04 冷司の思い出
九斗の目の前には、見慣れた住宅街が広がっていた。中学時代の三年間、登下校時に必ず通っていた隣町の一画だ。
──あ。
建築年数が浅そうな二階建ての一軒家と、対照的に古くから存在していそうな平屋の間の道から、髪の黒い冷司が姿を現した。シャツは長袖だが、学ランは着ていない。帰宅途中らしく、早歩きで自宅方面へ進んでゆく。
──これ何年の時だろ。
場面が切り替わった。坂道を登り終え、一旦足を止めた冷司が、顔をしかめて頭や額に手を当てている。
──どうしたんだ?
「おーっす」
九斗自身が、冷司の後ろから坂道を登って現れた。髪は今の坊主に近い髪型よりは若干長めで、身長も一〇センチ以上は低い。冷司と違ってシャツは半袖だ。
「ああ、麻宮……」
冷司が見せた微笑みは、どこか弱々しかった。
「む、何か元気なさそうだな」
「頭痛がするんだ。昼休み終わったぐらいから少しずつズキズキ痛んで……どんどん悪化して今じゃガンガン響いてる。そのせいか何となく体も怠いんだ」
「ほうほう……ちょっと触るぞ?」
「え?」
九斗は冷司のすぐ目の前まで来ると、手を伸ばして額に触れた。
「む……ちょっと熱いんじゃねーか?」
「え……そうか?」
「ちょっとこっちも……」
九斗の手が、冷司の首筋に移動する。
「……っ」
冷司は息を呑み、身を強張らせた。
「うん、やっぱり熱い気がするぞ。風邪引いて、熱が出てきたんじゃねーのか」
「そ、そうかな……」
「むむ! 槙屋、何か顔が赤くねーか? やっぱ熱だ熱! よし!」
九斗は背負っていたリュックを前に移動させると、冷司に背を向けてしゃがみ込み、両腕を後ろに回した。
「ほら、オレが家までおぶってってやるよ!」
「ええっ!? い、いやいや大丈夫だよ!」
「遠慮すんなって。それに周りに誰もいねーだろ」
「いやいやいや! ほんと一人で歩ける! 大丈夫だ有難う!」
「そうかぁ?」
──思い出した。これは中二の時だ。
九斗はかつての自分を見やり、思わず笑みを溢した。
──そういや、こんな事もあったな。
「心配だからよ、家まで送ってくぞ」
「あ、ああ……有難う」
「方向どっちだ?」
「この先真っ直ぐ行って、突き当たりを右に……」
「途中まで一緒だな。よし行くぞ。何かあったら言えよな」
「ああ、わかった」
再び歩き始めて程なく、冷司は普段なら何でもない段差に躓いた。
「──っ!」
冷司が倒れ込んだのはアスファルトの上ではなく、半歩前を歩きながら何かを言おうと振り向いた九斗の胸だった。
「おっと」
「わ、悪い!」
冷司は慌てて顔を上げ、九斗から離れた。
「やっぱりオレがいて良かったな! にゃはは」
「そう、だな……」
「元気ねーな。やっぱ熱があるんだ、一秒でも早く帰んねーと!」
「い、いや、ただちょっとビックリしちまって」
「まあ、いきなり転んだらそーだよな」
「それもそうだけど、そうじゃなくて……」
きょとんとしている九斗に対し、冷司は若干恥ずかしそうに話を続ける。
「麻宮の体の厚みが……シャツ越しでもよくわかったから……。その、体育のプールの時とか、教室で着替えてる時に見えてから気になってたんだけど、やっぱ鍛えてるの?」
「おう、実は二年になってから少しずつ筋トレをな。健康のためだ」
「健康? おじさんみたいだな」
「小三の時に親父が急に倒れて死んじまってさ」
九斗は顔を上げ、空の何処か遠くの方を見やった。
「死因に生活習慣とかはあんま関係なかったみてーだけど、タッパあんのに割と痩せてたからさ。元気に長生きするなら、体力も筋肉もあった方がいいんじゃねーかって気がして」
「……そうか……」
「もっと触ってみっか?」
「……へ?」
「ほれ」
九斗は冷司の手を取ると、自分の胸元にピタリとくっ付けた。
「え、ちょ、なっ──!」
「腹筋も割れてるんだぞ」
されるがまま、冷司の手は九斗の胸元から肌を撫でるように下がってゆき、腹で止まった。
「どーだ?」
「わ……かる……」
「だろ? にゃはははは──っておい!?」
目を閉じた冷司が、無言で真横にバタリと倒れ込んだ。
はたと気付くと、九斗の意識は現実に戻っていた。目の前の大きなクリスタルは、再び七色に輝いている。隣を見ると、冷司の意識も戻っていた。
「そういやあったなぁ~こんな事! この後オレが冷司を背負って家まで走ったんだよな。次の日は休んだんだっけか」
「ああ……確か二日か三日くらい」冷司は目を合わせずに答えた。
「へぇ~、これが思い出したい記憶だったのか。でも何でだ?」
「だって……この後からだろ、俺たちがつるむようになったのって」
「そういやそうだったな!」
九斗が笑いかけても冷司は曖昧な反応をするだけで、視線はクリスタルと足元を彷徨っている。
「……なあ、何でこっち見ねーんだよう」
肩に手を置き遠慮がちに揺さぶると、観念したのか冷司はやっと顔を上げ、
「は……恥ずかしくなっちまったんだよ、見ているうちに!」
「そ、そうか」
「それに、一番肝心な事を思い出して尚更……」
「む?」
七色の輝きの影響だろうか、冷司の頬がどんどん赤く染まってゆく様子は、薄暗い中でもよく見えた。
「お……俺がお前を特別に意識するようになったのも……この時から、なんだ……」
「……お、おお!? そうな──」
「そうなんだぁ!?」
後方から上がった素っ頓狂な驚きの声に、二人はようやく、自分たち以外の人間の存在を思い出したのだった。




