雪原の焔
吹雪が荒れ狂う極寒の地。
空も地も白一色に染まり、すべての命を拒むように冷たく凍りついていた。
そんな中、一人の女が歩いていた。
小さな赤子を胸に抱きながら、ただ北へ、ただ北へ。
──どこから来たのか。
──なぜ、この雪原を目指したのか。
それを知る者は誰もいない。
だが、その足取りは迷いなく、まるで何かに導かれるようだった。
火を隠せるほどの雪原を目指して。
やがて、足が止まる。
全身の感覚が薄れ、視界が霞む。
それでも腕の中の温もりだけは、かすかに感じられた。
──その時だった。
目の前に、小さな灯が揺らめいた。
ありえないはずの、吹雪の中に浮かぶ炎。
それは、静かに燃えていた。
まるで、何かを問いかけるように。
女は声を出せなかった。
けれど、炎には伝わっていた。
(ゼノ……強く……生きて……)
静かに、女の体が凍りつく。
そして、すべてが静寂に包まれた。
──だが、小さな炎は消えなかった。
⸻
「……ん?」
吹雪の中を歩く男が、不思議な光を見た。
極寒の大地に、まるで命が灯るような温かな光。
男──ブラッドレイ中佐は足を止め、その光のもとへと向かう。
そこにあったのは、冷たく凍りついた女と、彼女が抱える赤子だった。
女はすでに息絶えている。
だが──
「……温かいな」
赤子は生きていた。
この吹雪の中、防寒もろくにされていないというのに。
「中佐、どうされました?」
部下が駆け寄る。
「拾った。女は……もう死んでいる」
「なんと……」
「俺はこの子供を教会に預ける。女の遺体は任せた」
「了解しました」
ブラッドレイは赤子を抱き上げ、その姿をじっと見つめる。
──赤子は、古びた布に包まれていた。
それは粗末なものだったが、唯一、そこに綴られた文字だけがはっきりと読める。
「ゼノ」
「……ゼノ、か」
名前なのか、それとも何かの意味を持つ言葉なのか。
それを知る術はない。
だが、吹雪の中でなお生きているこの命は──確かに、消えかかることなく灯っていた。
⸻
「この子を頼めるか」
教会に着くと、初老のシスターが赤子を抱き上げた。
その瞬間、彼女はふと眉をひそめる。
「……この子、ただの温もりとは違うね」
「そうか」
「吹雪の中、母親がここまで来たんだ。きっと大切な子だったんだろうね」
シスターはそっと微笑み、背後の少女へと視線を向ける。
「アルスちゃん、頼めるかい?」
「ん、分かった」
少女──アルスは、無表情のまま赤子を受け取った。
その腕に抱かれた赤子は、小さく息を吐く。
「アルスも大きくなったな」
「……そこまで変わってない」
ブラッドレイは、無愛想な少女の頭をわしわしと撫でる。
アルスは少しだけ眉をひそめるが、文句は言わなかった。
「名前は?」
「布に『ゼノ』とあった」
「ゼノか……いい名前だね」
アルスは赤子を見つめる。
ゼノ、と名付けられたその命は、ただ静かに眠っていた。
まるで、雪の中に隠された炎のように。