02 商店街の白と黒
駅前のコンビニは珍しく客が少なく、レジにいる女性店員二人が雑談している。よく効いた冷房が、汗に濡れた九斗たちの全身をあっという間に乾かしてゆく。
「な……何てこった……」
陳列棚の前で、九斗は呆然と立ち尽くした。ジェノベーゼどころかパスタ類は空っぽで、その上段の小さな弁当類がかろうじて数個残っている程度だ。
「くっ……オレのジェノベーゼ……」
「あちゃー……どうする?」
「……オレはまだ腹は減ってねえ。外は暑ぃが体力もある」
九斗は胸元で握り締めた拳をわなわなと震わせた。
「よし、別の店舗行くぞ!」
「え!?」
ここで別の商品を購入するか、あるいは諦めて帰宅し素麺でも茹でてやろうかと考えていた冷司は、思わず大きな声を上げた。
「オレはジェノベーゼを諦めねえ……!」
「ま、まあ別にいいけどさ……」冷司は苦笑すると、ボディバッグからスマホを取り出した。「待ってな、今一番近い所を調べるから」
同じ系列のコンビニが隣町にある事がわかると、二人は出入口に向かってゆっくり歩き出した。
「えーと、じゃあ商店街を通って行くぞ」
「お、あっちの方は久し振りだな」
「俺もだ」
商店街は駅の東側、踏切を渡ってすぐだ。全長約二五〇メートルの全蓋式アーケードで、一通りの店や商品・サービスが揃っている。駅周辺では最も賑わう地域だが、九斗たちの自宅がある住宅街とは逆方面という事もあり、そこまで頻繁に利用しない。
「歩いてどのくらいだ?」
「少なくとも二〇分くらいは見ておいた方がいい」
「意外とあるな。オレはいいとして、冷司は大丈夫か?」
「付き合うよ。その代わり、次で駄目なら諦めて他のにしな」
「おう!」
コンビニを出た途端に冷気天国が一転すると、二人は顔をしかめた。
「暑ぃ!」
「暑い!」
「ど、どうする? やっぱ帰るか? 暑ぃ!」
「一軒だけだ、迷うくらいなら行こう。暑いな!」
商店街は予想以上の人混みだったが、ミスト装置の噴霧のおかげであまり不快感はなく、口数が減りかけていた二人に元気を取り戻させるには充分だった。
「で、その占い師曰く、ウィルソンの過去世は街で評判のイタリア人美女とか、アフリカの部族の戦士や中国人拳法使いだったりしたらしいんだが、何故かどれも二番手止まり。美女は姉に、戦士と拳法使いはそれぞれ幼馴染と師匠に勝てないで劣等感を抱いたまま、一生を終えたんだと」
「え、無意識にそういう人生を繰り返してるってわけか?」
「あいつ、中学のサッカー部でも副キャプテンだったらしいんだよ」
「へえ! そりゃ面白いな……いや、過去世が本当なら笑い事じゃないか」
「本人は特に何も言ってなかったけどよ、今度こそ一番になりてーんじゃねーかな。今頃、川内たちと一緒に部活の最中だろ。火村も及川も鍋島も、運動部の奴らはこの暑ぃ中大変だな」
夏休みに入ったばかりだというのに、九斗は既に学校の友人たちが懐かしくなっていた。
「なあ、過去世とやらが本当にあったとしてさ」
「む?」
「俺たちは別の人生でもこんな感じだったかな?」
少々意外な冷司からの問いに、九斗は小首を傾げた。
「そう言われてもな……それこそ占い師にでも見てもらわねーとわかんねーよ」
「ははは、そうだな」
「冷司はどう思うんだ?」
「んー……」冷司は目を細めた。「そうだな、きっと俺はどんな人生でもお前が好きだったと思う」
「む……そうか」
──……どんな人生でも、か。
かつて麻宮九斗ではなかった自分は、果たしてどんな環境でどんな人生を送ったのだろうか。そしてその隣に、冷司の姿はあったのだろうか。
──そもそも転生だの過去世なんてのは本当にあんのか? 占い師を疑うわけじゃねーけど、想像付かなくてピンとこないんだよな。
つい真剣に考え込んでしまったため、九斗は隣を歩いていたはずの恋人の姿がない事に気付くのが遅れてしまった。
慌てて振り返って目で探すと、冷司は数メートル後方にいた。通路の左側にある大型ドラッグストアの前で足を止め、その反対側の何処か一点をじっと見据えている。
「おい、どうしたよ」
九斗が戻ってくると、冷司がはっと我に返った。
「あ、悪い。いやほら、そこのブティックと和菓子屋の間さ……」
ドラッグストアの斜め前には、確かにブティックと小さな和菓子屋が並んでいる。そしてその間には、幅は狭いが目立った汚れのない真っ白な壁と、墨で塗ったように真っ黒なドアだけが存在している。
「む……何だあれ」
「気になるよな。俺の記憶に間違いがなけれはま、ブティックと和菓子屋はピッタリくっ付くように隣り合っていたはずだ」
言うや否や、冷司は黒いドアの方へ向かっていった。
「お、おい」
九斗も着いてゆき、冷司の隣に並ぶと、改めてどこか奇妙な白と黒を眺めた。
「店……じゃねーよな? 看板出てねーし」
「いや、そういう店もあるよ。でも多分何か違うよな。窓もないし」
「倉庫かもしんねーぞ。この辺の店の在庫とか置いてあんの」
早くも興味をなくしかけ、再び歩き出そうとした九斗だったが、冷司はまるで魅入られたかのように立ち尽くしている。
「……冷司?」
「……なあ、ちょっと入ってみないか」
「はっ?」
「何でかな、何か無性に気になるんだよ……このドアが。このドアの向こうが」
「おいおい……」
冷司にしては珍しい好奇心とこだわりように圧倒され、九斗は喉まで出掛かった文句──ジェノベーゼが売り切れちまったらどーすんだ──を呑み込んだ。
──まあ、オレのワガママに付き合ってここまで来てくれたんだもんな。
「しょーがねーな。ちょっくら覗いてみっか」
「ああ、有難う。中がわかったらすぐ戻るからさ」
「つってもよぉ、そもそも開いてんのか?」
冷司は応えず、黒いドアに近付くと、真鍮製であろう装飾空錠タイプのドアハンドルを掴んでそっと下げた。ドアは軋んだ音を立てながら、あっさりと開いた。
二人の少年がその向こうへと姿を消すと、ドアは開いた時と同様に音を立てながらゆっくりと閉まり──白い壁ごと忽然と、まるで最初から存在していなかったかのように跡形もなく消え去った。
その瞬間を目撃した者は、人通りが多いにも関わらず皆無だった。




