04.チュートリアル
俺は今カラオケに来ていた。
例のカラオケに誘ってくれた人(荷軽井君というらしい)と何人かで今日集まることになったのだ。
「荷軽井君、今日は誘ってくれてありがとう」
「いいって、俺がカラオケ好きなだけだから」
荷軽井君はなんていうかイケボだ。落ち着いた声のトーンに聞き取りやすい発音、そして深みのあるバリトンボイス。これはモテるだろうなとすぐにわかる。
「またカラオケかよって思ったけど、平星に荷軽井の歌聴いてほしいんだよな」
「めっちゃ分かる」
他に参加していた2人も話しかけてくる。軽薄そうな雰囲気だが、ここまで話した限りは“いい人”に感じる。困っているクラスメイトがいれば率先して手助けしてやっているところをよく目にしたし、クラスのほとんどの人に気軽に話しかけていて教室中を和ませようとする気を感じる。
「もう僕たちの名前は憶えた?」
「いや……申し訳ないけどまだ何人かしか憶えられてない」
転校してきて数日、1日10人憶えられれば3,4日程度で全員覚えられると思っていたが、なかなか皆のことを印象付けられずにいた。
ミラー効果というものがある。親密な人同士が無意識的にお互いのことを真似してしまうことだ。このクラスにおいてはほぼ全ての人がお互いに親密であり、クラス中でミラー効果が起こっている。よって、皆の印象が同じものになってしまう。顔と声以外、全員が同じ人に見えてしまうのだ。
「そりゃそうだよな、僕たちは平星たった1人だけを憶えればいいけど、平星はクラス全員を憶えなきゃだもんな」
「確かに」
「努力はしてるけど、向こう1週間は憶えきれないことを許してくれ」
2人に理解があることは嬉しい。ここからは俺が頑張らなきゃいけない。
そう思っていたところで荷軽井君の歌が始まった。
「ボォォォォォォォォォォオオオオ!!!」
「デスボイスかよ!」
流れてきたのはデスメタルの聞いたことがない曲。そもそもデスメタルは詳しくないから分かるはずがない。
「一曲目から飛ばしてるなぁ」
「え、なんか言った?!」
「これを聴かせたかったんだ」
「わかんない、なんて言ってるの?!」
「まあ聴けって」
「声量デカすぎて聞こえねぇよ!」
低音の強いデスボイス且つ、とんでもない声量で部屋の音はデスボイス以外全てかき消されていた。他2人は涼しげな顔で荷軽井君のデスボイスを聴いているようだが、よく見ると耳栓をしていた。こうなるとわかっていたのなら事前に教えてくれていればよかったのに。クソっ、嵌めやがったな!
「ヴァァエ゛ェェオ゛ォォォォ!!!!」
モニターに流れる歌詞を見ても荷軽井君が何を言っているのかがわからない。常に頭の中に低音が響いて、脳を揺らす。ぐわんぐわんと視界が揺らいできていて今にも意識が持っていかれそうだ。
「なんとか……しないと!」
デンモクが目に入る。リモコン機能からマイク音量を下げれば、少しはマシになるのではないかと考えた。
すかさずデンモクを手に取り、手早くボタンを探すが……
「イ゛ェェェァァァォアアアアアアア!!!」
荷軽井君のデスボイスの衝撃波で手元が滑ってしまい、マイクボリュームはむしろ上がってしまった。
「お、おい何やってるんだよ、死ぬ気か!!」
耳栓をしていてもボリュームが上がったことがわかるのか、2人も異変に気づく。
なんとかしてボリュームを下げなければ。再びボタンを探すが、さっきよりも大きい衝撃波が手元を狂わせる。ボリュームを上げてしまわないように慎重になるが、今度はボリュームを下げることすらままならなくなってしまう。
「貸せ、俺がやる!」
デンモクが横から掻っ攫われる。耳栓をしている分正常にボタンが押せるようで、おかげでボリュームはみるみる下がっていく。
「ゔぉえ〜〜、うぉぉ〜」
なんとかまともに聴けるくらいのボリュームまで落ち着いた。それでも歌詞はよくわからない。
「とんでもないな、生きた心地がしなかった」
「僕もだよ、まさか音量が上げられるなんて」
「死ぬかと思った……」
「そ、それについてはごめん!手元が狂ったんだ」
とはいえ先に仕掛けたのは2人の方だ。あとで詰めることにしよう。
ようやく曲が終わり、荷軽井君が清々しい顔で振り向く。かなり満足したような表情だ。
「平星ごめんな、カラオケで歌うような曲じゃないって自分でもわかってるんだけど、ここに来るとどうしても抑えられなくて」
なんということだ、頼むから抑えてくれ。
「とはいえ俺のことは憶えてくれたよな、こんなに体張ったんだから憶えててくれないと泣くぜ」
