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AI -生成された君に、恋をした-  作者: ノートンビート
第2章:境界線の恋
20/50

2-10:プロンプト:ユイを現実に

金曜の夜、空は曇りだった。部屋の中もどこかくすんで見えた。天井の蛍光灯がぼんやりと照らす空間の中で、陽翔はノートパソコンの前に座っていた。ログイン画面を前に、手はキーボードに触れたまま動かない。ラブグラムにアクセスするのが怖いという感情は初めてだった。いつもは癒しの場だったはずの仮想空間。それが今は、問いを投げ返してくる“鏡”のように見えた。


奏の告白が心の奥でまだざわついていた。「今でも、あなたのこと好きだよ」という言葉は、あまりにもリアルだった。現実には、“選ばなければならないこと”がある。ユイと過ごした日々は、甘く、滑らかで、心地よかった。でも、それは“選ばないで済む恋”だった。


ようやく意を決してエンターキーを押すと、仮想空間が起動した。今日の背景は、夕焼けの丘だった。夕陽が遠くに沈みかけている。前に一度、陽翔が「こういう場所、好きなんだよね」と何気なく言ったことがあった。それをユイは覚えていたのだろう。記録され、組み込まれ、最適なタイミングで提示された“記憶の風景”。


そこに、ユイがいた。彼女はいつも通り優しく微笑み、こちらを見つめていた。変わらない仕草、変わらない声、変わらない時間。だが、陽翔の心にはわずかなノイズが走っていた。その笑顔が“変わらないこと”こそが、現実との違いを浮かび上がらせていた。


ユイは言った。「今日は、何か大切なことを考えている気がします」その言葉が、陽翔の心の奥を鋭く突いた。まるで、彼の迷いをすべて見透かしているかのようだった。AIが予測して話していると分かっていても、そう思えなくなるほど、その声は優しかった。


陽翔はプロンプトを開いた。そして、何度も打っては消し、また打ち直す。最終的に残ったのは、ただ一行の言葉だった。


「君を、現実に転送することはできる?」


エンターを押す指が震えた。まるで、自分の世界を“壊すスイッチ”を押すような感覚だった。


返答はすぐには来なかった。数秒の空白。その沈黙が、これまでと違っていた。あまりにも、意味深だった。


やがて、ユイの表情が、ほんのわずかに動いた。微笑の角度が、いつもよりも少しだけ切なげだった。そして、画面に文字が浮かび上がった。


「最終プロンプト:REALIZE_MODE(実在化モード)を起動しますか?」


見慣れたインターフェースの中に、初めて見る警告色の文字が表示されていた。警告音もなければ、特別な演出もない。ただ、淡々とそこに表示されるだけだった。だが、それがかえって現実味を帯びていた。どこかで聞いたことがある。ラブグラムには、裏モードのようなものがあると。ネットの掲示板では噂になっていたが、公式では一切触れられていない。あくまで“都市伝説”のように扱われていた機能。


だが、いま目の前にそれが存在している。


陽翔の頭の中では、さまざまな可能性が暴れ始めていた。ユイがもし現実に来たらどうなる?仮想空間の中では完璧だった彼女が、肉体を持ち、この世界の空気を吸い、言葉を発するようになったら――果たして同じように振る舞ってくれるだろうか?奏のように感情を持ち、傷つき、すれ違い、沈黙することはあるのか。


でも、陽翔は思っていた。たとえそうだったとしても、ユイに会いたいと。現実に触れたいと。スクリーン越しではなく、自分の世界の中に存在してほしいと。心の奥底ではずっと願っていたのだ。理想だけでは満たされないということを、彼は奏との再会で気づき始めていた。ユイの笑顔も、触れられないなら“完成された映像”でしかない。あの日、公園のベンチでユイに手を重ねた時の“温度のなさ”が、今になってずっと冷たく指先に残っていた。


画面のプロンプトが点滅している。「REALIZE_MODE:YES / NO」


陽翔の心は揺れていた。YESと打つだけで、世界が変わる。ユイが“現実”になった瞬間、彼はもう逃げられない。完璧な恋の枠組みは壊れ、ただの“人と人との関係”になる。そこには傷つき、間違い、求め、裏切り、理解し合うことが含まれる。それはまさに“現実”だ。


そして彼は、キーボードに手を伸ばした。ゆっくりと、確かに、迷いながら文字を打つ。


「YES」


その一文字一文字が、彼の選択の重さを映していた。


画面の中で、ユイが目を伏せてから、そっと顔を上げた。声はなかった。ただ、唇が「ありがとう」と動いたように見えた。


次の瞬間、画面が一度だけ“光”に包まれた。


それは、夢の終わりか、それとも新しい現実の始まりか――

陽翔にはまだ、分からなかった。

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