07 次のお誘い
「はぁ~喰った喰った! 生き返った!」
槙屋家のテーブルの上には、空になったパスタの容器とフォーク、六〇〇ミリリットルの麦茶のペットボトルが、それぞれ二人分。更にサンドイッチ袋とおにぎりフィルムは、九斗が消費した分だ。
「美味しかったな」
「おう。この暑い中、ちょっと遠くまで行った甲斐があったぜ」
「しかもあの不思議な空間。ああいうものが実在しているなんてさ」
「……そーだな」
九斗は正面に座る冷司と目を合わせていられず、そっと逸らした。クリスタルの空間から戻る際のやり取りを、優しくて柔らかな唇の感触と一緒に思い出してしまった。
──やっぱり慣れないぜ……。
「また今度商店街に行った時、果たしてあのドアは見付かるかな」
「むう……どーだろうな」
商店街に戻った二人が振り向くと、壁とドアは、最初から存在していなかったかのように跡形もなく姿を消していた。コンビニで昼食を購入後も商店街を通ったが、どんなに目を凝らしても、ブティックと和菓子屋はしっかり隣接していた。
──もし、いつかまたあの場所に行く事があれば……
九斗は、薄暗い空間で七色の輝きを放つクリスタルに手を伸ばす光景を思い浮かべた。
──その時は、親父との思い出を見てもいいかもな。
「この後どうする?」
「ん? ああ、そーだな……ここまで暑くなきゃ、またちょっと外に出ても良かったんだけどな」
人並み以上の体力を自覚している九斗でも、もう一度炎天下を歩こうという気力は湧かなかった。
「今日はもうここで夕方まで過ごした方がいい。また今度会う時は、何処かに出掛けないか?」
「おう、そーだな。んじゃ早速、今から計画立てよーぜ!」
「そうしようか」
途中で何度か脱線しつつも、二人は日が落ちるまで次回の楽しみについて話し合ったのだった。
一九時を廻る頃、冷司は九斗を公園の前まで見送った。太陽は完全に姿を消しているが、ジメジメとした空気は変わらずだ。
「んじゃ、また連絡すっからよ」
「ああ。楽しみだな、次のデート」
「デッッ! お、おうよ……!」
愛する人の大きな体が見えなくなるまで待ってから、まだ何となく物足りなさを感じつつ来た道を戻る。
──次は泊まっていくように誘ってみようかな。
九斗とは中学時代からの付き合いだが、互いに相手の家に泊まった事は、まだ一度もない。
──でも、九斗がすぐ隣で無防備な姿晒して眠っていたら……俺は平常心でいられるか?
自宅マンションのエントランスまで来ると、角を曲がってすぐに位置するエレベーターから、女性が降りてきた。かかとのない靴を履いているが冷司より僅かに高い長身で、豊かな長い黒髪をポニーテールにしている。
──あ、座田名さんだ。
座田名は槙屋家と同じ五階の住人で、冷司が小学校高学年時に一人で引っ越してきた。二〇代前半くらいに見えたが、それから五、六年が経過した現在でも容姿が大して変化しておらず、年齢不詳。高身長なだけでなくスタイルもいいので、モデルでもやっているのではないかと冷司の母親が推測していたが、それも実際のところは不明だ。
「こんばんは」
冷司が挨拶すると、座田名の奥二重で切れ長の目がスッと細められた。
「あら、こんばんは」
入れ替わりで乗ったエレベーターが上昇を始めると、冷司はほんの数十秒前の座田名とのやり取りを思い返し、うっすら笑った。
──なぁんかあの人、独特のオーラがあって変にドキリとするんだよな。
他人と接する際、基本的には人見知りや緊張をしない冷司にとっては、珍しい感情と感覚だった。
──あのオーラを例えるなら……何だろう、孤高の女王様? いや小悪魔?
まあ少なくともSっ気は強そうだよな、と勝手に結論付けて満足したタイミングで、エレベーターは五階に到着した。そして自宅に入る頃には、冷司の頭の中から座田名に関する内容は綺麗に消え失せ、代わりに、九斗を泊まりに誘うか否かという迷いが再び独占していた。