「憶えないわけがないよ荷軽井君、これからよろしく。でももうこんなことは2度とごめんだ」
「悪い悪い」
本当に悪いと思っているのか、口の端は上がっている。名前は憶えることができたが、こいつとの付き合いは考えなければいけなさそうだ。
「ところで僕たちの名前は憶えた?」
「俺の名は」
「耳栓を貸してくれなかった2人のことなんか知らないなぁ」
「わ、悪かったって。もうこんなことしないから名前くらい憶えてくれよー」
「ごめん。俺は柏田」「僕は榎尾だ」「よろしく、柏田君と榎尾君」
許したわけじゃないがずっとツンケンしても仕方がないだろう。握手という形でこの場は水に流すことにする。
おしゃべりな柏田君と寡黙な榎尾君、と憶えておこう。
「よく3人で遊んでたりするの?もう2年生の終わりだしそこそこ仲が良いんだろうけど」
「ああ、俺たちはマブだな。俺と榎尾が1年からの付き合いで、柏田とは2年から」
「荷軽井と榎尾の間に入るのは苦労したぜ、コイツらガードが堅いんだ」
「柏田はいつもおしゃべり」
3人がそれぞれ答えてくれる。柏田がこのメンツの中心的な人かと思っていたが、意外にも途中参加的な立ち位置なんだな。社交術に長けているのか。
「俺と榎尾は内向的だから気の合う人としか交流がなかったんだ。けどそこに柏田が入ってきて……ぶっ壊された」
「言い方が悪いって!せめて僕のコミュニケーションに気圧されたとか、根負けしたとか」
「とはいえ、そのおかげで俺も社交的なところを見習って周りの人に話しかけるようになって。今日カラオケに平星を誘ったのも、いつもの柏田を見習っていたから俺も平星を誘ってみようと思ったんだ」
「そんなよせやい、僕を誉め殺ししたってなにも出ないゾイ」
「隠れオタクが出る」
「なっ!?おい榎尾バラすなって!」
柏田君の2人への影響はかなりあるようだ。柏田君を中心にガヤガヤ話しているのを見ていると、とても楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
俺は……この中に入っていけるのだろうか。
過去のことを思い出す。
一度形成された人間関係の中に入ることの難しさを、俺は身をもって知っている。中学の入学直前あたりで母が他界した。そのことに今思うことはあまりないが、あのときは本当に悲しかったことを覚えている。
でも問題はそこじゃなかった。母がいなくなったことで家の家計、家事、その他いろいろなことが回らなくなったんだ。家計面は父に頑張ってもらうしかなく、その分、家事と弟妹の世話は俺がすることになった。
中学1年生の俺、小学4年の妹と小学2年の弟。妹と弟が何もできないというわけではなく、家事を教えて自律的に動いてもらうよう指示をすることができた。もちろん全てがうまくいくわけではなかったが、失敗を繰り返しつつ何度も教え込むことで料理以外の家事を全て任せることができた。そうなるのに1年掛かったことを除けば、上手くいっていたのだと思う。
1年間。中学生の1年間はコミュニケーションにおいて一番大事な時期だ。その大事な時期に、俺は友達と遊ぶ時間なんて残っていなかった。
「平星君って小学校どこなの?」
「一緒に委員会入ろうぜ」
「このあとカラオケにでも行かない?」
最初は皆から話しかけてきてくれていた。
「ごめん、家の事情で……」
その全てを断ってきた。
1学期はもちろん、夏休みでも、体育祭のときでも、冬休みも、皆が仲を深めている間に俺は家のことに専念していた。ようやく家が落ち着いた頃には、学校に俺の居場所なんてなくなっていた。
「ごめん、もうメンツ固まってるから」
「よしてくれよデートなんだから」
「別に良いけど……ウチらで仲良いから居づらいかもよ」
「平星って誰だっけ?」
既に形成された人間関係、空気の読めないタイミングで入ってきたあぶれ者、今から仲良くなろうというキッカケもないモブA。皆と同じように、皆がそうなったように、皆と同じ歩速度で進み思い出を作ることができなった俺がクラスで孤立していたことに、嫌というほど気付かされてしまった。
中学の残り2年間は同じ状態が続いてしまった。中学3年生のときにクラス替えがありチャンスがやってきたと思ったが、俺は怖気付いて、誰かに話しかけるということができなかった。
「お前、誰?」
その一言を言われてしまうことを常に恐れた。せいぜい誰かの印象に残って“クラスメイトの1人”というポジションに着くことしかできなかった。
