01 気分はジェノベーゼ
梅雨が明け、太陽が空の主導権を取り戻した七月下旬。
冷房がよく効いた槙屋家の一室で、部屋の主とその恋人が寛いでいる。
「アイスもう一本食べるか?」
「いや、いい」
数日前に夏休みに突入したが、九斗と冷司の生活は大きく変わらない。一、二週間に一度、あるいはもう少々短い間隔で片方がもう片方の家を訪れ、一緒に漫画を読んだりゲームをしたり、雑談しながら菓子を食べる──中学時代からの恒例であり、今のところ互いに飽きる様子はなかった。
「レオと篤弥は何してんだろうな。また四人で会いてぇよな」
「そうだな。でも高嶺の方はしばらく日本にいないみたいだし、篤弥君は予備校の夏期講習があるらしいから、夏休み中に全員で会うのはちょっと難しいだろうな」
「レオの母ちゃんの実家、イタリアの何処っつったっけ」
「確かジェノバだったような……」冷司はつい最近の[MINE]での麗央とのやり取りを読み返した。「うん、ジェノバだ」
「ジェノバ……と言ったらジェノベーゼ……」九斗はゴクリと唾を飲み込んだ。
「もう腹減ったのか? まだ一一時にもなってないぞ」
「朝遅かったからまだ平気だ。なあ、昼はコンビニでジェノベーゼ買って食わねーか? 急に無性に食いたくなっちまった。最近売ってるよな確か」
「え? まあいいけど、外暑いぞ?」
「わかってら。でも食いてーんだ! カルボナーラでもなけりゃナポリタンでもなく、ジェノベーゼが!」
九斗は駄々をこねる子供のように、カーペットの上に仰向けになった。
「わかったわかった。もうちょい後で買いに行こう」
冷司も横になると、頭を右腕で支えて九斗の方を向いた。体の大きな恋人の、厳つさに隠れがちなあどけない顔を見つめ、穏やかに笑みを浮かべる。
「……む?」
冷司の左手の人差し指が、九斗の頬と鼻の頭を優しく突っついた。
「な、何だよ?」
「いや、可愛いなって」
「あ? ……可愛いっておい……チビの頃に、母ちゃんとか通りすがりのおばちゃんに言われた事はあるけどよぉ……もう一六だぜ? 見た目もこんななんだぞ」
「それが可愛い。いや、それも可愛い」
「……変人め」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
冷司も仰向けになった。ゆっくり息を吐き出しながら目を閉じる。
「……眠いのか?」
「うん? いや別に」
「そうか……」
冷司が先程そうしたように、九斗も隣の恋人を見やった。
──改めて見ると……やっぱりこいつは綺麗だよな。
顔のパーツ一つ一つの大きさと形、そしてそれらの配置バランスが良く、輪郭は卵型。巷の女性たちが、イケメンだのウン十年に一人だのと褒めそやしているアイドルや俳優に引けを取らないだろう。
視線を顔から頭へと移す。前回の染髪からそれなりの日数が経過しているのか、全体的に赤みが落ちて茶色が強く、髪の根元は黒い。
──入学式の次の日に染めてきたのにはビックリしたな。
そっと手を伸ばし、茶色い髪を数本優しく摘むと、刺激しないよう丁寧にゆっくり持ち上げる。
──オレ的には黒のままでも良かったんじゃねーかとは思うけど、まあこいつは何でもさまになるし──……
冷司がパッと目を開いた。
「うおっ!?」
「ん、何だ?」
「いや、別に……」
「今、何か本当に眠っちまいそうだった」
「そ、そうか」
冷司の視線が、不自然に浮いたままの九斗の手を捉えた。
「何、悪戯でもするつもりだった?」
「ち、ちげー……」
「別に俺は構わないよ。好きなトコを触りなよ」
「なっ! ……何言ってんだよ……」
九斗はからかうような笑みを浮かべる冷司から視線を逸らすと、気恥ずかしさを誤魔化すように勢い良く上体を起こした。
──髪に触ったのは気付いてねーみてーだな……。
「買いに行くか?」
「……むっ?」
「ジェノベーゼ。さっきはもうちょい後でって言ったけど、これから余計に暑くなるんだから、やっぱり早めに行った方がいいかなって」
「おう……そーだな」
簡単な身支度を終えると、先に九斗が部屋を出て玄関へと向かった。
やや遅れて後に続いた冷司は、部屋を出る直前、思い出したように自分の髪を数本摘んで持ち上げると口元を緩めた。




