想い
「んじゃ、七時までには帰るから」
「行ってらっしゃい。冷司君たちによろしくね」
「おう」
玄関ドアを開いた途端に冷たい空気に晒され、九斗は思わず身を強張らせた。
九月下旬までは何だかんだで高温と蒸し暑さが続き、一〇月から徐々に涼しさを感じるようになってきたかと思えば、一一月に入った途端、冬が秋をあっさりと押しのけて堂々と存在を主張するようになった。特に今のような朝の時間帯は顕著で、マフラーや分厚いコートが必要なのではないかと感じてしまう。
──こんな寒さに負けてられっか。待ってろよ巨大パンケーキ……!
九斗はこれから、冷司、麗央、篤弥の四人で、自由ヶ丘まで遊びに行く。麗央の父方の叔母がパンケーキを売りにしたカフェを経営しており、目玉メニューの一つであるジャンボサイズのパンケーキに四人で挑戦する事になっている。
「おはよう」
「あ、おはようございまっす!」
アパートの共用出入口で、新聞を取りに来たらしいラフな格好の東堂に出くわした。
「出掛けるの?」
「っす! 巨大パンケーキを食べに!」
「いいね。行ってらっしゃい」
「行って来まっす!」
自宅の最寄駅前まで来たが、先に待ち合わせしている冷司の姿はなかった。改札横のスペースに立ち、駅の中に吸い込まれてゆく人々の姿をぼんやり見やる。
──どーすっかな……あいつのプレゼント。
一二月に冷司の誕生日がある。去年までは自分でチョイスした菓子のセットをあげていたが、今年は、いや今年からは、ちゃんとそれなりのものを用意したい。
──だって……恋人だもんな。よし、近いうちに単発バイトすんぞ。
四月の終わりに冷司の想いを知った時は本当に驚いたが、あの時に何も起こらなくても、遅かれ早かれ、いずれは親友以上の関係になっていたのではないだろうか。
女子にモテる冷司や麗央を間近で目にしたり、誰と誰が付き合っているだのという話を聞いて、羨ましいと思う事は何度もあった。しかしよくよく思い返してみれば、一度も女子に明確な恋心を抱いた覚えがなかった。
──かといって男が好きってワケじゃねーし。冷司だからいいんだよな。これって、性別関係なく好きになった人がタイプ……ってヤツか?
考えたところで、よくわからなかった。はっきりしているのは、恐らく冷司が考えている以上に、こちらもちゃんと想っているという事だ。
周りの目が気になるとはいえデートするのは楽しいし、こっそりとならイチャつくのだって別に嫌ではない──想像すると物凄く恥ずかしいが。これからもずっと隣にいたいし、いてほしい。もしも「やっぱり別れたい」とか「他に好きな子が出来た」なんて言われても、素直に受け入れられないだろう。
──ひょっとしてオレは自覚してなかっただけで、あいつがオレを好きだと知る前から、あいつの事を好きだったのか……?
考え事に夢中で視線が下の方を向きがちだったため、九斗は迫り来る気配に全く気付いていなかった。
「悪い、待ったか?」
「うおっ!?」
顔も性格も運動能力も、何もかもが良すぎる恋人が、いつの間にかすぐ目の前まで来ていた。
「ははは、ビックリし過ぎだろ」冷司は白い歯を見せて笑った。
「お、おお……よく来たな」
「何か混乱してないか?」
「む……大丈夫だ」
九斗は自分に言い聞かせるように答えた。心臓の脈打ちが早いのは、驚いた事だけが理由ではないだろう。
「さ、入ろーぜ!」
「ああ」
あまり人気のない駅のホームで、電車の到着を告げるアナウンスが流れると、九斗は思い出したように冷司を呼んだ。
「今度の誕生日、何か欲しいもんあるか?」
「え? 何、俺の要望聞いてくれるのか?」
「おう。予算は、そうだな……五〇〇〇円くらいかな」
「ええ、そこまではいいよ。学生には高いだろ。それにせっかくなら物を貰うよりも、お前に直接してほしい事があるかな」
「してほしい……?」九斗の眉がピクリと動いた。「さてはお前、まぁた何かイヤラシイ事考えて……?」
電車が止まり、ドアが開いた。
「まあ、色々とね」誤魔化したり否定する事もなく、冷司は妖しく微笑んだ。「少しずつステップアップしたいからさ」
──……っっ!!!?
固まる九斗をよそに、冷司は何事もなかったかのように乗車した──よく見れば、その頬は微かに赤く染まっていたが。
「おーい、早く乗れって。閉まっちまうぞ」
「……わ、わかってらあ!」
──や、やっぱりキスの練習ちゃんとしとかなきゃ駄目か? つーか色々って何なんだ色々って!?
顔を赤くしたり青くしたりと忙しい九斗の隣で、玲司は先日の賭けで本来やらせようとしていたあれやこれを思い浮かべ、ほくそ笑んだのだった。
そんなこんなで、麻宮九斗と槙屋冷司の、恋人同士としての日常は続くのであった。