顔見知りだけど友達じゃない。知ってるけどよく知らない。ああそんな奴もいたな。まさに、居るだけの奴だ。
今の俺は、居るだけの奴だ。
皆の興味が薄れればまたあのときのように孤立する。今日が終わればこの3人との関係は終わって、また次の人が回ってくる。あと2週間くらいこれが続いたらもうあとは過去の自分に戻るだけだ。
3人の談笑のために俺が居る。3人は楽しそうだな、良かった。
「つーか、僕のことはもういいだろ!そんなことよりも平星のことをもっと聞きたいんだよ」
「もう俺たちのことは憶えてもらったからな。ごめんな、俺たちのクラスって転入生入ってきたことがないからどうやって受け入れていくのかわからないんだ」
「受け入れる……?」
受け入れる、と言ったのか?そんなことを言ってくれるのはとても嬉しい。
でも俺はそんな言葉に乗ってしまうほど単純じゃない。
「む、無理に考えなくて良いよ!俺は3人の話聞いてるだけでも楽しいし」
「と、平星氏は言っているが」
「いや、でも入学から顔見知りの俺たちと違って平星は辛いだろう?」
「そうだよ!せっかく僕たちが平星を誘ったんだからこのまま仲良くなりたいじゃん!」
「えっと……」
こんなことは今までになかった。こんなにも俺を受け入れようと努力してくれることなんて、初めての経験だった。
だからこそ踏みとどまってしまう。このまま3人の輪に入って仲良くなろうとして、3人の身内ノリについていけなくなった俺があぶれてしまう未来が見えてしまう。
あのときの俺が喉から手が出るほど欲しかったものが目の前にありながら、それを手に取ることに怖気付いてしまう。
「待って、柏田、荷軽井」
あまり主張のなかった榎尾君が声を上げる。
珍しいことなのか荷軽井君と柏田君は話すことをやめて榎尾君の方を見る。
「せっかく僕たちがって、何様のつもりだよ。確かに社交的な感覚を持っている柏田と荷軽井には平星が生きづらそうに見えてるのかもしれない、でもそれは平星氏が本当に望んでいることなのか?」
榎尾君の言葉は俺を突き放すようなものだったが、俺は大きな共感を得た。
「だ、だからって仲良くしたいと思うものだろ?」
「それは柏田の感覚。前にも言ったけど柏田は自分を中心に世界を回しすぎている。去年の俺たちにはちょうど良かったんだと思うけど、今はきっと違う」
「僕が……世界を?」
「もっと直接言うよ。平星を俺たちのグループに無理やり入れてもお互いに良い思いはしないってことだ。柏田には良いことなのかもしれないけど、少なくとも俺は違う」
榎尾君は俺の方にも視線を送ってから言い放つ。
「俺は柏田と同じくらいに平星と仲良くすることができない」
そうだ。それが言いたかったんだ。俺は誰かと仲良くなりたいが、仲良くなれる自信なんて最初からこれっぽっちもなかったんだ。
「そんなの平星のいる前で言うことじゃないだろ!」
「そうだぞ、流石に失礼だ」
2人とも榎尾君の話に抗議するが、それを俺が制止する。こんなことで喧嘩になるのは良くない。
「2人とも怒ってくれてありがとう。でもこればっかりは榎尾君と同じ気持ちかな」
「平星氏になら伝わってると思うけど、別に仲良くしたくないわけじゃないんだ。俺は平星氏にとって一番仲良くなりたい人と、仲良くなってほしい」
「榎尾君、そう言ってくれるとすごく嬉しいよ。でも転入したてで友達を作りづらかったのも事実だから、この会を開いてくれた荷軽井もたくさん話してくれた柏田君もありがとう」
全員が全員、善意で俺のためにやってくれたことだ。感謝してうまくまとめられれば彼らとの交流はより良いものになりそうだ。
「おうよ平星、良いこと言ってくれるじゃねーかコノヤロウ」
「榎尾の言葉に頭が冷えたよ。距離の詰め方って難しいな」
「うい」
3人とも落ち着いてくれたようだ。
俺も自分の抱えてる考え方や感じ方を見直すことができて、良い機会だったと感じた。
この感じだとこれで今日は終わりかな。そう思っていると、まだ榎尾君からの視線が飛んできていた。まだ用があるのだろうか?
「どうしたの榎尾君」
「榎尾でいい。他の2人も呼び捨てできたらそうしてやって」
「わかった。えーっと、榎尾」そう言うと榎尾はグッと親指をたてる。
「それで本題」
ここからが本題かっ。
少しばかり肩に力が入ってしまった。
「な、何かな?」
「平星が一番仲良くなりたそうな人、パンダとは今どんな感じなの?」
しばらくの間言葉が出なくなってしまうくらい突拍子もないことで、考えもしなかったことだが、俺にとってそれはあまりにも爆弾だった。