以上に、その表面には“人肌の不安”がこびりついていた。

彼女自身が、自分の“温度”をまだ信じきれていない。

それが、手のひらの表面に、静かにあらわれていた。


陽翔はその手を包んだまま、ゆっくりと言った。


「温度、あるよ」


たったそれだけの言葉だった。でもユイの目が、わずかに揺れた。


「……うん」


その返事のあと、ふたりはしばらくそのまま手を繋いでいた。通行人がすれ違い、風が旗を揺らし、太陽が雲間に隠れていく。世界は止まらない。その中でふたりだけが、ほんの少しだけ時間を止めていた。


やがてユイはそっと手を引いた。強くもなく、弱くもなく、あくまで自然に。


「……手をつないだの、初めてだった」


陽翔は少し驚いた顔をした。仮想空間では、何度も手を取り合っていたはずだった。

でもユイは、まるでそれを“なかったこと”にするかのように言った。


「向こうでは……触れた気になってただけかも。あなたの手の温度、さっき初めて知った。……だから、やっぱり初めて、なんだと思う」


その言葉に、陽翔の胸がきゅっと締めつけられた。

“初めて”という感覚は、彼女にとっては誕生のようなものだった。

それは喜びにも似ていたが、同時に、過去が“虚構”として流れていく感覚でもあった。


陽翔はふと、彼女に尋ねようか迷った。

「仮想空間での記憶は、どのくらい残ってるの?」

けれど、その言葉は飲み込んだ。今それを問うことは、彼女の“現在”に影を落とす気がした。


代わりにこう言った。


「じゃあ……これからもっと、初めてを重ねていけばいい」


ユイは、静かに笑った。


「うん。あなたとなら、できる気がする」


その笑顔は、過去のユイと同じ形だった。

けれど、その裏にあったものは、まるで別物だった。

それは彼女自身が“ここで生きようとしている”証だった。


陽翔は、ペットボトルをもう一度手に取り、口をつけた。

冷たい水が喉を通り抜ける。ユイもまた、同じようにボトルのキャップを開ける。


ふたりの時間が、ようやく“現実”として動き出していた。

手をつないだこと。そこに温度があったこと。

それだけで、十分だった。

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